19/08/04 21:54:02.32 wYXDzdNx.net
>>206
つづき
正確には、「第66項(定理) 無限集合は存在する.」です
公理ではなくね。公理に対して、「証明」と言ってはいけません(小学校国語w(^^)
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.kurims.kyoto-u.ac.jp)
デデキントの数学思想 (数学史の研究) 数理解析研究所講究録別冊 Jun-2014
Mathematical Thoughts of Richard Dedekind
足立恒雄 (早稲田大学)
(抜粋)
「三つの謎」 は次のように要約できる :
1. 『数とは何か』の中で (第66項) ,「無限集合の存在」 が「証明」されている
が,どうして 「私の思考の精神世界」といった奇妙な代物を考えたのか ?
2 第一の謎
第66項(定理) 無限集合は存在する.
証明 私の思考の世界,すなわち私の思考の対象となり得るあらゆ
る事物の全体 S は無限である.何故かというと,もし s が S の要素と
すると,「s が私の思考の対象であり得る」という考え s' はそれ自身 S
の一つの要素である.これを要素 s の像 $\varphi$(s) と見なせば,これによっ
て確定する S の写像 $\varphi$ は,その像 S' が S の部分集合であるという性質
を持っている.しかも S' は S の真部分集合である.というのは, S の
中には,このようなどの考え s' とも異なり,従って S の中には含まれ
ない要素 (たとえば,私本来の「我」 が存在しているからである.最
後にもう一つ, a, b が S の相異なる要素ならば,その像 a', b' は相異な
ることは明らかだから,写像 φ は区別のつく相似写像 (単射) である.
よって S は無限である.証明終わり *).
*) 原注 同様な考察はボルツァーノの 『無限の逆説』の第13節にある.
ボルツァーノのような神学者・哲学者ならいざ知らず,デデキントともあろう生
粋の数学者がどうしてこんな,他の項とは調子のまったく異なる 「世界」を持ち
出してきたのか,読者は不審に思われないだろうか.師であるガウスにせよ,敬
愛するディリクレにせよ,兄貴分のリーマンにせよ,数学的議論の場に,こんな
哲学的というか,あいまいな議論を持ち出したりしたことはなかろう.
(引用終り)
つづく