16/06/11 02:17:35.02 jUq/FSqb.net
>>111
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1等国民と2等国民の衝突が増えたことで、韓国社会の不安要素は一層拡大している。
生まれつきの国民性が哀悼と悲しみをいっそう愛するようにしているのか。韓国人にとって死は、
常に恨めしく憤りを伴うものなのか。切ない死によって「国喪を求める雰囲気」が漂うたびに脳裏
をよぎる疑問だ。
オバマ大統領は先週広島で原爆被害者たちに会った。戦争を起こしたのは日本だ。その原
罪を消し去ることはできない。しかし、原爆被害者たちは「弱くて罪がなくかわいそうな」人々だ
った。今日の生存者たちは当時何も分からない子どもたちだった。にもかかわらず、広島では謝
罪要求のためのデモが起こらなかった。補償要求もなかった。原爆被害者の団体は1984年
以降、米国に謝罪要求をするという方針を取っていたが、一切口を開かなかった。オバマ大統
領が「謝罪はしない」と宣言したため、諦めたというわけではなかった。「核兵器の根絶に向け先
頭に立ってください」と言いたかったというが、それさえも切り出すことができなかった。広島の人々
は、71年間にわたって怒りと補償心理を引き続き沈めてきた。
熱い感情を胸に抑え込んで生きてきた広島の人々を、われわれはどのように見詰めるべきなのか。
韓国人特有の被害者意識は、忍耐という単語を知らない。高ぶる感情に歯止めが掛からない。
1等国民と2等国民の間の全面戦争がいつ勃発するか気が気でない。