20/06/22 21:25:17.59 Ds9PXTTk.net
>>128
(引用開始)
ある欧米の数学者が、IUT理論の論文に関する問題について論じた、ある人のブログへの返信で、次のように述べています。「何百ページにもおよぶ解説を書くよりも、望月はABC予想の証明にいたる新しいアイデアについて(ボンやパリやボストンなどで)一回か二回レクチャーする必要がある」
望月教授が自分のアイデアについてレクチャーするべきだという意見について、私は完全に同意しますし、彼自身も実際そうしてきたことは、すでにいままで述べてきた通りです。しかし、なぜその場所がボンやパリやボストンでなければならないのでしょうか?
単に、例としてこれらの都市をあげただけならば、なぜ論文の著者自身がいる京都が真っ先に出てこないのか不思議でなりません。
(引用終り)
1.来て、レクチャーしてほしい(ボンやパリやボストンなどで)と言われたら、 なんとか都合つけて、行けば良いんじゃ無い?
2.普通行くでしょ? デフォルト(通常)は、「行くよ」の一手でしょ。「行かない」と断るのが異例ですよ
3.昔アインシュタインを日本に呼んだ故事があるのに同じですよ
URLリンク(ja.wikipedia.org)
アルベルト・アインシュタイン
6.2 日本での講演
日本での講演
1922年(大正11年)、「出版業界きっての立役者」と名を馳せた改造社創業者・山本実彦は、同出版社および雑誌「改造」が日本に招致したバートランド・ラッセル、マーガレット・サンガーに次ぐ「世界的名声人士」として、懇意になっていたアインシュタイン博士を妻エルザとともに日本に招待することにした。
集まった歓迎の群集や新聞記者の様子を見て、当時のドイツ大使館は「凱旋行進のようだ」と本国に報告している。17:00三宮駅発の汽車で京都に向かい、その夜は京都の都ホテルに宿泊した。翌18日、9:15発の特急で東京に向かい、19:20東京駅着。駅には歓迎の群集が押し寄せ、投宿する帝国ホテルに到着するのに通常は車で5、6分程度のものの、相当の時間が必要だったと記録されている。
一般講演は入場料3円(オペラの上等席に匹敵)で、結局、東京市2回と仙台市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市・福岡市で各1回の計8回行われ、14,000名ほどの聴衆を集めた。