新 吃音でお困りの方へ(吃音の自己治療・改善をサポート)at BODY
新 吃音でお困りの方へ(吃音の自己治療・改善をサポート) - 暇つぶし2ch1:幽玄
21/11/22 17:48:08.75 G3G6qCre0.net
10年ほど前にタイトルのブログを立ち上げ、かなり書き込んでいます。
その後忙しくなって、7年ほどブランクがありましたが、少し時間的なゆとりが出来ましたので、お役に立てればとスレッドを立ち上げました。
吃音に対する質問などがあれば、分かる範囲でお答えします。

2:幽玄
21/11/23 18:16:03.73 wAG9wqLh0.net
ブログから転載します。
ご質問
聴覚フィードバック
勝手ながらアドバイス頂きたくコメントさせて頂きます。
幽玄さんのブログを拝見しやっと吃音の本質に気づけた気がします。不安のイメージを成功イメージに変えたり、頭に話す内容をイメージすることで、これまで自分に掛けていたブレーキ(声の大きさを無意識に抑えたり、吃りそうになると体に緊張が入り発声が妨げられる、等)が格段に減りました。
そこで、ワンステップ進歩したく聴覚フィードバックを意識して、自分の発した声を聞く意識を持つようにしてみてるのですが、逆に意識し過ぎなのか、過去からの性格の癖による緊張なのか、声の出方を意識してしまい、話の中での予期不安が出てきてしまいます。
幽玄さんは、聴覚フィードバックを意識して実行されたことはありますか?
また考え方として、良い方法がありましたら、教えて頂きたく、宜しくお願いします。
お答え
少しでもお役にたてて、嬉しく思います。
「聴覚フィードバック」については、いずれtigerさんとじっくり語り合おうと思っておりますが、先ずは私の考え方を述べます。
私にとっての「聴覚フィードバック」は肉体器官の運動ではなく、脳内の発語イメージを認識する行為です。
つまり、「自分の発した声を聞く」のではなく「自分の発する直前の声」「脳内でイメージされた声」を聞くことであり、例えば脳内(頭の中とか心の中という意味)で「たぬき」と発すると同時に、口で「きつね」と言うことは不可能であり、脳内で何も発せずに、口で何かを発声することもまた不可能です。
人は、脳内の声をそのまま発することしか出来ないのであり、そのためには脳内の声を認識する(聞く)ことが重要だと思います。
幽玄

3:病弱名無しさん
21/11/23 18:18:08.38 wAG9wqLh0.net
同じく、ブログからの転載です。
>苦手な場面でも、吃音しないように頑張るのではなく、良い時(周りに刺激が無い時)の話し方をただイメージしてそれを実行するだけという考え方で吃音に関係する反応が無くなるということですよね?
無くなることを期待しては、吃音を避けるということと同じになってしまいます。
また、吃音に関係する反応は、そんなに簡単には無くなりません。
結果にこだわらずに、非吃音者と同じ行為をやり続けるしかありません。
そして、気がついたら、喋る時に吃音のことを考える回数が減ったとか、心身の緊張や随伴運動が無くなっていたということになります。
私も、喋る時には100%吃音を意識していたのですが、最近では殆ど意識することが無くなりました。
そうなると、人生は確かに楽になりますが、また新たな悩みが出てきます。
自我というのは、悩むのが仕事ですから・・・。

4:幽玄
21/11/26 10:55:26.14 4DzBcJP00.net
>すぐ言葉を出さないといけないと感じる余裕のない状況で、正音モードをイメージすることは、かなり高いハードルに思えますが、具体的な練習方法を教えて頂けたら有難いです。
ポイントは、真似るということです。
歌は、頭の中に具体的な発声のイメージがあり、それを真似ています。
朝、「おはよう」と挨拶すると、相手は私の発した「おはよう」のイントネーションをそのまま真似て「おはよう」と挨拶を返してくれる場合が多いです。
私の発した「おはよう」のイントネーションが頭の中に残っており、それを無意識に真似るということが起こっています。
逆に、相手から先に挨拶されると、相手のイントネーションに引きずられてしまいます。
方言のイントネーションが直らないのは、頭の中に標準語のイントネーションが描けないからです。また、英語の発音が日本語的になってしまうのも、英語のイントネーションを頭の中に描くことが出来ないからです。
ですから、普通に話せているときの状態をよく観察し、それを頭の中に描いて真似るという練習を繰り返すしかないと思います。日常生活でもそれを応用していけば、やがてそれが無意識に出来るようになってきます。

