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野村財閥の中核銀行として誕生(のちに分社する証券部は現在の野村證券)。
創案者・野村徳七の「自主独往」精神を受け継ぎ、一時、
邦銀でも有数の海外拠点網(一時アメリカ合衆国においては最大)、
都銀唯一の信託併営等の総合金融機能を発揮し、
企業年金信託では信託業界トップに立っていた。信託併営であることから、
出店計画が認可されにくかったと言われている。一方で、
国会議事堂内に支店を持つ唯一の銀行でもあった。
自主独往の精神が語るように、他の都市銀行と違い、
合併による規模拡大をしなかったため、都市銀行では北海道拓殖銀行に次いで、
2番目に小規模であった。ニューヨーク支店巨額損失事件時、
住友銀行との合併が報道された。実際合併こそなかったが、
アメリカ合衆国からの退場を命じられた大和銀行は、
アメリカ国内の支店網を住友銀行に譲渡した。
85年間自主独往の精神を受け継いできたものの、
2003年3月に大和銀行を存続会社としてあさひ銀行と合併しりそな銀行となった。
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