日本軍ノ活躍ノ話ヲシマショウat SENJI
日本軍ノ活躍ノ話ヲシマショウ - 暇つぶし2ch50:名乗リマセン勝ツマデハ
13/06/09 07:40:38.71 kWG9vm+M0
全基地ノ目ガ空ノ一点ニ集中サレテイル 飛行機ノ爆音以外ニハ
何一ツ物音モナイ
キラリッ ト翼ヲヒルガエシテイママデ豆粒ノヨウニ見エテイタ水戦ガ
ツーット一本ノ線ヲ描クヨウニシテ矢ノヨウナダイブニ入ッタ
ソシテ タチマチ敵編隊ノ頭上五百メートルニ迫ッタ
ソノトキダ 水戦ハ急激ナ反転上昇ヲ打ッタ
見ルト空雷(空雷母体 重量二百四十キロ)ガ翼カラ放タレタノデアッタ
ヤッタゾッ! ト思ワズ カタズヲノンダ瞬間 白熱ノ大閃光ガ一瞬
パッ ト空中ニ散ッタ ソシテサラニ グオーン!トイウ爆発音ガ
閃光ノアトヲ追ッテキタ 思ワズ ハット首ヲスクメル
シカシマタ パッ パット閃光ト白煙ガハシリ
八ッツノ空雷(一個三十キロ)ガ飛ビ散ッテ一瞬ノ間ニ敵機ノ編隊ヲ
上空カラ押シツツンダ
マズ敵ノ一番機ハ木ノ葉ノヨウニ錐リ揉ミトナッテ墜落シテイキ密林ニ
大キナ火柱ヲ上ゲタ 二番機ト三番機ハ爆風ニアオラレテ空中衝突三番機ノ
プロペラガ二番機ノ胴ヲ噛ミ砕キ共喰イ状態デ落チテイッタ
四番機ハ機首ヲ下ゲタママ密林ニ突ッ込ンダ
次モ マタ次モ密林ニ突ッ込ンデイク
空中ニトドマッテイル機ニハ爆発トトモニ焔ト黒煙ノ帯ヲ長クヒイテ
空中ヲ ノタウチマワッテイルウチニ 翼ヲモギ取ラレ胴体ダケガ
真ッ赤ナ焔ニツツマレテ 松明(タイマツ)ヲ放リ投ゲタヨウナカッコウデ
墜チテイク敵機モアッタ
マタ ガソリンタンクニ引火シタノカ機体全部ガ火ダルマトナリツツモ
不思議ナコトニ ソノママ空中ノ一点ニ静止シテ浮カンダママ炎々ト
燃エテイルノガアッタ ガ ソレモ瞬間抱イテイタ爆弾ニ引火シテ
一大閃光トトモニ焔ガ空一面ニヒロガッタ
空イッパイニ広ガッタ火ノ花傘デアッタ
ビー十七四発重爆撃機 八機撃墜七機撃破ノ マサニ大戦果デアッタ
空中爆雷ノ威力ハジツニ素晴ラシカッタ ガコノ新兵器ハ前線デ
少数ガ使用サレタダケデ姿ヲ消シテシマッタ
何故アトガ続カナカッタノダロウカ 不思議デナラナイ

51:名乗リマセン勝ツマデハ
13/06/10 18:26:48.82 SxuQJ1LoO
成ル程デアリマス。敬礼

52:名乗リマセン勝ツマデハ
13/06/12 06:34:28.40 U59fXWkO0
白雲上ノ決闘  グラマン エフ六エフ 撃墜ス
             海軍九七式四発飛行艇機長 北出 大太
昭和十八年十月二十八日 ジャバ・スラバヤニ向ケ マカッサルヲ去ル
 コトニナッタ(ハロン水上機隊ガ既ニ撤収ヲ完了シタタメ)
高度二千五百メートルデ雲上ニ出タ ソノママ三千メートルマデ上昇スル
「江原兵曹ッ!」「無線ハヤメロ、敵ニ電波ヲ盗ラレルト危険ダ
傍受ダケニシロ ソレカラ偵察ノ荒川兵曹ヨンデクレ」 マモナク
荒川兵曹ガ前席カラ顔ヲ出シテキタ
「荒川ッ後方ノ見張リニツイテクレ何カアッタラ急イデ知ラセテクレ」
「ハッ尾部席デ見張リニツキマス」
「河井 今日ハ二十ミリ機関砲ヲ一挺用意シテアル
ジュウブン見張ッテクレ」
※最前部ノ偵察席ハ天蓋ガ上ゲブタニナッテイテ ソコニ
二十ミリ機銃(機関砲)ヲ据エツケルヨウニナッテイル
「ハッ ワカリマシタ機銃ヲ前席ニ置イテオキマス」
操縦席カラガラス越シニ見エル雲ノ表面ハ強イ南国ノ日射シヲ跳ネカエシテ
カーッ トマブシイ反射光ヲ放ッテイル
フト 気ガツクト飛行艇ノ機首ガ下ヲ向イテ少シズツ降下シテイル
オカシイ 飛行艇ハオートパイロットデ水平飛行ニ合ワセテアル
ソレガ徐々ニ降下シテユクトハ エンジン機体ニハ異常ハ認メラレナイ
スルトナニカ?
飛行艇ノ胴体ハ三十六メートルアル ソレ故 前後ノバランスヲ
考エネバナラナイ 重心点ノ位置モ心得テオカネバナラナイ コレハ
後部カラ人間ノ重量ガ移動シテイル ハットシタ私ハ首ヲネジ向ケテ
ウシロヲ見タ 果タシテ荒川兵曹ガ跳ブヨウニシテヤッテクル
「ドウシタ荒川ッ!」 走リコンデキタ荒川兵曹ハ
「機長ッ 小型機ガ追ッテキマス!」ト顔色ヲ変エテイッタ
「ヨシ総員戦闘配置ニツケッ!」
※総員 機長兼操縦私・海軍少尉北出 副操縦・有賀上飛曹
偵察・機銃手・河井一飛曹、荒川一飛曹 電信・江原二飛曹、野中一飛曹
機械・西村上飛曹、片山一等整備兵、中村二等整備兵
私ハグングント迫メル白雲ヲ見下ロシ操縦席ノ横窓ヲ引キ開ケタ ソシテ
首ヲネジッテ顔ヲ出シタ
「ウム グラマンダ ヨーシ」私ハ首ヲ引ッ込メ横窓ヲシメタ

53:名乗リマセン勝ツマデハ
13/06/13 06:04:31.40 Op96rdff0
五十二ニ続ク
「ウム グラマンダ ヨーシ」私ハ首ヲ引ッ込メ横窓ヲシメタ
※グラマン エフ六エフ 艦上戦闘機
乗員一名 空冷式複列星型十八気筒二千馬力 全幅十三、〇〇メートル
全長十、二〇メートル 最大速度時速六百四十キロメートル
実用上昇限度一万一千五百三十メートル 航続距離二千八百八十キロメートル
武装 十二、七粍機関銃 六挺

トタンニ飛行艇ハ雲海ノ中ニ身ヲオドラセテイッタ 雲ノ中ハ
ムレカエルヨウナ ガスガ モウモウト渦巻イテイタ ヤヤシバラクシテ
私ハ雲ノ上ニモ下ニモ出ナイ中ホドデ舵ヲ水平ニオコシタ
河井兵曹ハ私ノ脇ニ立チ上ガッテ操作ヲ見ツメテイル
「河井 オレハ グラマンノ速力ト距離ヲ目デ計ッタ コレカラ
コノ雲ノ中デ ヒト回リスルガソノ間ニグラマンハ飛行艇ヨリ先ニ
ノメリ出ルト思ウ」
「ソレカラオレタチハ雲ノ上ニ出ル アトハ後方カラ追ッテ
叩キ落セバイイ ワカッタカ」
「敵グラマンハ前方ニイタ飛行艇ヲ意識シテツネニ前下方ノ雲ニ
注意ヲ向ケテイルト思ウ ドウダ・・・・
勝負ハオ前ノ前方銃一挺デ決メルゾ ヨシッ 旋回ニウツル」
「河井ッ銃座ニツケ!」 ソウ命ジテカラ私ハ足舵ヲ左ニ踏ンデ大キク
ヒト回リシタ
ーーヤルゾ エンジン全開 上昇ニ移ル
雲ハ薄イト思ッタ時飛行艇ハ ボーント投ゲラレタマリノヨウニ雲上ニ
飛ビ上ガッタ スカサズ機首ヲ押サエ込ミ水平ニタテナオシテ飛ンダ
小型機ガ飛行シテイクノガ見エル
グラマン エフ六エフニ違イナイ 俺ノ感ハ当タッテイタゾ!
私ハエンジン全開ノママ追撃ニウツッタ
高空ノ澄ミキッタ大気ノ中ニ鮮明ナ星ノマークノグラマンガ
勝チ誇ッタヨウニ飛翔シテイル
ーーイマ少シダ グラマントイウ飛行機ハ巡航スピードデモカナリ
早イシカシ
エンジンヲ全速力デ回転シテ追ウ私トノ間隔ハシダイニツマッテキタ
距離五百メートル 河井兵曹ノ筒先ガ静カニ静カニ移動シテ狙イヲツケナガラ
追ッテイル距離三百メートル敵操縦者ノ頭ガ見エテキタ
河井兵曹ノ指先ハ引キ金ニノビテイク

54:名乗リマセン勝ツマデハ
13/06/13 17:27:17.77 Op96rdff0
河井兵曹ノ指先ハ引キ金ニノビテイク
※九七式大型飛行艇 通称九七大艇 乗員九名 空冷複列星型十四気筒
千七十馬力四基 全幅四十メートル 全長二十五、六三メートル
自重九、七トン 全備重量十七トン 最大速度 時速三百四十キロメートル
航続距離六千キロメートル 実用上昇限度七千二百メートル
武装 七、七粍機銃四挺 二十粍機関砲一挺

私ハ思ワズ <撃テッ!> ト叫ビソウニナッタガ カロウジテハヤル気持ヲ
押サエタ 距離ハスデニ二百メートルニナッテイル
射程距離トシテハ十分デアル ダガ 私ハグット舵ヲ前ニ倒シテ
降下ノ姿勢ニ移リナガラ敵機ノ真下ヘスベリコンデイッタ
モシモ コノ位置デ敵ノ操縦者ガ振リ向イタトシテモ 飛行艇ハ
敵機ニハ見エナイ腹ノ下ニヘバリツイテイルコトニナリ
河井兵曹ガ撃チ損ジテモスグニ雲ノ中ヘ飛ビコメル位置ニアル
敵機ハスグ頭上トナッタ 河井兵曹ノ狙ウ照準器ニハ ハミ出ルヨウニ
敵機ノ影ガツマッテイルコトダロウ 彼ノ銃口ハ斜メ上ニ向イテイル
ーーヨシ叩キツブセッ!
私ハブザー一声ヲ前席ニ鳴ラシタ トタンニ
河井兵曹ノ指先ガ引キ金ヲヒイタ
焔ノ矢ガ銃口カラ吐キ出サレ赤黒イ弾道ヲヒイテグラマンニ結ビツイテイク
河井兵曹ハ引キ金ヲ握リツブシテイル ソノタメニ火煙ノ紐ガ
飛行艇トグラマンヲツナゲ

55:名乗リマセン勝ツマデハ
13/06/14 12:47:58.52 0YJWwtug0
五十四ニ続ク
河井兵曹ハ引キ金ヲ握リツブシテイル ソノタメニ火煙ノ紐ガ
飛行艇トグラマンヲツナゲタ
ジュラルミンガ ムシレ飛ンデキラキラト空中ニバラ撒カレル
敵操縦者ノ首ガフラフラット動イタヨウデアル
グラリ ト敵機ガカタムイタ ソレデモ アイスキャンデーノヨウナ
二十ミリノ弾丸ガ追イスガッテイク 白ク噴出スル帯ノ流レハ
ガソリンタンクノ亀裂ヲ意味シテイル
翼ノツケ根ニ チョロリチョロリ ト火炎ガ見エル
敵操縦者ノ体ハ徐々ニノケゾッテイク 翼根ガ真ッ赤ニナッタ ト
ソノ瞬間 グオーンッ!ト空中ニ大爆発ガ起コッタ白クハキ出ス
ガソリンノ尾ニ機関砲弾ガ炸裂シタノデアロウ
頭上カラ爆発トトモニ大空ニヒライタ火ノ花傘ガ
飛行艇ヲオシツツムヨウニ降ッテキタ
ーーアブナイッ! 激突スルッ! ガトッサニ蹴ッタ足舵ノホウガ
サキダッタ 私ノ横ヲ翼ヲモギトラレタ グラマンノ胴体ダケガ
墜チテイッタ ソノ中デ大キナ 口ヲヒライテ両手ヲ上ニサシアゲタ
敵操縦者ガ絶叫シテイル マサニ死ナントスル人間ノ形相ノ
スサマジサニ思ワズ身ブルイシテイタノデアル
ワタシノカラダノ毛穴カラ 冷ヤ汗ガニジミ出テイルノニ気ガツイタ
オレハグラマンヲ撃墜シタ
日本海軍搭乗員准士官以下 陸軍准士官以下・ 海軍       陸軍
    -- 准士官 --      ・   ーー 兵 ーー
   飛曹長        准尉   ・ 飛長        兵長
    ーー 下士官 ーー      ・ 上飛兵       上等兵
   上飛曹        曹長   ・ 一飛兵       一等兵
   一飛曹        軍曹   ・ 二飛兵       二等兵
   ニ飛曹        伍長

56:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/11 NY:AN:NY.AN hBlTfs8I0
コノスレヲ読ムコトガ楽シミデアリマス

57:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/13 NY:AN:NY.AN CEDX7h7+P
オランダ領インドネシア セレベス島マカッサルニ集積シタ
南方地下資源 軍需物資ノ日本ヘノ軍事輸送
   海軍九七式大型飛行艇機長 
                海軍少尉 北出大太
昭和二十年五月二十六日 日本内地ヘノ軍需物資輸送ノ命令ガ下リタ
 ※ドイツ ハ ヒトラーノ自殺トトモニ無条件降伏シタ ソノタメニ
  日本ハ地球上ノ全テトイウベキ五十カ国ヲ敵トスルコトトナッタ
五月二十六日午前八時ジャバ(ジャワ・インドネシアノ島々ノ総称)ヲアトニ
 日本ニ向カウコトニナッタ
 午前八時 東陽一氏 医学博士 元東京都知事 東龍太郎氏ノ実弟
    (アズマヨウイチ)海軍マカッサル研究所 マカッサル病院医院長
      河井健太郎氏 医学博士 熱帯病免疫学者
      他便乗者 飛行艇搭乗員 集合
     ※ 海軍マカッサル研究所 検索 大規模ナ研究機関施設
 軍需物資積ミ込ミ 内訳
      白金 八十五キロ入リ木箱 十箱 合計 八百五十キロ
      兵隊二人ガカリデヤット持テル ダイヤモンドガ
      ギッシリト詰マッテイル大箱一箱
 ケダシ世界ノ飛行機トイエドモ コレダケ膨大ナ貴金属ヲ運ンダ
 例ハナイダロウ
五月二十七日私ハ空襲ヲ受ケ夜空ヲ紅ノ色ニ焦ガシテイル
 サイゴン市ヲ左ニ 右ノ支流ニソッテ低ク飛ビ サイゴン
 水上基地カットライニ降リルコトガデキタ
 東博士「機長 ゴ苦労サンデシタナ」ト ネギライノ言葉ヲカケテクレタ
翌五月二十八日午前零時出発トウトウト流レルサイゴン川ノ大河ニ月光
 ガ砕ケテユレテイル
 滑走千三百メートル飛行艇ハ浮身ノ形ヲトル 水ヲ切ッテ
 サイゴン川波ヲ眼下ニ高度三千メートルヲトッテ針路ハ北東
 次ハ香港デアル 巡航速力百三十ノット時速約二百四十一キロメートル
「総員 見張リ配置ニツケ!」ソウ命令シタ
  -- 頭上ニ 敵ピー三十八双胴双発単座戦闘機 三機 ーー     

58:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/14 NY:AN:NY.AN eWyYhm0lP
頭上ノ敵 米陸軍ピー三十八双発単座戦闘機
 「総員 見張リ配置ニツケ!」ソウ命令シナガラモ マズコノ飛行ハ
 ブジニ終ワッタ トイウ安心感ガ私ノ心ヲ軽クシタ

※ ロッキード ピー三十八 乗員一名 全長十一、五三メートル
  全幅十五、五五メートル 重量五、八トン
  千三百二十五馬力 弐 最高速度 時速六百五十キロメートル
  航続距離 三千百キロメートル
  武装 三十七ミリ機関砲一 十二、七ミリ機銃 四

 ガ コノ時私ニハ油断ガアッタノダ 陽(ヒ)ハ海岸カラ昇リカケ
 アタリハ明ルンデキテイル頭上ハルカ高空ニ無数ノ黒点ガ浮カンデイタノダ
 イマヤ双発ノ戦闘機ガ我々ノ機ニ機種ヲ向ケテイタノダ
 全身ノ血ガ一時ニ凝結シタ
 「頭上ニ敵機ッ!」見張リノ絶叫ニ 私ハフットバーニカケタ足ヲ 
 ヤニワニ蹴ッテ急反転シタ ソシテ無意識ノウチニ機首ヲカエシタ私ハ 
 操舵ヲ前ニ押シ倒シ 急転直下ノ姿勢ヲトッタ モノスゴイスピードデ
 落下シハジメタ機ノ中カラ ワタシハ操縦席ノ窓ガラスヲ引キ開ケ痛イ
 ホドノ風圧ヲ片頬ニウケナガラウシロヲ見タ
 「広瀬ッ!双発戦三機ウシロダ!敵ノ機首ガ合致シタラ撃ッテクル
  敵機カラ目ヲ離スナ 合致シタラ知ラセロ」
 飛行艇ハ猛烈ナスピードデ急降下ヲ開始シタ 五百メートルカラノ
 ダイブ 瞬時ニシテ海面近クニ達シタ
 コノママデハ水ニ突キ刺サル 激突ダ!
 腕ニ痛ミヲ感ズルホドノ 力 デ昇降舵ヲスクイ上ゲタ
 機ハ水面スレスレデ機首ヲ上ゲ水平ニ復シタソノママ超低空飛行デ
 飛ブ 我ガ機ハ今海面ヲコスルヨウニシテ飛ンデイルノデ
 後方カラ迫ッテクル敵ノ戦闘機ハ我ガ機ヲ狙ッテ迫レバセマルホド
 海面ガジャマニナルノダ 敵ハ有利ナ後上方カラノ急角度射撃ヲ
 断念シ尾部カラノ追イ撃チヲカケルツモリカ
 私トホトンド同高度ニ近イ位置マデ下ガッテキタ
 コノ同高度トイウヤツハキワメテ攻撃シニクイノダ
 

