ガロア第一論文及びその関連の資料スレat MATH
ガロア第一論文及びその関連の資料スレ - 暇つぶし2ch762:132人目の素数さん
23/02/20 12:11:41.70 Ui41tcT+.net
>>672
つづき
研究
ゲージ場
1954年ごろまでに、楊振寧、ロバート・ミルズとは別に重力と電磁力を結び付ける一般ゲージ理論(非可換ゲージ理論)の研究を完成させていた。同年京都大学基礎物理学研究所でのワークショップで発表したものの、反応は否定的で支持を得られなかった。( L O'Raifeartaigh"The Dawning of Gauge THeory"Princeton Univ. Press,p208-209, 『龍雄先生の冒険』窮理舎(痛恨の記))
プリンストン高等研究所へ赴任直後に楊-Millsの論文を知り愕然とし、一時発表を放棄するが、気を取り直しゲージ場の一般論として論文をまとめ直した。1955年Julyに Physical Reviewに受理され、翌1956年に出版された。
エピソード
翻訳書の序文で『昔から他国の学者の書いた書物の翻訳書を出すような者に一流の学者はいないと相場がきまっている。したがって本書を出すことは私にとってはまことにプライドをきずつけることで、本来なら、したくないことである。』と述べている[4]。
経歴
1916年8月28日 静岡県静岡市に生まれる
静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て大阪帝国大学に進学
1940年3月に大阪帝国大学理学部物理学科を卒業と同時に同大学副手に。その後、爾来助手、講師、助教授
1951年 理学博士(大阪大学)「On the covariant formalism of the quantum theory of fields(素粒子論、場の量子論の共変形式)」
1954年5~6月頃、楊振寧、ロバート・ミルズとは別に一般ゲージ理論の研究を完成させ、京大基礎物理学研究所で開催された小さな研究会で口頭発表していたが、1954年10月の楊(ノーベル物理学賞受賞者)とミルズの論文に対して発表が遅れたためにプライオリティは得られなかった
1954年8月からプリンストン高等研究所に研究員として渡米し、場の理論の発展に努めた
(引用終り)
以上


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