5:幽玄
21/11/26 15:58:23.02 4DzBcJP00.net
私の吃音が改善した理由を転載しておきます。
何故、改善したのか? その1
自分の吃音が何故改善したのかを、思い出すままに書いてみたいと思います。
私は、吃音は肉体的な問題ではないと最初から思っていましたので、心理学や宗教などの精神世界の探求も並行して始めました。結局、「自分とは何か?」を追求するのが面白くて、アドヴァイタ(不二一元)や禅に傾倒していったのですが、そこから学んだものが吃音改善に大きく役立っています。
最も大きかったのは、「感情を解放するには、それを抱きとめて味わい尽くすこと」を実践したことにより、精神的な緊張が大きく減少したことだと思います。
私は物心がついた頃から、人前で何かをするのが非常に嫌で、極端なあがり症でした。それが吃音の原因にもなっていると思いますが、何よりも事前の緊張感(不安感)事後(失敗した後)の恥ずかしさを味わうのが嫌でたまりませんでした。
吃音も常に、嫌な感情がつきまといます。
何日も前から予期不安が始まり、発語前の不安と恐怖、発語中に立ち往生している時の何とも言えない感情、終わったあとに目を上げることすら出来ない恥ずかしさ、それが嫌で極力発語する場を避けていた時期もありました。
しかし、逃げれば逃げるほど不安は大きくなって自分に迫ってきます。
そこで、不安に対してどう対処すべきか、じっくり考えてみることにしました。

6:幽玄
21/11/26 15:59:44.52 4DzBcJP00.net
何故、改善したのか? その2
ちょうどその頃、「感情を解放するには、それを抱きとめて味わい尽くすこと」という内容の本を読みました(題名は失念)。
振り返って見ると、感情も思考と同じように勝手にわいてきます。嬉しい感情、悲しい感情、怒りの感情、それらがどうしてわいてくるのかは、説明出来ませんし、コントロールも出来ません。
コントロール出来ないのだから、思考も感情も自分のものではありません。
これまでは、自分という個が存在しており、一所懸命努力して必要な能力を身に付け、厳しい競争社会を勝ち抜いていかなければならないと考えていました。面白くなくても、楽しくなくても、必要なことは勉強しなければならない。感情面においては、不安や恐怖をもってはならない。怒りがこみ上げても、ぐっと抑えなければならない・・・。そのような価値観が、吃音を悪化させていったのかもしれません。
それが少しずつ、思考や感情が勝手にわいてきて、それがコントロール出来ないのであれば、それらを楽しめばいいのではないかという方向に変わってきました。
自分の人生という映画の主人公として、・・・ねばならない、・・・ねばならないと頑張ってきた生き方を変えました。自分は主人公ではなく、映画のスクリーンであり、そこに映されているドラマは自分でコントロール出来ないので、ただ眺めているだけ・・・そのような感覚です。
そんな主体性のない生き方はつまらないと思われるかもしれませんが、やってみるとそうでもありません。ドキドキやハラハラはこれまでと何も変わりませんが、・・・ねばならないが無いために、葛藤することが無くなりました。恐怖や不安がわいてきてもそれを否定することなく、その感情にどっぷり浸かってみる。そうすると、面白いことに恐怖に浸かっている時には恐怖が無いのです。恐怖を嫌がって避けようとすること自体が恐怖なのです。不安も同様で、不安にどっぷり浸かってその感覚を味わっていると、気が付けばん不安などどこかに行ってしまっています。

7:幽玄
21/11/26 16:01:06.45 4DzBcJP00.net
何故、改善したのか? その3
不安や恐怖や怒りなど嫌な感情を避けることなく味わうというスタンスに変えてから、ふと気がつくと躊躇しなくなっている自分がいました。
嫌な感情を避けているときは、会議やプレゼンの前などは心がざわめいて喉の渇きや体の緊張を覚え、心の焦点が定まらないといった感じでしたが、いつの間にか、自然体ですっと会議やプレゼンに入れる自分がいました。
せっかく吃音になったのですから、吃音でしか味わうことの出来ない感情を心ゆくまで味わえばいいと思います。
よく、歳をとると吃音が軽くなると言われますが、逃げ回ってばかりいては変化がないでしょう。吃音でしか味わうことの出来ない感情を味わい尽くせば、その感情を発生させる必要がなくなり、自然に吃音は軽減していく・・・最近、そんな気がしております。

