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最後の「粋人」関根潤三さん宴会疲れの頭で玉音放送
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東京は巣鴨で生まれ、東郷神社裏の原宿育ち。夕刻、練習を終え、バットを肩に小路を歩くと、
料亭街の二階座敷、ゲイ者衆から「潤ちゃ~ん」と声が掛かったほどの二枚目である。
終戦間近の学生時代45年8月14日、栃木県鬼怒川温泉でゲイ者をあげてどんちゃん騒いだ。
「とにかく鬼怒川にいたんですよ。最後の晩餐だったのかなぁ」
戦局は悪化し、いずれ(小早川大尉や嶋本みたいに)戦地で果てる運命にあった。
明けて15日、宴会疲れの頭で玉音放送を聞いた。
あわてて東京へ向かった。宮城(皇居)前に着いたのは16日夕刻だった。
「玉砂利にひれ伏したよ。国の大事に遊んでいた自分のばかさ加減。天皇陛下、申し訳ありません。」