22/11/05 23:34:38.42 oh0hy0zx0.net
確認中
10:
22/11/05 23:37:54.69 oh0hy0zx0.net
出来てた
11:
22/11/05 23:44:10.11 oh0hy0zx0.net
20数年前に結婚した時は奥さんも日常生活を一人でこなすくらいは出来てた。
数年前に転倒した時に背骨を傷つけて、下半身に麻痺が出てしまったんだ。
それで着替えやトイレを介助しなくてはいけなくなった。
俺が黙ってそれをやっているのは愛情じゃなくて、息子にやらせたくないから。
結果、負担は大きくなった。
12:病弱名無しさん
22/11/06 12:50:49.63 1mP04oWt0.net
ちゃんと結婚して子供を立派に育てていて偉いね
13:
22/11/06 16:09:43.63 7gI+iHPL0.net
>>12
レスありがとうございます。
14:
22/11/06 20:51:53.46 7gI+iHPL0.net
息子は親に恵まれなかったかもしれないが、
普通に育って良かったよ。
最初は高卒で働くかと思ったら、高校は進学校で
大学も行くことになってしまったよ。
奨学金を借りてるから大変なんだけどな。
15:病弱名無しさん
22/11/06 20:58:05.02 TPj7O9ug0.net
親の苦労を見て育った子は親孝行してくれると思いますよ
16:
22/11/06 21:25:16.62 7gI+iHPL0.net
>>15
あと数年後にどうなってるか楽しみだが、不安でもある。
17:
22/11/06 23:26:27.54 7gI+iHPL0.net
俺は普通の学校に通ったことがない。所謂「養護学校」に通っていた。
もう50年くらい前の養護学校というのは義務教育ではなかった為に小学校から
試験で落とされて在宅生活に戻されるというシビアな時代だった。
将来性があって一人で何でもこなせる子は別に問題はないが、何も出来ない子は
そこから遅れをとってしまう。
父兄にとってもあまりいい話ではない。
だから普通の常識とか躾とかされないままでいる子は同級生の中でも生存競争が
激しくなるのだ。
そんなの12年間も続けたら心身ともに変になって行く。
18:
22/11/07 10:33:42.56 sxmnai+I0.net
年齢と学年がズレずに入学出来たのは良かったが、親が身支度の全部を
両親が全部やっていた俺はいきなり寮に入ることになった。
ここでせめて服の着脱やトイレのやり方を親が仕込んでいたら、
多少は学校生活が楽だったかもしれない。
うまく体を動かせない俺の面倒を見る寮母達は頭の痛い子だと思ったことだろう。
小さい頃の話はおいおい書いていく。
19:◆gbaQfK/v69jF
22/11/07 15:34:44.38 sxmnai+I0.net
ここを見ている人に知ってもらいたいのは、自分が客観的にどういう人間なのかを
知ってもらいたいから。
これまで生きてきた中で障碍者として、人間として、人格的にどういう存在なのかが
全くわからないでいる。
こういうのをアイデンティティの確認というのかもしれないが、過去や現在を
明かすことによって何かを感じられればと思う。
「構ってちゃん」って言われればそれまでなのだが、そんな理由である。
20:◆gbaQfK/v69jF
22/11/08 19:19:49.30 McWCtyRt0.net
俺には兄弟が二人いる。年齢は程々はなれているが、仲が良いか悪いかは分
からない。
両方とも比較的固い職業に就いているが、忙しいので偶に電話するくらいだ。
コロナの影響もあって一緒に行動することも少ない。
この距離感はお互いのためにも良いのだと思う。
はっきり言って経済的な格差から感じるに、俺は恵まれてるとは言えない。
それでも両親の残してくれた財産や、国からの年金、少ないが給料貰っている分、
生活は出来る。
欲を言えば切りがないが、それでも兄弟たちや親戚たちにやっかみの気持ちは持た
ないようにしている。
もし、ずっと無職で親のスネだけをかじって生きていたら、今の生活もありえな
いし、必要以上の卑屈さで疎まれていた。
息子が将来のためにと大都市にいる兄弟に会っている。
見本となる親が世間をあまり知らないのだから、良い影響になる。
21:病弱名無しさん
22/11/09 11:00:40.49 jxCK+ag00.net
ヨメガチャか
自分より動けなくなった嫁を捨てたいと?
