17/08/27 09:47:17.79 1CP0LksB.net
薬でも制度でも学問でもモノの考え方でも、何でもそうですが:
★★★『病気Aに効く薬と病気Bに効く薬は同じ「ではない」です:
コーチゾンはアトピーには効きますが、水虫には逆効果です』★★★
だからフランス人には有効な考え方が日本人には毒になったりします。(例えばフランス人に
仕事を与えるのは罰になるが、それは日本人には褒美になる。)
そしてもうひとつ。フランスと日本では(民主主義というか)議論に対する考え方が違います:
1.フランスでは議論とは『論理的に行うモノ、ソレを通して論理を厳密化する』という考え方な
ので、勝ち負けよりも、その導出過程とか結論の精密さが目標となる。なので参加する各
人は『その為の材料』でしかない。(コレこそが議論というモノの本来の姿。)
2.日本では導出過程とかその厳密性なんかはどうでも良く、それに関与する各人の『勝ち負
けだけが問題』となる。なので勝つ為であれば何でもするし、そして結論なんて最初から見
えており、それもどうでもいい。問題となるのは「数の多い方を勝ちとする」とする取り決め。
だからコレは犬の喧嘩とか、或いはヤクザの恐喝と同列ですわね。
ソレでアメリカは「丁度この中間」ですね。つまり:
★★★『理屈はどうでも良く、そして人数も重要じゃない。「勝てる論理」を持ち出して、
そのやり方で相手を言い負かした者を強者とし、その武器の所有者が尊敬される』★★★
という仕組みであり、これをディベートと言います。だからコレは(論理的な厳密性、ではなくて)
『相手が怯むモノの言い方』(まあ誤謬の事かと)を意図的にスル、という技術。
この「勝てる道具」がカネであったり強い弁護士、また核兵器であったりします。そして正義と
か道義は「その勝者が用いる論理」で決まります。
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追加:民主主義の実践の仕方も、その国それぞれという事か。