17/12/06 15:59:53.14 2d0lxo4o.net
>>388 つづき
物理学への関心、物理学者としての姿
ハイゼンベルクが高校生になる頃には、物理学の世界では原子の中を探求する時代が始まっていた。プランクによって量子仮説が発表され、アインシュタインは相対論だけでなく光量子仮説を発表していた。
また後に師となるボーアは1913年に量子条件を提唱し「電子は原子核の周囲を回るときには、特定の軌道しかとることが出来ない」と結論している。
高校生の頃にはハイゼンベルクは才能を開花させていた。教科書にはホックと留め金のついた原子の図が載っていて、分子結合の解説がされていた。これを不自然に思ったハイゼンベルクは同級生と議論を始める。
ギリシャ哲学から古典力学まで、論理的な推論を積み重ね、見ることのできない原子の姿を明らかにしようとする。そこには後に不確定性原理の発見へ結びつく着想が芽生えていた。
当時のドイツの青少年は「ヴァンダールング」と呼ばれる長距離ハイキングをしながら文化や科学、芸術などあらゆる分野について議論していたそうだ。ときには2~3日もの間野山を歩くのだ。日本語ではワンデルングで認知されている。
ドイツ青少年の野外活動を率先して行おうとする「ワンダーフォーゲル」と言う活動は聞いたことがあると思う。ワンデルングはそれに似ていて野山を歩き回ることだ。
健康的だし健全だと思ったが、なかなか真似できるものではない。真面目な活動だと思う反面、そのような集団活動の中に団結精神や排他性が過度に強調されがちな当時のドイツの危うさを僕は感じた。
大人になってからもハイゼンベルクはヴァンダールングをしていてボーアともたびたび議論をしながら野山を歩いていた。
高校を卒業し、ゾンマーフェルトのもとで研究生活が始まる。電子の運動の軌跡は霧箱の実験で確認できていたわけだが、原子の中での電子の軌道というものは存在するのだろうか?
一緒に研究していた1歳年上のパウリと議論を闘わせる。量子条件を満たしているとすると電子はひとつの軌道からもうひとつの軌道へと瞬間的にジャンプすることになってしまう。
この点をめぐって2人の間で繰り広げられる鋭く、そして建設的な議論はとても生々しい。
つづく