CIA調査班 「日本は北朝鮮・興南で原爆実験に成功していた」(1945年8月12日)at KOKUSAI
CIA調査班 「日本は北朝鮮・興南で原爆実験に成功していた」(1945年8月12日) - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:50:54.17 trQQ16Xv.net
『成功していた日本の原爆実験(前半)』矢野義昭 AJER2019.7.26(3)
URLリンク(www.youtube.com)
『成功していた日本の原爆実験(前半)その2』矢野義昭 AJER2019.8.2(3)
URLリンク(www.youtube.com)
『成功していた日本の核実験(その3)(前半)』矢野義昭 AJER2019.8.9(3)
URLリンク(www.youtube.com)

3:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:51:25.11 trQQ16Xv.net
【講演本編】矢野義昭氏 出版記念講演会『成功していた日本の原爆実験』隠蔽された核開発史 第3版 ③ 日本の核武装に道を開く新事実 2019/8/30
URLリンク(www.youtube.com)
【質疑応答】矢野義昭氏 出版記念講演会『成功していた日本の原爆実験』隠蔽された核開発史 第3版 ④ 日本の核武装に道を開く新事実 2019/8/30
URLリンク(www.youtube.com)

4:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:52:55.89 trQQ16Xv.net
>>1からの続き)
調査結果をまとめた1978年に、ロバート・K・ウィルコックスの『日本の秘密戦争』の初版が出版された。
しかし、以下のスネルの記事と同様に長年、「作り話」とされ、米国でも日本でも本格的な追跡調査はされてこなかった。
・その内容は実に驚くべきものである。翻訳者である私自身、翻訳を始める前は半信半疑だった。しかしほぼ
翻訳を終えた現在では、日本が大戦末期の1945年8月12日に核実験に成功していたことは、ほぼ間違いの
ない歴史的事実と言えるのではないかとの見方に立つに至った。
<2 スネルが主張した、日本による1945年8月12日の核実験の成功を示す証言>
・日本人が、降伏する直前に、原子爆弾を開発し成功裏に爆破試験を行っていたというものであった。その
計画は朝鮮半島の北部の興南(「コウナン」と朝鮮名「フンナム」の日本名で呼ばれた)か、その近くで
進められていた。その兵器が使用されるかもしれなかった、その前に戦争は終わったが、造られた工場設備は
ソ連の手に落ちた。
・スネルが記述している、士官の語った内容とは、以下のようなものであった。
「興南の山中の洞くつで人々は、時間と競争しながら、日本側が原爆につけた名前である「原子爆弾」の
最終的な組み立て作業を行った。それは日本時間で1945年8月10日のことであり、広島で原爆の閃光が
光ったわずか4日後、日本の降伏の5日前であった。
 北方では、ロシア人の群れが満州になだれ込んでいた。その日の真夜中過ぎ、日本のトラックの車列が
洞窟の入口の歩哨線を通過した。トラックは谷を越えて眠りについている村を過ぎていった。冷え込んだ
夜明け前に、日本人の科学者と技術者たちは、興南の船に「原子爆弾」を搭載した。
・日本がある、東の方が明るくなり、ますます輝きを増した。その瞬間、海の向こうに太陽はのぞかせていた
ものの、爆発的閃光が投錨地に照り輝き、溶接工用の眼鏡をかけていた観測者が盲目になった。火球の
直径は1000ヤードと見積もられた。様々の色をした蒸気雲が天空に立ち上り、成層圏にまで達するきのこ雲になった。

5:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:54:34.56 Wi6rHSyG.net
・「原子爆弾」のその瞬間の輝きは、東に昇ってきた太陽と同じ程度だった。日本は、広島や長崎も褪せる
ほどの大異変である、原爆の完璧かつ成功裏の実験を成し遂げていたのだ」。
 爆弾は日本海軍によりカミカゼ機に使うために開発されたと、士官は通訳を通じて、スネルに語った。
米軍が日本の海岸に上陸したら米軍に対して特攻機から投下する予定だった。
「しかし、時間切れになった」とスネルは報告し、以下のように付加している。「観測者たちは急いで水上から
興南に戻った。ロシア陸軍の部隊は数時間の距離に迫り、『神々の黄昏』が最終的な意味合いで始まった。
技術者と科学者たちは機械を壊し書類を燃やし、完成した「原子爆弾」を破壊した。ロシア軍の1隊が興南に
来るのがあまりに速かったため、科学者たちは逃げのびることができなかった」。
<3 ウィルコックスの著書第3版を主とする、スネル証言を実証する確認事項>
(1) 初版での情報
・独潜水艦U-234による1120ポンドの酸化ウランの日本輸送が試みられたが、ドイツの敗戦に伴い同艦は
米国に投稿し、失敗した。酸化ウランは行方不明になった。
・戦前から野口遵の努力により、北朝鮮東岸の産業複合地帯建設がすすめられ、朝鮮の水力発電量は
350万KWに達し、中心地興南では戦時中、豊富な電力を使いジェット燃料の製造が行われた。
・1945年11月末に興南近くの咸興平原で日ソ両軍が激戦した。しかし、その細部は北進できなかった米軍
には確認できなかった。
・1947年6月の米軍報告によれば、興南で日本の新兵器開発計画NZ計画に関連し、ソ連人と田村という
日本人科学者が秘密施設で高電圧アークを使い活動していた。その生産物はソ連の潜水艦で密かに
ソ連に定期的に輸送された。
(2)第2版と第3版の神器情報
・1950年11月『ニューズ・ウィーク』:興南のソ連占領地域で、厳重に警護されたウラニウム鉱石処理プラントを
確認した。朝鮮戦争時の米軍の爆撃を免れ、ロシアの原爆にそれまで核燃料を供給していた。ただし、
在朝鮮第10軍団司令部は否定している。
・GHQ司令部のOSS(CIAの前身)将校から、「日本人たちは彼らの持っていたウランの品位が悪かったため、
ドイツから良質のウランが到着するのを待っていた」と聞いた。

6:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:55:46.30 Wi6rHSyG.net
・1953年2月、興南にある元の日本の産業地帯の拠点へのB29による偵察飛行任務に就いていた大佐の
証言:「日本人たちは興南の拠点で原子爆弾を開発し、ある種の装置を造り、それを爆発させたとの情報を得た」。
・百科事典『第2次世界大戦』:日本陸軍は「800㎏の酸化ウランを上海に保有していた。朝鮮にも保有し、
1944年に独の潜水艦により配送を受けた」。
・ラモナ報告:日本の核研究の中心地は広島だった。そのことが核攻撃の第1目標として広島を選んだ、
トルーマンの決定要因だったかもしれない。
(3)元CIA分析官トニー・トルバの証言
・北朝鮮は中露が日本の核努力から利益を得ていたことを知っている。中露は戦争末期に、日本人が
採掘したウランやトリウムの鉱石を押収し、日本人が破壊に失敗した核計画の拠点から核の秘密や
機械設備を略奪した。中露とも自力で核開発をしたと称しているため、それが暴露されるのは不都合だった。
・トルバが上下院議員宛に出した調査結果の要約・日本人たちは大戦中に核計画を進めていた。大半は
興南で進められていた。興南を占領していたソ連人たちは、日本人やドイツ人の科学者たちを使い、それらの
施設を運営していた。
(4)ドワイト・R・ライダーの証言
・スネルの報告について、ヘールは「日本人たちは爆弾を製造し、それを実験したと思う」と肯定した。
・「日本人たちの第2次世界大戦中の核兵器計画が、小規模で失敗に終わったとされている公式的な説明は、
全くの見当違いだ」、「理研はウランの精錬に深くかかわり、興南の水力発電はウラン変換装置を稼働させるに
十分だったし、興南にはウラン、トリウムなどの資源が豊富にあった」
・荒勝文策により1942年にウラン濃縮について提案がされ、遠心分離機は1944年に日本で製造された。
遠心分離機では米国より進んでいた。
・清津だけでも、ウラン濃縮、精錬、原子炉建設などに必要な電力。資源、設備と能力を持っていた。
清津には日本本土で開発製造された、ウランの分離塔5基が送られたが、そのうち1基でも届いていれば、
それを量産し清津の能力はさらに高められただろう。

7:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:56:48.61 Wi6rHSyG.net
・ライダーは、中国人が1950年の終わりに参戦し、米軍を攻撃し始めた主な理由は、日本人たちが朝鮮半島
北東部に残した核計画とその他の資産を獲得するためだったと確信するようになった。それが、中共軍が、
6000名の犠牲を出しながら長津貯水湖全域で米軍と激闘を繰り広げ、そこを制圧するまで興南に進撃しなかった理由だった。
・1950年10月に韓国軍が調査を命じられた、古土里の地下洞窟内の地下武器庫についての報告によれば、
興南から内陸に約8マイル入った丘陵地帯にその洞窟がある。
撮られた写真には「4エーカーの地下武器工場」との表題が付けられ、武器、弾薬、爆薬と地下の道具店が
ある「巨大な隠し場所」だった。
・日本人は核施設の破壊に成功せず、ソ連に占領され、核開発に利用された。その理由は、ソ連が日本の
興南での核実験を含む、核開発について事前に情報を得ていて、それを利用するために急襲し破壊直前に
奪取したからであろう。
<4 検証結果の意義(以下は訳者の見解)>
〇日本が第2次大戦中に核開発を進め、興南の沖合の小島で1945年8月12日に核実験にも成功していた
ことは、各種資料、特に米政府内部で秘密文書に基づき調査していたトルバとライダーの発言からも明らか
であり、信ぴょう性は高いと判断される。
・日本の科学者、学会は、国内では戦時協力者として非難され、占領軍に戦犯として逮捕されることを恐れた
とみられるが、核協力の過去を隠ぺいしようとした。しかし科学技術者が戦時に協力するのは当然のことであり、
むしろ他国では誇るべきこととされる。
・激しい空襲と物資の欠乏する中、これだけの研究開発努力を続け、実績を上げた日本の科学者、技術者、
産業界は再評価されるべきである。特に、坂彦の黒鉛減速型原子炉が稼働していれば、短期間に
プルトニウム139を抽出し核爆弾の燃料にできたであろう。

8:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:57:49.32 QDu0o71+.net
・容共主義者ルーズベルトのソ連への対日参戦要請には、ソ連による日本の北朝鮮での核実験阻止への
期待もあったのではないかとみられる。その代償として、ルーズベルトは北方四島に米軍を進駐させず
ソ連の北方四島侵略を黙認した可能性がある。
ソ連は8月9日の長崎への原爆投下前日に対日宣戦を布告し、投下と同時に対日侵略を開始し、興南に
向け一挙に急進撃した。ソ連は、核実験阻止には失敗したが破壊前の核インフラの奪取には成功した。
・なお、日本海軍は核開発力を持ち、終戦直前でも海軍首脳は抗戦継続論だったと米軍機密文書では
報告されている。核実験がもし成功していたなら、緊急電で東京に打電されていたはずである。
・日本の核開発の潜在能力は現在でも高い。2004年に米国科学者連盟は、日本なら核実験なしでも、
「1年以内に」核兵器を保有できるとの見積を出している。最新の米国の専門家の見解では、「日本なら
数日で可能」とも言われている。
日本には、核恫喝を受けても、それに屈することなく「対応策」がとれる潜在力がある。
・中ソ朝の核開発は日本が北朝鮮に残した遺産と日独の科学技術者の協力の成果だった。彼らはその
事実を公開したくはなかった。もし公開すれば、自国独裁政権の威信低下を招いたであろう。
・いま米政府の秘密が解除されるのは、日本の核開発黙認のシグナルかもしれない。
1990年代以降の中期の核戦力増強により、2006年頃には米国の核戦力バランスの圧倒的優位が
失われたとの認識が表れている。
例えば2006年の全米科学者連盟と米国国家資源防衛会議による共同報告では、中国が対米先制核攻撃に
成功すれば、米国の被害は4千万人に上り、それに対する米国の核報復による中国の被害は2600万人に
とどまるとの被害見積りが公表されている。

9:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:58:03.46 bt+L4Z9f.net
>>1
8/12より前に成功していた。
つまり、広島長崎が日本製(国内反日人脈)原爆で、地上起爆だったこと
を隠すためのあっち側のミスインフォメーション本。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 17:59:26.94 6lULv5Bg.net
・日本に対し核の傘の提供を保証することは、米国の望まない対中朝核戦争に米国が巻き込まれるおそれを
高めることになった。
そのリスクを回避するには、体制と価値観を共有する日本の核保有を黙認し、独自の核抑止力を持たせ中朝に
対する対日侵攻への抑止力を強化するのが、米国の国益上有利と、米国指導層は2006年頃に判断したのでは
ないかとみられる。
圧倒的な人口格差のあるアラブ諸国とイスラエルの間の中東戦争の再燃を抑止するため、1970年代に米国が
イスラエルの核保有を黙認した背景に、類似している。
<野口による興南の産業基盤建設>
・すでに産業複合地帯を「ウラニウム爆弾」製造支援のために使うことについても、日本として必要があるとの話が出ていた。
・連合国の奇襲部隊はその後すぐに、原子爆弾製造を助けるために使われることを恐れて、ナチの重水素製造を
死力を尽くして阻止することになった。いまやドイツの戦争中の同盟国だった日本も、アジアでそれを製造していた。
しかも連合国はそのことを知らなかった。
<本格化し始めた日本海軍と荒勝研究室の爆弾計画>
・理研の計画に資金を提供していた陸軍だけが、ウラニウム爆弾に関心を持っていた軍種ではなかった。日本海軍は、
陸軍よりもむしろ長期にわたり、核物理学の発展を追跡していた。
・1939年に、カリフォルニアで原子力によりタービンが動いているとのうわさが流れた。その噂は本当ではなかったが、
大騒ぎを巻き起こした。海軍は核燃料に関心を持った。海軍の艦艇は核燃料により、無限に航行できるようになるかも
しれなかった。その後、1940年か1941年の初めに、村田勉海軍中尉は、米国の「超爆弾」に対する警告を発している
ドイツの技術雑誌の記事を翻訳した。その翻訳は広く回覧された。米国によるウラニウムの輸出停止と突然の核研究に
関する沈黙を受けて、海軍は遂に行動することを余儀なくされた。1941年の夏か秋に海軍は、浅田が講義をしていた
研究所の、海軍大尉であり科学者でもあった。伊藤庸二に対し、爆弾と燃料の実現の可能性について調査するように命じた。
レーダーについてドイツで学んでいて帰国したばかりだった電子工学の専門家の伊藤は、大変な敬意を払われていた。

11:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:00:25.22 17tsG7NF.net
以下省略 本文の続きは下記リンクや書籍でどうぞ
1945年8月12日早朝、北朝鮮興南沖にて海上爆発に成功していた(1)
URLリンク(blog.kuruten.jp)

12:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:01:21.17 17tsG7NF.net
田中英道「日本の原爆は8月12日北朝鮮で成功していた?」日本国史学会4月28日連続講演会開会講演
URLリンク(www.youtube.com)
小澤隆輝 10 か月前
私の亡くなった父親が戦争中、ソ満国境で従軍していたが、その時にすごい爆弾を開発に成功したという話を聞いたと言っていた。
高い心ざし 3 か月前
私が、中学生の時、京都大学卒業の科学の先生が、「自分達が、原爆を作っていた」という話を、
していた事を
思い出しました。
シニアのよっちゃん 7 か月前
いつも高度かつ緻密な歴史をありがとうございます。
北朝鮮の原発施設は当時の名前が理化学研究所と言われていたらしいですね。
その施設を壊す役割をしたのが田中土建、田中角栄の会社ですよ。
これは今の理研や自民党の権力や原発開発につながりますよね。しかし結果日本は戦後復興したのも技術の功績も有りますね。
これからもよろしくお願いいたします。

13:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:02:02.90 17tsG7NF.net
『成功していた日本の原爆実験(前半)』矢野義昭 AJER2019.7.26(3)
URLリンク(www.youtube.com)
Doi H 1 か月前
これは小説でも妄想でもなく事実です。その後になぜ朝鮮戦争が起き、ハムフン、ふんなむのチッソや
その他の世界一の巨大工場に電力を供給元していな清津貯水池で中朝軍が激しい戦闘を行ったのか
わかります。朝鮮戦争は核兵器製造ラインの争奪戦だったのです。
越智鼓暮令 1 週間前
米軍が空爆しても破壊できなかった当時世界最大規模の水豊ダム、巨大企業チッソ、ウラン埋蔵の北朝鮮地域。
日本の原爆開発の条件は揃ってはいるが果たして日本の核実験は真実だろうか?
広島型原爆は核実験無しに実使用された。
世界初の核実験はトリニティ実験の長崎型で、これは技術的に確認するべき爆縮レンズの技術要素があったということ。
8/6が広島で8/9が長崎、江南の実験が8/12って出来すぎじゃないですか。
それに情報の元が海軍じゃ話にならない。
やったらマズイ真珠湾攻撃で米国世論を180度転換させて日米戦争へ引きづりこんだ海軍さんですから。
お話だけだと従軍慰安婦強制連行の作り話と変わらないんですけれど。

14:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:02:35.27 17tsG7NF.net
田中英道?日本の原爆実験は北朝鮮・興南で成功していた(1945年8月12日)
URLリンク(www.youtube.com)
高い心ざし 2 か月前
私が、高校生の時の化学の先生が、「原爆を作っていた」と授業中に話したのを
記憶しています。先生は、京都大学の卒業生です。今も、先生の名前は、記憶しています。

15:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:03:02.35 17tsG7NF.net
【主催者より告知 】矢野義昭氏 出版記念講演会『成功していた日本の原爆実験』隠蔽された核開発史 第3版 ① 英霊の名誉を守り顕彰する会(佐藤和夫代表)2019/8/30
URLリンク(www.youtube.com)
【解説 田中英道先生】矢野義昭氏 出版記念講演会『成功していた日本の原爆実験』隠蔽された核開発史 第3版 ② 主催:英霊の名誉を守り顕彰する会(佐藤和夫代表)2019/8/30
URLリンク(www.youtube.com)

【夢を紡いで #80】隠蔽された日本の核開発史-田中英道氏に聞く[桜R1/8/23]
URLリンク(www.youtube.com)
田中英道「日本は原爆実験に成功していた?日本の核の秘密」日本国史学会・3月10日代表挨拶(音声のみ)
URLリンク(www.youtube.com)
田中英道「日本の原爆は8月12日北朝鮮で成功していた?」日本国史学会4月28日連続講演会開会講演
URLリンク(www.youtube.com)
田中英道「原爆実験に成功した日本は核保有国?」日本国史学会第56回連続講演会代表挨拶平成30年6月9日拓殖大学
URLリンク(www.youtube.com)

16:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:04:46.36 17tsG7NF.net
日本の核実験成功はほぼ証明された!!【DHC】2019821水 井上和彦×藤井厳喜×居島一平
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)

17:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:19:13.69 bt+L4Z9f.net
>>14
8/12より前に成功していた。
つまり、広島長崎が日本製(国内反日人脈)原爆で、地上起爆だったこと
を隠すためのあっち側のミスインフォメーション。
田中英道が出ている林原チャンネルとか、岸信介の隠し子浜田マキ子がやってるし。

18:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:19:56.07 17tsG7NF.net
消えた日本人科学者。唯一の被爆国・日本の原爆開発はなぜ頓挫したか
URLリンク(www.mag2.com)
京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏
「原爆を作るための技術というのは、核分裂性のウランを濃縮するというウラン濃縮という技術。それから
プルトニウムを生み出すための原子炉。それから、生み出されたプルトニウムを取り出すための再処理という三つの技術」
「現在の国連常任理事国である米国、ロシア、イギリス、フランス、中国の五カ国は、その三つの技術を持っている」
「核兵器保有国5カ国のほかに、世界で1カ国だけ、この三技術を持っている国がある。それが、日本なんですね」

元米陸軍情報将校のデイビッド・J・ディオニシが書いた『原爆と秘密結社』
第二次世界大戦中の日本の原爆開発についての情報は、日本ではほとんど公開されていない。
……「死の血盟団」は、連合国の占領管理当局を使って、日本の原爆開発計画の証拠を湮滅(いんめつ)した。
……日本における真実の隠蔽工作は、1945年~1952年の連合国占領管理下で、フリーメーソンの主要メンバー
であったグラス・マッカーサー元帥によって遂行された。
……日本の原爆開発計画の公式な開始時期は、1941年12月17日とされる。だが、原発の着想はそれよりさらに
7年早い1934年に遡る。
……北朝鮮の興南地域に日本の原爆開発施設があったことが、なぜ日本がその地域の長津に発電所用ダムを
建設したのか、また朝鮮戦争で1950年11月27日から12月13日にかけての「凍結した長津湖での戦い」で、なぜ
アメリカ軍が不名誉な敗北を喫したのかについて手がかりを与えてくれる。
……もし、1945年の時点で日本の原爆開発計画が広く知られていたら朝鮮はおそらく統一国家として残されていたであろう。
というのも、日本の原爆開発計画にかかわる施設の多くは、今日の北朝鮮にあたる38度線以北にあったからだ。
日本の原爆開発の主要施設をソビエト連邦へ運び出す作業は、当時、朝鮮半島を38度線で分断し、さらに
1953年に38度線周辺を軍事境界線とすることによって遂行されたのである。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65)


19:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:23:57.81 bt+L4Z9f.net
>>15
8/12より前に成功していた。
つまり、広島長崎が日本製(国内反日人脈)原爆で、地上起爆だった
という事実を逸らすための、あっち側のミスインフォメーション。
田中英道が出ている林原チャンネルとか、岸信介の隠し子浜田マキ子がやってるし。

20:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:25:00.90 17tsG7NF.net
1945年8月12日の"genzai bakudan"
URLリンク(transact.seesaa.net)
946年10月2日に、いかにもそれっぽいが、根拠が伝聞1個という怪しい記事が、Atlanta Constitutionに掲載された。
[David Snell: "Japan Developed Atom Bomb; Russia Grabbed Scientists" (1946/10/02) on the Atlanta Constitution]
日本は原爆を開発していた。ロシアが科学者たちを捕縛した。
Actual Test Was Success (原爆実験は成功した)
終戦3日前に、日本は原爆を開発し、実験に成功した。
ソ連陸軍先遣隊が朝鮮に突入する数時間前に、日本は朝鮮にあった原爆プロジェクト拠点で、未完成の原爆と
機密文書と原爆プロジェクトを破棄した。
原爆を開発した日本の科学者たちはソ連の捕虜として、モスクワにいる。彼らは、原爆のノウハウを求める捕縛者
たちから拷問を受けた。
朝鮮地域はソ連軍の厳格な支配下にある。ソ連軍は、この地域への米国人の訪問を禁じている。戦後、一度、
米国のB-29スーパーフォートレスが朝鮮へ飛行中に、Hammung空港近くで、ソ連軍のYak戦闘機4機に撃墜された。
この情報を私は、日本敗戦前に興南プロジェクト(Konan Project)の防諜の任にあったという日本軍将校から得た。
彼は日本の原爆プロジェクトの名称と日付と事実と図面を私に手渡した。これを私はソウルの米国陸軍情報部に
送った。米国陸軍省はこの情報の大半を保持している。私に情報を提供した人物を保護、及び陸軍からの要請
により、彼を偽名、Tsetusuo Wakabayashi大尉と呼ぶことにする。
この情報は、米国の核兵器独占は長くは続かないだろうというスターリンの最近の演説に光を投げかけるかも
しれない。おそらく、Henry A. Wallaceのとった立場を説明することになるかもしれない。また、おそらく、連合国が
裕仁を傀儡君主として存続させることに同意するという、我々の提示した降伏条件の受入に日本が急に躊躇した
という、これまで説明がつかなかった事態の説明になるかもしれない。そして、おそらく、我が軍のB-29を1945年
8月29日に興南(Hungnam)地域でソ連が撃墜した事件にも、新たな光を投げかけることになるかもしれない。

21:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:26:03.71 17tsG7NF.net
この情報を得たのは、私が朝鮮で活動していた第24刑事捜査部(Criminal Investigation Department)の一員
だったときだった。私はWakabayashi大尉に、捜査員あるいは陸軍軍人としてだけではなく、報道記者として
インタビューすることができた。彼は自分が話したことが公表されることを知らされ、十分に理解していた。
彼は引揚者として日本に向かう途上で、ソウルに滞在していた。インタビューは朝鮮の首都を見下ろす丘の上の
神社だった場所で行った。この神社は故郷へ還る日本人のためのホテルに転用されていた。
日本に対する戦勝後、朝鮮半島北部の沿岸都市興南近くの広大な山岳地帯で、終戦間際の数か月に動いていた、
巨大で謎に包まれた工業プロジェクトの存在についての情報の断片が、米国軍情報部の手に流れ着いた。
この興南での活動についての最も完全な証言が米国の耳に届いたのは、この話題について日本が沈黙して
以後、初のことではないかと思われる。
興南近くの山の洞窟で、男たちが昼夜なく働き、日本の原爆の名称である"genzai bakudan"の最終組み立てを
行った。それは日本時間1945年8月10日で、広島で原爆の閃光が放たれてから、わずか4日後、日本の降伏の
5日前のことだった。
その北では、ソ連の大軍が満洲へと雪崩れ込んでいた。
その日の深夜過ぎに、洞窟の入り口から日本のトラック輸送隊が移動し、用心深い歩哨たちの側を通過した。
トラックは渓谷を進み、寝静まった農村を通過した。8月で、棚田の泥の中の蛙が夜中も鳴いていた。まだ涼しい
夜明け前に、日本の科学者たちと技術者たちは、興南で"genzai bakudan"を船に搭載した。
日本海の入り江近くの沖合で、より必死な準備が進められた。その日の昼と夜を通して、老朽船やガラクタや
漁船が停泊地の中へと移動した。
8月12日の夜明け前、停泊地の船をぬって、エンジン音を立てて、ロボットが発信し、入り江で座礁した。乗客は
"genzai bakudan"である。そして、時計が時を刻んだ。
20マイル彼方に観測者たちがいた。休みなく働き、その仕事がまったく手遅れであることを知っていた男たちに
とって、その待ち時間は困難で、奇妙なものだった。

22:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:26:36.68 17tsG7NF.net
OBSERVORS BLINDED BY FLASH (閃光で眼が眩む観測者たち)
日本がある方向の東の空が明るくなった。太陽が水平線から顔を出した瞬間、停泊地は閃光に照らされ、溶接用の
遮光面をつけた観測者たちの眼が眩んだ。火球は直径推定1000ヤードの大きさになった。極彩色の上記の雲が
上空へを湧き上がり、成層圏にキノコ雲を形成した。
爆発直下の船は、水と上記の混合物に包まれて、見えなくなった。停泊地で、船やガラクタが激しく燃え上がった。
大気が少し澄みはじめると、観測者たちは幾つかの船が消滅したことを確認できた。
その瞬間の"genzai bakudan"は、東から昇る太陽の輝きに匹敵していた。広島と長崎を破壊したのと同じく恐る
べき原爆の実験に日本は成功した。
時間はあまり残されていなかった。戦争はクライマックスへとなだれこんでいた。米軍の日本上陸に対抗して投下
するために神風に原爆を搭載する前に、ソ連軍先遣隊が興南へと到達するだろう。
それは難しい決断だった。しかし、決断は為された。
観測者たちは急いで水上を興南へと戻った。ソ連軍先遣隊が数時間先に迫っており、神々の黄昏の最後のシーンが
始まった。科学者たちと技術者たちは機械を壊し、組み立て途中の"genzai bakudan"を破壊した。
ソ連軍列が興南に到達する前に、洞窟はダイナマイトで封鎖された。しかし、ソ連軍はあまりに早く到達し、科学者たち
は逃げ切れなかった。
これが、Wakabayashi大尉が私に語った話である。
日本が原爆製造の努力を始めたのは1938年、ドイツと日本の科学者が会って、原子の中に秘められたエネルギーの
軍事利用についての論じたときからだった。このとき、技術情報は好感されず、理論だけが論じられた。
1940年に、東京の理化学研究所の仁科研究室で、世界でも最大級のサイクロトロンが建設された。(米軍が東京で
発見したサイクロトロンは破壊された。)

23:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:28:30.79 17tsG7NF.net
THOUGHT ATOMIC BOMB RISKY (原爆はリスキーだと考えた)
戦争初期に科学者たちは原子理論の研究を続けていたが、米国が日本との戦争を始めるまで、科学者たちは
日本政府に対して、本格的な原子力プロジェクトに関心を持たせることはできなかった。従来、日本政府は
そのような冒険は、あまりにリスキーで高くつくと考えていた。真珠湾に続く数年、日本の軍国主義者は核兵器を
使うことなく、米国を屈服させられると考えていた。
機動部隊と侵攻軍先鋒による戦線が日本本土に近づくと、日本海軍は水陸両用作戦に対する防衛手段として
原子爆弾の製造に着手した。原爆は神風攻撃により連合軍艦船に対して投下されることになっていた。
Wakabayashi大尉は原爆による完全破壊領域を1平方マイルと推定していた。
プロジェクトは名古屋で始まったが、B-29による日本本土の工業都市への攻撃が始まると、朝鮮への移動を
よぎなくされた。
「私はB-29こそが日本を打倒したと考えている。B-29により、朝鮮へプロジェクトを移動せざるを得なくなった。
これにより3か月を浪費した。B-29の爆撃がなければ、3か月早く"genzai bakudan"を完成できた」とWakabayashi大尉は述べた。
朝鮮でのプロジェクトには約4万人の日本人作業者が配属された。うち約25000人が訓練された技術者及び
科学者だった。プラントの組織は、作業者たちの行動範囲を自分の部署に限っていた。プラントの聖域は洞窟深くに
合った。ここでは400名の専門家が働いていた。

KEPT IN DARK ON EACH OTHER'S WORK (互いに秘密になっていた)
1人の科学者がプロジェクト全体の総責任者だった。他の6人は、著名な日本の科学者で、原爆製造の6つの
工程を受け持ってた。これらの6人は、他の5人の仕事の内容について知らされていなかった。(これらの科学者の
名前は米軍の検閲に該当する。)
ソ連は7人のキーマンを含む、最も訓練された捕虜の大半を確保した。7人のうち1人が1946年6月に脱出し、
朝鮮半島の米軍占領地域に逃げ込んだ。米軍情報部はこの男を尋問した。Wakabayashi大尉はこの男とソウルで
話した。その科学者はソ連人から拷問を受けたと証言した。彼は7人全員が拷問を受けたと証言した。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:28:46.32 bt+L4Z9f.net
>>16
8/12より前に成功していた。
つまり、広島長崎が日本製(国内反日人脈)原爆で、地上起爆だった
という事実を逸らすための、あっち側のミスインフォメーション。
DHCチャンネルはもともと岸信介(満州アヘン人脈=反日種族)の隠し子浜田マキ子がやってたし。

25:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:29:39.51 17tsG7NF.net
「ソ連人たちは燃える破片を科学者たちの指先に突っ込んだ。鼻腔に水を注いだ。我が日本の科学者たちは、
機密をソ連人に漏らす前に死んでしまうだろう」と彼は述べた。
Wakabayashi大尉はソ連人が、興南地区を精力的に調査していると述べた。
戦争賠償委員会のEdwin Pauleyが朝鮮半島北部を調査したとき、特定の地域しか見ることを許されず、それも
厳格なソ連軍の監督のもとだった。
1945年8月29日、米軍のB-29が、連合国捕虜収容所に投下する食糧と医療品の貨物を搭載して、興南地区に
向かっていた。近くのHammung空港から飛び立った4機のソ連軍Yak戦闘機がB-29を取り囲み、Hammungに着陸
するように信号を出した。
PILOT REFUSES; REDS FIRE (パイロットは拒否し、ソ連軍機は攻撃した)
パイロットである、ケンタッキー州AshlandのJose H. Queen中尉は空港が小さいことを理由に拒否し、「ソ連軍と
事を構えたとき」にSaipon基地へと帰還しようと回頭した。海外から10マイル沖合で、Yak戦闘機は攻撃を開始し、
B-29を撃墜した。12人の乗員に怪我はなかった。ソ連軍機一機が通信士Douglas Arthurを機銃掃射したが、はずした。
ソ連人が後にQueen中尉に、「ドイツ軍がときどき米軍のマークをつけていたので、日本軍もそうするのかと思い、
米軍のマークが見えたが、確信が持てなかったのだ」と告げた。
Wakabayashi大尉は「日本の防諜部隊は少なくとも、広島原爆投下の1年前には、米国東部山脈に巨大で
謎めいたプロジェクトがあることに気づいていた(おそらく、テネシー州Oak Ridgeのマンハッタンプロジェクト)。
そこで原爆が製造されていると考えていたが、確信は持てなかった。」と述べた。
「一方、連合国情報部は興南の原爆プロジェクトについて知っていたはずだ。というのは、長期計画だった日本海軍の
核実験のわずか6日前に広島に原爆を投下したからだ。」と述べた。
おそらく、ここに、米国による原爆投下の決断を疑問視するモラリストたちへの回答があるだろう。
日本人の事務所で、通訳と私は香り立つ緑茶をすすり、Wakabayashi大尉は、偉大な、そしておそらく世界を揺るがす
話を繰り広げた。彼の眼は黒縁眼鏡の奥で誇りを持って輝いていた。

26:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:32:56.17 17tsG7NF.net
"Genzai Bakudan" つづき
URLリンク(transact.seesaa.net)
1945年8月12日の"genzai bakudan"の記事は、怪しい歴史ネタだが、David Snell自身が記事末尾に書いて
いるように、人を惹きつけるものがある。
翌日にAPが否定記事を配信する。
URLリンク(transact.up.n.seesaa.net)
原爆を開発し、終戦三日前に実験に成功した日本の科学者たちが、モスクワでソ連の捕虜となっていると
Atlanta Constitutionが自社記事で木曜日(1946/10/02)に述べた。
元Atlanta Constitutionの記者で、ソウルで活動している第24犯罪捜査部隊の軍務から最近、帰国した、その
記事の執筆者David Snellは、ソ連人たちが「原爆のノウハウ」を手に入れようとして科学者たちに圧力をかけたと述べた。
Snellはこの話を、朝鮮興南にあった日本の原爆開発拠点の防諜部隊長と称する日本人将校から聞いた。
この将校は、ソ連軍侵攻の数時間前に、機械と秘密文書と部分的に完成していた原爆を破壊したと述べたと、Snellは書いている。
「全くの嘘だ」という烙印
東京では米国陸軍情報将校が木曜日に、米日の科学者たちとともに、Snellの証言を嘲った。
「まったくの嘘だ」と日本の最も注目される核物理学者Dr. Yoshino Nishinaはコメントした。
「まずありえない」と東京の米国陸軍情報将校は素っ気なくコメントした。
日本の軍事専門家であるDr. Nishinaは「常に嘘をついており、根拠なくものを言っている。そのような実験は
朝鮮では行われていない。ただし、興南には化学肥料工場があった」と付け加えた。
マンハッタン計画を率いたLeslie Groves少将は「話が本当なら、彼は非常に興味を惹かれたことだろう」との
見方を示した。しかし、サンフランシスコではPatterson陸軍長官は日本の原爆の爆発報道は真実ではない
ことを保証した。彼は終戦三日前に日本が原爆実験を行ったという報道を否定した。

27:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:34:30.09 17tsG7NF.net
"Genzai Bakudan"と呼ばれた
しかし、米軍が日本に入った時、実験室で使われていた原子分離装置であるサイクロトロンを発見して、
破壊したことが思い出される。
Snellは、日本の原爆開発スタッフのひとりが、6月にソ連人たちのもとから脱出し、米国情報機関の尋問を
受けた件に関係していた。さらに彼自身が、偽名"Tsetusuo Wakabayashi"大尉という情報提供者から得た
情報を、ソウルの米国陸軍情報部に提供したと述べた。
しかし、米国陸軍省は「日本の原爆についての得た情報は、ほぼすべてSnellによるものだったと」と真偽を留保した。
[Assoviated Press 1946/10/3]
そして、"Genzai Bakudan"は消え去った。
しかし、1985年にRobert K. Wilcox: "Japan's Secret War"で再び、世に知られるようになったようである。

28:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:43:42.92 17tsG7NF.net
「旧日本軍が終戦直前、原爆実験?」朝鮮半島東岸沖合 GHQに極秘情報(西日本新聞)
URLリンク(www.asyu)
ra2.com/sora/bd19992/msg/984.html
1999年8月6日(金) 10時45分
「旧日本軍が終戦直前、原爆実験?」 朝鮮半島東岸沖合 GHQに極秘情報(西日本新聞)
【ワシントン5日時事】旧日本軍が第二次世界大戦の終戦直前、現在は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)領
となっている朝鮮半島東岸の興南沖合で原爆実験を実施したとの情報を米軍がつかみ、戦後日本を占領統治
した連合国軍総司令部(GHQ)などが秘密裏に調査していたことが、米国立公文書館で時事通信が入手した
米軍機密文書(約三百ページ)で分かった。一九四七年の米軍防ちょう機関の報告は「原爆に似た爆発があった」
と伝えているが、真相は解明できなかったもようだ。
また、これらの文書から、米軍は興南にあった化学コンビナートで日本海軍が秘密裏に核開発を進めていた
とみて、朝鮮戦争(五〇―五三年)に乗じて疑惑施設を徹底的に爆撃していたことも明らかになった。
米軍犯罪調査部隊のデービッド・スネル氏は、旧日本軍が四五年八月十二日未明、興南沖三十数キロの海上で
原爆実験を行い、巨大なきのこ雲が上がったとの情報を、ソウルで元日本軍情報将校から入手。退役後の
四六年、米ジョージア州アトランタの新聞に公表したが、一笑に付されていた。
しかし、在朝鮮米軍司令部防ちょう部隊が四七年一月十六日付で作成した報告は、調査結果として、「日本軍は
朝鮮北部東海岸沖に浮かべた小さな船で爆破を伴う実験を行い、原爆に似た爆発が起きた。関与した科学者
らの名も(スネル報告は)正確だ」と指摘、科学者は旧ソ連軍によってソ連に抑留されたと伝えた。興南は
八月十二日、進攻ソ連軍に占領された。
興南での日本軍の核開発説について、四五年のGHQ文書は(1)日本軍復員者によると、興南の化学工場で
原子力関係の実験が行われていた(2)日本海軍は興南の化学工場の秘密部門で、「NZ計画」と呼ばれる
水素化合物によるジェット燃料実験を実施していた(3)ソ連による興南占領後、秘密施設がソ連軍に接収され、
日ソ両国科学者の共同研究が行われている―などの情報を挙げて、徹底調査を命じた。

29:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 18:43:54.28 17tsG7NF.net
興南には戦前、日本窒素肥料(チッソの前身)の大型化学工場があり、海軍と共同で重水などを生産していた。
一方、朝鮮戦争中の米軍文書(五〇年十二月二十九日付)によれば、米軍は興南の化学工場施設に空爆を
加え、施設の九五パーセントを破壊したという。
[西日本新聞1999年8月6日]

30:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 19:08:12 17tsG7NF.net
URLリンク(6707.teacup.com)
第二次世界大戦秘史―日本の原爆計画
日本の原爆秘密
デイヴィド・ディオニシ著

・連合国は、日本の核兵器計画についての情報を隠蔽した
・ドイツの同盟国日本へのウラニウム秘密輸送がついに解明された
・70年近くもアメリカの公衆に隠されていた真実

『特に、海軍は、防衛のためだけでなく攻撃のためにも
原爆を開発することを望んでいる』1(伊藤庸二大佐)

日本の原爆開発計画については、一般に知らされていないが、それは「新世界秩序」(以
下「死の血盟団」とする) の工作員らが積極的に証拠隠滅に動いたからある。実際に、第二次
世界大戦中の日本の原爆開発についての情報は、日本では殆んど公開されていない。2 これ
が、戦時下でのドイツの日本へのウラニウム輸送や朝鮮での日本の原爆開発施設の存在を
これまで世間に知られないできた理由の一つである。
死の血盟団は、連合国の占領管理当局を使って日本の原爆開発計画の証拠を隠滅した。
その公式理由は、日本が再び20 世紀の戦場に立ち返ることができないようにすることで
あった。しかし、この証拠隠滅作戦は、日本の非武装化をはるかにを超えるものであった。
日本における証拠隠滅作戦は、1945~1952 年の連合国占領管理下でフリーメーソン要員
のダグラス・マッカーサー元帥によって遂行された。1945 年9 月22 日、マッカーサーは、
日本の全ての研究実験機関にウラニウムとその他の放射性物質の分離作業を禁止する指令
を出した。3

マッカーサー パターソン グローヴズ
日本の原爆開発計画の事実を隠蔽した工作要員ら
もし1945 年に日本の原爆開発計画が広く知られていれば、朝鮮は、多分統一国家として
残されていたであろう。日本の原爆開発計画の多くは、今日の北朝鮮になる38 度線以北に
あった。日本の原爆開発の主要施設をソビエト連邦へ運び出す作業は、当時朝鮮半島を38
度線で分断し、更に1953 年に38 度線周辺を軍事境界線とすることによって遂行された。
当時米国でソ連に対する懸念が高まる中で、もし日本の原爆開発計画が秘密にされてい
なかったならば、おそらく朝鮮が分断されることはなかったであろう。

31:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 19:16:06 17tsG7NF.net
米国市民の大多数がソ連に原爆を持ってほしくないと思っていたのに対して、死の血盟団はソ連の原爆
開発を望んでいたのである。その結果として、マッカーサーの一般命令1号が出された時は、ソ連が日本の
原爆開発科学者らとその施設に手を出しても公衆の反対の声は上がらなかった。更に、こうした原爆の
秘密を守るために、ソ連が独自の原爆を開発した後でさえ、朝鮮を分断しておくことが重要であった。
(略)
日本の原爆研究は、京都大学でのサイクロトロン設置に成功したが、あらゆる入手可能なところから
ウラニウムを入手する必要があった。そこで、先ずウラニウム供給源を北朝鮮に求めたのが、日本の実際の
原爆開発施設を日本ではなく北朝鮮に建設した理由の一つである。又、北朝鮮の長津ダムでの発電施設が
大量の電力供給に適うことと、更に核爆発実験による放射線被害から日本本土を守るためにもなるとの
理由もあって、北朝鮮が原爆開発拠点に選ばれたのである。

北朝鮮の興南地域に日本の原爆開発施設があったことが、何故日本がその地域の長津に発電所用ダムを
建設したのか、又朝鮮戦争の際の 1950 年 11 月 27 日から 12 月 13 日にかけての「凍結した長津での戦い」
で何故アメリカ軍が不名誉な敗北を喫したのかについて手掛りを与えくれる。 この「凍結した長津での戦い」
でアメリカ軍兵士らは、F号計画のために建設された興南地域の山岳施設を再発見している。 この秘密の
山岳施設の所在を知ることになった朝鮮戦争での米兵捕虜たちは、1953 年板門店での停戦協定の後も
帰されることはなかった。彼等は頭を撃たれて射殺され、その頭蓋骨は北朝鮮政府によって保存されていた
のである。

デイヴィド・スネルは、日本の原爆開発計画を進める決定は B-29 の出現によっても影響されたと書いている。
スネルは、ソウルで本国に送還される日本人将校を尋問して日本の原爆開発計画についての情報を得た。
その日本人将校は、戦時中に朝鮮での日本の原爆開発計画の防諜任務に当たっていた。米国政府は、
スネルに対して当の防諜担当将校の氏名を含む詳細を公にすること禁止し、スネルは、その日本人将校に
若林哲夫の偽名をつけるよう要求された。

32:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 19:19:08 17tsG7NF.net
スネルは、後日出版物の中で、「日本の原爆開発計画は、当初名古屋で始められたが、B-29 が日本本土の
工業諸都市を盛んに爆撃するようになって、やむなく朝鮮へ移動させざるをえなかった」と記している。彼は、
若林が「自分が思うに、日本を敗北させたアメリカの主要兵器は B-29 で・・・・B-29 が我が方の原爆開発計画を
朝鮮に移動させたのであり、その結果3ヶ月も遅れをとってしまった」と述べたことを引用している。

日本の陸軍と海軍は、日本、ビルマ、中国でもウラニウムも発見しているが、朝鮮北部がウラニウムの最良
供給源の一つであることが分かっていた。しかし、原爆製造には更に多くのウラニウムが必要であった。
そこで、ナチス・ドイツが金、生ゴム、阿片、キニーネその他の戦争継続に必要な物資との交換で日本へ
ウラニウムを提供することになったのである。
(略)
1944 年に日本の潜水艦I-52 号がドイツで受け取り日本へ持ち帰ることになっていた酸化ウラニウム 500
キログラムと恐らく一緒に積荷されていたであろう多少のウラニウム235 に関する秘密は、今日もなお隠された
ままである。

I-52 号は、1943 年 12 月 28 日に日本の呉海軍造船所で第 11 潜水艦隊に就役した潜水艦で、燃料補給
なしで 300 トンの積荷を 21,000 マイルも輸送できるように設計されていた。上掲の写真は、僚艦 I-53 号と
並ぶ I-52 号を撮ったものである。

1944 年 3 月、I-52 号は、宇野甲雄艦長、士官 11 名、下士官兵 84 名と乗客 14 人を乗せて呉港を出発し、
途中シンガポールに寄港して生ゴム 54 トン、阿片 2.88 トン、キニーネ 3 トンを積み込んでいる。なお、I-52 号
には金2トンが積み込まれていたことも、解読された日独間の通信によって確認されている。

33:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 19:20:47 17tsG7NF.net
I-52 号は、1944 年 6 月 23 日にクルト・ランゲ大尉が指揮するドイツ潜水艦 U-530 号と会合することに
なっていた。この会合の通信連絡がアメリカ軍諜報部によって傍受され、A・B・ヴォセラー大佐が指揮する
護衛空母 U.S.S.ボーグが両潜水艦を空爆するために急派された。ジェスイ・テイラー少佐が U.S.S.ボーグ
から発進して約 55 マイルの海上でI-52 号とU-530 号を発見して攻撃し、日本の潜水艦は被弾して
アゾレス諸島の西南 800 マイルほどの大西洋に沈没した。U.S.S.ボーグは、ウィリアム・フラッシュ・ゴードン
大尉が指揮する次の攻撃機を発進させて、その魚雷攻撃で U-530 号も撃沈させた。
(略)
興南地方に所在した日本の原爆開発施設周辺は、直ちにソ連と北朝鮮にとって特別厳戒の保護地域に
なった。ソ連は、米国人員が厳重監視下でなければこの地域に入ることを許さなかったし、当該地域に
入れた者でも、その山岳施設に入ることは許されなかったのである。

又、北朝鮮における日本の原爆開発施設の存在は、1945 年 8 月 29 日に何故ソ連が北朝鮮上空を
飛行中の米国機 B-29 を撃ち落したかの隠された理由を伝えるものでもある。このB-29 は、興南地方の
戦争捕虜収容所に食物と医薬品を届けようとして撃墜された。その際、操縦士のジョーズ・H・クウィーンズ
中尉は、ソ連機の操縦士から着陸を命じられたが、着陸地のハムムング飛行場が小さすぎると判断して
サイパン島の基地へ引き返そうとしたのである。そこでソ連の戦闘機4機がクウィーンズの B-29 を射撃
したが、搭乗員 12 人は無事脱出してアメリカ軍に救出された。

日本の原爆開発計画は、当時アメリカのマンハッタン計画よりかなり遅れてはいたが、1945 年の時点では
ヨセフ・スターリンにとって大きな価値があった。スターリンは、死の血盟団に仕えてはいたが、1945 年には
原爆製造に必要な技術や資材をアメリカから与えられることを確信できなかった。『ジョーダン少佐の日記から』
と題する出版書は、死の血盟団要員のハリー・ホプキンスが原爆製造に必要な設計図や資材をソ連政府
に受け取らせる手配をしたと記述している。トルーマン政権はホプキンスを使ってスターリンに国家最高機密
である原爆情報を届けたのだと、ジョージ・ジョーダン少佐が暴露したのである。

34:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 19:22:41 17tsG7NF.net
朝鮮の分断

何故アメリカが朝鮮を分断したかについての公式説明を信じることは、この悲劇が政策意図によるのではなく
偶然にそうなったのだ信じることである。

こうした偽りを信じるのは、日本が 36 年近くも朝鮮を植民地支配した事実や 1950 年に何故国際連合が朝鮮に
対する軍事行動を承認したかについて無知だからである。真実は、1905年のポーツマス協定、1945年の朝鮮分断、
1950年の朝鮮戦争、1951年のサンフランシスコ条約などが全て死の血盟団に仕える男たちによって策謀された
ことである。

1905 年、当時の米国陸軍長官で後に大統領になるウィリアムズ・ハワード・タフトが日本の外務大臣と密かに
会談した。タフトは、米国を代表する者でありながら「スカル&ボーンズ」[訳注=イェール大学出身者の秘密結社]
の一員として死の血盟団に仕える者であった。彼は、日本がアメリカのフィリピン植民地支配を支持することと
引き換えにアメリカが日本の朝鮮占領を支持する取り決めを結んだ。この取り決めは、同年後のポーツマス条約
で成文化され、セオドラ・ルーズヴェルト大統領によって調印された。その結果、日本は、直ちに朝鮮占領を開始し
1910 年には朝鮮併合を宣言したのである。

ほぼ全ての朝鮮人が反対した 1945 年の朝鮮分断は、死の血盟団がそこにスターリン主義で孤立主義的な
国家を作り上げるために策謀した結果であった。朝鮮がどのようにして分断されたかについては、偽りの説明が
多くの学校で教えられている。学生たちは、第二次世界大戦の終了時にトルーマン大統領の部下らが朝鮮を
余り重要視しなかったからだと説明される。更に、歴史本の作家らは、時として、アメリカ政府が当時フィリピンと
日本の戦後処理に圧倒されていたので朝鮮の信託統治を引き受けたくなかったのだと説明して、真実を曇らせ
ようとする。こうした解釈は、1945 年にはアメリカが世界唯一の核武装大国ではあったが、スターリンと宥和する
ために朝鮮が分断されたのだとの説を促すことにもなる。

35:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 19:27:10 17tsG7NF.net
Youtubeで検索

英語ドキュメンタリー 「Japan's Atomic Bomb」 

36:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 21:28:30.43 XEkkf//9.net
>>9
CIA=OSSは日本中枢の反日本国民種族と戦前から共謀している勢力だもんね。
本当に本当のことは言わないわな。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 22:22:34.44 7BcgR3tL.net
きたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

38:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 22:24:03.09 7BcgR3tL.net
よし、後は俺に任せろ

39:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 22:28:09.04 7BcgR3tL.net
でもタイトルが間違ってるな
あれは実験じゃない
タイトルは「広島原爆は天皇の原爆だった」に修正要
ところどころ間違いがあるようだから直していこう

40:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/15 23:05:34.88 xcRh4KXw.net
広島は地上起爆なんだからなに言ってんのって話

41:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 02:20:58.48 XO+tM06O.net
また所在不明の人物の証言の電文というテイの妄想かよ
ナンキンもキーセン売春婦も全部これじゃん

42:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 09:24:36.29 Y8Mz31oa.net
広島原爆、長崎原爆の後の8月12日に都合よく初の原爆実験成功とか話が出来過ぎ

43:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 09:34:27.97 mzx92F/Y.net
だからそれは実験じゃない
8月12日にソ連は興南の日本の原爆開発施設を占拠した
その占拠直前に、ソ連に渡してなるものかと濃縮ウランを核爆発させたんだよ
そのくらいのことは米軍も知っているが、広島原爆が日本の自爆だと思わせないために
興南の原爆が日本の初めての核爆発だってことにした
ちなみに8月12日の核爆発については、米軍の調査と、スプートニクの記事は一致している
そりゃそうだ、ロシア人は自分の目で核爆発を見ているから

44:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 09:43:46.25 mzx92F/Y.net
日本の核開発は
陸軍の「2号研究」・・・理研の仁科博士
海軍の「F研究」・・・京大の荒勝・湯川
の二つがある
F研究が本命で、2号研究は失敗した記録を残すのが目的のダミーだ
そりゃそうだろう、広島原爆が自爆と判明したら天皇制は終わってしまう
2号研究で、ウランが足りなかった、ウラン濃縮に失敗した
だから日本は原爆を作ってないぞ、と思わせる作戦だ
F研究については情報は隠されているのに
2号研修は、福島県で子供にウランを掘らせ、記念撮影して
戦後にこれ見よがし写真を展示しているよ
日本政府というのは、そうやって国民を欺く寄生虫だと知ろう

45:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 14:25:09 cplz6zn1.net
原理自体は戦前から全世界の物理学者が共有していた
日本もナチスも研究はしていた。でも実現できたのはアメリカだけ
アメリカがマンハッタン計画に使った経費と人材と設備と資材は、とんでもない量

まして日本が実現していたなんて陰謀論以外の何者でもない

46:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 15:48:54 mzx92F/Y.net
人類で最初に核爆弾の可能性に気付いたのは東北大の彦坂忠義
彼の主張を、アインシュタインもボーアも相手にしなかった

なぜなら欧州ではボーアの液滴型原子モデルが主流であり
そのモデルでは、彦坂の核分裂でエネルギーが放出されることが説明つかなかったからだ

日本海軍には腐るほど資金があった
たぶんマンハッタン計画の何倍も予算を出せたろう
当時世界最大の発電所はソ連にあったが、一挙にその3倍の発電所も興南に作った
巨大ダム群も作った

アメリカでの核実験=トリニティ実験が世界初の核爆発ということになっているが
それの半年以上も前に、日本の核実験が成功している

47:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 16:29:59.39 KywXN1QA.net
なんで 反日って多いの?

48:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 16:31:33.50 mzx92F/Y.net
人類が原爆を作り始めた当時の状況
1944年12月07日13時36分@名古屋・・・日本のウラン原爆(地下核実験)
1945年07月16日05時29分@USニューメキシコ州・・・アメリカのプルトニウム原爆(核実験)
1945年08月06日08時06分@広島・・・日本のウラン原爆(都市での核実験)
1945年08月09日11時02分@長崎・・・アメリカのプルトニウム原爆(都市での核実験)
1945年08月12日@北朝鮮興南道・・・日本のウラン原爆(撤収前の自爆)

49:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 17:55:39.51 KywXN1QA.net
>>39
なんとなくわかるわ。子供の頃 TVで天皇見たときに 記者会見のあとに笑ってて この人は..って思ってた。普通の日本人なら 泣くんじゃないのかなぁと。

50:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 19:52:56.62 LhpJIH7c.net
>>40
それだよな

51:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 19:54:56.88 LhpJIH7c.net
>>9
昭和天皇は反日の中国人だったな。
>>43とかみたいな、反日ゴミ朝鮮人が日本でナマポ貴族できるようになった最大の恩人

52:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 19:56:34.41 LhpJIH7c.net
>>44とかみたいな、デマ吐きのゴミ朝鮮人が日本でナマポ貴族できるようになった最大の恩人

53:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 21:51:57.38 mzx92F/Y.net
長崎のプルトニウム原爆がアメリカが作った
これは間違いない
なぜなら当時プルトニウムを作るフェルミの原子炉を持っていたのはアメリカだけだから
アメリカ以外に作れる国はない
問題なのは、広島のウラン原爆を作ったのは誰でしょう?てこと

54:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/16 21:56:34.54 XdbfRhW0.net
>>17
長崎も地上起爆なのを隠そうとした証拠があるから、広島と基本同じものだよな。

55:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/17 16:06:23.34 fUnhGJ0V.net
牧野か

56:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/17 16:06:50.56 fUnhGJ0V.net
わたすが8月6日生まれなのは......

57:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/17 18:30:30.84 D/ePZ7XW.net
戦前から日米欧の物理学者には交流があった
原子物理学者の関心は、どうやって核分裂反応を連鎖させるかに集まっていた
アメリカから日本の理研に視察団が訪れ、
日本の物理学者の考えている原爆の種類と起爆方法まで知った
これは戦争前の話なのだ

58:芋田治虫
20/01/08 02:47:57.97 zlYbD8M4.net
URLリンク(nico.ms)
URLリンク(nico.ms)
↑事実上ナチスの残虐な暴政の犠牲者であり、被害者である、ヒトラーユーゲントと国民突撃隊、第二世界時のドイツの一般市民、挙句の果てには罪の無いナチスの末裔たちまで、
テロリスト扱いする奴こそが真のテロリストであり、イスラエルこそが真のテロ国家。
そもそも、イスラエルの公務員は全員テロリスト。
「敵にも被害者はいる」
そういうこと考えもしないし、理解しない国が、核兵器などの大量破壊を使用するのだ。
そういう国が世界大戦や核戦争を起し、人類と地球を終末に導くのだ。

59:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/11 18:23:31.31 pkaM2EeG.net
「1945年8月12日 日本が原爆実験成功」説の世界史的意義 加藤 成一 2019年11月14日 06:00 
URLリンク(agora-web.jp)
ロバート・ウイルコックスによれば、日本は戦争末期に核爆発装置を完成させ、1945年8月12日早朝、
北朝鮮ハムフンの興南沖水域で原爆実験を行い成功させた。海上爆発特有の「きのこ雲」の発生を
日本人士官が証言し、その他にも数多くの状況証拠が存在する。
そして、原爆の原料である天然ウランは主として北朝鮮で採掘精錬し、当時北朝鮮の興南にはアジア
最大の日本の軍需工場があり、原爆製造に不可欠な日本の世界最大級の発電所があった。原爆の
開発には大量のウランと膨大な電力を必要とするからである。
しかし、ソ連が1945年8月8日に日本に対して宣戦布告し、満州国、朝鮮半島に侵攻したソ連軍は、
8月12日の上記核爆発の数時間後に北朝鮮興南を占領し、核インフラを奪い日本の核技術者を連行した。
ソ連はその成果を利用し、僅か4年後に核実験に成功した。中国の朝鮮戦争参戦の目的には興南の
核インフラがあった。北朝鮮の核開発は、人材育成も含め、日本の統治下で基盤がつくられたのである。
このように、日本が原子爆弾開発を行っていた北朝鮮の興南は、戦後、ソ連、中国、北朝鮮の核開発の
拠点になった(注3、注4)。
ロシア政府系通信社「スプートニク」は、2013年6月13日付で「1945年8月12日、日本軍は小型の船艇に
核爆弾を載せ、ハムフン沖で爆破すると、直径1キロの火球が天空に燃え巨大なキノコ雲が上がった」と
報じている。
さらに、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」も、2018年2月9日付で、「日本は敗戦直前ハンフンの
興南沖水域で核爆発実験を実施した」と報じている。
また、中国政府の公式サイトは、2015年9月6日付で「日本は1939年から1940年の間に、日本で核兵器を
製造した」と報じている。
上記ロシア、北朝鮮の報道は、いずれも、日時、場所、内容が一致し具体的であり、1945年当時の記録や
資料に基づくものと思料される。ロシアと北朝鮮が、ことさら虚偽の事実を捏造した証拠はない。

60:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/11 20:01:06.50 7ZvENqVJ.net
もういいじゃないか
おわったこと

61:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/13 14:17:03.28 RVj/i9L9.net
<;.PG2+_<n6*L}Du>
祝!! ユネスコ世界の記憶 認定 ∩`∀∩> チラッ
14世紀の朝鮮で刷られた「世界初の金属活字による印刷物」、どー見みても、手書きにしか見えない。
スレリンク(asia板)
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

62:名無しさん@お腹いっぱい。
20/05/18 16:32:10 wTvJorVq.net
【俳優】元劇団四季 望月龍平、原爆は落とされたんじゃなく打ち上げたのです それを爆発させたのは日本ですよ★7 [牛丼★]
スレリンク(mnewsplus板)

63:名無しさん@お腹いっぱい。
20/05/18 23:01:20 CzZ4iJ53.net
また過去か
過去を言い訳にして現実から逃げてはだめだ。

64:名無しさん@お腹いっぱい。
20/05/23 10:54:32 ltjAQjmN.net
日本の技術者には水爆の構想まであった
だからロシアの水爆には連行された日本人が関与しているかもよ

現状の状況と情報で少なくとも、日本からロシアに渡った技術はウラン濃縮の技術だ
それは戦時中に京大で研究していた遠心分離機の技術だ
アメリカでの遠心分離は早々に失敗して、カス拡散で行った

で、現在の原発用に使う濃縮ウランを作る主流は遠心分離なのだ
アメリカのガス拡散では効率が悪く、ロシアの遠心分離にコスト面で負けてしまう
そこで近年になって、アメリカも遠心分離でやらざるを得なくなった
しかしアメリカの核濃縮企業は遠心分離に失敗して倒産してしまった
これはけっこう最近の話だ
アメリカが機械に弱いことが露呈しているな

機械なら日本かドイツだよ
じゃあロシアの遠心分離機はどこで作ってるのか
それに使うベアリングはどこ製だよって話


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