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>>97 関連うすいが
>その仕事の結果、ウィッテンは、(2,0)-理論がコバノフホモロジーと呼ばれる数学の概念とも近いことを示すことにも使った[6]。
URLリンク(www.kyotoprize.org)
歴代受賞者記念講演録 | 京都賞:
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2014年 第30回 基礎科学部門数理科学(純粋数学を含む) エドワード・ウィッテン
(抜粋)
物理と数学を巡る冒険
エドワード・ウィッテン
幼い頃から私は天文学に魅せられていました。もっとも当時これはさほど珍しい
ことではありません。と言いますのも、1950年代後半に宇宙開発競争が始まり、誰
もが宇宙に胸を躍らせていたからです。それ以前から天文学に興味があったかど
うかはあまりよく覚えていません。ただ、9 歳か10歳の頃に、3 インチ反射望遠鏡
を贈られて、それで土星の環を見ることが、少年時代の私には無上の楽しみの1 つ
でありました。
子供の頃は天文学者になりたかったのですが、自分が大人になる頃には、天文学
者は宇宙で暮らし、宇宙で仕事をしなければならなくなると子供心に思い込んでい
ました。私にはそれがとても危険なことのように思えました。
11歳の頃、その年齢にしては高度な数学の本をプレゼントされました。理論物
理学者だった父は、私に微積分の手ほどきをしてくれました。そのため、しばらく
の間は数学に熱中しました。ただし両親は、数学(と両親が考えるもの)に私が急激
にのめり込んでしまうことをよしとせず、ですから、私が初歩的な微積分よりもは
るかに本格的な数学に触れることになるのは、それからずいぶん先のことになりま
す。当時の両親の方針が良かったのかどうか、今の私にはわかりません。ただ、そ
のため長い間、私が教わるたぐいの数学が、抜本的に新しいものであるとか手ごた
えがあるものというふうには思われませんでした。それがどの程度影響