 

59:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/15 NY:AN:NY.AN Hc6yGb8v0
頭上ノ敵 米陸軍双発双胴単座戦闘機ピー三十八 三機
コノ同高度トイウヤツハキワメテ攻撃シニクイノダ
私ハ必死ノ避退ヲココロミ敵機ノムラガル香港ヲ離脱シテツギノ
地形ノクボンダ小湾ニ突入シテイッタ ダガ敵ノ戦闘機三機ハナヲモ
執拗ニクイサガッテキテグングン距離ヲツメテキタ
朝凪ノ海面ハキラキラト陽光ヲハネカエシマバユイ
私ノ視力ノ眩惑ガ同時ニソレハマタ敵ニトッテモ同ジデアルワケダ
私ハナヲモ必死ニナッテ超低空ヲ全速力デ飛ブ
後方カラ刻一刻ト迫ル敵機ヲ広瀬兵曹ハニラムヨウニジット見テ計ッテイル
ソシテ右手ヲ静カニ上ゲタ
私ハ背中ニ灼ケツクヨウナ敵ノ銃口ヲ感ジル
ーー負ケテハナラヌ 死ンデハナラヌ オレハ 国ノ大事ナ命ト多量ノ
ダイヤモンドト白金ヲアズカッテイルノダ コレヲ日本ニトドケルマデハ
ゼッタイニ死ネナイ !
広瀬ノ手ガサット下リタ 同時ニビューント私ノ左足ガフットバーヲ蹴ッタ
機ハ横ニスベル
ソノ瞬間数条ノ火焔ノ網ガ右ノ翼端ヲカスメテ前方ニ流レタ トタンニ
グワァットイウモノスゴイ爆音ガ私ノ頭上ヲ走ッテ敵機ハ前方ヘ
通過シテイッタ
前方ニノメリコンデイク敵機ノ風防カラハ 敵操縦士ノ怒ッタヨウナ目ガ
見下ロシテイタ
ソシテソノ目ガ 見上ゲタ私ノ目トカラミアッタ 飛行眼鏡全部ガ敵ノ
目玉ノヨウニ見エテ 私ハ何カノ昆虫ノ顔ヲ思イダシタ

前ニノメリダシタ敵機ハ反転シテフタタビ後方ニマワリコンデ
第二撃ノ態勢ニハイッタ
私ハナオモ超低空ノママ小湾ノ陸岸メガケテ殺到シテイッタ
広瀬兵曹ノ手ガフタタビ上ガッタ
私ハ前回ト同ジヨウニ機ヲスベラシテ敵弾ヲ避ケタ トタンニ
私ハグイット急激ニ上昇ノ上ゲ舵ヲトッタ
顔ニブチ当タルヨウニ奇岩・怪石ヲ露出シタ山肌ガセマッテクル
ソレヲヒンメクルヨウニ コスッテ機ハ上昇スル

60:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/15 NY:AN:NY.AN ySENjrrKP
顔ニブチ当タルヨウニ奇岩・怪石ヲ露出シタ山肌ガセマッテクル
ソレヲヒンメクルヨウニコスッテ機ハ上昇スル
ウシロノ敵戦闘機ニバカリ気ヲトラレテイタ乗員タチハソノトキ
ハットシテ顔面蒼白トナッタ
彼ラハ陸岸ニ達シタコトニ気ヅカナカッタノダ ト 次ノ瞬間
奇跡ガ起コッタノダ
第二撃ヲ回避サレタ敵ガ頭上ヲ飛ビ抜ケタト思ッタトキ トツゼン
目ノ前ガ砂塵ト閃光トデオオワレタ
敵機ガ山肌ニ激突シタノデアル
シカシ私ハソレヲ確カメテイルヒマガナイ
爆煙ヲ頭カラ浴ビルヨウニシテ私ノ機ハ山肌ヲ ツタッテ急上昇シ巨岩ノ
露出シテイル山頂ニ舞イ上ガッタ 山肌沿イニ飛行艇ハ少シモ
地肌カラ離レナイ
「広瀬兵曹 敵サンハマダ追ッテクルカ 撃チコンデクル気配ハアルカナ」
広瀬兵曹「ソウデスナア 山ノ上ヲ百メートルホド離シタママデ追ッテ
    キマスガ突ッコンデハコナイヨウデス」 
広瀬兵曹「機長 敵ハ攻撃ヲヤメテ反転シテマス」
北出(私)「ソウカウマクイッタナ 素手デ敵一機撃墜カ」
「コイツハカナリ山奥マデ迷イコンダナ 我々モ進路反転トイクカ
モウヨカロウ 広瀬 操縦ヲシテクレ」
ソレカラ客席ノドアヲ開イテ
「御心配ヲカケマシタ 敵機ハ去リマシタカラ御安心下サイ」
トイッテミンナノ顔ヲミタ 東陽一博士モ河井健太郎氏モ落チツイテ
椅子ニカケテオラレタ ヤガテ香港カラ空襲警報解除ヲ伝エテキタ
機首ヲメグラシ九竜ノ水上基地ニブジ着水シタ
    

61:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/16 NY:AN:NY.AN MmdsMuyAP
昭和二十年五月二十八日夜香港出発 
 五月二十九日午前八時三十分上海ノ竜華(ロンハー)基地ニ着水シタ
 五月三十日午前七時日本ニ針路ヲトリ飛行四時間三十分関門上空カラ
  瀬戸内海ニハイッタ 
 午後一時呉ノ広町ニアル十一航空廠ニ機ハ安着シタ
 午後四時十一航空廠出発
 午後六時十分横浜ニ着水八幡橋日本航空水上機班ニ接岸人員オヨビ
軍需物資ノ陸揚ゲ 終了

 米ビー二十四重爆撃機トノ遭遇戦    
昭和二十年六月十八日「二南遣司令部飛行艇 ノ完成近シ詫間航空廠
 ニテ戦闘用機器ノ点検作業促進セヨ」ノ知ラセヲ受ケタ
 タダチニ部下タチニモ電報ヲ打ッタ
 六月二十五日 瀬戸内海ノ水ヲ切ッテ飛ビ立ッタ
第一日ハ上海ノ竜華鎮ヘ午前九時ニ着水シタ ココデ給油ソノ夜
 月ノ出ヲ待ツテ発進 針路ヲ海南島ノ三亜ニトッタ
 南支那海ニ六月二十六日ノ夜ガ明ケ午前七時ニ海南島ノ陸影ヲ
 望見スルコトガデキタ
 高度三千五百メートルカラ徐々ニ降下ノ姿勢ヲトル
 海面ノ反射ガマバユイ 海面カラ反射シタ光ヲサケルヨウニ目ヲ
 細メタトキ黒点ガ目ニトマッタ ソレハ海面ヲ低ク這ウヨウニシテ
 三亜ヲ望ンデ進ンデクル
 愕然トシタ私ハ双眼鏡ヲ目ニ当テテノゾイタ
「敵ビー二十四重爆一機ッ配置ニツケッ!」  

62:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/17 NY:AN:NY.AN u7Q28B27P
「左舷ッ 敵ビー二十四重爆一機ッ配置ニツケッ!」
※コンソリーデーテッドビー二十四重爆撃機 乗員十名
 千三百五十馬力四基 全幅三十三、五メートル 全長二十二、七メートル
 全備重量二十九、四八トン 最大速度 時速四百六十七キロメートル
 航続距離 四千二百三十二キロメートル 上昇限度 五千五百八十メートル
 巡航速度 時速二百五十四キロメートル
 武装 十二、七粍機銃 十二挺 爆弾 三、六トン

 私ハビー二十四ノ距離 角度 速力 合致点ナドヲスバヤク頭ノ中デ
 計算シ攻防ノ施策ヲ練ッタ
 「電信員ッ 宛テ 三亜基地 味方飛行艇ハ敵重爆ト空戦中・・・
  ワカッタカ ソウ打電シロ」
 ※ 三亜 海南島南端陸海軍空軍基地 対空砲座対空銃座デ固メラレテイル
   三亜ハ 二キロ東ノ楡林ト並ビ椰子ガ特産品
 ソレカラ左ノ席ノ副操縦手ノ田中誠三兵曹ヘ命令シタ
 「田中 針路ハ、ソノママ三亜ニ 直進シロレバー全開全速デイケッ」
 田中兵曹「ハッ? 進路ハソノママデ?」
 針路ヲ変エナケレバトウゼン敵機トブツカル
 私ハ ダメヲ押スヨウニシテマタイッタ
「ソノママ 直進デイインダ ヨシッ 手ヲ離セオレガヤル
 ヨク見テオケヨ」
 彼我ノ間隔ハ見ル見ウチニツマリ タチマチ黒点ニハ翼ガ生エ
 翼ハ大キクヒロガッテプロペラノ回転マデガ目ニハイッテキタ
 敵ビー二十四ガ近ヅクトトモニ
 三亜ノ味方基地モ マタ指呼ノ間ニ迫ッテキタ
 私ハ翼ヲ右ニ左ニ大キクカタムケ
 「ワレハ友軍機ナリ」ト合図シナガラ驀進ヲツヅケル
 「ナニクソ ヨケハセンゾ 来イ重爆メッ」
 足ヲ踏ン張リ突ッ込ムツモリデ機首ヲ押サエ
 敵ノ操縦席ニ向カッテセットスル ドチラカガ避ケナケレバブチ当タルノダ
 ーー気力ダ 敵ノ気力ニ負ケテハナラナイ
 モハヤ首ヲフルイトマモナイビー二十四重爆ハ 私ノ眼前デウオーット
 壁ノヨウニヒロガリ目ノ玉ヲハミ出シテオオイカブサッテキタ

63:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/18 NY:AN:NY.AN OT69S6vNP
私ノ眼前デウオーット壁ノヨウニヒロガリ目ノ玉ヲ
 ハミ出シテ オオイカブサッテキタ
 ガ ソノ瞬間 敵ハ激突スルバカリノ恐怖ニ耐エカネテツイニ
 舵ヲソラシタ マサニ刺シチガイト見エタトキ私ノ機翼ヲワズカニソレテ
 敵ノ機銃弾ノ紐ガ流レタ
 同時ニ敵機ハ後方ニ飛ビチガエテイッタ
 敵ニハ一瞬スラ返リミル余裕モアタエズニ マッシグラニ
 三亜基地メガケテ飛ビコンデイッタ
西村兵曹「機長ッ 敵機反転ッ追ッテキマス」
北出「ヨシ 距離ハ・・・」
西村兵曹「カナリ遠ク ヘダタリマシタ」
北出「ウン ソウダロウ」 重爆トイウヤツハ飛行艇ヨリスピードガ速イ
 イズレハ 撃墜スルマデ追イ回シテクルデアロウ
 私ハ副操縦手ノ田中兵曹ニイッタ
北出「前下方ヲヨク見テ・・・・・、三亜ノ防空陣地ガ山ノ上ニ見エテキタナ
  空中戦ト打伝シタカラ 砲員ガカマエテイルゾ ソーラ真上ニキタ・・
  田中 舵ヲトレ コノ防空陣地ニヘバリツイテ周囲ヲ
  グルグル回ッテイルンダ モシモココマデ追ッテクルナラ ヨホドノ
  馬鹿カ無鉄砲ノアメチャン ダロヨ」
※三亜ハ 英国ト米国ノ空軍ノ行動範囲 両者トモニビー二十四重爆
 デ行動シテイタ 
 敵ノビー二十四重爆ハナカナカ勇敢デアッタ
 イヤ 無茶トイッタホウガイイ イキナリ飛行艇メガケテ
 突ッ込ンデキタノダ トタンニ
 待チ構エテイタ防空陣地ガイッセイニ火蓋(ヒブタ)ヲ切ッタ
 敵ハ飛行艇ニ向カッテ突ッ込ンデキタノダカラ
 オナジヨウニ低空デ陣地スレスレデアル
 ソレダカラ タマッタモンデハナイ
 
 下カラ 降ラス夕立ノヨウニ猛烈ナ火線ガ 束ニナッテ敵機ニ集中サレタ
  ハネ上ガルヨウニ 驚イタ敵重爆ハ身ニ数弾ノ火花ヲ受ケ
  全速力デ逃ゲ去ッタ
 午前八時四十分海南島三亜基地ニ着水シタ 

64:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/23 NY:AN:NY.AN wm7S01v+P
伊八潜 訪独ニ成功セリ   伊八潜艦長 内野信二
 昭和十八年六月二十七日午後七時〇分 ペナン桟橋横付ヲ離シ
 インド洋上デ潜水母艦代ワリノ伊十潜カラ
 燃料補給ヲ受ケルコトニナッテイタ第一補給点ニ向カウ
 速力十六ノット 時速三十キロメートル
  ※一ノットハ時速一、八五二キロメートル
 午後七時三十分 総員ニ対シ初メテ本艦ノ任務行動ヲ発表シ
 任務達成ニ対シ全力ヲ尽シテ邁進スベキヲ訓示ス
 七月一日 日出直後ノ九時〇分ヨリ日施潜航ノトコロ
              (毎日実施スル定期潜航)
 之ヲ取リ止メ 
 燃料補給ヲ(伊十潜ヨリ)諮問(トイ タズネルコト)セラル
 当時南西ノ長濤(長波長ノウネリ)尚オサマラズ
 高サ三カラ四メートルアリ万全ノ状態トハ認メ難カリシモ
 インド洋ニ於イテ ヨリ静ナル状況ヲ求メ得ルヤ否ヤ疑問アリ
 且(カツ)補給ハ絶対ニ必要ナルヲ以テ断然補給ヲ行フコトトシ
 其ノ旨(事ノオモムキ)信号シ間モナク補給ヲ名ゼラル
 

65:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/24 NY:AN:NY.AN nNieZnPyP
 其ノ旨(考エ)信号シ間モナク補給ヲ命ゼラル

 燃料補給ハ訪独達成ノ第一関門デアッタ 
 シカモ補給地点ハ
 日本ノ制海制空権ノ及バナイ インド洋上ノタメ
 伊十潜ガ当タッタ補給ハ二回ニワタッテ実施サレ 
 コノ日ハ南緯四度五十三分東経八十七度二十分デ
※インド洋チャゴス諸島ヨリ東約千キロメートルセイロン島(現スリランカ)
 南約千キロメートル セイロン海膨上 深サ約三千メートル

 午前九時三十分カラ 両艦艦首ヲ接近サセ給油ヲ開始
 約百五十トンノ給油ヲ午後三時四十分ニ終了シタ

七月六日 伊十潜導索投入ノ信号ニ依リ接近セシモ
 浮標ト伊十潜ノ関係位置悪シ 十分ノ惰力ヲ以テ
 接近シエザル為 第一回失敗シ 第ニ回ニ於イテ成功セリ
 第二回給油作業ハ午後一時四分開始
 午後四時六分終了 (所要時間三時間二分)
 給油量ハ八十トンデアッタ
 イヨイヨ 伊十潜ト分離シ欧州ヘノ壮途ニ就ク

※ 伊第八潜水艦 吃水五、二六メートル 排水量二千二百三十一トン
 全長百九、三メートル 全幅 九、一〇メートル
 機関 水上 一万一千二百馬力 
 水上二十三ノット 時速約四十三キロメートル
    水中 二千八百馬力 八ノット 時速 約十五キロメートル
 航続距離 水上 十六ノット約時速三十キロメートルデ一万四千海里
         約二万六千キロメートル
      水中 三ノット約時速六キロメートルデ六十海里
         約百十一キロメートル

七月八日 田島二三男上水ノ葬儀ヲ行ヒ午後六時十八分
  水葬ヲ行フ 十四センチ砲弾二発ヲ抱キ 軍艦旗ヲ以テ覆イ
  水漬ク屍トナリテ沈ミ行ケリ
  田島二三男上水ハ六日カラ高熱ヲ発シ七日午後七時二十分死亡
  艦内尚数名ノ熱性患者アリ田島上水ノ病状分明セザルトコロアルヲ以テ
  大事ヲトリ艦内防疫ニ関シテハ遺憾ナキヲ期セリ

66:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/26 NY:AN:NY.AN xj0SFHuKP
 大事ヲトリ艦内防疫ニ関シテハ遺憾ナキヲ期セリ
七月十四日午後一時三十分 左舷側上構外鈑(先ニ 炭酸ガス気蓄気 ノ格納
            シアリシ所)  遂ニ大キク破レ約二メートル
 外レタルヲ以 テコレヲ反転シ 左舷ヲ風浪下方トナシ固縛
 伊八潜ハ世界屈指ノ荒天海域ローリーングフオーティズ ニ突入シテイタ
※ 南緯四十度ノ荒天海域西寄リノ
 卓越風(ズバ抜ケテ強イ風特ニ南半球デハ強イ)ノ吹キ荒ブ海域
 吼エル四十度ノ海域ト言ワレテイル
  上部構造側板ノ破損ハ波浪ガ直接飛行機格納筒ニ
  激突スルコトヲ意味シテイタ
  コノコトハ潜水艦ノ内殻ニモ損傷ヲ与エ重油ノ漏洩ヲ促シ敵哨戒陣ノ
  発見ヲ容易ニスルコトニツナガッテイタ

内野艦長ハ波浪ヲ避ケルタメ ケープタウンニアル英空軍哨戒圏ノ
 突破ヲ決意荒天域ヲ脱出スルタメニ
 喜望峰ニ伊八潜ノ進路ヲ向ケタ
七月二十四日 午後六時四十四分 南緯二十八度三十三分ニ於イテ
 西経ニ入ル
※ナミビア・ナマカランド リューデリッツ市西方約千六百キロメートル
 セントヘレナ島ノ南約千三百キロメートル
 在独武官ヨリ第一デンアリ 同一電報ヲ大本営ヨリモ転電シ来タレリ
 無事大西洋海面ニ進入セラレタルモノト拝察ス 

67:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/27 NY:AN:NY.AN NbW95HgoP
※ナミビア・ナマカランド リューデリッツ市西方約千六百キロメートル
 セントヘレナ島ノ南約千三百キロメートル
 水深 四千二百メートル
 南緯二十八度三十三分ニ於イテ西経ニ入ル
 大本営海軍部第一部長 宛伊号第八潜艦長 無事大西洋海面ニ
 進入セラルタルモノト拝察ス

 既ニ御承知ノモノト思考スルモ阿弗利加(アフリカ)沿岸
 「アセンション群島」等距離六百海里(千八百十一キロメートル)ニハ
 敵機出没シアルヤモ知レズ
 「ビスケー湾」(ロリアン)入港ニ際シテハ西経十七度?(内野)
 以東ハ潜航スルコトニナリアルモ
 江見中佐便乗 ノ独逸潜水艦ハ既ニ西経十八度ヨリ潜航セリ
 敵機ノ電波探信儀(レーダー)ノ活用ニ対シテハ昼夜ノ別ナク
 厳重警戒ノ要アリト認ム

七月二十五日 午前二時三十分(日本時間)十通(通信隊)ニ対シ
 規約信号「ジー」ヲ発信シ直チニ了解ス
 昨日以来天候引続キ良好 長濤(波長ノ長イウネリ)アルモ
 波長大ニシテ航行ニ影響ナシ
 昨夜ヨリ今朝迄ノ実速十二ノット(時速二十二キロメートル)ナリ
 午後十時五分 百八十三度方向約三万メートルニ檣(ホバシラ マスト)ヲ
 発見ス 襲撃ノ見込ナク且被発見ニ於テハ
 爾後(以後)ノ行動ニ支障アリト認メ零度ニ変針 
 航走スルコト約一時間ノ後 原針路ニ復ス
 同船ハ多分南亜ヨリ「ブラジル」方向ニ向フモノナリト判断ス

七月二十九日  午前四時四十分(日本時間)暗号 訳了
        (入電 二十八日午後三時)
 在独武官→伊八 独館機密第七七八番電
 一、貴殿ノ到達港ハ安全性ノ見地ヨリ
  「ブレスト」(フランス ブルターニュ半島西端)ニ変更セラレタリ
    当初ノ予定ハ「ロリアン」(フランス ブルターニュ半島南側)
   「ブレスト」ハ「ロリアン」カラ見テ百二十キロメートル北西
    独逸海軍ノ地下要塞方式ノ強固ナ軍港
 ニ、航路及入港要領左ノ通変更
   (イ)会合点 北緯十六度三十分西経三十二度三十分ヨリ
       北緯三十九度〇分西経三十三度三十分ニ向フ

68:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/28 NY:AN:NY.AN P0lHjT9/P
(イ)会合点 北緯十六度三十分西経三十二度三十分ヨリ
      北緯三十九度〇分西経三十三度三十分ニ向フ

  (ロ)会合点ニ於イテ 独士官一 下士官二 貴艦ニ移乗ス
  (ハ)右独士官ハ「ビスケー湾」ニ於ケル航路、独警戒兼嚮導艦(先ニ立
     ッテ案内スル軍艦)トノ会合要領竝(ナラビ)ニ電波見張装置
     (レーダー波探知装置)ヲ携行ス
  (ニ)会合点以後ハ「アゾレス諸島」北方海面ヲ通過「ビスケー湾」ニ
     向フ アゾレス東方ハ敵機ノ危険大ナリ
七月三十一日 午後三時四分 百八十度ヨリ本艦ニ向フ複葉飛行機ヲ
   約八千メートル高度 七度付近ニ鹿野二曹ガ十倍双眼鏡ニテ発見シ
   急速深サ七十メートルニ避退潜航ス 攻撃シタル模様ナシ
   約一時間後ニ浮上シタルニ敵ヲ見ズ 北上ス
 所見 本潜航ハ一直ニテ実施セシガ哨戒長以下少々アワテ気味ニシテ
   拙イ急速潜航ヲ実施セリ 即チ三番見張ハ水防双眼鏡ノ防水蓋
   締方不十分ニシテ少量ノ浸水アリ 速力通信機係ハ左舷機ヲ
   停止マデマワサズニ強速トシタル為機械室ニテ処置ニ迷イ排気弁ノ
   点灯遅レタリ 一方哨戒長ハ排気弁ノ標示灯ツカザルニ カカワラズ
   「ベント」ヲ開ケリ 何(イズレ)モアワテシ為ナリ

八月二日午後二時四十五分(日本時間) 西経二十三度四十分ニ於イテ
   赤道ヲ南ヨリ北ニ通過ス
 ※ アセンション群島ノ北約八百キロメートル 
   リベリア国 モンロビア市南南西八百キロメートル
   水深 四千五百メートル
   此ノ時 天気良好 気温二十七、八度比較的高カラズ
   乗員ノ大部分ハ防暑服ニ着換エタルモ吾未ダ事業服ノ侭ナリ
   然シ遂ニ本日防暑服ニ着換エタリ
  
   熱帯圏ニ入ッタ伊八潜ハ暑熱ノ中デアエイデイタ
   狭イ艦内ニハ ヒットラー ノ贈リ物デアル
   「ユーボート」ノ回航員 五十人ナド定員外ノ乗員ガヒシメキアイ
   湿度ハ百パーセント空気ハ濁リキッテイタガ 
   外気ヲ吸エルノハ艦橋ニ立ツ見張リ員数人デアッタ
   真水ノ使用モ極度ニ制限サレ少量ノ
   飲用水ガ与エラレルダケダッタ   

69:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/30 NY:AN:NY.AN ZJTmsZ56P
ヒットラーノ贈リ物
ユーボート五一一 日本デノ呼称 呂 五百潜 乗員五十名

(※ 伊八潜ハ乗員 百名)
フランス ロリアン港出発カラ六十九日目 ニ 
       マレー半島南インド洋側 ペナン着
       (昭和十八年五月下旬頃カ ?)   
※ ペナン島 海軍潜水艦基地 海軍根拠地隊 海軍水上機基地  
昭和十八年八月四日 午前零時零分頃ヨリ風速約六メートル 風向二百三十度
 ニ変ル 天候良好 午前四時ヨリ上構内ノ状況調査ヲ行フ
 損傷 固縛等特ニ変化ナキモ ナンバー五エム・ティー(メーンタンク)
 右舷ヨリ相当ノ漏油発見シ コレヲナンバー六エム・ティーニ
 移スコトトス 先ニナンバー六エムティーニ漏油アリシトシ
 之(コレ)ヲ先ニ使用シアリシガ 先ノ漏油ハナンバー五エム・ティー
 ノ誤ナリシガ如シ
昭和十八年八月五日 独館機密第八〇九番電
 貴艦ニ装備スベキ電波見張装置(最新鋭型式)完成遅延スルニ付
 アゾレス西方会合点着ハ早クトモ八月十八日ニ変更セラレタリ
 (伊八潜ハ会合点到着予定ヲ八月十一日ト打電シテイタ)
 
 午前六時〇分ヨリ関係者ヲ集メ航路ソノ他
 会合遅延ニ対スル対策ヲ研究ス 
其ノ成果
 一、六日ヨリ毎日昼夜約十二時間ノ潜航ヲ行フ
   其ノ昼間ニ於テ単時間浮上 換気ヲ行フ
 二、夜分ハ半速ニテ充電航走ヲ行フ
 三、略
 四、燃料・清水ハ充分ナルモ糧食(主トシテ副食物)ニ不十分
   ナルモ 十日以内ノ遅延ナラバ差支ナシ
   午後五時ヨリ潜航ヲ開始シ午後十時五十分ヨリ
   午後十一時三十分迄浮上 更ニ潜航ス
 
 八月六日 午後四時四十五分ヨリ潜航 午後十時四十五分ヨリ
   午後十一時三十分迄換気ノ為浮上ス

 八月十五日 一日航程ヲ百六十マイル トスル
 

70:名乗リマセン勝ツマデハ
13/07/31 NY:AN:NY.AN 6IWlRYgCP
八月十五日 一日航程ヲ百六十マイル(二百五十六キロメートル)トスル為
   従前ヨリモ三〇分早ク浮上ス

   其ノ内ニ独武官ヨリ次ノ電アリ
   独館機密第八七一番電
 一、会合期日時刻 ハ 二十日(独時間)午後〇時
   グリニッチ時午前十時ニ決定 会合点ヲ北緯三十九度
   西経三十二度三十分ニ変更ス 即チ従来ノモノヨリ経度ニ於
   テ一度東方ナリ
 二、敵母艦機ニ対シ昼夜ヲ問ワズ厳重警戒アリ度シ
   昨十三日払暁アゾレス諸島西方ニ於テ独潜ハ敵機ヲ認メアリ
   右重ネテ独作戦部ヨリ注意アリタリ

八月二十日 明日ノ独潜トノ会合ニ先立チ午後〇時〇分ヨリ午後二時
   船内大掃除ヲ行フ 日没頃浮上 会合点ニ向フ
   日没時天測可能 尚 月明ヲ利用シ午前零時夜間天測ヲ行フ

   午後七時ノ会合(独逸標準二十日正午)ニハ少シ早過ギル為
   午後五時ヨリ午後六時迄潜航
   午後七時予定地点ニ達スルモ独潜ヲ認メズ
   暗雲アリテ視界良好ナラズ
   午後九時ニ至ルモ遂ニ認メズ 故ニ打チ合セニ従ヒ方位測定ヲ
    行ヒタルニ独潜ノ「ジー(ジャーマン)」ノ感度アリタレド
   感度低クシテ方位測定不可能ナリ
   会合不能ノ場合ニハ独潜カラ規約信号「ジー」ヲ発信
   受信シタ伊八潜ハコレニヨッテ方位ヲ測定
    方位ト「ジェイ(ジャパニーズ)」ヲ発信スルコトニナッテイタ
   依ッテ「ジェイ」ヲ送信セシニ間モナク規約ニヨル通報アリシモ
   三(算用数字・・方位ノ数字)ヲ一字トリシノミニテ受信不能
   遂ニ本艦ニオイテモ受信出来ザル為
   会合点ニ独潜ノ来ルヲ待ツ外ナシ
   午後十時十分十六度方向ニ独潜ヲ認メ
   午後十時二十三分本艦停止シ 独潜ユー 一六一 ハ
   右舷ニ来リテ停止セリ
   
   当時天候曇リ海上ハ時化テ独潜ノ低イ上甲板ハ常時海水洗ヒ半潜航
   ノ如キ有様ナリ 依ッテ本艦ニテゴム浮舟ヲ用意シ独潜ハ
   風下ニ移動シ舫銃(モヤイジュウ・舟ヲ繋ギ止メルタメノ綱渡シ銃)
   ニテ綱ヲ渡シ 両船ノ往復ノ準備ヲ完成シアリ

71:名乗リマセン勝ツマデハ
13/08/02 NY:AN:NY.AN r7qqxWAwP
舫銃(モヤイジュウ)ニテ綱ヲ渡シ 両船ノ往復ノ準備ヲ完成シアリ

 間ナク 独一士官ハ波ニ漂フゴム浮舟ニ向ッテ
 勇敢ニ飛ビ込メリ直チニ本艦ニ来リ両者ノ信号連絡ノ途(ミチ)ナル

八月二十一日 午後五時頃 独潜ヨリ移乗作業ヲ行ヒタキ申出アルタルニ付
 直チニ同意ス 独潜ノ浮舟ニ依リ下士官・兵各一
 電探ノ装置一式ヲ移載セリ
 
 午後六時三十三分 作業終了シ独潜ト分離シ アゾレス群島中ノ
 フロレス島ヲ約四十五カイリ(約八十三キロメートル)ニ
 望見シツツ之(コレ)ヲ迂回シ東ニ向フ
 
 (伊八潜ニ独潜ヨリ移載シ装備サレタ電波探信儀ハ簡便デ
  感度ハ日本製トハ比較ニナラナイホド優レテイタ

  内野艦長ハ日本海軍ノ名誉ヲ傷ツケル事ヲ恐レテ
  呉海軍工廠製ノ電探ハ解体シテ乗艦シタドイツ将兵三人ノ目ニハ
  触レナイヨウニシタガ コノ電探ニハ助ケラレテ 
  八月三十日 ブレスト ニ無事入港シタ

八月三十日 ユーボート基地ノアルブレスト湾ニ進入
  ペナン出港以来六十七日目 ブレスト潜水艦基地帰投ニ成功
  思ワズ 日独ノ万歳三唱スル乗組員 湾内ニハ多数ノ哨戒艇
  機雷原突破船ガ待機 伊八潜ヲ取リ囲ムヨウニシテ護衛
  基地ヘ誘導シタ
  上陸ハドイツ少女ノ花束贈呈デ始マッタ
  内野信二艦長 花束受領
  田渕亨機関長 花束受領
  上拾石康雄先任将校 敬礼
  伊八潜ハ厚イ ペトン(フランス語 コンクリートノ意)デオオワレタ
  ブンカー ト ヨブ艦庫ニ接舷シテイタ

72:名乗リマセン勝ツマデハ
13/08/03 NY:AN:NY.AN 2KvuxzqjP
八月三十日 上陸ハ ドイツ少女ノ花束贈呈デ始マッタ
 内野信二艦長 花束受領
 田渕亨機関長 花束受領
 上拾石康雄先任将校 敬礼

   ※先任将校 艦長ノ次席将校 一般的ニハ 其ノ階級デイル
      期間ガ最モ長イ将校 
 花束ハ水兵ニイタルマデ全員ニ送ラレタ 

 日独乗組員ノ交換会ガ行ワレ 其ノトキ持ッテキタ
 日本刀ニ ドイツ ノ乗組員ハ 関心ヲ寄セテイタ
 乗組員ハ第一種軍装ニ着替エタガ 体ハ全員 アカ ダラケダッタ
 二カ月以上ニワタル入浴ゼロノ艦内生活ノオカゲデ 
 靴下ヲ脱グト白イ粉ガタマリ下着ヲトッテモ白イ粉ガ
 舞イ散ツタ コノ粉ガスベテ アカ ダッタ
※伊八潜デ キニーネ スズ ナマゴム 等ノ戦略物資ヲ輸送
 人員ハ 西原中佐他五人 便乗
 
 ドイツ海軍ハ極東ノ国カラヤッテキタ深海ノ使者タチヲ心カラ
 歓迎 一日目カラ盛大ナ歓迎会ガ開カレタ
 
 十月五日日本ヘノ帰途ニ就クマデニ ドイツノ保養所デ休養
 フランス デハ フランス貴族ノ豪華ナ館ガ使ワレテイタ
 エッフェル塔前デ乗員ハ パリ ニモ 二泊招待サレタ
 其ノ間ニ 艦ニハドイツノ兵器・機械類ガ積込マレタ
 マタ 新タニ独二十ミリ四連装機銃モ装備サレタ
 
昭和十八年十月五日 十五時三十分 ブレスト出港

73:名乗リマセン勝ツマデハ
13/08/04 NY:AN:NY.AN aDNf9KV9P
昭和十八年十月五日 十五時三十分 ブレスト出港

     十月二十六日 赤道通過

     十月二十七日 哨戒機ニヨリ爆撃サレル
                  至近弾
     十一月十日  暴風圏突破
     
     十二月五日 シンガポール到着

     十二月二十一日 呉ニ到着

 伊八潜乗組員ノ訪独記録ヲ写真ニ収メタ
 ドイツ海軍戦報(宣伝)中隊ノ贈呈状
 (写真及ビ伊八潜乗組員ノ在欧日記)

       贈呈              ・右ニハ
                       ・獨逸語デ
 日本帝国海軍戦友ノ             ・同様ノ
 為ノ特輯(トクシフ・トクシュウ・特集)シテ ・文章ガ
         在ブレスト獨逸海軍戦報中隊 ・書イテ 
                       ・アル
   千九百四十三 戦 年

  ・-  伊八潜 訪独ニ成功セリ  ・-

74:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/06 16:42:34.69 fg2rlNhGP
日本軍ト インド国民軍
昭和十八年十月二十一日 インド独立連盟仮政府ガ 
 シンガポールデ発足シタ
主席ハ ガンジー、ネールト並ビ称サレタ
 インド 民族運動ノ指導者 チャンドラ・ボースガ就任シタ
 国旗ハインド独立ノ旗三色旗デアッタ
 インド国民軍アイ・エヌ・エイ ニハ旧英・印軍ノ捕虜ダケデナク
 東南ア在住ノインド兵志願兵ガ加ワリ
 美人大尉ト謳ワレタ 
 ラクシュミ 婦人部長(女医)ノモトニ
 アジア最初ノ婦人部隊 ジャンシー連隊ガ創設サレタ
 日本ハ大東亜会議ニ オブザーバートシテ出席シタ
 ボースノ“自由インド”(アサド・ヒンドゥ)ニ
 日本占領下ノ アンダマン・ニコバル諸島ヲ譲渡シ
 蜂谷輝雄 氏ヲ公使トシテ派遣シタ

昭和十九年三月 インパール攻略ノ
 (ウ)号作戦ガ発動サレルト
 インド国民軍ノ最高司令官 チャンドラボースハ
 祖国解放ノ戦イニ 日本軍ト対等デ英・支軍ト
 最前線デ戦ッタ
 コノ戦線デハ 英軍グルカ兵(ネパール国 山岳民族ノ兵士)ノ
 死ヲ恐レヌ信仰ノ為日本兵ノ一大脅威トナッテイタガ
 インド国民軍ノ兵士ハコレヲ退ケタノデアッタ
 日本兵ニハ 敵味方入リ混ジッタ戦場デ グルカ兵ト
 インド国民軍ノ見分ケガツカナイ恐レガアッタ

 インド国民軍ノ兵士ハ ガンジー・ネール・アサド
 ノ名ヲ冠シタ各連隊ニ分カレテイタノデアッタ

75:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/07 13:13:40.71 oSr8DUHBP
 インド国民軍(アイ・エヌ・エイ)ハ ガンジー・ネール・アサド
 ノ名ヲ冠シタ各連隊ニ分カレテイタノデアッタ
 インパール作戦ニ際シテハ
 ソノ編成ヲ 日本軍ニ見合ウ三個師団(三万人)ニ改メ
 東南亜在住ノインド人カラモ 二万人ノ義勇兵ヲ募リ
 「進メ デリーヘ」ヲ
 合言葉ニ インパールニ進軍シタ
 インパール作戦デ インド国民軍ノ一部隊ノ兵士ハ
 印・緬(ビルマ・現ミャンマー)ノ国境ヲ越エ
 故国ノ土ヲ踏ミシメ、 タゴール ノ歌ヲ合唱シタ
 
