20/12/25 23:00:04.17 MVXXDZj0.net
左派加速主義・負の功利主義・計算政治哲学・現実的反出生主義・不幸削減主義(既存の術語ではなく新語・仮名である)について議論をするスレッドです
※他者の人格を否定する煽りは基本的に禁止する。反論の態度も節度が求められる。同意しなくとも他者の意見を尊重すること
※理論的・行動的・政策的な考察も歓迎する
※ID・ワッチョイ導入がなされない場合、コテハンは歓迎
「不幸削減主義」とは当スレにおける新語で、「何等かの人生・実存における不幸全般を定義・分析し、科学技術を援用して文字通り削減すること」
を好ましいと考える「負の功利主義」を個別実存理論的に一般化した思想とする
「現実的反出生主義」とは、人間社会システムのレベルでは苦しみ・不幸は十分に削減できないと考える反出生主義に理解を示しつつも、非反出生主義・未来主義との
和解を模索する思想である
「計算政治哲学」とは計算論的な概念整理・最適化と共に政治哲学表現を志向する方法論を指す
関連キーワード:計算論政治哲学、左派加速主義、構造主義、反出生主義、負の功利主義、シンギュラリティ、複雑系科学
前スレ
現実的反出生主義・不幸削減主義 part2
スレリンク(philo板)
992:オーバーテクナナシー
21/01/26 22:22:02.48 EorFGPjM.net
>>985
オメガポイントは宇宙や精神が統一性を獲得すること
私は情報オメガポイントというのは情報や意味と物理の統一性が理論的技術的に一定のレベルに到達した
場合を想定して指しており、元々のオメガポイント仮説とは違う
哲学は単なる無限再帰的な言語ダイナミクスだし、それに終わりがないという根拠もないね
次スレ
URLリンク(itest.5ch.net)
993:オーバーテクナナシー
21/01/26 22:49:46.32 jJuUOZF6.net
人間は人間が認識できるもの全てを、
記述できるのか?と言うと、
単純に概念として、
存在してるであろう物を、
概念として記述はできるけれども、
その物を記述しきる事はできないと言う問題があって、
例えば、
無意識なんてものも典型的な例だけど、
感情やら、
なんなら思考、
オレがここに記述している文章も、
思考を文章に変換した時点で、
思考その物を記述できてる訳でもなく、
情報の劣化が起きてしまっている。
つまり、
正確性やら同一性の担保が難しいはずなんだけども、
まあ一応、ひょっとすれば、
思考が及ぶ範囲であれば、
記述しきれる可能性が無いことも無いのかも知れない。
ただまあ、
仮に、情報や意味と物理が統一されたとして、
そこからどうやって、不幸の削減につながるのかも、
申し訳ないが、
あんまり良く分かってない。
994:オーバーテクナナシー
21/01/26 22:52:32.69 /9qgc4yS.net
ここで「百科辞書的な倫理の意味と今日の位置づけ」について整理しておきたい
個人のレベルでは良きエートス(性格・あり方)、社会的レベルでは人間関係・共存における規範原理の
探究を扱うものである
また並行して実存主義、仏教などがある
他方で倫理学とは別に進化理論や進化心理学は大まかな生物や人類の価値論的な選好パターンを明らかにする
それは分解するといわゆる計算論的神経科学になる
今日の視点からすると、実存主義的な自由意志の尊重などはITによって回収できると見なせるだろう
自由意志はデータやウェブ空間に反映され、それにより通信・最適化加工が成され
情報システムの在り方も変わる
ここで再考すべきは「社会的全体性」という観念が本当に悪なのかどうかだろう。「自由を必要以上に制限
する全体主義社会」とは区別されるべきである
あらゆる振る舞いがデータになり計算対象になり、それは一定の自由や幸福工学とも矛盾しない
「無際限の自由」は元々幻想である。社会には法律もあるし、または「自己責任論」が悪用されうるからだ
見通しのよい情報化された社会的全体性を確保しつつ幸福工学を実現するべきではないだろうか
また、主観的な幸福感の言語分析を欠いてきた「古典倫理学」は「欠陥品」ではないだろうか?
かつてこの主観的な幸福感の言語分析の役割は「近代文学」が担っていたとも言える
様々な主観的存在が同時に存在するとはどういうことなのか?格差・共同体からのずれ・選好性・類似性
というわけで以降のスレでは焦らず「倫理性の再定義」にも言及したいと思う