数理論理学(数学基礎論) その12 at MATH
数理論理学(数学基礎論) その12 - 暇つぶし2ch980:132人目の素数さん
18/07/08 20:40:44.76 3R/hZ2oJ.net
それはあなたの判断であって他の人は違うでしょう?
暇つぶしなんてしょうもない理由しかない人もいるでしょうが、
家族を大切にしたいとか、目標を達成したいとか、
別の価値観の人がいるんですよ。

981:132人目の素数さん
18/07/08 21:24:40.72 3R/hZ2oJ.net
もう理解もしていないロマンを追っておかしなことをするのは止めよう
自分ももうお払い箱なんだし。具体的手法も含めて全部言ってしまった。
願わくばまだ見ぬ異国のメンバーたち頑張って実現してくれ、
ここでは無理だから。青い鳥なんていない、現実に戻るべきだよ。

982:132人目の素数さん
18/07/09 12:19:02.63 npjW2rvW.net
スレチだったらすみません。
任意の自然数nに関する実数tの3次方程式を考えます。
∀n∈N∃t∈R {t^3+3nt^2-3n-2=0}
このときこの方程式の条件式の部分だけを考えて、
t^3+3nt^2-3n-2=0⇔∃X,Y{Y=(3/2)t^2*X-t^3∧(X,Y)=(-2n,-3n-2)}
と、同値変形することは正しいでしょうか?
これだけだと同値式の左辺はn,tの定義が不明で方程式として見ているのか恒等式なのか判断できないから真偽判定できないが
右辺はX,Yの存在に関する真偽判定可能な命題になっていて本当に論理的に左右が等しいのかわからないのではないか?
と、指摘がありました。
その人は右辺の二つ目の条件は条件というよりもX,Yの定義そのものだから∃X,Yを削除して、さらに条件式だけではなくt,nの定義もセットにして
∀n∈N∃t∈R {t^3+3nt^2-3n-2=0}⇔∀n∈N∃t∈R{Y=(3/2)t^2*X-t^3, ただし(X,Y)=(-2n,-3n-2)}
とするのであれば理解できると言ってました。
結局条件式の同値変形はどうするのが正しいのでしょうか?
特に∃X,Yが付くか付かないかで本当に意味が変わってしまうのでしょうか?
わかる方がいましたら何卒回答を教えていただきたいです。よろしくお願いいたします

983:132人目の素数さん
18/07/09 12:24:19.74 rLEvRqkF.net
>>951
論理的に同値かどうかを調べるには、論理式に使われる言語や述語記号などの解釈を定めていただかないといけないのですが、そこら辺はどのようになっていますか?

984:132人目の素数さん
18/07/09 12:39:10.17 hUwY5VqB.net
>>951
ゼンシヨウヘイホウカトクシヨウヘイホウカジユツゴカ

985:132人目の素数さん
18/07/09 14:07:17.39 COBLXkMA.net
>>951
∀n∈N[
 ( ∃t∈R t^3+3nt^2-3n-2=0 )
 ⇔
 ( ∃t∈R ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
]
は明らかに正しいよな
でも、代数学の基本定理を加味して考えると(?)
∀n∈N ∃t∈R[
 ( t^3+3nt^2-3n-2=0 )
 ⇔
 ( ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
]
も正しいよな
(3次方程式だから代数学の基本定理は一々言わなくていいか…)

986:132人目の素数さん
18/07/09 14:11:14.62 COBLXkMA.net
∀x(P(x)⇔Q(x)) ならば ∀xP(x)⇔∀xQ(x)
も正しい主張だから、>>954の前段により、
論理式
∀n∈N( ∃t∈R t^3+3nt^2-3n-2=0 )

∀n∈N( ∃t∈R ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
も正しい



はず…。

987:132人目の素数さん
18/07/10 17:29:26.97 4KzrPJ42.net
∀n∈N ∀t∈R[
 ( t^3+3nt^2-3n-2=0 )
 ⇔
 ( ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
]
も正しいな
(∃tを∀tに変えた)

988:132人目の素数さん
18/07/13 09:50:43.35 Nn


989:gNDeff.net



990:132人目の素数さん
18/07/13 12:05:51.58 TsA1JDBt.net
>>957
>>956は単なる見栄え上の問題です
ただ、論理式を書く中で波括弧{}を書くと、集合と誤解を受けるので角括弧[],丸括弧()が多用されますね
勿論丸括弧()も組(x,y)と誤解を受ける可能性があるので注意は払うべきですが

991:132人目の素数さん
18/07/13 13:19:40.70 Xa0Xrp6B.net
クラスってなんなんすか?