※ タゴール  ラビンナート・タゴール(千八百六十一年ー
                    千九百四十一年)
インドノ詩人・思想家
  千九百十三年(大正二年)「ギーターンジャリ」
  ギータ ハ歌 アンジャリ ハ 合掌 
  神ニ訴エカケル インドノ詩人デ
  ノーベル文学賞ヲ受賞スル アジア人デ最初ノ 
  ノーベル賞ノ受賞者
  インド国家 バングラディシュ国歌ノ作詞・作曲者

昭和十九年三月二十八日 第十五師団(祭・七三六一・敦賀)
  本多挺身隊 インド ミッション付近デ 
  コヒマ・インパール街道ヲ封鎖・遮断
昭和十九年四月六日 
  インパールノ北方ヲ迂回シタ第三十一師団(烈一〇七〇一・甲府)
  インド コヒマ占領
※第三十一師団(烈一〇七二一・甲府)
  第三十一歩兵団(一〇七二一・東京)
  歩兵第五十八連隊(一〇三五二・東京・十九・十一・十四復員)
  歩兵第百二十四連隊(八九〇六・甲府)
  歩兵第百三十八連隊(一〇三五三・千葉県佐倉)
  山砲兵第三十一連隊(一〇七〇三・東京)
  工兵第三十一連隊(一〇七〇四・柏)
  第三十一師団通信隊(一〇七〇五・東京)
  輜重(シチョウ)兵第三十一連隊(一〇七〇六・東京)ホカ
  輜重兵ハ軍需品ノ輸送ニ任ズル兵
  輜重輸卒ハ シチョウヘイ ノ監督下ニ輜重ノ運搬ニ
  従事スル兵

76:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/08 02:18:44.43 Z2MLMGB9P
ビルマ(現ミャンマー)インドニ於ケル 日本軍ト インド国民軍
昭和十九年四月六日
 インド東部インパールノ北方ヲ迂回シタ
 第三十一師団(烈一〇七〇一・甲府)ハ 
  インド コヒマ ヲ占領
昭和十九年二月四日 ビルマ西部インド東部インド洋ニ面スル
 マユ半島ノ激戦デ日本軍第五十五師団 歩百二十四連隊及ビ
 インド国民軍第一連隊ノ戦死傷二千四百五十二 英軍戦死三千五百六
 日本・インド国民軍 ハマユ半島ヲ制圧
※ 日本軍第五十五師団 第五十五歩兵団ハ 概ネ
  四国ノ各連隊デ編成サレテル
  善通寺連隊(香川県善通寺市) 丸亀連隊(香川県丸亀市)
  高知連隊(高知県高知市) 徳島連隊(徳島県徳島市) 
 
 引キ続キ日本軍百二十四連隊 木庭支隊ト
 インド国民軍第一連隊第一大隊ハ英軍ヲ追ッテ
 カラダン川上流カラ インドニ進攻シタ コノ時
 インド国民軍ノ兵士ハ祖国ノ土ヲ握リシメ
 持チ帰ル程ノ感激ブリデアッタ

77:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/09 11:57:40.60 ABeDgU+oP
昭和十九年五月初旬 マユ半島ヲ制圧シタ百二十四連隊木庭(コバ)支隊ト 
     インド国民軍第一連隊第一大隊ハ アキャブヲ占領
    更ニ 木庭支隊ト インド国民軍ハ カラダン川中流ノ町
    ミョーホン ニ集結シ カラダン河谷ノ英軍ヲ掃討
※ 木庭支隊歩兵第百二十四連隊(速射砲中隊[福岡]) 
  隊長 大佐 木庭知時(コバ トモトキ)熊本県出身 
  百二十四連隊ハ ガ島戦線ニモ従軍 
※ アキャブ ビルマ(ミャンマー)西部 内陸トノ交通便利ナ唯一
       ノ港湾都市 雨量ガ多ク米ノ栽培ガ盛ン
       カラダン川ガコノ付近デベンガル湾ニ注グ
昭和十九年十月 インド国民軍最高司令官チャンドラ・ボース ハ
 現インパール作戦ノ戦況 ニ於イテ ハ
 日本軍ガ緬甸[メンデン](ビルマ・現ミャンマー)西部カラ撤退シ
 イラワジ河ニ防御線ヲ敷ク作戦ニ出ル事ヲ知リ
 インド国民軍第二師団ヲ協力サセルコトニシタ
 ソシテ インド国民軍ノ司令官タチニ対シ
 「コノ日本軍・インド国民軍ノ不利ナ体制ニアッテ ナヲモ
 肩ヲ組ミ提携ヲ続ケル事ニ疑問ヲ持ツ向キモアルダロウガ
 今 コノ時期ニ於イテ 
 日本軍ヲ裏切レバ我々ノ インドハ
 戦況ノ良イ時ダケ日本軍ト提携スルノダト言ウ非難ヤ
 悪口ヲ受ケル事ニナル

 マタ、コノ闘イ・戦闘(武装闘争)ヲ続ケル事ニヨリ
 英軍ニ我々ノ断乎タル決意ヲ悟ラセ ソノ結果ガ
 今、英軍ニアル インド人兵士ガ
 我々インド国民軍ノ側ニナル行動トナッテ現ワレテ来ルノダ
  ト 説得シタ 
 インド国民軍ノ遊撃隊第一連隊(通称スバス連隊)ノ
 指揮官シャヌワ・-ズ大佐
 「本日モ糧秣・・・・・ 

78:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/09 17:32:28.35 ABeDgU+oP
インド国民軍ノ遊撃隊第一連隊(通称スバス連隊)ノ
 指揮官シャヌワ・-ズ大佐
 「本日モ糧秣一片モ無シ ガルワリー兵四名
 面前デ餓死ス」 ダガ
 シカシナガラ インド国民軍ノ将兵ハ未曾有(ミゾウ
 ・今マデ無カッタコト・空前)ノ苦難ニ直面シナガラモ
 歯ヲ喰イシバリ、秩序ヲ保ッタ
 コノ時生還シタ兵ハ三個師団ノ三万名ノウチ
 僅カニ 二千六百名(生還率九パーセント)デアッタ
 インパール戦争ハインド国民軍ニトッテ
 文字通リ生命ヲカケタ「独立戦争」デアッタ
※ ガルワリー民族(兵)[山岳民族]ノ 地
 北インド リシケーシュ市 
 ニューデリーノ北西約二百キロメートル汽車ニテ約五時間
 ハル(ハリ)ワール下車
 ヨーガノ故郷・修業ノ地  ヒンドゥー ノ聖地

79:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/12 01:52:28.87 B8jDK16gP
昭和二十年四月二十二日 日本軍ラングーン カラ撤退
昭和二十年四月日本軍撤退ノ後 
 インド国民軍最高司令官チャンドラボースノ命令デ
 ジャンシー連隊ノ撤退ガ無事完了スルマデ
 ラングーンニ踏ミトドマリ
 ソノ撤退完了後 自動車ト徒歩デ タイ ニ戻ッタ
※ インド国民軍婦人部隊・隊長 ラクシュミ婦人部長女医
昭和二十年八月十五日 日本 無条件降伏

昭和二十年八月十八日 ボースハ独立ト解放ヲ
 目指ス次ノ戦イニ ソ連ノ力ヲ借リルタメ台湾ノ
 松山飛行場カラ大連ヘ向カウ予定デアッタガ 
 乗機ノ九七式重爆ノプロペラガ外レル(ハズレル)事故ニヨリ
 ボースハ 大ヤケドヲ負ッタ ソノタメニ
 ハブビル・ラーマン大佐ニ
 遺言ヲ残シ ソレヲ
 インド国民ニ伝エテクレト頼ンダ 
 「祖国ニ行キ祖国ノ人々ニ 
 インドノ自由[アザト・ヒンドゥ]ノタメニ
        戦イ続ケルヨウ 伝エテクレ 
   インドハ自由(アザト)ニナルダロウ ソシテ
 永遠ニ自由[アザト]ダ 」ト告ゲタ 享年四十八歳

 ボーストトモニ消エタ インド 国民軍[ガンジー・ネール・
 アザト連隊]及ビ[婦人部隊ジャンシー連隊] ト
 ソノ兵士ハ・・

 九七式重爆 陸軍ノ爆撃機デ世界的水準ニ伍スルモノ・・・    
 

 
 

 

80:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/12 14:09:00.68 B8jDK16gP
※ 九七式二型重爆撃機 乗員六 空冷複式星型十四気筒 
   千四百五十馬力×二 全幅二十二、八メートル 
   全長十五、八六メートル 自重四、七五トン 全備重量十トン
   最大速度 時速三百九十七キロメートル
   実用上昇限度六千七百十メートル 
   武装七、七ミリ機銃五 十二、七ミリ機関砲一 
   爆弾七百五十キログラム
   尾部ニ遠隔管制銃ヲツケタ

 ボース トトモニ消エタ インド国民軍[ガンジー・ネール・
 アザト連隊]及ビ[婦人部隊ジャンシー連隊]ト
 ソノ兵士・旧将兵ノ約二万名ハ復員シタ シカシ
 英軍側ハ“生ケ贄”ノ代償トシテ シャヌワーズ大佐
 サイガル、ディロン両中佐ノ三人ヲ反逆罪デ
 軍事法廷ニカケタ ダガ
 ボースノ政敵ダッタ ネールマデ弁護人ノ役ヲ買ッテデルホド
 インド国民ノ「無罪釈放」要求ノ声ガ激化
 無期流刑ノ判決ハ有名無実ニ終ワッタ

 ソシテ彼ラノ統帥ボースハ今日 完全ニ名誉ヲ回復
 国民的英雄トシテ 巨大ナ像ガ インド国民軍(アイ・エヌ・エイ)ノ
 進撃目標デアッタ デリーノ レッドフォートノ前ニ建テラレ
 記念切手モ発売サレタ

81:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/21 16:15:21.37 w3s3h64tP
大東亞戦争 オーストラリア軍(豪州軍)トノ戦闘


 

82:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/21 16:32:07.82 w3s3h64tP
大東亜戦争 オーストラリア軍(豪州軍)トノ戦闘

 南太平洋ニアル世界最小ノ大陸ヲ中心トスル 
 オーストラリア連邦ハ
 千九百三十年代後半カラ
 西太平洋ノ強国日本ノ出方ニ神経ヲ尖
 セテイタ
 軍事的ニ見テ シンガポール ノ成リ行キトソノ 
 終結トナル結果ハ オーストラリア ニトッテ
 死活問題デアッタ

83:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/21 17:45:58.62 w3s3h64tP
昭和十六年 十二月八日
日本軍ノ進攻ヲウケタマレー半島ノ
英軍ハ退却ニ次グ退却デ 支離滅裂ノ混乱状態デアッタ
ソコヘ オーストラリア第八師団ニ命令ガ下サレタ

「シンガポール要塞カラ出テ 退却中ノ英軍主力部隊ヲ
収容スルタメ ムアル川ノ線ニ収容陣地ヲ構築セヨ」 デアッタ
※ムアル川 マレー半島マラッカ市東南東約五十キロ ニ
 末広ガリノ河口ヲ持ツ大河
 ココ パクリ ニ於イテ 
十二月十九日 日本軍 五反田戦車隊 六両ガ
 (五反田重信大尉 鹿児島県出身・戦車第十四連隊第三中隊)
 オーストラリア軍陣地ニ突入 
 英軍第四十五旅団長 指揮シテイタ ダンカン准将戦死
 豪陣地マデ アト三十メートルノトコロマデ 
 突撃シテ
 豪軍戦車十両ホカ高射砲・対戦車砲・装甲車ヲ破壊シタ
ダガ ソノ直後日本軍戦車六両 
 豪軍高射砲水平零距離射撃
 デ 命中弾ヲウケタガ余勢デ残ッタ豪軍高射砲ニ乗リ上ゲ
 コレヲ沈黙サセタ

 

84:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/22 14:41:06.90 kBvgpRYoP
パクリノ オーストラリア軍陣地ニ突撃シタ五反田戦車隊六両
(戦車第十四連隊第三中隊五反田重信大尉鹿児島県出身)
乗員十八人ト軍医一名 戦死
最前線ニ軍医ガ出ルコトハ珍シカッタガ 豪軍陣地突破ノ難シサヲ
考エテ 小宅軍医中尉ガ名乗リ出タ
※高射砲弾ノ水平発射ノ際ハ正面カラ見ルト
青白イ閃光ガ走ルト言ウコトダ
五反田戦車隊ノ突入ハ パクリデ豪・英軍三千ヲ引キツケタ
 ソノ結果、迂回シタ木庭支隊・第五師団佐伯支隊ハ メルシン ヨンベン    
ゲマス ナドデ オーストラリア軍ト激戦ヲシ退却中ノ豪州軍ト英軍ノ
主力部隊ノ退路ヲ遮断シ壊滅的ナ打撃ヲ与エルコトトナッタ
アル豪軍旅団ナド
一個旅団三千人中生還シタ人員ハ
負傷者ヲ含メテ五百人ニ減ッテイタ

シンガポール島ノ攻防戦デ 豪軍第八師団ハ
西北地区ヲ防御シタ
シンガポール島ノ要塞砲ハ外海ニ向キ ジョホール水道側ヲマレーノ密林
ニヨル天然要塞ト見立テテ西北地区海岸線ノ防御ハ鉄条網ダケニシテイタ
一方 英軍ハ日本軍ノ上陸地点ヲ北東部ト想定シ
主力ヲ配置シタ
シンガポール島ヘノ ジョホール水道渡河計画ハ
工兵専門家二人ガ日本カラ派遣サレ 二月初メカラ ムアル川
デ渡河訓練 九日カラ渡河作業隊(独立工兵第二十三連隊基幹)
ガ兵器ヤ弾薬ヲ陸揚ゲシタ
舟艇ノ数ハ百八十隻 参加シタ戦車ハ百三十四両
※上陸前 鈴木光男 曹長ト早川正 兵長ハ 
 ジョホール水道ヲ泳イデ渡リ敵情偵察シ爆破サレタ五十メートル
 ニ及ブ破壊状態ヲ調ベ上ゲタ
※第五師団 島根 広島 山口ノ兵隊カラナル師団
  衛戍地 広島 (エイジュチ 軍隊等ガ長止マッテ警備スル場所)
    

85:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/24 12:02:16.71 rol5+FZU0
上陸前 鈴木光男 曹長ト早川 正兵長ハジョホール水道ヲ
 泳イデ渡リ敵情視察シ爆破サレタ五十メートルニ及ブ
 破壊状態ヲ調ベ上ゲタ
※水道ノ幅五百カラ一キロメートル
 上陸地点ニハ豪軍第八師団ガ防御シテイタ

86:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/24 12:56:23.63 rol5+FZU0
五反田戦車隊ガ パクリ デ豪・英軍機械化高射砲部隊三千 二
大打撃ヲ与エテルトキ クワンタン カラ南下ノ第十八師団木庭支隊ハ
崖ヲ登リ密林ヲ縫ッテ前進 メルシン 
デハ百十人余ノ死傷者ヲ出シタ ソノ時 第五師団佐伯支隊ガ救援ニ
オモムキ クルアン デ第十八師団主力ニ合流シタ
※木庭支隊 久留米第十八師団菊兵団歩兵第五十五連隊
      木庭 大(コバヒロシ)大佐 
      (衛戍地 福岡県久留米市)
※佐伯支隊 中国軍管区司令部
      広島第五師団捜索第五連隊
      佐伯 静雄 中佐
      

87:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/25 01:16:49.60 leFcyLZ40
昭和十七年二月八日 ジョホールニ勢ゾロイシタ第二十五軍ノ
近衛師団 第五師団 第十八師団 シンガポール島上陸開始

コレニ先立ツテ 空ノ マレー作戦ハ陸軍第三飛行集団六百十二機ト
海軍第十二・二十二航空戦隊百五十八機ニヨルシンガポール
爆撃デ開始サレテイタ
陸軍機 九七式重爆 九九式双発軽爆 
一式戦闘機(隼キ・四三) 二式戦闘機(鐘馗キ・四四)
海軍機 九六式陸上攻撃機 一式陸上攻撃機 九七式艦上攻撃機 
    零式艦上戦闘機  
昭和十七年二月七日夜半、シンガポール北西部ヘノ日本軍主力
ノ渡河上陸作戦ニ先立チ、 陽動作戦トシテ英軍主力ノ展開スル
チャンギ―要塞
対岸ノウビン島ニ上陸シタ チャンギ―要塞ハ英軍主力ガ
守備シテイタ 二月十五日陥落
昭和十七年二月八日日本軍主力ガシンガポール島ニ上陸開始
対スルハ シンガポール島西北地区ヲ防御シテイタ 
豪第八師団一万二千人ノ基幹部隊

88:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/26 15:57:29.22 61ytCBcP0
シンガポール総攻撃
英軍ハ日本軍ノ上陸地点ヲシンガポール島ノ北東部ト想定シココニ
主力ヲ配置シタ
昭和十七年二月八日 ジョホール水道北東部ニ砲列ヲシイタ 
 日本軍ノ第二十五軍(司令官 山下奉文 中将)直属ノ砲兵隊ハ
 午前十時カラ十五センチ榴弾砲二十四門ト 十センチ加農砲十六門
 デ豪州第八師団ノ陣地ニ集中砲撃ヲ開始シタ
※加農砲ハ砲身長 長ク高初速・長射程デ低仰角 直接照準ノ大砲
 主ニ砲兵隊ガ使ウ 加農砲ハ ヨーロッパ圏デハ カノン砲 
 カノン トハ 棒ノ意味
※榴弾砲 曲射砲トモ言ワレ高仰角 口径ニ比ベテ砲身長ガ加農砲
 ニ比ベテ短イ 戦艦 大和ノ大砲モ榴弾砲ノ一種
 大和ノ砲弾モ着弾時ニハホボ垂直ニ着弾スル
 大和ノ砲弾ハ三十カラ四十キロメートル飛ブノデ照準ニハ
 地球自転ニヨル偏向力・コリオリ ノ 力モ計算ニ入レル
総攻略戦ニハ戦車百三十四両 折リ畳ミ船重橋 鉄舟門橋 小発動艇
 ヲ駆使シテ ジョホール水道ヲ渡河シタ
 オーストラリア軍第八師団トノ激シイ砲撃・戦車戦デ日本軍ガ
 初メテ経験シタ近代戦デアッタ
昭和十七年二月八日 昼間ノ砲爆撃後ノ午後深夜 シンガポール島
 敵前上陸ノ第五(広島)・第十八(久留米)師団ハ海岸ノ
 マングローブ林デ 豪軍ノ兵士ト白兵戦ヲ繰リ広ゲ テンガー飛行場ヲ
 占領シタガ コノ上陸戦デ五分ノ二ガ戦死スルト言ウ激戦デアッタ
 豪第八師団ノ兵モ弾薬ヲ撃チツクシ マングローブノ湿地ノ中デ
 日本軍ノ兵士ト白兵戦マデヤッタ
※白兵戦 白兵ヲ以ッテスル肉迫戦 
     白兵・・敵ヲ斬リマタハ突キ刺ス兵器・剣 槍(拳銃)
     肉迫・・敵陣ナドニ身ヲ以テ迫リヨル事

89:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/27 04:16:59.99 WfDhOlGE0
八十八番 上カラ 四行目    ・・・ 
昭和十七年二月八日ジョホール水道北東部ニ砲列ヲシイタ ヲ
                ・・・
                北西部  ニ訂正

90:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/28 01:10:22.90 b5EaSW220
万歳アタック!一億火ノ玉砕ダ!!
ピカドーン!!!!!!!!!!

