14/06/08 20:36:02.37 F0uJsjQU0.net
異聞風聞
知事、再答弁を求めます
福井地裁の大飯原発運転差し止め判決(5月21日)は、原発のあり方を考える原点を教えてくれた。
「(人の)生存を基礎とする人格権は憲法上の権利(13条、25条)であり、これを超える価値を他に見いだすことはできない」
原発なしでは国が立ちゆかぬという主張に対し、いやそうではない、「経済より安全」と明快に言い切ったのが特徴である。
福島原発の崩壊で住民は古里を追われた。
家族は離散し、周辺の自治体は基盤を失った。
マチの存続も、「人格権」も奪われた。
判決はその痛切な反省に立っている。
「生命を守り生活を維持するという人格権の根幹に対する具体的侵害のあるおそれがある時は、差し止めを請求できる」。
国政であれ、道政であれ、指針とすべき一文である。
今月中旬に始まる定例道議会は、函館市が青森県・大間原発の建設差し止め訴訟(4月3日提訴)を起こした後、初めての本格論戦の場である。
私は、大間訴訟は福井判決の精神を先取りしていると思う。
函館市が差し止めの大義に掲げたのは、福井判決がいう「人格権」である。
「地方自治体の存立(つまりはそこに住む人びとの人格権)を守れ」と。
大間原発への対応を問われて、高橋はるみ知事は先の道議会で答えた。
「函館市をはじめ地域住民のご不安は十分に理解するところであり、国や事業者に対し住民の不安に真摯に向き合い、
誠意を持って説明責任を果たし、さらに厳格な基準に基づき、慎重かつ厳正な審査がなされることを国に強く求めてまいります」
(3月18日、予算特別委。民主党・道民連合、福原賢孝氏への答弁)
函館市や地域住民の不安とは、大間で過酷事故が起これば海を隔てた函館・道南は壊滅するーという具体的な人格権侵害のおそれである。
そこまで至らなくても、事故による放射能汚染で農漁業や観光は壊滅的な打撃を被るだろう。
被害は道南だけにとどまらない。
先月の知事との会談で工藤寿樹函館市長がいったように、「北海道全体の問題」なのである。
函館市は、度重なる建設凍結の要請も全く相手にされず、やむなく裁判に訴えた。
そもそも国も事業者も住民の不安に背を向け、説明責任を果たさなかったことが提訴の原因である。
知事のいう「厳格な基準」とは何か。
原子力規制委員会の審査は新規制基準への「適合性審査」であり、基準への「適合」がイコール「安全」を意味するのではない。
その前提抜きに基準に寄り掛かれば、「第2の安全神話」を生む。
仮に基準に適合したとしても、最後は人間の判断、動きにかかっている。
朝日新聞が特報した「吉田調書」(福島第1原発の元所長、吉田昌郎氏=昨年死去=の証言記録)によれば、
原子炉が破壊されるかもしれないという事故の重大な場面で、幹部級を含む所員の9割が待機命令に反して現場を離脱し、第2原発に撤退したという。
危機の局面では何が起こるか分からないのだ。
東京電力の柏崎刈羽原発を抱える新潟県の泉田裕彦知事は、規制委員会の審査を通っても住民の安全は守れないと主張している。
福島原発事故の検証が不十分とした上、事故対策や避難計画そのものの甘さを列挙し、根本的な疑問を呈している。
「命の危険にさらされるような過酷な業務を、誰が担うのかー」
泊原発(後志管内泊村)や大間を含め、全国の原発に共通の問題だ。
北海道知事には住民と自治体の安全を守る責務がある。
「厳格な」再答弁を願いたい。
以上