992:132人目の素数さん
18/07/13 14:03:40.59 HK9vyXQT.net
わからないんですね

993:132人目の素数さん
18/07/13 23:04:29.78 aF4gL7XN.net
>>873
「当時の」日本の関係者が揶揄するなら、K.Y.ケネディ
ということですね。

994:132人目の素数さん
18/07/14 22:13:16.57 4QoS4GDD.net
順序数定義可能集合について書かれている、
キューネン以外のおすすめの本はありませんか?

995:132人目の素数さん
18/07/18 03:44:45.99 NmUPTV+a.net
20世紀は、論理学の歴史からみれば、おおかたの予想に反して、Russell-Hilbert-Goedel
にミスリードされた暗愚な100年であったと記憶されることとなろう。

996:132人目の素数さん
18/07/18 07:18:50.41 s/GL5PAu.net
>>957
おれは()しか使わん

997:132人目の素数さん
18/07/18 07:19:18.36 s/GL5PAu.net
>>963


998:132人目の素数さん
18/07/18 23:20:31.18 DBS100d0.net
ZFCで(とりあえず)考えます
P(x,y)を述語とする
選択公理により、∀x∈X∃y∈Y P(x,y) ならば ∃f:X→Y ∀x∈X P(x,f(x)) です
じゃあ、∀x∃y P(x,y) ならば 新しい関数記号fを導入し、公理∀x P(x,f(x)) を加えた体系は元の体系の保存的拡大(だったっけ?)になるんですか?

選択公理を使わずとも、∀x∈X∃!y∈Y P(x,y) ならば ∃f:X→Y ∀x∈X P(x,f(x)) です
じゃあ、∀x∃!y P(x,y) ならば 新しい関数記号fを導入し、公理∀x P(x,f(x)) を加えた体系は元の体系の保存的拡大(だったっけ?)になるんですか?
この場合は上の場合とは違った議論は何かありますか?

999:132人目の素数さん
18/07/18 23:48:43.86 s/GL5PAu.net
>>966
>∀x∃y P(x,y)
X,Yは?

1000:132人目の素数さん
18/07/19 10:24:25.83 rnRSO3vZ.net
>>963
計算機科学屋さんで一番役に立たない連中の間違いだろ

1001:132人目の素数さん
18/07/19 18:41:38.91 cb8/tBx6.net
>>963
自分としては幾何学の基礎の八版改訂をしたベルナイスが一番。
フロイデンタールは皮肉ったが、他は誰も誤解されてても
指摘しなかったしそういう雰囲気だったんじゃないか。

1002:132人目の素数さん
18/07/19 18:53:21.47 cb8/tBx6.net
ヒルベルトも第一次世界大戦後にドイツがようやく加入がみとめられて、
一応ブラウワーを追い出すこととなった大舞台のボローニャの国際会議(1928)で
大々的にぶち上げたもんだから訂正もできないわ、そりゃ「数学の危機」って
言われるって。

1003:132人目の素数さん
18/07/21 00:23:09.05 3EtBPsuP.net
論理式全体の集合Fは含意記号⇒について順序集合をなしますが(議論している形式的体系はZFCとかそれ以外でもいいんですかね?)、
ということは⇒からFに位相が定まりますが、この位相空間について議論している研究分野って何て言うんですか?
勉強になる資料あったら教えて欲しいです

で、気になったんですがこの議論って、 Fにおける順序 と 位相空間Fから演繹される⇒を含んだ各種命題 が循環しそうな感じですよね
厄介な議論になりそうでこの点でも興味あるんですが

1004:132人目の素数さん
18/07/21 01:11:22.37 TftabnWB.net
>>971
自分の理解では、その含意の意味が少なくとも2種類あるのだけれど、
混同して理解されているからまず分離しないと研究領域にならないと思う。
言い換えると、〜ならば〜っていうときの「ならば」は自然言語的で曖昧なんで、
包含の意味なのか導出という意味なのかそれぞれ固定して別個の領域で研究する
必要があるだろうということ。