・・・・・・。
朕ハ耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ビ難キヲ忍ビ?

91:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/28 17:28:08.03 xnQwut1/0
マレー作戦・シンガポール方面ニ出動シタ日本軍用機
陸軍機 
九七式重爆 乗員六名 空冷・複式・星型十四気筒
 千四百五十馬力×二 全幅二十二、八メートル全長十五、八六メートル
 自重 四、七五トン 全備重量 十、〇トン
 最大速度 時速三百九十七キロメートル実用上昇限度六千七百十メートル
 武装七、七ミリ機銃 五 十二、七ミリ機銃一 爆弾七百五十キログラム
九九式双発軽爆撃機 乗員四名 空冷複式星型十四気筒
 千百三十馬力×二 全幅十七、四五メートル 全長十二、七五メートル
 自重四、五五トン 全備重量六、七五トン
 最大速度時速五百五キロメートル 実用上昇限度一万メートル
 航続距離 二千四百キロメートル 武装七、七ミリ機銃×三
 爆弾 五百キログラム
一式戦闘機 隼 乗員一名 空冷複式星型十四気筒
 千百五十馬力×一 全幅十一、四四メートル 全長八、九二メートル
 自重一、九一トン 全備重量二、五六三トン
 最大速度 時速五百七十六キロメートル
 実用上昇限度 一万三千五百メートル航続距離千六百十キロメートル
 武装 十三ミリ機銃×二 七、七ミリ機銃×二
 二百五十キログラム爆弾×二
二式戦闘機 鐘馗 乗員一名 空冷腹式星型十四気筒
 千四百五十馬力×一 全幅九、四五メートル 全長八、八九メートル
 自重一、九五トン 全備重量二、五七一トン
 最大速度 時速六百十五キロメートル
 実用上昇限度一万一千七百メートル 航続距離千百七十キロメートル
 武装十三ミリ機銃×二 七、七ミリ機銃×二
海軍機
 九六式陸上攻撃機 中攻 乗員七名

92:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/29 09:17:11.14 yVjZcAWr0
マレー作戦・シンガポール方面ニ出動シタ日本軍用機
海軍機
 九六式陸上攻撃機 中攻 乗員七名 空冷複式星型十四気筒
 千七十馬力×二 全幅二十五メートル 全長十六、四五メートル
 自重五、一五トン 全備重量八トン 
 最大速度時速二百一、五キロメートル実用上昇限度六千メートル
 航続距離二千五百二十二キロメートル
 武装二十ミリ機関砲×一 七、七ミリ機銃×一
 爆弾八百キログラム搭載
一式陸上攻撃機 葉巻 乗員七名
 空冷複式星型十四気筒 千八百五十馬力×二
 全幅二十四、八八メートル 全長十六、六三メートル
 自重八、三九一トン 全備重量十二、五トン
 最大速度 時速二百四十四キロメートル実用上昇限度九千メートル
 航続距離三千六百四十キロメートル
 武装 二十ミリ機関砲×四 十三ミリ機銃×一
 爆弾八百キログラム搭載
九七式艦上攻撃機 乗員三名
 空冷複式星型十四気筒 九百七十馬力×一
 全幅 十五、五一八メートル 全長 十、三メートル
 自重二、二七九トン 全備重量 三、八トン
 最大速度 時速二百四キロメートル 航続距離千七十五キロメートル
 武装七、七ミリ機銃×一 爆弾八百キロ又ハ八百キロ魚雷搭載
零式艦上戦闘機 零戦 乗員一名
 空冷複式星型十四気筒 千百馬力×一 全幅十一メートル
 全長九、〇八七メートル 自重一、八七三トン
 全備重量二、六八六トン 最大速度時速三百二キロメートル
 実用上昇限度一万一千五十メートル
 航続距離千七百四十六キロメートル
 武装二十ミリ機関砲×二 十三ミリ機銃×三 六十キロ爆弾×二 

 

93:名乗リマセン勝ツマデハ
13/11/30 09:01:50.00 JtdQifzF0
昭和十七年二月十日 シンガポール島ブキテマ高地攻防戦開始
 ジョホール ノ渡河地点ハ マングローブガ生イ茂ル湿地帯デ
 ソノ林ノ中ヲ大砲モ砲弾モ日本軍ハ
 人力デ運搬シタノデアッタ
第二十五軍ノ砲撃ハ計百六十門ノ大砲ニヨルモノデ加農砲・榴弾砲
 臼砲ニヨル砲撃デアッタ
※臼砲 迫撃砲ノ一種デ ブキテマ高地攻略戦ニ使ワレタリ
 硫黄島デハ噴進砲ト言ワレテ使ワレタ
 正式ニハ九八式臼砲 重量約一、二トン 口径三十三センチ
 砲弾重量 三百キログラム 
 到達距離ハ推進薬ノ量ニモヨル ガ
 仰角四十五度デ発射 五千メートルナラバ五千×一〇ノ平方根デ
 約二百二十四メートル毎秒ノ初速デイイ 火薬量 
 鉄筋コンクリート固メノトーチカヲ破壊
昭和十七年二月十一日 戦況ハブキテマデ停滞シタ
 シンガポール市街マデ アト一歩ノ ブキテマ村デ第五・第十八
 師団ハ 豪第八師団(一万二千人)ノ十字砲火ヲ浴ビタ
※十字砲火 小銃・機関銃・大砲ノ弾ガ交差シテ飛ブ様子

94:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/01 13:40:43.73 D1IuX2Yc0
 ブキテマ村デハ三差路ヲ中心ニ十一・十二日昼夜ヲ問ワズ
 砲撃ト白兵戦ガ繰リ返サレ村ハ壊滅 両軍ハ負傷者ノ
 収容モママナラナイ程ノ損害ヲ出シタ
昭和十七年二月十三日 豪・英軍ハ味方ノ死体ヲ遺棄シタママ
 敗走シタ
 シンガポール市街ノ死闘ハ四日間続イタ                         
                              

95:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/02 15:34:20.46 N96uK1tL0
昭和十七年二月十五日 午後二時
 ブキテマノ杉浦部隊(第五師団第二十一旅団
 ・第三十一旅団トモ書カレテル)
 ニ ニュビギン英軍参謀ラガ降伏ヲ申シ入レタ 日本軍ガブキテマ高地ヲ
 押サエ水道ヲ止メタソレガ英・豪軍ニ降伏ヲ決意サセタノデアッタ
 英・豪軍陣地ニハ次々ト白旗ガ上ガッタ。
・・・・・・・
 豪州(オーストラリア)ハ マレー戦ノ末頃日本軍ノ脅威ヲ受ケツツアル
 ニューギニア ブーゲンビル ニューブリテン ナドノアル
 豪州北方地域ニ新タニ新兵力ヲ配置シタ
 ニューブリテン島ラバウル ニハ 第二十三旅団二個中隊 義勇小銃隊
 対戦車砲隊 空軍派遣隊

96:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/08 16:35:55.34 LeflpX4+P
オーストラリア・豪州軍トノ戦闘
 ニューアイルランド島北端)カビエン ニハ 
 一独立中隊 指揮官 小佐
 東部ニューギニア) ブロロウ(ワウ北方十五キロ)・ワウ・ラエ
  サラモア ニハ 独立中隊ト義勇小銃隊
 アドミラルティー島)ロレンガウ(カビエン西約六百キロメートル)
  ブーゲンビル島ブカ及ビフロリダ島ツラギ ニハ分遣隊 
 豪軍ニューギニア部隊ハ 在ポートモレスビー第三旅団
 第三十九歩兵大隊ヲ ココダ ニ急派シタ
八月九日カラノ日本軍ノ急進撃デ戦局ハ ココダ カラ 
 イスラバ ニ移ツッタ
 戦場ノ オーエンスタンレー山系ハ
(山系中最高峰ハ アルバートエドワード山三千九百九十三メートル)
 標高二千カラ三千メートル 鬱蒼タル巨木生イ茂ル ジャングル地帯ノ
 中ノ日本軍トオーストラリア軍ノ戦闘デアッタ
 イスラバニハ豪第三十旅団ノ六個中隊モ防御配置ニツイテイテ更ニ
 豪軍第二十一旅団(豪軍第七師団)モ加ワワッタ
 オーストラリア軍(豪軍)ハ後方基地ノポートモレスビーニ
 歩兵三個旅団二万二千人ヲ集結サセテイタ
 イスラバデノ日本軍トノ交戦デ第三十九大隊モ第二十一旅団主力モ
 戦力ヲ消耗シタ
九月中旬・・・


   

97:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/09 10:02:09.80 hhWE8+neP
昭和十七年九月中旬 スタンレー山脈南西平野入口ノ町イオリバイワ 
  ガ日本軍南海支隊ニヨリ占領サレタ
※日本軍兵力 南海支隊 
 第五十五歩兵団司令部 四国善通寺編制 
 高知歩兵第百四十四連隊 大阪高槻編制独立工兵第十五連隊 
 山砲兵第五十五連隊 第一野戦病院 一万二千四百七十人
 
 海軍陸戦隊 三千四百三十人
 
 台湾高砂義勇兵輜重兵(シチョウ) 五千人 計 二万九百人

 オーストラリア軍ハ ポートモレスビーヨリ五個大隊ヲ機動配備シテ
 イオリバイワ正面デ日本軍南海支隊ノ進撃ヲ食イ止メル攻勢ニ出タ
日本陸軍ノ歩兵部隊ノ規格ハ概ネ 一個小隊六十人
 三個小隊百八十人デ 一個中隊 コレガ三個中隊デ 一個大隊
 三大隊デ一個連隊 三個連隊デ一個師団 従ッテ一個師団ハ
 三・三・三方式ダト四千八百六十人デアルガ
 開戦時ノ改編ニヨリ
 歩兵連隊三個ヲ指揮スル「歩兵団」一個モ混在スル師団モアッタ
 マタ一個旅団ハ二個連隊カラナル

 米国ハ豪州防衛ノ鍵ハニューギニアニアルト考エテ 特ニ
 ポートモレスビーヲ重視シタ
 ソコデ イオリバイワ ココダ道沿イニ攻勢ヲトルタメ 印度
 カラ転用シタ米軍第十六旅団ガ投入シタ
マタコノ攻勢ト連携シテ 米軍ガ・・・  

  

  
  

98:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/09 15:46:18.49 K+8NJJOe0
※ 日本陸軍ノ歩兵部隊ノ規格ハ概ネ
 一個小隊ハ六十人 三個小隊百八十人デ一個中隊 
 
 ソノ他ノ規格トシテ 歩兵旅団 六千人 歩兵連隊二千七百人
 歩兵大隊八百人 デ歩兵中隊 百八十人
 歩兵旅団ハ通常二個連隊カラナッテイル タダ計算通リデハナイ
 
 
 

99:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/10 16:37:09.55 BfnbXXXPP
米国ハ豪州防衛ノ鍵ハ ニューギニア ニアルト考エテ 特ニ
ポートモレスビーヲ重視シタ ソコデ イオリバイワ ココダ道
沿イニ攻勢ヲトルタメ印度カラ転用シタ米軍第十六旅団ヲ投入シタ

 マタコノ攻勢ト連携シテ 米軍ガ海上ト空中ヲ迂回機動シテ
 日本軍ノ背後(ブナ南方)ニ上陸ヲ企テタノデアッタ
昭和十七年九月十五日 迂回部隊ノ米第百二十六連隊ガ 
 ポートモレスビーニ空輸サレタ
オーエンスタンレー山系デノ豪・米軍ノ攻勢ハ日本軍ノ攻撃ヲ排除シ
 逐次北ニ移動シタ ココデ初メテ日本軍ハニューギニアデ
 米軍正規軍ト戦ッタノデアッタ
 コレヒドールデノ米軍ハ ヘルメットハ豪軍ト似テイタモノダッタガ
 コノ米軍第百二十六連隊ノ兵士ノ被ッテイタモノハ全ク違ッテイタ
 コレヨリ
 日本軍ハブナ地区絶対確保ヲ方針トシテイタノデ昭和十八年一月マデ
 米・豪軍トノ死闘ガ開始サレタノデアッタ
 豪軍ノ戦死二千百六十五人 戦傷三千五百三十三人
 オーストラリア ニトッテ 対日戦ノ重サハ 
 豪軍 戦争全期間デノ戦死戦傷 二万七千人 ノウチ
 太平洋戦域デノ戦死戦傷 一万七千人 デアッタ
 ・・・・・・
 マキン島守備隊金光久三郎兵曹長指揮ノ陸戦隊ノ闘イ

100:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/12 17:25:38.64 0emeKqVqP
マキン島守備隊金光久三郎兵曹長(准尉・特務曹長)指揮ノ
 海軍陸戦隊ノ闘イ
 米軍ハ ソロモン方面日本軍ノ兵力増強ノ牽制 ト 
 情報資料ノ奪取ヲ目的ニシテ 日本軍占領下ノ マキン島
 奇襲ト 撤収作戦ヲ決行シタ 
 併セテ米国民ノ士気高揚モ狙イトシタ
昭和十七年八月十七日夜 米軍カールソン海兵隊中佐率イル
 海兵隊員二百二十人ガ マキン島ヲ奇襲攻撃シテキタ
 日本軍守備隊ハ 金光久三郎指揮ノ陸戦隊員ラ 七十三人
 デマキン島ヲ守備シテイタノデアッタ
 米海兵隊員二百二十人ハ潜水艦 ノーチラス ト 
 アルゴノートデ ハワイ基地カラ輸送サレテキタ 
 米海兵決死隊ハ コノ二隻ノ潜水艦カラ十九隻ノゴムボート
 デ 十七日午前二時海岸ニ上ガリマキン島奥地ヘト侵入ヲ図ッタ 
 日頃陽気ナ海兵隊員タチモ
 コノ決死行ニ出撃スル時ニハ表情ガ皆ナ硬カッタ
 上陸後 日本軍守備隊陣地ヲ目指シテ進撃中ソノ間デ隊員ガ
 日本軍ノ待チ伏セトミテ自動小銃ヲ発射シタ
 銃声ヲ聞キ付ケタ南洋興発貿易支店長ノ急報
 ヲ受ケタ日本軍守備隊ハ直チニ散開シテ応戦シタ
  ・・・・
※米国潜水艦 ノーチラス 水上二千七百三十トン 
 全長百六、四メートル 全幅十、四メートル
 

101:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/13 15:29:09.77 V9/W4hgvP
※米国潜水艦 ノーチラス 水上二千七百三十トン 乗員八十八名
 全長百六、四メートル 全幅十、四メートル
 水上十七ノット 時速三十一キロメートル
 水中八ノット  時速十五キロメートル 
 武装六インチ(十五、二四センチ)砲×二 二十ミリ機銃×四

       アルゴノート 水上二千百七十トン 乗員八十八名
 全長百十六メートル 全幅十、三メートル
 水上十五ノット 時速二十八キロメートル
 水中八ノット 時速十五キロメートル 
 武装 六インチ(約十五センチ)砲×二 二十ミリ機銃×五

 日本軍守備隊ハ散兵豪ヲ伝イ反撃戦ヲ繰リ返シタ⇒

 マキン島 島民ハ島内安全ナ場所ニ於イテコノ戦闘ノ様子
 ヲ見タリ聞イタリ シテイタ 島民ノ聞イタ米軍海兵決死隊
 ノ小銃ノ音ハ トゥルトゥルトゥルトゥル ・・ノヨウナ
 連続音デ 日本軍陸戦隊ノ小銃ノ音ハ連続的デハナイガ正確ニ
 断続シタ重低音ダトノコトデアッタ
 米海兵隊ノ使ッタ銃ハ外観ハ 消音装置ノ付イタ自動小銃
 日本軍陸戦隊ノ使ッタ銃ハ三八式歩兵銃デアッタ
 銃ノ性能ノ比較ハ ソノ銃ヲ使用スル兵隊ノ能力次第デ
 決メラレルト思ワレル
 コノ戦闘デハ 日本軍守備隊金光久三郎兵曹長指揮ノ陸戦隊員七十三名
 デ 自動小銃他各種ノ近代兵器デ武装シタ 
 カールソン海兵中佐ノ率イル
 米軍海兵決死隊 二百二十人ノ奇襲攻撃ニ
 曝サレテモマキン島ヲ守備シタノハ マキントウ守備隊兵士ノ戦闘能力
 ガ高カッタカラダト考エラレル
 
 ⇒夜明ケトトモニ浮上シタ 二隻ノ潜水艦ノ撃チ出ス合計四門ノ
 十五サンチ砲ノ猛烈ナ艦砲射撃ヲ受ケ日本軍陸戦隊ノ散兵隊兵士ハ 
 砲弾ヲ避ケナガラ島ノ奥地ニ後退シタ 
※三八式歩兵銃 口径六、五ミリ・・・・
 自動小銃 スプリングフィールド エムジュウロク 口径五、五六ミリ
 
 
 

102:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/15 13:35:00.26 rqMxlQJxP
※三八式歩兵銃 口径六、五ミリ 銃身長七十九、七センチメートル
 全長一、二七六メートル 重量三、七三キログラム
 射程二千四百メートル 有効射程四百六十メートル
 装弾数五発
※有効射程 敵ニ直撃ヲ与エラレル事ノデキル効力射程距離

※自動小銃スプリングフィールドエム十六 口径五、五六ミリ
 銃身長五十、八センチメートル 全長〇、九九九メートル
 重量三、五キログラム 有効射程五百メートル
 装弾数二十発/三十発 箱型弾倉
 昭和十七年八月十七日午前二時     
 日本軍守備隊カラノ無電連絡ヲ受ケタ日本軍ハ内南洋部隊及ビ
 第四艦隊(旗艦鹿島)第六根拠地隊隷下ノ各部隊ヘ 
 マキン島救援ノ命令ヲ下シタ
 島ノ奥地ニ後退シテイタ日本軍守備隊ハ偶然ゴムボートゴト
 流サレタ米海兵隊ノ一部ニ
 背後カラ攻撃サレ 弾薬輸送車ヲ喪失 ソノタメ弾薬ガ
 欠乏シテイシタ 
 
 午前中三回 日本軍爆撃機ガ潜水中ノ米軍二隻ノ潜水艦ヤ
 上陸シタ米海兵隊ヲ爆撃シタ
 十八日朝守備隊トノ連絡ガ海軍零式水上偵察機デトレタ
 昭和十七年八月十七日夜米海兵隊撤収作戦開始

103:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/16 09:29:48.37 0a1Uam78P
昭和十七年八月十七日
 米軍二隻ノ潜水艦ハ日本軍機ノ爆撃カラ逃レ 夕方マデ潜航
 シナガラ避退行動ヲトッテイタ
 日中ノ戦闘ハ日本軍陸戦隊ハ マキン島奥地ノ山間部ニ立テコモリ
 弾薬ノ使用ヲ制限シテ米軍海兵決死隊ト白兵戦ヲ展開シタ
 夕方ヨリ米軍海兵隊ノ撤収作戦ガ始マッタ
昭和十八年八月十八日
 撤収ハ夜明ケトトモニ開始サレタガ日本軍機ノ攻撃デ頓挫シ
 降伏文書ノ作成ヲ行ッタ 
 コノ間 撤収作戦モ進メテイタ
 八月十八日夜 浮上シタ二隻ノ潜水艦ヘノ乗艦ガ完了シタ
 八月十九日日本軍九七式大型飛行艇二機デ陸戦隊一個小隊三十一人
 ヲ武器弾薬トトモニ空輸シタ
 到着スルトスグニ 島内ノ掃討作戦ヲ実施シタ 
 米軍海兵決死隊ハ ソノ後ハワイニ帰投シタ
コノ戦闘結果
 日本軍陸戦隊戦死者 金光久三郎兵曹長以下 四十三人
           行方不明 二人 
 アメリカ軍海兵隊戦死者 二十一人 溺死者 七人
           捕虜 九人 負傷者 十四人

※ナオ アメリカ海兵隊員 潜水艦ニ乗リ込ム時
 日本軍ノ三八式歩兵銃ヲ持ッテ乗リ込ンデイタ

・・・・・・・・

104:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/20 00:00:40.19 /2vxsR040
ヤッパリ情報戦ニツイテイケテナイヨナ

105:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/20 16:55:15.25 SZHW2S8AP
徳川家康 勝ツ事バカリ知リテ、敗ルルコトヲ、知ラザレバ
     百害ソノ身ニ及ブ
孫武 書物「孫子」ノ著述者 紀元前五百年
     彼レヲ知リ、己ヲシレバ、百戦シテ危ウカラズ
     
紫電改強シ 戦後米軍ガ発表シタ試験飛行記録
 「紫電改ノマグネットヲ アメリカ製ノモノト換エ
 百オクタンノ燃料ヲ使用シテ試験飛行ヲ行ッタトコロ
 当時ノドノ アメリカノ海軍戦闘機ヨリモ優速デアッタ」

紫電改空戦記 堀 光雄 海軍飛行兵曹長(准尉) 
                岐阜県出身 戦後三上ニ改姓
昭和二十年四月六日米軍海兵隊 沖縄ノ北飛行場ヲ使イ出シタ
 コレニ対シテ日本海軍航空部隊モ第一回ノ攻撃ヲカケタ
 コレヨリ後同ジク四月上旬 三四三空通称 剣 部隊ハ
 紫電改八十機デ鹿屋基地ニ進出シタ
※鹿屋市 鹿児島県大隅半島ノ中心都市 鹿屋港ハ湾内交通ノ中心

 三四三空ハ三〇一飛行隊七〇一飛行隊四〇七飛行隊デ編制サレテイル
昭和二十年四月十日午前十時過ギ鹿屋(カノヤ)基地ヲ 
 四機編隊 ゴトニ離陸シタ
 七十機ノ紫電改ガ高度六千メートルデ奄美大島上空ニ差シ掛カッテ
 奄美大島名瀬上空ニ進入シタ時スグ
 「アラワシ、アラワシ。ワレ敵発見」トノ報セガ耳ニ入ッタ
※アラワシ ハ全飛行機ヘト言ウ略語
 「松村小隊、松村小隊。上空ニ残リ指揮ヲトレ」トイウ指令ガ
 間髪ヲ入レズレシーバーニ聞コエテキタ
※一小隊ハ四機・四機ノ八機編制
 グラマン八機編隊ガ四・五千メートルノ高度カラコチラニ向カッテ上昇
 シテクル
 ソノ後方ニハ ワンサ ト後続ノ エフ六エフガ詰メカケテイル
 敵味方ノ距離ハ急速ニ縮マル 敵機ハ百機グライイルヨウダ
 コノ エフ六エフ ハ、・・・
 

 

106:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/21 13:45:56.95 0C9SgEnbP
コノ エフ六エフ ハ 近クニ行動スル機動部隊カラ発艦シテ母艦ノ
 レーダーニヨツテ誘導サレテイルラシイ コノホカニ 
 沖縄飛行場カラ発進シタト見ラレル ピー五十一ガ数機
 グラマン隊ノ後方カラ突進シテキタ
 隊長機(菅野大尉)ハ 第一小隊八機ノ先頭ニタッテ 
 左下方四千メートル付近ノ五・六機ヲ狙ッテ矢ノヨウニ降下シテ行ク
 敵ノグラマン ハ右ニ旋回シツツ 降ッテクル日本軍機八機ヲ
 カワソウトシテイル
 七〇一飛行隊、四〇七飛行隊モソレゾレイマヤ空戦ニ入ラント
 スルトコロダ
 残ッタワレワレ第二小隊以下十六機ハ増速シテ 
 第一小隊ヲ上方カラ援護シツツ 敵ノ上空ヘ進ンダ
 敵編隊ノ後上方ニ迫ッタ菅野隊長機カラ早クモ
 赤イ火箭(カセン・火ヲツケテ射ル矢)ガ迸リ出タ
 敵ノ四番機カラ パット黒イ人影ガ躍リ出シ 続イテ白イ
 落下傘ガサーッ ト開イタ 操縦者ヲ失ッタ敵機ハ 機尾カラ
 黒煙ヲ曳キ機首ヲ垂直ニ下ゲルト ソノママ遥カ下ノ紺碧ノ
 海ヘ落チテ行ッタ
「隊長ヤッタナ」ト思ッテ見テイルト 引キ起コシタ隊長機カラ
「全機突入セヨ」ト命令ガ下ッタ 隊長機ノ前方 我々ノ前下方ニ
 二・三十機ノグラマン編隊ガイル

※一五試改局地戦闘機 紫電改 乗員一 空冷複式星型 十八気筒
 千九百九十馬力 全幅十二メートル 全長八、八八五メートル
 自重二、八九七トン 全備重量三、九トン
 最大速度 時速五百八十三、三八キロメートル
 実用上昇限度一万二千百メートル航続距離千三百七十四キロメートル
 武装二十ミリ機関砲×四 二百五十キロ爆弾×二
ーーーーーーーーーーーーー 







  

107:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/23 06:54:04.38 EE2FfIqoP
レスナンバー 九十二
海軍機ノ最大速度ハ ノット表示 従ッテ 
キロメートル毎時ニスル時ニハ 一、八五二倍スル
九六式陸上攻撃機ハ 最大速度時速三百七十三キロメートル
一式陸上攻撃機 ハ 最大速度時速四百四十五キロメートル
九七式艦上攻撃機ハ 最大速度時速三百七十七キロメートル
零式艦上戦闘機 ハ 最大速度時速五百六十キロメートル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「隊長 ヤッタナ」ト思ッテ見テイルト 引キ起コシタ
 隊長機カラ「全機突入セヨ」ト命令ガ下ッタ
 隊長機ノ前方 我々ノ前下方ニ 二・三十機ノグラマン
 ノ編隊ガイル・・
 ・・トコロデ、 私ハコノ少シ前カラ、二・三千メートル右横ニ
 私達ノ編隊ト反航シテ上昇中ノグラマンノ編隊ガイルノニ
 気付イテイタ ソレデ
 逆ニ 私ハ前下方ニ突入セズ エフ六エフノ後方ニ廻リ込ム
 ヨウニ大キク右上昇旋回シテ敵八機編隊ノ死角ニ入ルヨウ
 列機ヲ誘導シタ
 二番機ハ 田中昿上飛曹 三番機桐山上飛曹 
 四番機仲睦愛一飛曹 コノ三人ハピタリト私ノ後方ニクッツイテクル
 田中、桐山両上飛曹ハ、トモニ甲種予科練ノ出身デアル スデニ
 下方、上方ニ敵味方 百数十機ガ入リ乱レテ空戦ガ始マッテイル
 目ヲ皿ニシテ全周ヲ見廻ワス・・ スルト
イタ!左方七・八百メートル低イ高度ニ編隊カラ離レテエフ六エフガ
  一機飛ンデイル 
 ヨシ、好イカモダ! ダガ四機デカカル要ハナイ
 私ハ三番機ノ田中上飛曹ヘ左手ヲ挙ゲテ人差シ指デグラマンヲ示シタ
 緊張シタ面持チデ 田中上飛曹ハ左手ヲ挙ゲテ了解ヲ表示スルト
 直チニ左ニ翼ヲ傾ケテ急反転シ降下シテイッタ
 ソレヲ見届ケテ 私ハ列機ト側上方ニ、上昇シ続ケル八機ノ
 グラマン編隊ニ向カッテ攻撃動作ニ専念シタ
 

108:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/25 11:57:14.25 4n2jjwhBP
私ハ列機トトモニ側上方ニ、上昇シ続ケル八機ノグラマン編隊ニ向カッテ
 攻撃動作ニ専念シタ
 敵ガ大キナ旋回ヲ続ケルノデソノ下方ヲ内側、内側ト進ンデ
 敵ニ接近シテイッタ
「ドウヤラ、ウマク敵ノ死角ニモグリコメソウダ」
 ヤガテ八機ノグラマンハ上昇ヲ止メ 水平飛行ニ移ッタ
 一方、田中機ハト、チラット下方ヲ眺メヤルト 
 彼ハ猛烈ナスピードデ 一機ノグラマンノ後上方ニ追イスガリ
 バラバラト一連射ヲ加エナガラ敵ニ迫ルトコロデアッタ
 田中機ノ二十ミリ機関砲弾ハ敵ノ機体中央部ニ炸裂シタ
 彼ガ紫電改ヲグット引キ起コシタトキ ハヤ ソノグラマンノ機首
 ハ ガクリト下ガッタ。ト、右ノ翼ガ、ユラリト持チ上ガッタト
 見ル間モナク、ユックリト下向キニ旋回ヲ始メタ
 錐リ揉ミデアル
 ソノグラマンハ 錐リ揉ミカラ機ヲ立テ直ス模様モナク
 旋回シナガラ墜チテイッタ
 私タチ三機ハ田中機ノ撃墜ブリニ勇気ヅケラレナガラ、狙ウ
 グラマン八機ノ後方カラ近接シテイッタ
 充分敵ノ腹ノ下ニモグリコンダトコロデ、急速ニ高度ヲ上ゲタ。
 敵機トノ直線距離ハ六百メートル。 
「モウスグ射撃ダ」、ソノ前ニ敵機ノ警戒デ上下左右ヲ一瞥シタ
 敵機ノ高度ヲ抜キ高度差百メートルデ攻撃スル決意ヲシタ
 敵機ハ四機ト四機ノ編隊後方ノ四機ハ前方編隊ノ
 左後方ニ位置シテイル 
 私ハ後方四機ノ左外側機四番機ヲ狙ッタ
 三百メートル 二百五十メートル 二百メートルー
 グット把柄ヲニギリシメタ。
 発射ノ軽イ反動ヲ感ジタ 
 敵機ノ映像ガ映像照準器(オーピーエル)カラハミ出シソウニナル、・
 機ヲヒネッテ急上昇スル 二十ミリ機関砲弾ヲ受ケタグラマンハ
 両翼ガホトンド同時ニ吹キ飛ビソノタメ尾翼 方向舵 風防モ
 バラバラニモギトラレタ 二十ミリ機関砲四挺ハ一瞬ノウチニ
 グラマンヲ空中分解サセテシマウ程ノ凄マジイ威力デアッタ

  

109:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/26 15:16:30.79 QRNJGXORP
紫電改ノ二ジュウミリ機関砲四挺ハ一瞬ノウチニグラマンヲ
空中分解サセテシマウ程ノ凄マジイ威力デアッタ⇒

グラマン エフ六エフ 艦上戦闘機 ヘルキャット 乗員一
 空冷複式星型十八気筒二千馬力 全幅十三メートル 全長十、二メートル
重量四、一トン 全備重量五、七トン
 最大速度時速六百四十キロメートル 
 実用上昇限度一万一千五百三十メートル
 航続距離二千八百八十キロメートル 武装十二、七ミリ機銃×六
 爆弾四百五十キログラム×二
ピー五十一 ノースアメリカン ムスタング 陸軍戦闘機
 乗員一 液冷ブイ型十二気筒千七百馬力 全幅十一、三メートル
 全長九、八メートル 重量三、四トン 全備重量四、五トン
 最大速度時速七百三キロメートル 航続距離二千六百五十五キロメートル
 実用上昇限度一万二千七百七十メートル
 武装十二、七ミリ機銃×六 爆弾四百五十キログラム×二

⇒コレニ驚イタ敵ハ 二(フタ)ツニ分カレ前ノ四機ガ右ニ急旋回シ後ノ
 三機ハ左ヘ廻ッタ ソノタメニ前ノ四機ハ右方ニ向イタ私ノ機ノ両翼
 ノ下ニ入ッテシマイ見エナクナッタ
 直チニ左ヘ切リ替エシテ左ヘ避退スル
 三機編隊ニ再ビ機首ヲ向ケタ 敵三機編隊ハ編隊ノママ深イ
 旋回ヲシナガラ逃ゲヨウトスル ガ 私ノ方ガ早カッタ
 後上方ニ迫ッタ私シノ照準器ガ敵機ヲ捉エテイル
 左外側ニ位置スル二番機ノ映像ガ左ニ揺レ上ニ振ラレテ グングン
 大キクナッテ行ク
 機銃把柄ヲ引ク 私ノ両翼カラ出タ赤イ火ノ流レガ敵機ノ胴体ニ届イタ
 瞬間 、敵機ノ右翼ノ燃料タンクノ付近ヨリ バーット 火ガ
 噴キ出シタ 
 敵機ハ機首ヲ突ッ込ンデ ダイブニウツッタ 
 火ヲ消ソウトスルツモリダ ダガアノ火勢デハ 
 墜落イガイニ無イノダ  二機撃墜 (昭和二十年四月中旬)
・・・・
昭和二十年六月下旬
四百機ノ敵 頭上ノビー二十九 眼下ノグラマン

110:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/28 02:14:01.20 irYWDePPP
 敵機ハ機首ヲ突ッ込ンデ ダイブニウツッタ
 火ヲ消ソウトスルツモリダ 二機撃墜(昭和二十年四月中旬)
               
 -----------              ↓ 
 昭和二十年六月下旬  !ーーーーーーーーーーー  ↓ 
 四百機ノ敵 頭上ノビー二十九 眼科ノグラマン ! ↓
 -----------------------  ↓
 昭和二十年四月中旬 ソノ時隊長ノ        ←
「空戦止メ、集マレ」トイウ電話ガ入ッタ
 暫ラク飛ンデ薩摩半島開聞岳ガ前方ニ見エダシタコロ前方ニポツン ト
 浮カブ一機ガ見エタ ソレハ隊長機デアッタ ソコデグラマン一機
 ヲ撃墜シタ桐山上飛曹ト三機編隊ヲ組ミ鹿屋基地ニ向カッタ
 私タチガ着陸シタアト基地ニハ二機三機トバラバラニナッテ
 出撃機ガ帰ッテ来タ
 ダガ心配ナコトニ松村大尉ガ帰ッテコナイノデアル 
 総合結果ハ二十数機撃墜トイウコトデアッタ コノウチ隊長ノ
 菅野大尉ハ三機墜トシテオリ被弾ハ零デアッタ
 杉田上飛曹モ二機墜トシテイル
 
 間モナク松村大尉ノ消息ガ入電シタ 
 松村小隊長ハ敵一機ヲ撃墜シタガ自機モ被弾シ 
 徳之島基地ニ不時着シタトイウコトデ、ナニハサテオキ私ハホットシタ
 我々戦闘機乗リハ自分ノ直属隊長ノ編隊カラ離レルコトヲ
 固ク戒メラレテオリ同時ニ我々自身モソレヲ非常ニ恥ジトシテイル
 モシ松村小隊長ガ戦死デモシテイルト先任下士官トシテ搭乗員達ヲ
 指導ス立場ニアル私ハ顔ヲ上ゲテハ隊内ヲ歩ケナイノデアル
 コノ日ノ戦果ハ
 グラマン エフ六エフ二十数機撃墜
 三四三空 剣 部隊紫電改七十機ノウチ十二機ノ未帰還ヲ数エタ

 鹿屋デハ連日、来襲スル敵戦闘機群トノ間ニ激シイ
 空戦ガ続イタ 薩摩半島ト志布志湾口ノ電探ノ下ヲ掻イ潜ッテ
 電探見張リ所カラ鹿屋基地マデノ三十キロメートル ヲ
 時速六百四十キロノ速度デ
 グラマンニ 超低空デ飛ンデ来ラレルト
 ドウシテモ奇襲サレテシマウ