8:病弱名無しさん
21/11/26 18:11:45.58 4DzBcJP00.net
何故、改善したのか? その4
治ることを確信したこと(自己暗示)
私が改善した要因のひとつが、吃音完治の確信です。
若かりし頃に通っていた矯正所で、他者催眠の実験を見ました。
講師は早稲田出身で本も出版されており、非常に優秀な方でした。
矯正所に通っていた人の中から、催眠にかかり易い人を被験者に選び、実験が始まりました。
被験者の人は、矯正所に通っていた人の中でも比較的症状の重い方ですが、催眠状態に入るとあれほど難発で苦しんでいた人が、スラスラと自己紹介をしています。朗読も、全く淀みがありません。
見ている私たちも驚きましたが、一番驚いたのは本人自身でした。
催眠状態とは言っても、顕在意識はしっかりと目覚めていますので、状況は完全に理解しています。
催眠が解けたあと、暫く沈黙が続きました。
被験者の人が何を語るのか、そして吃るのか吃らないのか、みんな固唾を飲んで見守っています。
やがて、被験者の人の口から出てきた言葉は、「ずっと催眠状態にしておいてくれませんか?」というものであり、みんなの大爆笑を誘いました。
そして、やはりいつもの強い難発と連発の混じった吃音に戻っていました。
吃音は、やはり精神的なものであり、自己暗示的な要素が強いということを確信しました。
精神的なものということは、完治する可能性があるということであり、吃音に対するスタンスが完全に定まりました。それは、今も変わっていません。

9:幽玄
21/11/26 18:13:11.94 4DzBcJP00.net
何故、改善したのか? その5
努力逆転の法則を知ったこと
18歳の頃に出会った森田療法で、初めて知りました。
以前親交のあったI氏の文をそのまま載せておきます。
「精神交互作用」(森田正馬)。
「努力逆転の法則」(シャルル・ボードゥアン)。
「自己創造の原則」(ジョージ・ウェインバーグ)。
これら三つの考え方はほぼ同じ内容です。これを吃音に当てはめれば以下のようになります。
「言葉(吃音)に対する不安や恐怖心を動機として、吃音を治そうと努力すればするほど、言葉に対する意識が更に強くなり、言葉に対する(潜在的な)不安や恐怖心はますます大きなものになります。
それにつれて吃音の状態もひどくなります。
言葉に対する不安を打ち消すために、努力すれば努力するほど、(潜在的な)不安はさらに大きなものになり、自分のなかに定着してしていきます。
不安や恐怖心を動機にして、吃音を治そうという思いが強ければ強いほど、その思いに従って努力をすればするほど、言葉に対する意識と不安は更に強くなり、それにつれて努力を促す感情もますます強くなります。
努力はなくてはならないものになっていきます
努力しなければ不安になる」という別の不安も定着します。
文字通り「努力が逆転した状態」になるおそれがあります。
言葉に対する不安や恐怖心を取り除こうとして始めた努力が、かえって言葉に対する不安や恐怖心を強める結果に終わるおそれがあります。
当初想像もしなかった悪循環に陥る危険性があります。

10:病弱名無しさん
21/11/26 19:47:11.86 olh08E0m0.net
横からすみません。
私は構音障害です。
チとキがうまく発音できない
です。

11:幽玄
21/11/27 07:50:22.85 lpH8izz50.net
>>10
申し訳ございません。
構音障害につきましては全くの無知であり、何の情報も持っておりません。

12:幽玄
21/11/28 08:27:42.45 YHjbiKm50.net
何故、改善したのか? その6
言葉を出すための特別な工夫をやめたこと
若い頃は、「必ず言葉を出すことが出来る方法」を求めて、吃音関係位の本を読んだり、矯正所(4ヶ所)に通ったりして、吃音に対する意識を強めてしまいました。
また、森田療法の生活の発見会とか、江川ひろしの話し方教室などに通いましたが、いろいろと勉強にはなったものの、吃音を改善するための直接的な効果はありませんでした。森田療法もよく理解できていなかったときですから、仕方がありません。
「必ず言葉を出すことが出来る方法」というのは、心で肉体をコントロールするということであり、古典的な方法なども含めいろいろと試してみました。そのときは、ディストラクション効果(注意転換的な効果)により、一時的に吃音症状が消失することもありましたが、慣れてくるとまた元に戻ってしまいます。
よく観察してみると、心が不安や恐怖に集中してしまうと、どんな方法も役に立たなくなってしまうことが分かりました。それもそのはずで、肉体は単に心の指示通りに動いているだけであり、心が「言葉が出ない」と決めたシチュエーションでは、肉体はその状態をつくりあげます。
「言葉が出る」と決めればいいのですが、潜在意識の方が顕在意識よりも強力であり、潜在意識を変えるには成功体験が必要になりますので、そう簡単にはいきません。
結局、絶体絶命の状況に降参しました。
そして、心で肉体をコントロールしようとすることはやめました。
発語という肉体の活動は肉体に任せ、発語内容と発語意志以外の意識の介入はやめました。
その結果、時間はかかりましたが、発語に対する不安や症状が軽減していきました。
人間は自然治癒力を有しており、心による肉体のコントロールをやめることによって、この自然治癒力が活性化し、人間を自然な状態に戻してくれるような気がしています。

