16/07/31 14:35:38.74 /ZQUKLRs.net
>>336
そもそも(加算)無限個のデータから実測値としての有限個の数値を選び、
そして頻度とか平均値とかを考えた場合、その客観性を担保するのは大数
の法則とか中心極限定理とかの「確率論の極限定理」ですよね。でもこう
いうものを安全に成立させる為の枠組みが(Lebesgue測度論を用いた)
Kolmogorovの公理系『だけしかない』というのは、ひょっとすれば数学的
にも言い過ぎではないかという危惧がどうしても残りますよね。
そもそも確率論の役割とは:
★★★『沢山のデータを参照する事に拠り、人間の都合とか恣意性を排除する』★★★
という事だろうから、そういう考え方で例えば物理測定のデータからノイ
ズを除去するという考え方にはなるでしょうね。また以前コメントした、
所謂「Brown運動⇒Random Walk⇒…⇒Itoh Calculus」みたいな美しい理
論の展開とかは純粋数学では大事ですわ。
でもこういう考え方「だけ」では例えば経済学みたいな、まあ『人間の恣
意的な活動』みたいなイヤラシイものを記述するには不十分ではないかと
いう考え方が、所謂ゲーム論的な確率論ですか、そういう話の展開を期待
させるとか何とか、その竹村氏がどっかで書いてたのを見たことがありま
すよ。まだ他にも進化論的なゲーム論とか、そういうのが各種様々に一杯
あって、それで学習理論(所謂Deep learning)とかもアリだけど、でも
「純粋数学という観点から見れば、かなり未整理な印象を受ける」のもま
た事実ですよ。だから私から見たら、かなり気持ちが悪いですわ。
こういうモノの中できちんとした数学のネタになり得るのはドレだろうか、
とは思いますよね。でもNeumannだってNashだって、本来は超人的な純粋
数学者だから、従ってきちんと見定めれば:
★★★『ソコにも何がしかのちゃんとした数学的な構造が確かにある』★★★
という様な事になればいいのではありますがね。
但し現状の様に「便利な計算手順が沢山ある」ってだけじゃダメですが。
¥
追加:以後は「黙って見てるだけ」にしますので。なのでどうぞ続きを。