1005:132人目の素数さん
18/07/22 21:50:37.84 84kHkvnw.net
宇宙が地球よりも大きいならば
太陽系は銀河系よりも小さい

1006:132人目の素数さん
18/07/22 22:38:49.58 W2tHXNb3.net
宇宙はcosmologyの宇宙じゃなくてuniverseの方か?
一つに絞れてはいないけれど、どれであったとしても正直信じることができない。
ギャップがありすぎるし、それに、原理をなぜ断片的にでも説明していかないんだ?
バッと出して、解説も一緒に出すのか?だとしたら自分バカみたいじゃないか。

1007:132人目の素数さん
18/07/22 23:04:56.12 W2tHXNb3.net
無念の内に埋没していった奴らの業績掘り起こすのぐらい言われなくてもやるわい。
そもそもそうしないと話繋がらないんだから。

1008:132人目の素数さん
18/07/23 20:55:07.98 18+pI12R.net
なんだったっけ…
   人間は動物である
   したがって
   人間の鼻は動物の鼻である
が1階の述語論理じゃ形式化できないんだったっけ?

1009:132人目の素数さん
18/07/23 21:01:58.60 VeUz2ze1.net
ここ30年の気象観測によると地球は丸い

1010:132人目の素数さん
18/07/24 00:15:22.62 zmGBnpiz.net
パース(Peirce)について聞かれても正直わからん。

1011:132人目の素数さん
18/07/25 11:41:22.78 SH/YPFjW.net
数学的対象は客観的実在である

1012:132人目の素数さん
18/07/25 22:57:46.94 FRZ77WGd.net
その『数学的対象』と呼ばれるものは何か実在モデルがあってその定式化されたものと
考えるべきで、結局数学的対象物の実在性というのは現実モデルの実在性に帰着する。
前期ヒルベルトみたいに無矛盾性だけに帰着させて、無意味な形而上学を放置
しておくと、インテリジェンス誌上でベルナイスの弟子のマックレーンが数学の健康問題
(The Health of Mathematics, 1983)で論争するような集団になる。
結局のところ数学も人間の編み出した表現の一つでしかないのだから、数学を『完全言語』
とみなして、すべてを導出するというような使い古された話は意味なくて、現実に発生する
『現象』ベースで文の真理値を確保して、それを数学的定式化したということで数学的表現の
真理値の保証を得る、つまり客観的実在物であると認定させるという方式しかないと思う。
結局、数学というのは二次的なものでベースは現実に発生する現象の物理に持ってこないと
数学もできないと思った。

1013:132人目の素数さん
18/07/25 23:07:14.47 FRZ77WGd.net
ホットなA∞?全然知らないけど

1014:132人目の素数さん
18/07/25 23:50:37.43 wdc2RIqP.net
>>980
アホ?

1015:132人目の素数さん
18/07/26 01:03:14.16 O8MRNEGR.net
お前がね

1016:132人目の素数さん
18/07/26 03:05:52.39 mDnJRg4J.net
>>980がアホだというのは同意する

1017:132人目の素数さん
18/07/26 07:27:28.16 I0+BUJMx.net
自励系だけじゃないだろ。結局、現象は作れるけど『実は、説明はできません』とは
言えないことに起因しているんじゃないか。
強がっているが実は説明できないので時間だけ過ぎていく。

1018:132人目の素数さん
18/07/26 09:15:11.71 mDnJRg4J.net
>>985
頭の中を整理してから書き込みましょう。

1019:132人目の素数さん
18/07/26 23:26:52.03 O8MRNEGR.net
アホアホマンの意見を聞こうか

1020:132人目の素数さん
18/07/27 00:40:42.76 3VWQkbmG.net
自分の


1021:アプローチというか動機は物理に型概念を導入したいということなので、 ほぼすべてその観点から組み立てている。 ただ、まだ意見を言うには早いし正直内容的にわかってない。