13:幽玄
21/11/28 08:28:49.44 YHjbiKm50.net
何故、改善したのか? その7
発声に対する認識が変わったこと
ここのところ精神面ばかり書いてきましたが、発声は心と身体の協調運動であり、肉体に関する正しい認識も大切であるというのが私の立場です。
以前の私は、発声は声帯で行われると漠然と考えており、その結果「喉(声帯部)を締める」現象の難発に悩まされていました。
吃音プログラムのところでも書きましたように、よく考えてみると声帯の振動で発する音はごく小さく、音程の幅はあっても音色は同じです。つまり、声帯は声の元であり、声そのものではありません。「んー」とハミングしながら喉に指を当ててみると、振動を感じることが出来ますが、それが声帯の振動です。
声は言葉を音声情報に変換したものであり、日本語であれば言葉の構成音は50音ほどあります。
つまり50の音色をつくることが必要になるわけですが、音色というのは音の波形の違いであり、口の開け方及び舌や軟口蓋の位置を変えることによって波形の違いをつくりあげています。
ハミングは誰でも出来ます。
また、50音の口パクも誰でも出来ます。
この二つを合わせたのが発声であり、誰でも出来るはずです。
「んー」とハミングしながら、口の形や舌の位置を「あ」の発声に帰ると、「んー」が「あー」に変わっていきます。また、「んー」とハミングするのと同じ感覚で「おはようございます」と発声すると、ハミングと同じように柔らかく発声できると思います。試してみてください。
ただ、すんなりいかないのは心が邪魔をしているからであり、こちらを何とかする方が大変なのです。

14:幽玄
21/11/28 08:29:37.49 YHjbiKm50.net
何故、改善したのか? その8
力を抜くコツを覚えたこと
喉や口の周りの筋肉に力が入っていると、当然ながらスムーズに発語出来ません。
肉体がそのような状態にあるときには、「発語出来ない」という信号が脳に送られ、予期不安や恐怖と相まって益々発語を困難なものにしてしまいます(これが吃音モードに突入するということ)。
反対に、喉や口の周りの筋肉が弛緩していると、「発語出来る」或いは「発語出来るかもしれない」という信号が脳に送られます。
非吃音者が発語するときや吃音者が普通に話せている時には、喉や口の周りの筋肉が弛緩しています。
そして、この弛緩は精神的に緊張している時でも可能です。
大勢の前で歌う時は、精神的な緊張が伴います。しかし、歌う時には上半身を脱力し、腰で支えるということを学習しているため、精神的な緊張はあっても、上半身の脱力は自動化されています。つまり、歌うというプログラムの中に、上半身の脱力が組み込まれているのです。
ところが、発語時は逆の現象が起こります。
吃音プログラムの中に、喉や口の周りの筋肉の緊張が組み込まれているのです。
自動化されていますから、筋肉が緊張していることに気がつかない場合も多いし、気がついてもコントロールが効かないのです。
この状態を脱するためには、肩を思い切り上にあげて緊張させます。
次に、力を抜いてストンと肩を落とします。
そうすると、喉や口の周りの筋肉の緊張も一緒にゆるみます。
日頃から、この訓練を行っていると、発語時にも応用することが可能になってきます。

