20/05/05 02:36:09 qs5DI5Dl.net
魂を宿し人の形をもち、人の心という機能をもち、人の命をもつ尊厳すべき存在は
人という次元でそれ以外を認知し、自分の心に写された世界を表現し、
その表現が命の輝きに共感しえる人間次元の情報伝達、情報評価であるはずだ。
魂が篭った歌は人の心に響き、心なし、人でなしとレッテルが貼られるような思考原理で
動く人の歌には、人の心を響かせる原理は写されないというべきだろう。
魂というのは物理的には無いが、無いものが結果を生み出す、神への歌は
神という実在はないが、神を信仰する人々の1人1人の心にそれぞれ異なった自分なりの
神を心の中に存在させている、実在ではなくとも、神が原理となり髪への歌は
同じ信仰者への魂を揺さぶる原理になるのは確定や結果ではないが、必然の結果といえる。
曲が初音ミクのように楽曲となって数学的に綺麗な秩序をもっていようが、
理解しえない人には何の理解もない、唄は元来人の心を写したものであり、
俳句のように情景や心情を篭めて再現できるようにした術である、
そこにあるのは唄の背景となる世界観やら日常やら心の現われを意図した
物であるのは当然であり、世界無き単なるパターンのパッチワークや組み合わせで
造形したそれに、唄としての詩篇の響きを内包できないとは言わないが
内包したそれを機械が共感できないかぎり正解を選ぶのは無理だろう。
死者への悲しみを未経験だった人類が 死者を悲しむのは経験や体験によるもので
知識から得たそれで悲しむ原理が生じるわけではない。