医療過誤:ドキュメント:人生すべからく塞翁が馬at INPATIENT
医療過誤:ドキュメント:人生すべからく塞翁が馬 - 暇つぶし2ch1:MEJIRO
19/10/09 15:03:49.38
これは医療機関による過誤と救済の物語(ドキュメンタリーの為実名を使用)
1.2006年ころから左目に異常が有り(部分的に白い島が見える)
  西八王子駅の近くの近藤眼科クリニックを受診。(担当蛯原副院長)
 今は八王子駅の近く甲州街道沿いにリッパな医院
 約3年間(約3か月間隔で)通院し、その間徐々に島が増加。
2.2009年10月全面にモザイクが掛かったように見えなくなる。
 蛯原副院長曰く:掃除しようか
        近藤眼科は白内障は自分でやるがそれ以外は外部医師に依頼
 手術担当医師診察:既に手遅れ、やれと云われればやるが回復は無い と
 蛯原副院長白内障位しか解らない。
 院内には、TVで多くの謝礼のメールが流されていたが、その実は全く逆で
 消すのに忙しく消し忘れも
 仕方なく、方々電話して診てくれる処を探す(大きい病院は紹介状が無いと診てくれない)
 都立の多摩総合医療センターが引き受けてくれた(初診料特別)
 担当医:考えている場合では無い→即手術(2009年12月下旬)
     網膜静脈閉塞緑内障と診断(蛯原副院長はこう云うの知らない?)
    その後、性質が悪く眼圧が下がらず先生を悩ませ、色々と手を尽くして
    頂きましたが
3.2011年3月11日(東日本大震災の日)
  このままでは目が死んで白くなり義眼を入れるようになると
  液化炭酸ガス(-80度)で網を冷凍処理
  家に帰って仕事が出来ないので、居間のソファーで横になっていた。
  この時あの震災、玄関まで行けなかった。当時は2階を事務所にして
  仕事をしていたが、自分の座るところに書棚(1.8MX2.7M)が倒れて
 椅子が潰された。仕事をしていたら多分死んでいた。
これが1回目の「塞翁が馬」近藤眼科のお蔭
続く

2:MEJIRO
19/10/09 15:07:58.33
4.これから約2年間根気よく丁寧に治療して頂き、そろそろ近所の開業医に転医勧められる
  が
5.2013年7月右目がモザイクが掛り全盲に
  先生方カンファレンスでルセンチス(?)注入(予定は3回)
  この処置後、目の中で大祭典(花火が上がり、火山が噴火)、1週間くらいで下火に
  2回目を処置して7割方回復。この時担当の先生から掛かりつけの内科で血流の処置をするように指示される。
  が(この時は八王子中央図書館近くのK医院)理解できずに、頓珍漢に八王子医療センター紹介される
  この院長消火器以外は何も解らない。国立病院の消化器内科医長肩書き、ゴルフ仲間に国立病院の看護士長を
  していた人が居るが、そんなものと
6.そこで、掛かりつけを変更→八王子のEクリニック(継母の最後とても良くして頂いた、私も最後はここでと)
  この時Eクリニックは無いからE病院。主治医は内科K医師
  今年の八王子検診から始めようか? で肺に何か有りそうと八王子医療センター呼吸器内科紹介
  八王子医療センター呼吸器内科内海先生:こんなの解らないよ、今検査しても痛いだけでつまらない。
  3か月2回、6か月養生(?)して検査しようか?→ガンと診断 K医院の医師と小さなレントゲンでは絶対見つからない
7.呼吸器外科を紹介され即手術、レベルⅠーAなので切除だけで終わり。肺がんは発見された時は手遅れが多い
  私が入院した時同室6人だが手術は私だけ、他は後治療(抗がん剤・放射線)
 これが2回目の「塞翁が馬」K医院のお蔭
続く

