20/05/10 09:52:48 mjl0bfS3.net
>>378
つづき
例
与えられた型の代数的対象全ての集まりは、たいてい真のクラスをなす。例えば、全ての群からなるクラス、全てのベクトル空間からなるクラス、など。圏論では、対象の集まりが真クラスをなすもの(または射の集まりが真クラスをなすもの)を大きい圏という。
パラドックス
ラッセルのパラドックスなどの素朴集合論のパラドックスは「全てのクラスが集合である」という正しくない仮定によって説明される。厳格な基礎付けの下では、これらはパラドックスなのではなくて、ある種のクラスが真クラスであることの証明を示唆するものであると捉えることができる。
ラッセルのパラドックスは「自分自身に属する集合」全体が真のクラスになることを示唆するし、ブラリ=フォルティのパラドックスは全ての順序数からなるクラスが真のクラスであることを示唆している。
公理的集合論におけるクラス
ZFではクラスの概念を定式化することはできないので、クラスはメタ言語による同値な言明で置き換えることで扱うことになる。
ZF集合論ではクラスを厳密に扱うことができないので、ZF の公理系をそのままクラスに関する言明に適用することはできない。しかし、到達不能基数 κ の存在を仮定すれば「それよりランクの小さな集合全体」は ZF のモデル(グロタンディーク宇宙)になり、その部分集合を「クラス」として考えることができる。
別な方法として、ノイマン-ベルナイス-ゲーデルの公理系 (NBG) を例に挙げよう。この理論ではクラスは基本的な対象であり、集合は別のクラスの要素であるクラスとして定義される。しかしながら、NBGにおける集合の存在公理は、クラスの上を亘るのではなく、集合の上を亘る量化のみに制限されている。これにより、NBG は ZF の保存拡大となる。
モース-ケリー集合論 (MK) は(NBG のように)真クラスを基礎的な対象として認めるものだが、集合の存在公理の中で全ての真クラスを走る量化をも許す。これにより、MKはZFやNBGより真に強い。
新基礎集合論 (NF) や半集合の理論のようなほかの集合論でも、「真の類」の概念は意味を成す
(引用終り)