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>>328
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林晋, 京都大学大学院文学研究科 現代文化学専攻 情報・史料学教授
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ヒルベルトと20世紀数学 -公理主義とはなんだったか?- 雑誌「現代思想」、2000年10月臨時増刊 (林晋 はやしすすむ・数理論理学)
(抜粋)
現代思想2000年10月臨時増刊「数学の思考」掲載の「ヒルベルトと20世紀数学」の完全版です。OCRで読み込んだので、おかしなところがあるかもしれません。気づかれましたら、お教えください。BBSの方で結構です。(これについては、匿名でもかまいません。)
1 はじめに
二〇世紀最後の今年はヒルベルトの「数学の問題」一〇〇周年にあたる。それはまた「公理主義」一〇〇周年でもある。この機会に二〇世紀数学の方向を決定づけたといわれるヒルベルトの数学とは何だったのか、「公理主義」とはなんだったのか、それは二〇世紀数学にとって何をもたらしたかを考えてみたい。
現代の我々が「構造」として捉えるものをヒルベルトは「証明・論理」により捉えようとしたらしい。現代の我々にとって公理とは、集合論や圏論などの言語により、ブルバキ的な「集団としての構造」を記述する条件であるが、ヒルベルトにとっては公理はよりシンククティカルなものであった。
なぜだろうか? 公理論を数学の存在論として捉えるヒルベルトにとっては、「言語のもつ有限性」こそが重要だったからである。「幾何学基礎論」や「数の概念について」の公理系はある種の極大構造を定義している。たとえば「数の概念について」の実数論の公理系が記述しているものは極大アルキメデス順序体である。
我々は当然集合論を前提としてこれを理解する。特に実数の完備性を保証する極大という条件は非常に集合論的である。しかし、奇妙なことに一九〇〇年のヒルベルトは、極めて集合論的なこの極大性条件さえ「有限性」を実現するものとして捉えている。
ヒルベルトは、実数の有限個の公理から・有限ステップの証明だけで考えることにより、カントールのように任意の基本列を考える必要がなくなり、この極大性の公理により一無限の世界が排除されクロネッカーの批判から免れると主張した。
つづく