18/12/11 22:27:50.78 NughUjF/.net
>>591
つづき
ある母親は、壁に張り出された算数の入試問題を頭から解き始め、去年より難しいとか易しいとか議論している。 過去の問題を全部やって、覚えているのか? 試しに、横から問題を覗いてみて、またまた驚いた。 難しいし、量が多い。 これをどうして60分間で解けというのだ? でも、その母親は、この問題だと100点もいるだろうと騒いでいる。
嘘だろう! これが時間内に全部解けるということは、それは「数学(算数)」の実力とは別物だ。 小さい時から鍛え上げた曲芸のようなものだ。 まともに考えていたら絶対に時間が足らない。
まぁ、自分の子供を曲芸のできる達者な子供に育てることは、親の勝手で、とやかくいう事ではないとも思ったが(うちの子だって、曲芸を習わせるのが一般よりはかなり遅かったにせよ、習わせていた訳であるし)、一番僕が常識を疑ったのは、出題する側の良識である。
なぜ、このような曲芸のうまさで、子供を選抜しようとするのだろう? これが、本質的にものを考える子供を選ぶ方法として、明らかに不適切なことは、数学が好きで教育者になった人なら、当然分かるだろう。 何故だろう。 と、ボーと考えていたら、結局、大学の入試のあり方が、その根本にあるのかもしれないという、自省の念が生まれてきた。
これもありきたりの議論であるが、教育は国の将来を決める根本である。 僕と息子の間のたった一世代で、これだけ変な方向に迷い込んでしまっている教育システムを抜本的に変えないと、孫の時代のこの国は駄目になるんじゃぁないか。
この日を皮切りに、いろんな事を体験した10日間であった。 つぶやき疲れてきたので、このぐらいにするが、驚くこと、怒りを感じることの連続であった。
我が息子は、距離的にもレベル的にもとても無理なので受けていないが、我が母校の灘中では、合格者も不合格者もすべて点数を公開するそうである(お母さん方の会話を盗み聞きした)。 全国区の余裕なのだろうか?