3:MEJIRO
19/10/09 15:10:19.45
8.2014年8月(6月?)手術(右最上部切除)(3個の内の1個)
  正確には:東京医科大学付属八王子医療センター
       呼吸器外科(当時は胸部外科)担当:高橋秀暢教授
 その後6か月毎追跡検診、3年くらい前から検診毎にCOPDを訴えてきたがその度ごとに「無い」
9.2019年8月27日:5年経過したので検診終わりと
  ここでもCOPD 確認したが「無い」と断言。
10.2019年9月8日:ゴルフで急傾斜を上った後、急に呼吸が苦しくなり持っていたニトロを口に
             急に血圧が下がり失神、救急車で病院へ。その時は心電図・レントゲン等に異常は無く自力で帰宅。
11.同年9月20日:掛かりつけでCOPD検査→COPDと診断→吸入薬処方
12.同年9月24日:医療センターに電話し事情を話したところ、総務課が応対し、医療ミスですと
   その後で高橋医師から直接電話が有り、画像から判断してもCOPDは無い私に責任は無い。
   何度もお願いした事と現にCOPDと診断されている現実は?と尋ねると記録が無い、COPDは内科の範疇と。
   記録が無ければ(意識的に記録しなくても)「証拠はない」が医師と患者のやり取りに通用する?
   普通自分の範疇外だったら該当部署に紹介するのが医師の責任と思うが?現に手術前の骨シンチでは疑わしい処が有ったので
   高橋医師は整形外科の診断を仰いだ。
   高橋医師は患者の命を何だと思っているんだろうか?兎に角自分の範疇外の事は面倒くさがる
   1年ほど前の検診の時、順調だから胃と腸の内視鏡検査受けるようにと云われたが、掛かりつけでは胃は出来るが腸は出来ない。
   次の検診の時腸の内視鏡検査医療センターでお願いできないか?忙しくてそんなの出来ない、うちの連中が大勢行っている
   おなかクリニックと云う処がある。そこに頼め。資料有りますかと尋ねたら面倒臭そうにインターネット位やってないのか?
   看護士さんがムードを察知してパンフレットを持ってきてくれた。高橋医師とはこう云う人。医師を育てる教授。
13.9月25日総務応対者から少し時間を下さいと云われましたが待っても連絡が来ないので10月1日電話をしたら、
   しかるべきところから電話がいくことになっています。と、しかるべきところに電話をしたら交換手がその場所を知らない。
   あちらこちら回った挙句当の応対者から12日まで待ってほしいと。来ない場合は?
  3回目の「塞翁が馬」は有るのか?有るとすればどんな

4:MEJIRO
19/10/09 15:22:31.91
2019・10・7・PM4:00
  高橋医師よりTEL:関係部署と画像チェック異常なし。COPD発症したとすれば8/27~9/8の間と→有り得ない
  医師の命に対する認識はこんな物。此処の病院を受診する場合は録音が必要(?)
  今後経過を記述していく(高橋医師を恨みながら)
  今までの2回は医者がミスをした後
  1回目は目が地震から2回目は肺ガンからいずれも医療ミスの後3回目は?
2019・10・8・AM2:00
 昨日の高橋医師からの報告を受け、今後の事を考えると憂鬱で眠れない。入院中の事が走馬灯のように思い出される。
 私以外は抗がん剤・放射線後治療、中には夜中に運ばれて一晩中魘される人。ゴルフ仲間で殆ど同時に他の病院で大腸がんの手術した人。
 同時に快気祝いゴルフやったのに、再発して治療が辛く諦めかけている等々。
 同室だった人たちも同じような?見慣れると命の重さ考えていると限が無いのか?COPDも外科と内科では認識が違う?
 画像で認識出来たら末期。内科は肺活量検査で判断。外科もこ
 れを理解すべきでは?予防医学の立場からも。切った貼ったの世界でも訴えが有れば内科紹介する位の知識は無いのか?後からガゾウ
 では無いはあまりにもお粗末。

5:MEJIRO
19/10/09 15:28:07.04
2019・10・8・AM10:00
今日も朝から何も手が付かない。50年以上も働き詰で、政府には邪魔にされる存在でも、やっとズット温めて来た事が出来ると
思ったら人命軽視の大教授のお蔭で死ぬのを待つだけの人生になった。死が来るまでめんめんとただ何も出来ずに生きるか ?
マッピラ、じゃ~如何する?良く恨みを持った人生は不幸と云うが、すでに不幸。ならば恨みを文書にして命にケリ。何時・何処で?
 医療センターで一番偉いのは医師(教授)、患者はただの金弦。
 都心に住んで居た時は何処の病院でも駐車料金は取られたことは無かった。医療センターで駐車料金取るんだ?「先生方だって払って
 いるんだから」(お前ら払うの当然だろう)
 入学試験女性差別ニュースに接して思い出したことが有る。
 肺ガン手術の後だが、右ひざの横に揖斐が、だんだん大きくなるので皮膚科紹介された。検査したのは女医さん。結果は悪性ではない
 が取った方が良いだろう。で当日執刀したのは男性医師。担当はあの先生ではと尋ねたところ、来てないだろう と


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