うちの夫も持病持ちになった妻を鬱陶しく思ってるんだわ
やっぱりそういうもんなんだね
22:病弱名無しさん
22/11/09 11:02:59.07 jxCK+ag00.net
息子さんのお手本になるご兄弟がいてよかったですね
23:病弱名無しさん
22/11/09 11:13:20.80 eMWSpjSZ0.net
>>21
どう読んだらそういう話になるんだ
24:◆gbaQfK/v69jF
22/11/09 13:44:30.22 gycXzIdr0.net
>>21
もう少しヘルパーさんの利用を考えてほしい。
口数を少なくしてほしい。
若い頃は別れられるんじゃないかと密かに色々
やってみたが、今になったらもういいやって感じw
25:◆gbaQfK/v69jF
22/11/09 13:47:09.91 gycXzIdr0.net
>>22
前向きに考えれば良かったと思う。
ちょっと卑屈に考えると「俺は少しも見本にならない」
26:
22/11/09 13:49:27.41 gycXzIdr0.net
>>23
失敗したことが通じているので、これでいいんですよ。
27:
22/11/09 14:12:48.71 gycXzIdr0.net
正直にいうと反応があって嬉しい。
書き込みをしてくれた方々、ありがとうございます。
他の掲示板やSNSで書き込みしないのは、色々事情があっての事だ。
本名を名乗らなきゃいけなかったFBは登録人数が多い反面、リア友が多くて
困る。
他のSNSは趣味の世界に染まっているので、今書いているテーマには合わない。
ここは余程問題にならない限り、本音を言っても大丈夫だろうと思ったのだ。
例えばこれまで関係を持った女性の事を詳しく書くなんて出来ないからね。
つまり、これから出す話には「人間としてどうなの?」という事も明らかにするつもり
なのだ。
反応には顰蹙も誤解もあるだろうが、やってきた事実だから飾らずに書いていければ
と思う。
28:
22/11/10 20:37:27.45 022/p53Y0.net
25歳の時に障碍者が沢山働いている会社に入った。
仕事の内容や、一般常識をあまり理解せずに入ったので、実際プログラマーなんて仕事は向
いていなかった。
それでも生活できれば耐えられるだろうと思って、4年位は誤魔化し誤魔化しで端末相手に
仕事をしていたが、限界はやってくるもんだ。
感情のコントロールがうまく行かなかったり、障碍特有の体の緊張が強くなって、楽になる
ように毎日酒を飲んでいたのだが、慢性的な二日酔いと相まって、自動車事故を起こしたり、
情緒不安定が顕著になった。
近くの神経科病院で診察を受けたら躁鬱病ということでいくつかの薬を飲むようになる。
これが現在まで途切れることのない投薬の始まりだ。
薬のおかげで体は随分楽になって状態が随分落ち着いた。こんなに楽になるならもっと早
く病院に行けばよかったと思ったほどだ。
でも酒はやめられなくて、薬と酒を一緒に飲むのがその時の普通になってしまった。
あの頃に比べれば現在は酒量がかなり減った。年を取った事もあるが、家庭を持ってから夜
中に車の運転をしなければならない事情があったからだ。
29:
22/11/13 22:04:13.41 GYRhU+e30.net
高校生の時には月に2回位実家に帰ると酒を飲んだりタバコを吸ったりして、割と自由に
していた。
普段は親元を離れ寮に入っていたので抑圧された鬱憤の捌け口だったかもしれないが、あ
まり先の未来が見えない事への八つ当たりだったかもしれない。
障碍で手足が自由に動かない人間に明るい未来なんかあるのかという自問自答と、どっか
で楽にくたばれないものかと思う日々だった。
高校3年生になっても真剣に将来の事を考えず、卒業したら何とか在宅して暮らすのを望
んでいて、進路相談や担任を如何に言い包めるかばかり考えていたので、周囲にとっては
「こいつ大丈夫か?」と思われていただろう。
卒業まで半年を切っていよいよ切羽詰まった。何せ現場実習は将来を自分で見いだせない
連中が掃き溜めのようにいる施設に行ったものだから、在宅になるのは真実味を帯びて、教
師達はそれを止めようと圧力ばかりかけてくる。当時は在宅の障碍者が家から出なくなっ
て障碍が重度化したり、精神的に落ち込んで自殺をするような先輩方が多かったから、俺も
そうなってしまうだろうと思ってしまったのだろう。
そんな事はわからない。親はそれでも在宅させていいじゃないかと思ってた節があるし、自
滅って自分の所為ってものだ。勝手にさせてほしい。
そういう事を内心思ったが、段々教師たちの圧が鬱陶しくなってしまい、神奈川県にある職
能訓練施設に見学へ行って、2月末に願書を出して卒業式二日前に面接と来てもいいという
返事をもらったのだった。