15/10/29 04:17:03.96 .net
★【歴史戦】中韓からの“攻撃”
世界文化遺産になった九州・山口の 文化財が標的に
「慰霊」に名を借りた 「日本の地位失墜」運動 2015/10/28 23:02
(引用)
今回、韓国の大学生らが案内板設置を求めた高島炭坑の供養塔は、大正時代に起きた炭鉱事故などで亡くなった
労働者のうち、身よりが分からない労働者を弔って建立された。現在は長崎市が所有・管理している。
「長崎労働組合運動史物語」(長崎地区労働組合会議発刊)では、
「大正9年4月以前から、高島のどこかに埋められていたものを、(炭坑を運営する)三菱資本が集めて 供養塔とした」とある。
高島の郷土史家、山崎徳(めぐみ)氏(90)は「身元の分からない人を弔っているのだから、 人種や国籍がわかるわけがない」と語る。
ただ、朝鮮半島で国家総動員法に基づく「国民徴用令」が適用されたのは昭和19(1944)年9月だった。
終戦直後に供養塔の下にあった骨壺を調べたところ、19年以降と思われる真新しい骨はなかった。韓国側の根拠は乏しいという。
高島の供養塔には、4・5キロ離れた隣の端島(通称・軍艦島)からも遺骨が移された。
両島の炭鉱を所管した三菱石炭鉱業が、昭和49年の閉山後、軍艦島の寺院から、骨壺を高島の供養塔に移した。
この骨壺は63年に、高島にある金松寺に預けられた。その際に作成された名簿には、朝鮮半島出身者の名前はなかったという。
山崎氏の言う通り、供養塔にまつられた炭鉱労働者に、半島出身者がいるかどうかは判断できない。
だが、韓国側はすでに動いている。複数の近隣住民によると、供養塔までの約50メートルの道で、韓国人らしき若者数人が草刈り作業を行う姿が目撃されている。
道は市有地や私有地が混在するが市は許可を出していない。
また、道中の草木には、ハングルが記されたリボンが複数くくりつけられ、供養塔の柵には韓国の国旗が架けられていた。
こうした活動の中心となったのは、誠信女子大の徐敬徳教授といわれる。徐氏は、慰安婦問題や竹島問題に関して、主に米国で韓国側の主張を広報する活動を展開している。
(つづく)