16/10/24 18:10:13.79 hEFXDl6I.net
(半年以上前の過去スレに投稿したことの繰り返しになるけど)
カーツワイル自身も「主体の移動」は否定している
アップロードは、単なるバックアップ・コピーの役目しかできない
『Singularity is Near』 7章の 「Who Am I? What Am I?」の節
> Although the copy shares my pattern, it would be hard to say that
> the copy is me because I would - or could - still be here.
[適当訳] 脳パターンがそっくり同じだとしても、そのコピーが私だとは
とても言いがたい。なぜなら私は依然としてこちらに残ってる、あるいは
残ることが可能だから。