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1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2014/07/16(水) 22:08:33.41 ID:gvqIuLX+0 ?2BP(1000)
三毛別羆事件
三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日 - 12月14日にかけて、
北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した、
日本史上最大規模の獣害(じゅうがい)事件。六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、
苫前羆事件(とままえひぐまじけん)とも呼ばれる。羆(ヒグマ)が数度にわたり民家を襲い、
開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事件は終息した。
空が白むのを待ち対岸を調査した一行は、そこにヒグマの足跡と血痕を見つけた。銃弾を受けていれば動きが鈍るはずと、急ぎ討伐隊を差し向ける決定が下された。
いち早く山に入ったのは、10日の深夜に話を聞きつけて三毛別に入った山本 兵吉(やまもと へいきち、当時50歳)だった。
鬼鹿村温根に住む兵吉は、若い頃に鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄」と異名を持つ人物で、
軍帽と日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルを手に数多くの獲物を仕留めた、天塩国でも評判が高いマタギだった。
しかし、当時の兵吉は非常に悪名高い男であり、しょっちゅう深酒をしては喧嘩騒ぎを起こし、警察の世話になっていた粗暴な男であった。
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