日本人は外交下手at KOKUSAI
日本人は外交下手 - 暇つぶし2ch562:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/09 14:09:13.67 9FhQCN5g.net
2017.5.21
【書評】
『スターリンとモンゴル 1931-1946』寺山恭輔著 対日政策と対蒙支配は連動 
URLリンク(www.sankei.com)
 日本にとってのモンゴルとはいかなる存在だろうか。モンゴル人の領土は大きく4つの部分からなり、
北から順にブリヤート・モンゴルとモンゴル人民共和国(現モンゴル国)、満州モンゴルと中西部モンゴルだ。
近代に入ってからこれらの地すべてに関与したのは、日本とロシアだ。ロシアはソ連に変身し、
スターリンがモンゴル人の運命を牛耳ると、日本をめぐる国際情勢もまた一変したことを本書から読み取れる。
 ロシア革命の余波がブリヤート・モンゴル人の地域に到達すると、日本はシベリアに出兵して
反共の防波堤を1918年から22年までに構築した。満州に暮らすモンゴル人は日本の植民地体制に組みこまれ、
中西部のモンゴル人は日本の勢力下で自治邦という国家を創っていた。モンゴル人民共和国は関東軍とノモンハン草原で激突、
45年8月にはソ蒙連合軍を結成して対日戦勝国となった。4つの地に住むモンゴル人が
それぞれ異なる国際関係を作ってきた過去を、本書は主にソ連側の公文書を用いて再現している。
 本書はソ連とモンゴル人民共和国との関係に力点を置いて分析するが、スターリンは全モンゴルの分割統治を実現させ、
それぞれのモンゴルを対日関係に利用した。ソ連の存続と国益を最優先した結果、ブリヤート・モンゴルはソ連邦の一構成員とされ、
モンゴル人民共和国は衛星国でありながらも独立を果たし、内モンゴルと満州モンゴルは中華民国に売り渡された。
4つのモンゴルは3カ国に分割統治されるようになり、これと連動してサハリン南部と千島列島、
それに北方四島も日本からソ連に取られた。
 「日本は敗退しても20年も経てばいずれ復活する」とみたソ連政府が、その見込みに立脚して対モンゴル・対中国政策を
練っていた事実が本書から浮かび上がってくる。無論、スターリンの非情な政策を容認していたのは、
45年2月に米英ソが交わした「ヤルタ協定」の密約である。北方領土問題の解決に取り組む日本も、
過去に関わったモンゴルとの関係について再考する必要があろう。(みすず書房・8000円+税)

 評・楊海英(静岡大学教授)


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