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『碧巌録 へきがんろく』 第三則 馬(ば)大師(だいし) 不安(ふあん)。
院主(いんじゅ)問う、「和尚、近日きんじつ尊候そんこう如何いかん」。
大師云く、「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(げちめんぶつ)」。
「馬大師」とは、禅宗第八祖馬祖ばそ道一どういつ禅師(唐代の代表的禅僧。709~788)
「不安」とは、病気になること、
「院主」とは、寺務を主宰する役
馬祖道一禅師が、あるとき病気になられます。
病勢いよいよ悪化して、余命いくばくもないとき、寺の執事があたふたと見舞いにかけつけます。
「和尚、ご機嫌いかがですか」という問いに対して、
馬祖は答えます。「日面仏、月面仏」と。
「日面仏」とは、賢却けんごう千仏せんぶつ(現世において出世される千人の仏さまたち)の第五十八仏で、千八百歳という寿命の長い仏さんです。
「月面仏」とは、“がちめんぶつ”と読み、賢却千仏の第二百二仏に当たり、一日一夜という寿命の短い仏さまです。
馬祖は千八百歳まで生きる仏さまもあれば、一日一夜の仏さまもあるではないか、病気など気にするな、「生きるもよし、死ぬるもよし」 泰然自若(たいぜん じじゃく)として 言いきったのです。
良寛和尚
病む時は、病むがよろしく候。 死ぬ時は、死ぬがよろしく候。
明治歌壇の雄であり、アララギ派の祖である俳人の正岡まさおか子規しき(1867~1902)の辞世の句。
彼は23歳のとき、結核により喀血した。
子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。
結核は脊椎を侵し、つのる症状のため31歳のとき腰部の手術をうけたが好転せず、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。
糸瓜(へちま)咲いて痰(たん)のつまりし仏(今死んで行く正岡子規自身) かな。
この数時間の後に息を引き取るのです。
明治には治療薬が無く、自宅の庭にへちまを植え、へちま水を飲んでいました。
○
生老病死(しょうろうびょうし)とは、つまりは人の一生です。
全てを貫いて、生であり、 全てを貫いて、死です。
全ては、生死(しょうじ)です。
佛に日面佛、月面佛、と仮称を付けたとしても、どちらも佛、真理(さとり) です。