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淡中忠郎
(抜粋)
淡中 忠郎 (たんなか ただお、1908年12月27日 - 1986年10月25日 )は日本の数学者。専門は代数学。
愛媛県生まれ。1945年東北帝国大学教授、後に東北学院大学教授を務めた。ポントリャーギン双対性をコンパクト群へ拡張した淡中-クラインの双対定理で著名。
この定理はグロタンディークによる淡中圏の概念へと発展した。
東京出版の月刊誌『大学への数学』で、「数学雑談」という連載記事の執筆を1960年(昭和35年)から[1]晩年まで担当していた。
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淡中 忠郎(読み)タンナカ タダオ コトバンク
(抜粋)
生年明治41(1908)年12月27日
没年昭和61(1986)年10月25日
出生地愛媛県松山市
学歴〔年〕東北帝国大学理学部数学科〔昭和7年〕卒
学位〔年〕理学博士(東北帝国大学)〔昭和16年〕
主な受賞名〔年〕勲三等旭日中綬章〔昭和55年〕
経歴昭和7年第二高等学校講師、9年東北帝国大学講師、17年同助教授、20年同教授、30年米国プリンストン高級研究所員、47年東北学院大学教授、55年CAP予備校校長を歴任。著書に「双対定理」「位相群論」。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について