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>>515 つづき
ジョージ・グリーン(1793年7月14日 - 1841年3月31日)だから、原論文はδ関数は使っていないんだ
但し、偏微分方程式の境界値問題を解くのに、グリーン関数という通常の関数(例えば解析函数)の範囲に入らない関数を導入した
これ、発想の飛躍なんだよね、単なる証明を超えた
グリーン関数の導入は、演算子法のヘビサイドの階段函数Yに似た部分があるように思う
URLリンク(ja.wikipedia.org)
(抜粋)
ジョージ・グリーン(George Green、1793年7月14日 - 1841年3月31日)は19世紀のイギリスの物理学者、数学者。グリーン関数やグリーンの定理で知られる。
パン屋の息子として生まれ、正規の教育をほとんど受けずに粉挽きの仕事をしながら独学でポテンシャル理論の論文を書いたという経歴の持ち主である。
略歴
数学の才能があったため、8歳からグッドエーカー学院に通うが、1年で退学して父親の家業を手伝う。
1828年、『電磁気理論への数学的解析の応用に関するエッセイ』(An Essay on the Application of Mathematical Analysis to the Theories of Electricity and Magnetism)を発表。
グリーンは1814年に英訳版が出版された、ラプラスの『天体力学』を勉強していたようである。この論文を読んだ数学者のブロムヘッド卿(Sir Edward Bromhead)はグリーンに資金を提供、ケンブリッジ大学から2本、エディンバラ大学から1本論文を出版させる。
1833年、40歳でケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに入学。4年後には数学の優等者試験で4位の成績をとる。光学、音響学、水力学について6本の論文を書き、1839年にはフェローとなるが、健康を崩して翌年に故郷へ戻る。
グリーンの死去と共に一旦、その業績は忘れられたが、ケンブリッジ大学の後輩であるケルヴィン卿により論文のコピーが発見され、1850年に発表、グリーンの名は一気に広まった。
(引用おわり)
英語版が詳しい
URLリンク(en.wikipedia.org)(mathematician)
URLリンク(books.google.com)
Essay on the Application of Mathematical Analysis to the Theories of Electricity and Magnetism, Nottingham, 1828.