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収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処せられることになった。
囚人たちは番号で呼ばれていったが、フランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が
「私には妻子がいる」と泣き叫びだした。この声を聞いたとき、そこにいたコルベは「私が彼の身代わり
になります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出た[32]。責任者であったルドルフ・
フェルディナント・ヘスは、この申し出を許可した。コルベと9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められた。
通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通であったが、
コルベは全く毅然としており、他の囚人を励ましていた[33]。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツ
(Bruno Borgowiec)は、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた、と証言している[33]。
2週間後、当局はコルベを含む4人はまだ息があったため、病院付の元犯罪者であるボスを呼び寄せてフェノールを注射して殺害した[34]。
社会通念 意識革命 世界革命36条