20/07/23 22:20:52.92 s2hvxftN0.net
1.漢文
是無覆無記 触等亦如是
2.読み下し文
是無覆無記なり。触等も亦た是の如し。
3.翻訳(中公文庫版71p)
その(アーラヤ識)と一体になって存在している感情は、全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
そうしてその(アーラヤ識そのもの)は(倫理的に)無性であってかつ(根本無知などにも)覆われていないのである。
漢文の文章は非常に短くとも様々な意味がその中に含意されているんですよ。
さて、
>一体となっている感情が
阿頼耶識が所縁によって見分と相分に分析されて感情になるって事で、両者の関係は非異非同って事です。
>全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
その所縁によって種子から現ぜられた相分である感情が、平静と見分されているんです。
平静、つまり楽でもなく苦でもなくって事ですが、これは分別をしていない見分が現じられている、則ちこれが現量でしょ?
ここで、現量の定義と照らし合わせると
直接知覚。現前にある対象の非言語的な認識。
任運にして無分別なり
諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う
境に任せてこれを縁ずる
上記とまさに合致してると思いますけどね。
上記を要約すると、境に任せてこれを縁じて無分別にして事相に敵うとなるでしょが、阿頼耶識が境に任せて、つまり所縁に依って見分と相分に分析されて、無分別、平静(楽でもなく苦でもなく)であると。