20/01/06 05:14:30.58 atdrZNFa.net
計算を解の存在証明としてのみ分離して扱う形式の数学は
汎解析主義とでもいえる哲学的伝統の完成形になっていて
例えば「万物は流転する」という哲学の言辞が
人々の間を伝言で伝わっても記述が崩れないように
数学の記述が人々の間の伝言で伝わっても崩れません
ショルツはこの立場です
西洋の正統です
プレモダンといっていいです
数学を宇宙と演算子に分解する立場はアトミズムといって
プラトニズムの近代(モダン)的帰結なんですがもはやポストモダンの時代で
これは教育にのみよいと言えそうです
数学の全体を統一的に素描できますが厳密な数学を
すべて頭の中に入れられる脳の容量を持った人間はいませんので教育向きということです
望月さんの立場はさらに進んでいて、
数学における計算の扱いを独立して統一的に扱う手法といえるので
数学的発見を組み合わせ探索として計算機もしくは人海戦術で
組織的産業的に行わせるプラットホームになりそうです
そうであれば望月さんの数学を上記二種の数学に翻訳する
手続き(それ自体は数学ではありません)を構成することも可能で
それ込みで考えると何か昨今の数学板の騒動も予感に基づいた盲目的なものですが
ラッダイト運動のような労働運動のようなものかと思った次第です
望月が旗を振り、俺たちは労働者として機械と競争させられつつ
使役されるのかという怒りが噴出しているってことです
天才創業者にはよきマネージャーが付くべきです
自らの農地を追い出され囲い込まれていく未来の労働者の不安と怒りは
慰撫されるべきです
数理研、京大、あるいは文科省にはその種の配慮と体制づくりが周囲に必要だと
愚行する次第です