1022:132人目の素数さん
18/07/27 06:04:55.45 DYdLHUOP.net
>>980
これだと、ラッセルの考え方と逆になるね。
命題関数や論理は、その概念上の中で自己完結できるというのがラッセルの
観点。つまり、現実的な対応物がなくても、数学的な記号操作だけで真偽を決定できる、
ということ。自分もこのラッセルの考え方を支持しているよ。
なぜなら、科学的な真理は、かつて天動説が信じられていた時代があったように
論理の真理値を完全に保障するものとはなり得ないから。つまり、客観的な物理学を
想定しなくても用いることが出来るのが論理や命題関数の本質じゃないかな、と考えられる。
だから「すべての人間は死ぬ」という命題も常に真、すなわち恒真命題だとはいえない。
なぜなら、バイオテクノロジーの発展で、今後、不老不死の人間が現れないとも限らないから。
あと、枚挙型の帰納的推論だと、人類誕生以来のすべての人間の死を確認した訳でもないので、
そこからも命題の真偽と現実の客観的対応は、完全である、と思い込まない方がいいだろう。
あくまでそれは蓋然性の度合いや高低の問題となる

1023:132人目の素数さん
18/07/27 07:29:12.00 LkakAqzC.net
ラッセルの時代は知られてなかったけど、
算術を入れた一階述語論理では命題関数を自分の中では扱えない
任意の論理式φに対して、φをゲーデル数化した項をt、(真であると解釈する)述語記号をTとしたときに
φ↔T(t)
とすると矛盾してしまう

1024:132人目の素数さん
18/07/27 08:43:18.64 DYdLHUOP.net
たとえば、「先日、オウム真理教の教祖、麻原彰晃に対して死刑執行が為された」
という命題を考えてみよう。この命題は真である、と考えられるけど、実際の
事実レベルでは、それとは違う事態が生じていた可能性はあり得ないだろうか。
執行以前に、刑務官の暴行で麻原が死んでいたり、病死していたり、自殺していた、
幽体離脱して消えていたという真実がある可能性もゼロではない。それがマスコミに
発覚すると刑務所の死刑囚管理体制に対してバッシングを受ける恐れがあるので、
それを隠密裏に処理した。そして、通常通りの死刑執行が麻原彰晃本人すでに死去の中、
形式的にのみ執り行われた、という真実もあり得る訳で、命題だけからでは、
決して本当の真理値を論理的に導出し得ないことが判る。あくまで、その命題が
真となる蓋然性や度合いのグラデーションがそこにある、という風にそれを解釈できる。
つまり、論理や命題論理式は世界や実在の完全な記述ではなく、矛盾許容論理、
多値論理などを用いて真理値に幅を緩く持たせてあげたりするようにして整合
させようとするものがあることからも判る通り、論理というゲームの世界で
なるべく斉合させていくというアプローチだろう。でも、そのような論理を
人工知能などに実装すれば、それは病理判定など専門的な挙動なり判断、推論も
そこから得られるので、現実においても有効に活用できる。ただし、それでも
論理は完全ではない、ということだろう。
別に完全でなくても、論理は十分に役立つし有意義な道具や概念であると割り切って
いれば、いいでしょう。

1025:132人目の素数さん
18/07/27 09:30:11.83 DYdLHUOP.net
現実との対応関係が曖昧なのは、論理だけでなく、数学でも事情は一緒。
たとえば、無限という数学的概念に対応している現実的な存在物を挙げて
みよ、と言われても誰も答えられないはず。人は実際に無限を見たことも
経験したこともない、常に有限を生きている。また、無限はその性質から
言って数え上げることもできない。無限を数え上げ終わる前に、人や人類は
寿命や終焉を迎えることだろうから。
つまり、あたかも無限や無限小なるものが概念上で実在しうるものとみなして、
数学というゲームをなるべく精密に構築して展開しよう、ということなので、
それを厳密に考えたら、数学と現実に写像的な対応関係がある訳ではない。
ただそうした抽象化をすることで多くの利点がもたらされるので、そうした
数学を活用しているということ。

1026:132人目の素数さん
18/07/27 12:09:58.75 i1Xq+Q3E.net
どっちがアホかは一目瞭然

1027:132人目の素数さん
18/07/27 20:48:15.71 3VWQkbmG.net
>>989
ラッセルが英墺系の哲学と論理学をイギリスをはじめとする英米系の文化圏にもって
来るときに、フレーゲの論理学もなにもだいぶ簡略化して紹介してしまったんだよ。
ラッセルの念頭には「形式論理学」としての論理主義があったので、フレーゲの真理
概念も誰にとっての真理なのかわからない真理関数として単純化された。
それはそれで時流に乗って成功しちゃったんだけど、やっぱ現実と合わないところが
出てきたので、同じイギリス人のダメットが回りくどいやり方で、もとの英墺系の
哲学論理学を復活させようという運動をしてくれた。
英墺系哲学論理学の観点から20世紀科学をみると、納得いかないところが
いっぱいあるので、英墺系哲学論理学をベースに20世紀科学をやり直そう、という
運動をしたらここまできた。