                                      ←↓

111:名乗リマセン勝ツマデハ
13/12/31 14:58:17.95 ekslWPVpP
昭和二十年四月十五日 杉田機撃墜サル
杉田庄一 海軍少尉二十一歳(山本五十六大将直掩機六機中一機ノ操縦士)
 喜界島(キカイジマ)<キカイガシマ>鹿児島市南方
 三百キロメートル奄美大島東約二十五キロメートル
四月十五日 喜界島邀撃戦カラ四日後ノ午後三時頃、種子島電探見張所ヨリ
 エフ六エフ十五・六機ガ北上中トイウ情報ガ入ッタ
 直チニ出動命令ガ出サレタガ搭乗員ガ愛機ニ乗リ込ンダ時ニハ
 ハヤ敵機ハ基地上空六千メートルニ来テイタ
 杉田上飛曹ト他ノ二・三機ハソレニ気付カズ離陸シテシマッタ
 気性ノ 荒々シイ 杉田ハ タトエ気付イタトシテモ
 攻撃ニ立チ向カウ男デアッタ
 ソウナルト上空ノ敵機ハ上カラ カブッテクルノハ必至デアッタ
  撃墜サレル公算ガ大キイノデアル
 果タシテ二機ノグラマン機ガ滑走路カラ フワリ ト浮イタバカリノ
 杉田機ヲ狙ッテ急降下シテ来タ
 皆ガ「アッ、」「アッ」トイウウチニ
 杉田機ハウシロ(後)カラ嘗メラレテ、一撃デ燃エ出シタ
 ソシテソノママ飛行場ヲ数キロ離レタ畠ノ中ニ墜落シテシマッタ
 防空壕ノ入口カラ
 皆ガ見テイル前ノ出来事ダッタ
 数機ノグラマンハ、ナヲモ超低空ニ下ガッテ傍若無人ニ
 地上ヲ機銃掃射シタ後ヨウヤク機種ヲ南ニ廻シテ去ッタ
 コノ日ノ邀撃(ヨウゲキ)ニ舞イ上ガッタ機ハ
 殆ンド墜(オ)トサレタ 
 モウ三十秒早ケレバ墜トサレズニ済ンダノデアッタ

 三四三空剣部隊 四百機ノ敵ニ挑ム

112:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/02 17:26:54.99 Z777x+lWP
三四三空 剣部隊 四百機ノ敵ニ挑ム 頭上ノビー二十九 眼下ノグラマン

昭和二十年六月下旬 六月末頃カラ三四三空剣部隊ハ
 ビー二十九、ビー二十四ナド大型機邀撃ニ専念スルコトニナッタ 
 大型機トイッテモ当時本土ニ来襲スルモノハ
 ビー二十九ダケデアッタ
七月初旬ノ午前 九州ノ都市ノ焼夷弾攻撃ニ来タ
 ビー二十九邀撃ニ出動シタ
 高度六千メートルデ十六機ノビー二十九デアル
 コレハ大分県上空デ捉エタ コチラノ高度ハ六千三百メートル
 三百メートルホド優位デアッタ管野隊長ハ最後尾ノ四機編隊
 四番機ヲ狙ッテ攻撃ヲ開始シタ 垂直 直上方攻撃デアル
 一列ニ伸ビタ菅野編隊紫電改四機ガ ビー二十九ノ直上方ニ達スルト
 一機ヅツクルリ ト身ヲ翻シテ垂直降下シ次々ニ敵ノ四番機ニ
 二十ミリ四挺ノ攻撃ヲ加エテ行ッタ
 中々ビー二十九ハ頑強ダ 後ニ続ク私ノ位置カラハ
 礫(ツブテ・小石ヲ投ゲルコト又ハソノ小石)ノゴトクビー二十九ニ
 落チカカッテ行ク味方機ニ向カッテビー二十九編隊ヨリ夕立チヲ
 逆サニシタヨウニ降リ注グ赤イ曳光弾ガ 実ニヨク見エルノデアル
 ビー二十九ハ十三ミリ機銃三連装砲塔ヲ前方後方ニ四ツモッテイル
 直上攻撃ノ場合、ビー二十九 八機カラハ
 計二十四挺ノ銃弾ガ集中スル 悠長ニ攻撃シテイルト、敵ニ
 致命傷ヲ与エル前ニ コチラガ墜トサレル 従ッテ
「アッ」ト言ウ間ニ一撃ヲカケ、敵弾ニ曝サレル時間ヲ
 最小ニスル事ガ必要ダ
 四番目ノ紫電改ガ集中スル敵弾ノ中ニ飛ビコンデ無事ニソノ後方ヲ
 躱ワ(カワス・ブツカラナイヨウニ身ヲ転ジテ避ケル) シタ

 五番目ハ私デアル 私ハ敵ノ上空ヘ突進シタ ソシテ
 ビー二十九編隊ノ直上カラ垂直降下、「サッ」ト
 一撃ヲカケテ引キ起コシタ 逐次高度ヲ取ッテイル時、敵ノ四番機
 ノ右翼ガ燃エ出シタ
 私ノ列機ハ攻撃目標ヲ敵三番機ニ変エテ突進シタ
・・・・・・  

113:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/03 17:31:04.59 LrhCCbUsP
「サッ」ト一撃ヲカケテ引キ起コシタ 逐次高度ヲ取ッテイル時
 敵ノ四番機ノ右翼ガ燃エ出シタ
 私ノ列機ハ攻撃目標ヲ敵三番機ニ変エテ突進シタ
 私ハモウスデニ ビー二十九ノ編隊カラ距離ガ開イテシマッタノデ
 私ハ再ビコノビー二十九ニカカルコトニ決メタ
 見ルト右外エンジンカラ火ヲ吐イテ飛ンデイル
 敵機ハ編隊ヨリダンダン遅レ高度ヲ下ゲテ行ッタ。私ハ落伍スル
 ビー二十九ノ上方ニ位置ヲ占メ僚機ノ後ヲ承ケテ一撃ヲ加エタ
 敵機ハモウ右翼全面カラ火ヲ曳イテイル 
 敵ノ下方ニ変ッタ私ガ機ヲ引キ起コシテ攻撃ノ効果ハドウカト
 ビー二十九ヲ見上ゲタ時
 敵機ハ 真ッ赤ナ火ノ玉トナッタ、カト思ウト
 大爆発シテ両翼・胴体・尾翼ガ四方八方ニ飛ンダ。
 大空ヲ ノタウツヨウニ落チテ行クソノ胴体カラ
 白イ落下傘ガ五・六個飛ビ出シ ユラユラト
 大空ニ落チテ行ッタ コノホカニモウ一機黒煙ヲ曳イテ飛ビ去ル
 ビー二十九ヲ見タケレドモ墜落ハ確認デキナカッタ

 コノ日ノ味方ニハ仲一飛曹ノ空中分解ノホカ未帰還
 戦死ハ出ナカッタ・・・仲一飛曹ハ空中分解スル機カラ脱出シタ
 
 ・・高度六千メートル空中分解スル紫電改カラ脱出 生還・・ 

114:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/05 11:29:09.32 Gvep/4WxP
高度六千メートル 空中分解スル紫電改カラ脱出
 気温零下二十度空気ノ濃サ地上ノ半分以下(現在ノ気圧単位デ言エバ
 地上一気圧=千十三、二五ヘクトパスカル
 高度六千メートル四百七十一、七ヘクトパスカル)

 私ノ四番機仲一飛曹ガ、ビー二十九編隊ノ三百メートル
 直上方カラ垂直降下シツツ
 二十ミリ機関砲ノ一撃ヲカケ ビー二十九ノ後方ヲ躱(カワ)シテ
 引キ起コシタトキダ 何カガ 「キラッ」ト光ッタ 
 尾翼ガ飛ンダノダ 空中分解ダ 仲機ハ 
 キラキラト陽光ヲ反射サセナガラ、クルリト回リ、錐揉ミ状態デ
 墜チテ行ッタ。
 ダガ、仲ハ機体カラ一向ニ
 飛ビ出サナイ 彼ハクルクル旋転シテ落下スル機体ノ中ニアッテ
 錐揉ミノ回復操作ニ懸命ニナッテイルダロウカ
 マタ操縦席ノ中デ振リ回サレル身ヲ支エ、必死ニナッテ風防ヲ
 開ケヨウトシテイルノカ
 仲機ハ大地ニ向カッテ ズンズン姿ヲ小サクシテ行ク。 トッ、
 高度千メートル位ニナッタ時、漸ク機体カラ
 黒イ人影ガ離レ、スルスルト白イ落下傘ノ帯ガ引キズリ出サレタ
 ソシテ、フンワリト、青イ畑ヲ背景ニシテ
 クラゲノヨウニ浮イタ
「ヨカッタ ! 」私ハ「フー 」ト大キナ息ヲ吐イテ純白ノクラゲ
 ノ行キ先ヲ眺メタ。
 大村(オウムラ)基地ニ帰投後 仲一飛曹ノ安否ヲ案ジテイルト
 暫クシテ大分空ニ収容無事ダトイウ電報ガ入ッタ
 ヤガテ、彼ハ飛行機ニヨッテオクラレテキタ
 紺色ノ袱紗ニ包マレタ 刀 ヲ左手ニ携エテ、ニコニコシナガラ
 機ヨリ下リタ ソシテ胸ノポケットカラ水晶発振器ヲ
 二個取リ出シテ見セタ 
 彼ノ話デハ、落下傘デ着地シタカレハ彼ヨリ先ニ墜チタ、近クデ
 勢イヨク燃エル愛機ノモトニ走リ寄リ、炎ヲカイ潜ッテ
 操縦席後部ニ手ヲ入レ送信機ヨリ水晶発振器ヲ
 トリダシタノダト 言ウ
 ※大村基地 長崎県大村市(オウムラシ)今津町 
   現自衛隊第二十二航空群 国立真珠研究所

115:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/07 13:40:51.97 Zdqc0DH8P
彼ノ話デハ、 落下傘デ着地シタ彼ハ 彼ヨリ先ニ墜チタ、近クデ
 勢イヨク燃エル愛機ノ元ニ走リヨリ、炎ヲカイ潜ッテ
 操縦席後部ニ手ヲ入レ送信機ヨリ水晶発振器ヲ
 取リ出シタノダト 言ウ
 今日ノ紫電改ノ邀撃戦ヲ地上デ見テイタ村人達ハ、ソノ感激ヲ
 彼一人ニブッツケ、「 兵隊サン、兵隊サン」ト呼ンデハ
 オ茶ヲ呑マセタリ桃ヲ持ッテキテ労(イタ)ワッタ。
 頑固ソウデハアルガ善良ナ人柄ニ見エル一老人ハ
 一振リノ 刀 ヲモッテ駆ケツケ、
 「コノ 刀 ハ祖父ガ 田原坂(タバルザカ) デ戦ッタ
 刀 ダ。次ハコレデ
 敵ヲヤッツケテクレ」ト言ッテ 固辞スル彼ニトウトウ
 押シ付ケタト言ウノデアッタ
 空中分解シテ落下スル飛行機ヨリ無事脱出シタ例ハ少ナイ
 無事ダッタノハ 一 ニ仲一飛曹ノ沈着ニヨルモノダ シカモ
 地上ニ降リ立ツト 多クノ人ハ気ヲ緩メテグッタリスルノニ、
 彼ハ貴重ナ水晶発振器ヲ取リ出シテイル
 水晶発振器ハ当時生産ガ追イツカズ 各部隊トモ入手ニ
 困難ヲ極メテイタ コレハ電気的振動数ガ一定シテイテ安定シタ
 周波数ヲ発信スルノデ コレ無クシテハ無線電話ノ交信ガ
 ヤリ憎イノデアッタ
 隊長ハ彼ノ為特別善行章ノ授与ヲ申請シタ
※ 田原坂(タバルザカ)ノ戦イ西南戦争 明治十年(千八百
 七十七年)
 三月十日 カラ 十五日現在ノ熊本県熊本市植木町田原坂ノ激戦
 官軍ト薩摩軍ガ廃刀令ナドノ考エ方ノ対立デ起コッタ西南戦争ノ
 一ツノ激戦 西郷隆盛ヲ盟主トスル薩摩軍(薩摩 熊本 宮崎
 大分)ト明治政府側官軍ノ 戦争 
 官軍ハ薩軍ノ抜刀白兵戦ニ手モ足モ出ナカッタ
 タメニ官軍ハ明治政府警視隊ノ中カラ剣術ニ秀デタ
 警察官ヲ選抜シテ抜刀隊ヲ編成シ敗勢ノ挽回ヲハカリ
 態勢ノ立テ直シニ成功シタ
※ コノ 老人ノ祖父ハ西郷隆盛率イル
 薩軍抜刀隊ノ兵士ト思ワレル
昭和二十年七月二十四日 敵機動部隊四・五百機ノ空襲
 二十四機ノ紫電改一斉離陸

116:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/08 17:35:40.86 9Okxzbj+P
昭和二十年七月ニ十四日 敵機動部隊四・五百機ノ空襲
 敵ノ一波ガ四国南端ニ出現シタトイウ報ニヨッテ直チニ
 出動ヲ命ゼラレタ
 鴛淵大尉ガ指揮官トナッタ⇒ワタシハ
※ 鴛淵孝(オシブチタカシ) 少佐 [鴛・・オシドリ ノ『オシ』]
  長崎県長崎市出身大正八年(千九百十九年)生
  千九百四十五年七月二十四日 豊後水道上空デ戦死 二十五歳
※ 菅野直(カンノナオシ) 中佐
  大日本帝国朝鮮竜口大正十年(千九百二十一年)生
  千九百四十五年八月一日大日本帝国屋久島近海上空デ戦死 二十三歳 
⇒私ハ菅野隊長 二番機トナッタ
 発信ノ令トトモニ二十四機ガ一斉ニ離陸シ飛行場上空デ編隊ヲ整エテ
 ソノママグングン上昇シタ
 高度六千メートル 暫ラク東進スルト 佐田岬上空ヲ飛ブ
 ケシ粒ノヨウナ敵編隊ヲ発見シタ。
 敵ノ高度ハ我々ヨリ低ク四千メートルデアル
 攻撃ハウマク行キソウダ
 今日ノグラマン編隊ハ、地上砲火ノ抵抗ハアッタモノノ、戦闘機ニヨル
 空中ノ反撃ハ全然受ケテナイハズダ 攻撃任務ヲ果タシテ
 帰途ニツイテイル現在ハ、気ヲ緩メテイルニ違イナイ
 十分ニ後方ニツイタ紫電改ノ編隊ハ降下ノスピードヲ加エテ敵方ヘ
 接近シタ 佐田岬ガグングン後ロニ遠ザカル
 目標ハ二十数機ノビー二十九編隊ヲ目高ノ位置デ護衛スル
 三十数機ノエフ六エフ編隊デアル
 菅野隊長ガ左右ノ後方ニツク列機ノ方ヲ チラチラト振リ返ッタ
 イヨイヨ敵ニ突ッ込ムノダ 私モ今一度後上方ヲ見廻ス
 隊長機ハ、グラマン最後尾ノ四機編隊ヲ狙ッテ グイ ト
 機首ヲ下ゲタ
 隊長ハ敵ノ一番機ニ向カッテ四条ノ火箭ヲ注イダ
 両翼ノ縁カラ赤イ細イ棒ガ ニューッ ト伸ビテ行ク感ジダ
 命中。
 瞬間グラマンノ左翼ガ バーント引キチギレタ。 ト、
 水平ノ姿勢カラ左ヘ ガタント傾イテ機首ヲ下ゲ、ソノ勢イノママ
 次ニ大キク螺旋状ニクルクルト旋転シ始メタ

117:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/10 15:31:22.47 KvsoYh8BP
 水平ノ姿勢カラ左ヘ ガタント傾イテ機首ヲ下ゲ、ソノ勢イノママ
 次ニ大キク螺旋状ニクルクルト旋転シ始メタ
 ・・・
 私ハ二番機ヲ照準器ニ入レタ 機銃把柄ヲグイト握リシメタ
 火ノ棒ガ敵機ニ届イタト思ウ間モナク水平尾翼ガ両方共吹キ飛ンダ
 忽チマチ垂直尾翼モ真横ニ大キクチギレ飛ブ
 コノ奇襲ニ驚イタ敵ハ スグ防禦態勢ヲトッタ 敵モサルモノデアル
 イヤ 技量ハコチラ以上ノモノガ多イノダ
 八機編隊ガ四機ゴトニ別レテ蛇行運動ヲ始メタ 
 ソシテソノ運動コースガ数メートルノ高度デ交叉スル
 ソウナルト ワレワレガ一編隊(四機)ヲ襲オウトスレバ
 他ノ四機編隊ニヨッテ側面カラ攻撃サレルノデ迂闊ニ近寄レナイ。ガ、
 幸イニコチラノ高度ハグラマンノ編隊ヨリ マダ高イ
 チャンスヲ窺ガッテイル
 前後左右敵味方ノ戦闘機ガ、旋回、上昇、降下ト鎬(シノギ)ヲ
 削ッテイル
 下ニ四国、九州ノ山々ガ連ナリ、ソノ間ヲ豊後水道ガ
 紺青ノ太イ帯トナッテ南ヘ開ケテ行ク グラマン四機ト四機ガ 
 交叉シタ後次第ニ距離ヲ開イテイッタ
 「モウスグ内側ニ旋回シ始メルゾ」ット 思ッタ時 隊長機ガ
 手近ノ九州寄リニ向カウ四機ノ後上方ニ急降下シタ
 私達列機ハ ピッタリコノ後(ウシ)ロニツイテ降下スル
 凄イスピードデ敵ニ迫ル隊長機ハ一番機ヲ照準シテイル
 案ノ定、左方ノ敵四機ガ掩護シヨウト直チニ垂直旋回ニカカッタ
 急イデ攻撃シナケレバ危ナイ
 私ニハ隊長ノ攻撃ブリヲ一瞥サエスルコトガ出来ナイ
 私ハ敵ノ四番機ヲ照準器ニ入レヨウト操縦桿、フットバーヲ細カク
 操作シタ。
 隊長機ガ敵一番機ヲ攻撃シテ引キ起コシニカカルノガ
 私ノ照準器ノ端ニ映ッタ
 一瞬 私ハ照準器ヨリ目ヲ離シテ チラト左ノ敵編隊ヲ見タ
 「イケナイ!」 敵ハモウ六百メートルホドニ近ヅイテイル
 残念ナガラモウ射撃スル暇ハナイ 操縦桿ヲ引キ起コシ、右足ヲ
 踏ンデ右ニ上昇旋回 レバー 一杯。別府湾ノ方ヘ全速避退シタ 
 ・・・ソノ時耳モトノ レシーバーガ叫ンダ

118:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/11 17:40:46.95 +lwCWgE3P
・・・ソノ時耳モトノ レシーバーガ叫ンダ
 「オーイ、俺ガ撃ッタノハ墜チタカッ!」隊長ノ特徴アル口調デアル
 「今ノハ墜チタ、ワレ本田一番」四〇七飛行隊ノホンダ飛曹長ガ
 撃墜ヲ確認シテイタノダ
 「了解 了解」」ト答エル隊長ノ声ハ軽ク弾ンデイタ
 コノ空戦デハ 十六機ノエフ六エフヲ墜トシタ 
 紫電改日本軍機ノ損害ハ五・六機デアッタ⇒

※ 三四三空ハ三飛行隊ヨリ成リ、私ノ三〇一飛行隊ハ松山基地ニイタガ
 鴛淵孝大尉ノ戦闘七〇一飛行隊ハ大分基地、林喜重大尉ノ
 戦闘四〇七飛行隊ハ鹿児島県出水基地ト、ソレゾレ別レテ
 訓練 編成ニアタッタ
※本田稔 海軍少尉 大正十二年(千九百二十三年)生 熊本県出身
 広島市ヘノ原爆投下ヲ空中デ目撃 衝撃波デ五百メートル落下スル
※林喜重(キジュウ・ヨシシゲ)海軍少佐 大正九年(千九百二十年)生
 神奈川県鎌倉町出身 昭和二十年四月二十日
 鹿児島県折口浜上空デ戦死
※武藤金義 海軍中尉 大正五年(千九百十六年)愛知県出身
 昭和二十年七月二十四日 豊後水道上空デ戦死
※出水基地(イズミ基地)
 鹿児島県出水市(イズミシ)鹿児島県北西端旧士族屋敷ガ特色
 鹿児島本線ガ通ジル出水(イズミ)トソノ外港
 米ノ津(コメノツ)ノ二ツヲ中心トスル

⇒昭和二十年八月一日沖縄基地カラ飛来スル敵機ニ対シテ鹿児島南方デ
 一撃ヲ加エルタメニ出撃ガ令サレタ
 指揮官ハ菅野大尉デアッタ 私ノ搭乗割ハ菅野区隊ニツク
 二区隊長デアッタ
 紫電改二十機編隊ハ九州西岸ニ沿ッテ高度ヲ取リツツ南下ヲ続ケタ
 薩摩、大隅ノ両半島ヲ遥カ下ニ見ナガラ過ギ屋久島ニ達シタ時
 高度五千メートルニビー二十四ガ二機 編隊ヲ組ンデ ユックリ旋回
 シテイルノヲ発見シタ
 隊長ハ旋回中ノ敵機ノ上空ヘ直進スル
 ビー二十四ハ三機ト二機ノ二個編隊ニ増エ旋回ヲ止メ
 緊密隊形ノママ南下シ始メタ
 敵機ノ各銃座カラ突キ出シタ機銃ハ ミナコチラニ指向サレテイル
 私ノ風防外ヲシューッ シューット赤イ炎ガ行キ交ッテイル
 

119:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/13 16:55:40.93 20P1p8ftP
 私ノ風防外ヲシューッ シューット赤イ炎ガ行キ交ッテイル
・・・・・
 一撃カケテ敵ノ後下方ノ射程外ニ突キヌケタ 急降下ノ途中、
 「ワレ機銃筒内爆発ス。ワレ カンノ一番」ト電話ガ入ッタ
 機ヲ引キ起コシナガラ隊長機ヲ探ス、ト前上方ニ引キ起コシテル筈ノ
 隊長機ガ見エナイノデアル。
 機ヲ水平ニ戻シテ、四周ヲ見廻シタガ見ツカラナイ
 翼ヲ傾ケテ右下方ヲ覗(ノゾク)クト ズット下ヲ水平ニ飛ンデイル。
 直チニ降下シテ追イカケタ 
 <攻撃第一>
 隊長機ノ左後ロニツイタトキ、
 隊長機ハ緩ヤカナ旋回ヲ始メタ 隊長機ガ敵機ト同航ニナッタ時
 ソノ左翼ニ孔ガアイテイルノヲ発見シタ。「ヤッパリカ!」ト思ッタ
 少シ高度ヲ高メテ近寄リ上カラ窺(キ・ウカガウ・ノゾク)キコム。
 翼ノ中央、日ノ丸ノマークノ少シ右ニ大キナ破孔ガアル
 翼ノ日ノ丸直径ノ、約三分ノ一 ホドノ大キサダ。
 日ノ丸直径ハ 一メートル近イ 
 発砲ノ瞬間二十ミリ弾頭ノ信管ガ作動シテ、銃身内デ炸裂シタノデアル
 爆発ニヨッテ翼ノ強度ガ減ジテイルダケデナク、速力モ落チテイルノデ
 モハヤ空戦ハ無理デアル イマ モシ敵ノ戦闘機ガ現レタナラバ、
 コノ隊長ヲムザムザ失ッテシマウノハ明ラカデアッタ
 ビー二十四攻撃モ大切デアルガ、私ハ隊長機ヲ護衛シヨウト決メタ
 シカシ隊長ハ指先デビー二十四ノ方向ヲ示シタ イウマデモナク
「俺ニカマワズ敵ヲ追エ。攻撃第一ダ」トイウ意味ダ
 私ハニ・三度軽ク頷イテ見セタガ 依然二番機ノ位置ヲ離レナカッタ
 
 闘志満々ノ管野大尉ノコトデアル。指揮官トシテビー二十四ヲ一機モ
 墜トサズ逃ガシテシマウノハ 私シ以上ニ口惜シイ思イヲシテイルノダ
 隊長ハ今度ハコブシヲ固メ拳固デナグル恰好ヲシタ
 完全ニ怒リ出シタ表情デアル
 ソレナラバ隊長ノ命ニ従ウヨリ仕方ガナイ
 私ハ バンクシナガラ目礼ヲ送ッタ。ト、隊長ノ顔ガ柔ライダ。
 隊長ハソノ場デ大キナ旋回ヲ始メタ。ココデ部下ヲ待ツツモリナノダ
 隊長機ノ翼ニ ポッカリアイタ破孔ヲ見ルト 翼ガ今ニモ
 折レソウニ思エテナラナカッタ。
 敵機ハ、ピッタリ編隊ヲ組ンダママ、私ノ七・八センメートル先ヲ
 南方ヘ避退スル ソノ上高度差ガ千メートルモアッタ

120:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/14 15:43:04.28 8eFgVLmkP
 敵機ハ、ピッタリ編隊ヲ組ンダママ、私ノ七・八センメートル先ヲ
 南方ヘ避退スル ソノ上高度差ガ千メートルモアッタ
 ビー二十四ニ対シテ攻撃位置ニツクマデ約二十分モカカッタロウカ、
 私ハ前上方カラ垂直直上攻撃ヲカケタ、 ガ的確ナ射撃ガデキナク
 殆ンド効果ハ無カッタ モウ一度ト思ッテ高度ヲトッテイルトキ
 隊長カラ
「空戦ヤメ アツマレ」ト電話デ指令シテキタ
 私ハ急旋回シテ屋久島ノ方向ニ機首ヲ向ケタ 私ニハ、隊長機ノ
 護衛ニツクコトガ コノ際最大ノ願イデアッタ トコロガ、屋久島ノ
 見当カラ隊長ノ待機地ガ見エナイノデアル 
「カンノ一番、カンノ一番」ト幾タビモ呼ビカケタガ何ノ応答モナイ
 左翼ヲ傾ケテ下方ノ視界ヲヨクシ、海岸ヲ ズート念入リニ
 見テイッタガ機体ラシイモノハ何一ツナカッタ
 コノヨウニ飛ビ廻ッテイルウチニ紫電改ガ六機集マッテキタ
 隊長ハ電話故障ノママ一足先ニ鹿児島ニ向カッタノカモシレナイ
 ト考エ、私ハ六機纏(マトメ)テ大村ニ針路ヲトッタ
 大村基地ニ着陸シテ、整備員ガ機ノ上ニ上ガッテキタトキ私ハ
 彼ニ大声デ聞イタ
「隊長ハ帰ラレタカ」 整備員「イイエ、マダデス」
 事情ヲ知ラナイ整備員ハアッサリ答エタ 次ニ 吹流シノ傍ラニ
 立ッテイル 飛行長ニ
 「飛行長! 隊長機ガ筒内爆発ヲ起コシマシタ!」
 飛行長「ナニッ!」・・・・。
 シカシコノ間ニモ編隊ガ崩レテバラバラニナッタ機ガ二・三機次々
 ト基地ノ彼方(カナタ)ノソラニ姿ヲアラワシタ
 シカシ待テドモ待テドモトウトウ隊長機ハ姿ヲ現ワサナカッタノデアル
 菅野隊長ノ後任ニハ分隊長ノ松村大尉ガ補セラレタ。
※ 松村正二大尉 昭和二十年四月十日 奄美大島名瀬(ナゼ)上空
  ニ於ケル邀激戦ニ小隊長デ出撃エフ六エフ一機撃墜スルモ
  自機モ被弾徳之島ニ不時着
    戦後米軍ガ発表シタ数行ノ記事
 「紫電改ノマグネットヲ アメリカ製ノモノト換エ、百オクタン
 ノ燃料ヲ使用シテ試験飛行ヲ行ッタトコロ、当時ノドノアメリカノ
 海軍戦闘機ヨリモ優速デアッタ」
・・・・・・
 地上一万メートル 雷電隊 ビー二十九、 
 グラマンエフ六エフ、 ピー五十一 邀撃戦 

121:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/17 17:20:36.32 WVsP/f8SP
昭和十九年・二十年日本上空一万メートル 成層圏ノ戦イ
 雷電隊空戦記 厚木三〇二部隊 海軍大尉 寺村純郎
  乙直小隊長 (二列ニ並ンダ前列ノ十二機ガ甲直・
         後ロ十二機ガ乙直)
昭和十九年十一月上旬カラ中旬 相模湾上空ノ哨戒
 一万メートルノ上空ノ温度ハ零下四十度カ、五十度 モット下カ
 ワカラナイガ、排気温度ガ七百度モアルエンジンノ直後ニツイテイル
 座席ノ中ハソレホド寒クハナカッタ。
 寒クハナイト言ッテモ零下四十度、五十度ト言ウ外界ノ温度ト
 比ベテノ話シデ、地上ノ寒サニ比較スレバ問題ニナラナイ。
 地上マデ一万メートル、垂直ノ視界ハ良イノデ 眼下ニ
 相模湾ノ波打チ際、江ノ島ヤ三浦半島ガ見エ、遠クニハ
 九十九里浜ノ海岸ソシテ関東平野ノ緑ソノ周辺ノ山々
 ソノ山々ノ間ニハヒトキワソビエ立ツ富士 サナガラ
 正確緻密ニ作ラレタ箱庭ヲ見ルヨウナモノデアッタ。猛烈ナ
 西風ガ吹イテイルノデ機首ヲ西ニ向ケテ飛ンデイル時ノ方ガ多イ。
 飛ンデイルノガ現実ダガ飛ンデイルト言ウ気持チハ少シモシナイ。
 計器ノ速力ハ時速三百キロメートル(百六十ノット)近ク出テイテモ
 付近ニハ何モナク地上ノ目標ハ一万メートルノ遠クニアル。
 江ノ島上空一万メートルモ小田原上空一万メートルモ地上ヲ見テル
 感ジハ大シテ違イナイ。空中ニタダ浮イテイル感ジデアル。
 特ニ旋回シテイル時ナドハ、空中ノ一点デ飛行機ノ翼ガ静カニ
 傾イテ、機首ガユックリ廻ッテユクヨウナ感ジシカナイ。
 実ニ静カデアル。
 ドウセ高度三千メートルヲ飛ンデモ、高度一万メートルヲ飛ンデモ
 聞コエルモノハ自分ノ飛行機ノプロペラノ音ダケノ話デアリ、
 ソノ静ケサニハ変ワリハナイ ハズデアルガ、
 ソレガ全ク違ッテイルノデアル。
※ 気温ハ百メートル毎ニ〇、五カラ〇、六度ヅツ低下スル
  気圧ハ高度一万メートルデハ約二百六十四ヘクトパスカル
  〇、二六気圧地上ノ約四分ノ一
※ 同盟国ドイツノロケット戦闘機
  メッサー百六十三ビー(パワードエッグ)
  一万五千メートルマデ上昇シ哨戒飛行モシタ
  ビー十七爆撃機ノ撃墜数ハ出撃機数ガ数十機クライノタメ
  記述デキルノハ少数機 

122:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/19 16:36:08.81 KJ3WnlVOP
ドウセ高度三千メートルヲ飛ンデモ高度一万メートルヲ飛ンデモ・・・
 ソノ静ケサニ変ワリハナイハズデアルガ、
 ソレガ全ク違ッテイルノデアル タトエ音ハ聞コエナクトモ人間ハ
 動キニヨッテ音ヲ感ズルノデハナイダロウカ。
 一万メートルノ上空デハ動キヲ感ジサセル何物モナカッタ
 列機ハ少シ離レテツイテ来テハイルガ、全ク孤独ヲ感ズルノデアル
 静寂ソノモノデアル。眼下ニ横タワッテイル関東平野ハ単ナル陸地
 地球ノ一部デアッテ人間ヲ想像サセナカッタ
 サミシイサミシイ世界デアル手モ足モ最小限度ノ動キシカシナイデ
 静カニ ジーットシテイル。
 動ケバ寒サガ身ニシミコムトデモ言ウヨウニ、ダンダン風帽ノ
 ガラスガ曇ッテクル。手デフイテモ駄目デアル コウシテ
 ビー二十九ヲ待ッテイル一万メートル上空ノ一時間ハ長イモノデアッタ
※ ドイツ コメット飛行中隊 中尉 マノー・ツィーグラー
 晴レワタッタ 晩夏 ノ日々ニロケット戦闘機メッサー 一六三ビーデ
 飛ブコトハ、トキニヨッテマッタク楽シク、夕方近クニハ
 トリワケ無上ノ楽シサダッタ
 一万五千メートルクライノ高空カラ見ル地上ノ眺メハ、筆ニモ
 言葉ニモツクシガタク、空ハ傾ク陽デモエテイルヨウニ見エタ
 (ロケット・ファイター マノー・ツィーグラー著 大門一男訳) 
※二一型局地戦闘機 雷電  乗員一 空冷複式星型
 十四気筒千六百馬力×一全幅十、七七五メートル
 全長九、七メートル自重二、一〇三トン全備重量三、四三五トン 
 最大速度時速五百九十六キロメートル(海軍機ハノット三百二十二ノット)
 実用上昇限度 九千三百二十メートル航続距離二千五百十八キロメートル
(千三百六十カイリ 海軍機ハカイリ・浬)
※ビー二十九 スーパーフォートレス爆撃機 アメリカ
 乗員十一 空冷複列式星型十八気筒二千二百馬力×四(合計八千八百馬力)
 全幅四十三、一〇メートル 全長三十、二〇メートル
 全備重量五十四、四トン 最大速度 時速五百五十キロメートル
 実用上昇限度一万二百五十メートル
 航続距離五千二百三十キロメートル(爆弾四、五四トン搭載ノ時)
 十二、七ミリ機関銃十二挺

123:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/23 18:17:14.36 B40y8R0tP
※同盟国ドイツ ロケット防空戦闘機メッサー百六十三ビーコメット
     (パワードエッグ)
  乗員一 ワルターエイチ・ダブリュ・ケー 一〇九・五〇九エイ型
 ロケットエンジン 推力一、七トン(千七百キログラム)
 全幅九、三メートル 全長五、九メートル全備重量四、三一三トン
 最大速度時速八百八十キロメートル 上昇限度一万五千メートル以上
 高度九千百五十メートル迄 二分三十六秒 航続距離八カラ十分
 約八十キロメートル
※馬力換算式 馬力=推力(キログラム)×速度(メートル毎秒)÷七十五
 コメットノ馬力ハ=千七百×二百四十四÷七十五=約五千五百三十馬力
 ビー二十九一基ノエンジンノ馬力ハ二千二百馬力ダカラ推力ハ
 一、〇八トン千八十キログラム エンジンガ四ッツツイテイルカラ
 合計推力ハ四千三百二十キログラムトナル
 メッサー百六十三ビー(重量四、三トン)ノ馬力ハビー二十九
(重量五十四トン)ノ馬力ヲ千二百馬力上回ッテイルコトニナル
※エフ十五ジェット戦闘機ハ推力ハ一万六百四十キログラム
 コレガ二基 デマッハ二、五約時速三千キロメートルナノデ
 馬力換算ダト 約二十三万六千馬力ニナル
 通常ハマッハ〇、九約時速千八十キロメートルナノデ
 五万二千馬力
  馬力換算式ハ ウイキペディア ヨリ

 第三〇二海軍航空隊略シテ三〇二空ハ三飛行隊ヨリ成リ一飛行隊ハ
 雷電二個分隊零戦一個分隊 二飛行隊ハ 月光二個分隊
 銀河一個分隊 三飛行隊ハ彗星二個分隊 コレニ各整備分隊ト
 兵器整備分隊トガ付属シテ編成サレテイタ。
 分隊長トシテ初ノ出撃
昭和二十年二月十日 私ノ周囲ニハ三十二機ノ雷電ガ並ンデイタ・・・

124:名乗リマセン勝ツマデハ
14/01/23 19:12:08.87 B40y8R0tP
百二十三 訂正
・・・メッサー百六十三ビー(重量四、三トン)ノ馬力ハ
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   ビー二十九(重量五十四トン)ノ馬力ヲ ←コノ行ヲ
   千二百馬力上回ッテイルコトニナル   ←コノ行ヲ 
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ⇒ビー二十九(重量五十四トン)ノエンジン 二、五基分
 ⇒ト言ウコトニナル


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