20/05/07 14:42:27 HwaCMNE7.net
「ケンブリッジでの講演が終わるやいなや、ワイルズがフェルマーの
最終定理を証明したという知らせがヴォルフスケール委員会に届いた。
しかし、委員会はすぐにワイルズに賞を与えるわけにはいかなかった。
懸賞の規則にあるように、証明は他の数学者たちによって検証され、
論文は公式に発表される必要があったからである。
中略
ワイルズは論文を『インウェンティオネス・マテマティカエ』に提出し、
その編集人であるバリー・メーザーはさっそくレフェリーの選定に取り掛かった。
ワイルズの論文は古代から現代までのさまざまなテクニックが含まれていたため、
メーザーは例外的に、通例のように二、三人のレフェリーではなく、
六人のレフェリーを選任することにした。世界中の学術誌を合わせると
年間約三万本ほどの論文が発表されているが、ワイルズの論文の量と質を考えるならば、
その査読は補に類を見ない大変な作業になることが予想された。
そこで作業を容易にするため、二百ページの証明を六つの章に分け、
各レフェリーが一章づつ担当することになった。
第三章を担当したのはニック・カッツである。彼はその年のはじめに、
ワイルズの証明のその部分をすでに吟味していた。
(フェルマーの最終定理、サイモン・シン、青木薫訳、新潮文庫)」
ワイルズの論文は200ページで6人も査読者がいたんですね。
この本は、この後、証明完成までのメールのやりとりが
再現されているので面白いです。