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ほかにも、15人もの少年たちがその毒牙にかけられており、その中にはジャニーズの4人も含まれていたという。そもそも、ジャニーズのあおい輝彦が、「あんなことをされてボクの一生はおしまいです」と訴えてきたことが、原告側の学院長がジャニー氏の蛮行を知るきっかけだったという。
だが、67年9月の後半では、すでに人気グループとなっていたジャニーズの4人が出廷し、原告弁護士からホモセクハラの有無について質問責めにあったが、「知りません」「覚えていません」で押し通し、4人がその事実を認めることはなかった。
しかし、ジャニーズのメンバーの1人であった、中谷良氏は、89年に上梓した告白本『ジャニーズの逆襲』(データハウス)の中で、それが“偽りの証言”であったことをハッキリと明かしている。
<事前に答弁の言葉は決められていました。ジャニー喜多川氏が、それが自分たちにとって最高の手段であるのだと、みんなを説き伏せて……。>
(『ジャニーズの逆襲』76ページ)
中谷氏たちは、当時17歳。多くの若い女性ファンへの影響、自分たちの前途を考えると、それ以外の選択肢はなかったに違いない。
同著の中では、中谷氏が初めてジャニー氏からの性的なアプローチを受けたときのことが克明に記されている。驚くべきことに、それはなんとまだ中谷氏が11歳のときだったという。