15/07/18 09:38:01.50 Dy2WdOHw.net
>>196
どうも。スレ主です。
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ε-δ 論法
歴史的背景
アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツが創設した微分積分学は、その根底に無限小(どんな正の数よりも小さな正の数)や無限大(どんな数よりも大きな数)といった実数の範囲では定義できない概念を用いたものであり、
このような状況はレオンハルト・オイラーによって微分積分学が大幅な発展を遂げる18世紀まで継続された。
19世紀に入るとオーギュスタン=ルイ・コーシーやベルナルト・ボルツァーノらによって、厳密な議論に基づいて微分積分学を再構築しようとする試みがなされるようになる。
この時期から収束や連続に関する議論は次第に厳密性を増していく。
ε-δ 論法は1860年代のカール・ワイエルシュトラスの講義によって完成されたもので、これによって無限小や無限大という概念を一切使用せずに収束・連続を議論できるようになった[1]。
数学史において、微積分学を完成させたとする評価もあるコーシーは『解析教程』(Cours d'analyse de l'Ecole royale polytechnique) で、ε-δ 論法を用いて関数の連続性の基礎づけを行った。
しかし、この時点でも、連続と一様連続の区別はなかったためにコーシーは自著の中でそのことに起因する誤りをおかしている。
なお、ε-δ 論法の登場により一度は数学から追放された無限小や無限大を用いる解析も現代では超実数を用いることで正当化され、超準解析(Non-standard analysis または古典的に無限小解析 Infinitesimal analysis とも呼ばれる)という分野で研究されている。
数学教育における取り扱い
ε-δ 論法を用いない微分積分学は厳密性に欠ける部分が多くなるため、教育界などでは高校数学の段階でε-δ 論法を教えるべきである、という意見もある。
一方で、所謂理系分野の学問であっても数学、物理学以外の分野では、ε-δ 論法で記述するほどの厳密性を考慮しなくても、大抵の議論は結果だけ見れば正しい結論に行き着くことが可能であるため、
大学教育においてすらε-δ 論法を不要と見なす意見もあり、ε-δ 論法を教える事の必要性については、数学教育における古くて新しい論争といえる。