17/08/26 09:51:09.33 rK9paIyp.net
>>21 訂正 >>19 つづき→>>20 つづき
>>22 訂正 >>20 つづき→>>21 つづき
>>22 つづき
5. 民間企業へ
物理の研究に対する情熱を十分にはもつに至らなかった私は、D3の初夏ぐらいまでには、キヤノン(株)への就職を決めていた。
純粋物理ではないが、私が興味が持てるような何か基礎的な研究ができるのではないかと期待してのことだ。
私がそのように短絡的に考えているのをごらんになって、上村先生はとても心配してくださった。
それでなんと、とてもお忙しいのに、わざわざキヤノン中央研究所まで出向いてくださり、所長(後に社長になったあと急逝された御手洗肇氏)と、私が所属する予定の部の部長に面談をしてくださった。
それで、面談が終わった帰り道に、私に「あの所長さんなら大丈夫だ」と言ってくださった。
上村先生は、そういう暖かいお人柄の、頼りがいのある方である。
私がキヤノンに入社してまもなく、ある大学の助手に誘っていただいて迷いが生じたとき、上村先生にご相談したら「ここではこういう仕事をしましたと胸を張れる仕事を成し遂げる
までは、勤め先は変わってはいけない」と仰り、目が覚めたこともある。
このお言葉は、研究者を目指す全ての若者に、上村先生にかわって贈りたい。
入社してみると、(今はどうか知らないが)キヤノンは楽しい会社だった。
もちろん、どんな組織でも嫌な面は少なからずあるのだが、私が嬉しかったのは、(今はどうか知らないが)明るく前向きな雰囲気である。
「明るい」というのは、納涼祭の写真を見ていただけば一目瞭然だろう。
「前向き」というのは、たとえば研究テーマが採択されるかどうかの判断材料は、本人がどれくらい熱心かが大きなウェイトを占めていたのだ。
これは技術的な判断ができる上司が少なかったということもある。
しかし、もしも知識と経験がある上司達がよってたかって技術的な判断をしたとすると、どの企業も似たような研究テーマをやることになりがちだ(これは、大企業の研究テーマが
金太郎飴になっていることを見れば一目瞭然)。
だから、本人のやる気に重きを置いた当時のキヤノン中央研究所のやり方は、案外優れたやり方だったのかもしれない。
つづく