1028:132人目の素数さん
18/07/27 22:10:56.84 ZegudDuy.net
計算機の方が現実的なメソドロジカルな経験主義的な最重要な「手段」だからね

1029:132人目の素数さん
18/07/27 22:22:04.73 3VWQkbmG.net
自分としてはこういう理由。
1 論理実証主義者が無意味な形而上学と退けたいくつかの現象が
計算機の発展によるインスタントメッセージの流通とその監視により
合理的に存在するもので無意味な形而上学とはいなくなった。
2 女性活躍社会になったので心的現象を社会的に無視できなくなった。

1030:132人目の素数さん
18/07/27 22:22:52.53 3VWQkbmG.net
いなくなったじゃなくて、言えなくなった、ね。

1031:132人目の素数さん
18/07/27 22:26:51.45 OJRr2V2x.net
炭酸飲料

1032:132人目の素数さん
18/07/27 22:38:56.70 3VWQkbmG.net
我々は20世紀論理実証主義者が定義した科学の範疇を逸脱しているのに
合理的であるとみなされる現象に振り回されている。
これは「科学」の範疇が時代にあっていないせいだ。だから、我々は合理的現象を
説明する枠組みとしての科学を21世紀に合致するものとして再定義しなければ
ならない。言うなれば、21世紀の新しいウィーン学団的論理実証主義を定義
することだ。。→いつの間にかアイコン的目標もできたよ。

1033:132人目の素数さん
18/07/27 23:33:22.84 DYdLHUOP.net
>>994
だから、ラッセルやオーストリア出身のゲーデルを出すまでもなく、
古典論理の運用は、日常言語の使用法とは幾分、解離しているよ。
命題をP,Qと置き、論理和は、P ∨ Q はP,Qが共に真(1)の場合でも、
真とみなされるけど、現実の日常生活でこの論理の法則を適用したら、
おかしくなるよ。
たとえば性別を問われた時には、PかQのいずれかが真でいずれかが偽となる
回答を求めているのに、「私は男(P(1))です」また同時に「私は女(Q(1))です」
という回答も真理関数の上では真(P(1)∨ Q(1) ⇒ 1)となる。
P⇒Qについても同じで、Pが偽の時は、Qがどんな命題でも真となる。
これは日常言語での言葉の扱いとはズレ


1034:ている。 「オウム真理教の教祖、麻原彰晃に対しては、まだ死刑執行が為されていない」 という命題Pは偽なので、任意の命題Q、 「だから、麻原彰晃は今も独房の中で生きている」 というP(0)⇒Q(0) は、真偽表の上では真(1)となる命題扱いになるから。 偽からはどんな帰結でも導けるというのは、論理の世界では有名でしょ。 それは、日常での言語運用感覚とは異なるもの。



1035:132人目の素数さん
18/07/27 23:40:27.96 DYdLHUOP.net
「オウム真理教の教祖、麻原彰晃に対しては、まだ死刑執行が為されていない」
という命題Pは現時点では偽なので、任意の命題Q、
「だから、麻原彰晃はすでに死んでいる」
という奇怪な文も、真理関数の概念の上では、真となる命題の関係となる。

1036:132人目の素数さん
18/07/27 23:57:03.13 DYdLHUOP.net
もっと簡単に言うと、OR文を日常言語の運用法で解釈すると、PかQのどちらか一方
となるのに、論理の真理関数上ではPとQが共に真の時も、真とされるというところに
日常世界と論理の世界との間にズレがあるということ。
なんで論理がそうなっているかはの理由簡単で、計算上の整合性がそこに求められているから。
P∧Q は、P*Q
P∨Qは、(P+Q)-(P*Q)
という計算で整合するように構成されている。

1037:132人目の素数さん
18/07/28 00:39:52.70 ftPB13dH.net
数学するぞ!数学するぞ!

1038:1001
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