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>>869 続き
「米国は石油産業も政府も、早く行動に移さなければ、英国に世界の石油資源の残りを先取りされてしまうと信じ切っていた」。
米研究者ダニエル・ヤーギン氏は著書「石油の世紀」で指摘する。
焦る米国と英仏の間を取り持った男がいる。アルメニア人実業家、カルースト・グルベンキアンは22年、のちの英BPや仏トタルエナジーズなどに、米エクソンモービルを交えて交渉を始めた。
曲折を経て翌年に成立した合意は、今のイラクやサウジアラビアなど旧オスマン帝国領内の油田について共同開発を除き、抜け駆けでの利権獲得を禁じた。
カルテルの色彩を帯びる排他的な取り決めは「赤線協定」と呼ばれた。グルべンキアンが中東の地図を広げ合意の対象地域を赤線で囲って示した逸話に由来する。
中東の石油に足場を確保した米国と、カスピ海を押さえたソ連。米ソ2陣営の出発点に石油があり、20世紀を通して国際秩序の底流には石油や天然ガスをめぐる国家と企業の冷徹な競争があった。
そのはざまで石油確保の道を閉ざされた日本は戦争に突き進んだ。...
イラン進駐 (1941年)
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