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つづき
大学4年生で卒業論文に着手後、指導教官が「現実世界の問題を抽象化する。抽象化した問題を抽象世界で数学を用いて解く。その後、その結果を再び現実世界に適用する。これが、我々、工学者のやることだ。」と指導してくださったのを聞き、数学というものがどのように現実世界に役にたつのかを理解し始めました。
これを理解したとき、やっと数学の必要性というものがわかり、しっかりと数学を勉強しておけばよかったなぁと反省の念が湧いてきました。
私は、数学の必要性を理解するためには二つの壁を超えなければなりませんでした。一つ目は、数学は人工の世界の構築であるということ。極端にいうと、単なる記号操作の集合であるということ。二つ目は利用者がその記号操作に意味を与えることによって、さまざまな現実的な問題を解くことが可能になるということ。この2点をそれぞれ理解しないと数学の必要性に目覚められなかったのです。
ですから、1つ目の壁を越えただけの学部生のときには線形代数が非常に嫌いでした。
今となっては「数学なんて社会にでてから役に立たない」と言っている人たちをみると、「そうでもないですけれどもね。」と反論したくなるようになっています。
また、数学は定義と公理から論理的に定理を見つけていくものです。この過程において、論理的思考が身につきます。この論理的思考は自分の考えを他人に理解してもらうのに役に立つ方法論です。この点でも、数学を学ぶことの重要性があります。
(引用終わり)
”発声練習”さん、教員かな?
URLリンク(next49.hate)
nadiary.jp/entry/20110416/p1
hatenadiary
2011-04-16 発声練習
何で既に知っていることをわざわざ難しく定義するの?
学生から受けた質問をメモ。 質問:「定義はわかったのだけど、…
(hatenadiaryのURLが通らないので、強制改行を入れた)