15:幽玄
21/12/03 15:40:25.31 ThEeUvNm0.net
何故、改善したのか? その9
弛緩と自己暗示との関係
ドットコムにも書きましたが、肩の力を抜く(肩を思い切り上にあげて緊張させ、次に力を抜いてストンと肩を落とす)ことにより、緊張が解ければ必ず言葉が出るかというと、そうはいきません。
発語の直前まで弛緩していても、発語の瞬間に喉を締めてしまって難発状態に陥ることは、私も何度も経験しました。これは、緊張が原因ではなく「自分は発語出来ない」という自己暗示的な要素が強いと思っています。私は先ずこの自己暗示を解くことに専念しましたが、その過程において身体の緊張が「自分は発語出来ない」という自己暗示を助長していることに気がつきました。
つまり、自己暗示を解いておかなければ、弛緩によって「発語出来る」或いは「発語出来るかもしれない」という感覚は湧いてこないということです。
そして、自己暗示を解くためには、潜在意識を納得させることが必要になります。
1.言葉を出す事は非常にやさしいことであるということを論理的に納得すること
2.難発は、自分の「言葉が出ない」というマイナスの自己暗示が原因だということを納得すること
3.その事に気がついたから、「言葉が出る」と決めれば「必ず出る」と納得すること

16:幽玄
21/12/03 15:41:17.69 ThEeUvNm0.net
何故、改善したのか? その10
発語プロセスの理解と矯正
吃音モードに入ってしまうと、普通に話せている時(非吃音モード)と明らかな違いが現れます。
非吃音モードでは、何も考えなくても以下の発語プロセスに沿って体が動きます。
1.発語すると決める。
2.発語する言葉が、頭に浮かぶ。
3.ほぼ、同時に発語される。
3番目の発語されるという部分をもう少し詳細に見ていくと、
1.横隔膜が下がり、肺に空気が入る。
2.同時に下顎が落ちて、口が少し開き、筋肉が弛緩されて発語の準備が整う。
3.発音する音に応じて、口の形や舌の位置を整えながら、呼気が声帯の間を通過する。
4.同時、或いは僅かに遅れて声帯の隙間が小さくなり、声帯が振動して音になる。
5.声帯の振動によって発した音は、口腔内や鼻腔内で拡大され、発語となる。
非吃音モードでは、意識が発語にだけ向いているため、上記のプロセスがスムーズに流れます。
しかし、吃音モードに入ると恐怖や不安に意識が集中したり、その他の発語以外のこと(ディストラクション行為など)に意識が集中するため、発語プロセスが乱れます。
恐怖や不安は避けることが出来ないため、恐怖や不安を持ったままで上述した発語プロセスを思い浮かべ、それをなぞってみるということを繰り返しました。
成功体験を繰り返すと、意識しなくても出来るようになり、非吃音モードに陥ることが激減していました。
この方法は諸刃の剣であり、発語に意識を向けるため吃音に対する意識を強めてしまうかもしれません。
しかし、私の場合はこの方法で著しく改善したのは事実であり、発語は心と身体の協調運動ですので、どちらからアプローチしても、それが「普通の状態に戻す」ことであれば、効果はあると思います。
精神面からのアプローチが向いている人、肉体面からのアプローチが向いている人、それぞれだと思いますので、ご自分に合っていると思われる方法を試してみてください。
そして、うまくいかなければ一旦ストップして、今のやり方が「普通の状態に戻す」ことにつながっているかどうかを確認してみてください。

17:幽玄
21/12/03 15:42:37.56 ThEeUvNm0.net
何故、改善したのか? その11
発声に関する認識が変わったことの補足です。
以前の私は、発声は声帯で行われると考えており、発語時に声帯に注意を集中することが癖になっていました。
注意を集中すれば、運動は止まってしまいます。
発語時に声帯に注意を集中することによって声帯を閉じてしまい、その状態で発声しようとしていましたので、難発になるのも当然の帰結でした。
ハミングの例で何度か説明させて戴きましたが、声帯はただ振動するだけで、いわば原音をつくる器官にすぎません。
50音の言葉をつくるのは、口の開け方及び舌や軟口蓋の位置です。
ささやき声というのは、発声器官の動きは通常の声と同じですが、気流が声門を通過する直後に乱流が発生したり、声道壁に衝突して乱流が発生することによってその声質が形成されます。つまり、ささやき声というのは、声帯が振動しないため難発になり難いのですが、音量が小さすぎるため通常の会話には使えません。
通常の声というのは、ささやき声+声帯の振動+鼻腔及び口腔内の共鳴です。
私のように、声帯を閉じるタイプの難発の方は、ささやき声を呼び水にして、鼻腔共鳴で音量を上げるという方法を用いることにより、声帯への注意の集中を減らして難発を改善することができるかもしれません。
これも、普通の人の発声方法を分解したものであり、特別な発声方法ではないと思っております。


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