暇つぶし2chat LIFELINE
- 暇つぶし2ch514:地震雷火事名無し(北海道)
16/02/27 21:06:03.54 GTzs2pMp.net
価値観一変 二風谷で生きる
猛烈社員 反省 「アイヌ文化に学ぶ」
千葉から自主避難の本多さん
 【平取】東日本大震災を機に「価値観の振り子が一気に正反対に振れた」人がいる。
千葉県流山市から自主避難し、日高管内平取町二風谷で暮らす本多淳さん(43)。
介護業界で活躍しながらも、利益重視の会社の姿勢に疑問を感じていた、まさにその時、震災と原発事故が起き、日本社会の行き詰まりを感じた。
平取に移住し、出会ったアイヌ民族の友人らと共に「競争より、共感と調和を大切にする社会」を願っている。
 2011年、本多さんは流山市内で働いていた。
 大手企業の介護部門の子会社で実績を挙げ、30代で執行役員を任された。
典型的な会社人間。
「一緒に旅行に行っても、家族が目に入っていなかった」と妻の明子さん(42)は語る。
 競争に疑問
 しかし、他社との競争に追われる会社と自分に疑問が膨らみ始めた。
「これが利用者本位なんだろうか。自分は何を求めて頑張っているんだろうか」。
納得できる介護のため自分で施設運営をしたいと退職を考え、その物件を探していた3月11日、震災が発生した。
 一方、明子さんは長年、チェルノブイリ事故など原発や被ばくの問題を学んでいた。
東京電力福島第1原発事故の発生で、千葉県内でも放射線量が局所的に高い場所が見つかり、子育てへの不安が募った。
 震災10日後の3月21日。
明子さんの母親の計らいで、長男の小学校入学祝いに、明子さんと長男、長女の3人で北海道へスキー旅行に行くことになっていた。
「これからどうするか向こうで話しましょう。とにかく一緒に来て」。
震災以降、入所者を守るため再び仕事に没頭していた本多さんを、明子さんが説得。
家族で千葉県を離れた。
 新千歳空港に降り立ち、ようやく安心して呼吸ができた。
本多さんは入所者や仕事を残していくことに悩んだが、妻や子供たちが安堵する表情をみて父親の責任を果たしたいと移住を決意した。
「家族4人で、ここで生きていこう」。
本多さんの父が小樽出身だった縁で、まずは関東からの避難者も受け入れている小樽市内の公営住宅に入居した。
 6月から家探しに歩いた。
小樽近郊が中心だったが、本多さんの希望で平取にも足を延ばした。
小樽の図書館で原発や北海道の暮らしを調べるうちに、自然と共に暮らしてきたアイヌ民族の文化を知り
「これからどう生きていくべきか、アイヌの人たちの話を聞きたい」と思ったからだ。
 チセに感動
 初めての平取。
伝統的家屋「チセ」のある風景に心を打たれた。
親子山村留学の制度を使い、8月にまず明子さんら3人が、11年末に本多さんが移住した。
 本多さんは牧場で働く傍ら、自分たちで食べるものは極力自分たちで、と狩猟免許の取得を目指した。
講習で出会ったのが町内のハンター、門別徳司さん(33)。
傷んだ長靴にガムテープを巻き、自分で修理した車に乗っていた。
「ここまでものを大切にする人がいるのか」。
何より、気負わず「俺、アイヌなんだわ」と語る姿に感銘を受けた。
 門別さんらは、シカ猟でも山菜採りでも常に「山の神から頂いたもの。取り尽くしてはいけない」という先人の教えを守る。
競争に明け暮れてきた自分と違い、ほかの生き物まで思いやる姿に「人が生き続けていくための哲学がここにある」との思いを強めた。
 親子留学用の住宅から賃貸の戸建てに移って今春で丸2年。
本多さんは燃料関係の仕事に励む。
 あらためて思う。
介護業界の激しい競争も、安全性への懸念の声を封じて稼動してきた原発も、すぐに成果を求め、本当に大切なことをおろそかにしてきた表れではないのかと。
 発電に挑戦
 「発展を追い続けたあげく、あらゆる面で行き詰まりを感じる今こそ、アイヌの人たちが大事にしてきた先人の教えに耳を傾け、
周りの人たちと共有していきたい」。
そのために今、アイヌ民族の狩猟文化を伝える門別さんの活動を手伝う。
これから自家発電にも挑戦するつもりだ。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch