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東日本大地震に引き続いて発生した福島第一原発の事故は、日本の歴史に巨大な爪痕を残した。当時、菅直人首相の下で官房副長官を務めていた
福山哲郎氏は、本書において当時の官邸の動きについての克明な記録を残している。これは、後々まで参照されることになる一級の資料となるで
あろう。政治家は過去ばかりでなく、未来にも責任を持つ。それでは、震災後の官邸は、未曽有の原発危機にどのように対応したのか。われわれ
国民が想定していた以上に、官邸は原発事故の深刻さに緊迫していた。最悪の事態へと発展すれば、東京にまで被害が及んでいただろう。3月11
日の深夜、「燃料被覆管破損」と「燃料溶融」、いわゆるメルトダウンに至る深刻な危機が発生した。張り詰めた空気の中、現場は直ちにベント
をして、爆発を避けるために圧力を逃がす決断をした。しかし、東電本店はそれを許可しない。菅首相は直接現地に赴き、吉田昌郎所長に指示を
出す形で、ベント実施へと動かしたかった。菅首相の現地視察が、仇となった。それだけではない。海水注入により冷却化を目指していた所長の
指示に対して、本店は官邸に配慮してなかなかその決断ができない。本書によって、官邸にいた東電元副社長の武黒一郎フェローが、その中断を
求めていたことが明らかとなる。現場が重要な決断を行いながら、本店が幾度となく壁となる。菅首相は、困難な状況で決死の対処を続ける現場
に厳しく指示を出し、責任を持って事故に対処するよう告げた。それはまさしく、政治主導であった。しかし同時に、現場は繰り返し「政治主導
の混乱」に苦しむ。官邸の外にいると、その実態がよく分からない。分からないまま、東電・保安院に対する批判が続いた。本書はそれに対する
有効な証拠となる。後の歴史は、いくつかの重要な決断を行った東電や当時の野党に対して、より正しい評価を与えるかもしれない。