20/06/27 13:05:28 jEjJjPRO.net
>>421
つづき
さて私も同じことを,数学で予言したいと思う:
「これからの数学はもっと,『やわらかいもの』になるだろう.」
しかしその具体的な意味は,おそらくダリ自身がそうであったように,よくわからない.あく
まで感覚的なものだ.
ダリが主張したのは,建築の構造が「やわらかいもの」になるという意味ではない.建築が
「人間にとって,やわらかい」ものになるのだ.
数学も,その論理的厳密性や構造主義的性格が「やわらかく」緩んでしまうことは決して無
いだろう.しかし,われわれが数学に接するときに生じる感覚が,無機的で硬質なものから,は
るかに有機的で,「やわらかい」ものになるだろう.少なくとも,数学を理解する際のインター
フェイスとして,記号や論理以外の別の要素が重要視される日がおとずれる.その別の要素と
は,他ならぬ,人間という存在である.あいまいで,間違いやすく,信頼のおけない,人間と
いう存在である.
ただし,数学が「毛深く」なるかはわからない.数学の「やわらかさ」に付随して,装飾的
で,ときには不快でもあるような要素が生み出されるかもしれない.
私のこのノートも,いまある数学者諸氏にとっては,すでに十分「毛深い」ものかもしれないが.
(引用終り)
以上