14/06/15 10:57:32.94 BZfVWGgU
>> 議論スレなどで
>> 「チベット とか言う奴は オウム信者に決まっている」
>> と頭ごなしに コテンパンに叩かれた事があります
> 自称チベット密教者2ちゃんの方が、意味不明で … ということが …
私は、どこの宗教団体にも所属していません
今現状では、チベットの修行・実践もしたこともありません
例えば、議論スレなどで
「俺はチベット密教者だっ!」と宣言したこともありません
「チベットに興味があるので、教学として勉強させて頂く」ということが
「俺はチベット密教者だっ!、と宣言してる」と勘違いする人も居るのかもしれませんね?
「チベット」と言うと
「自称チベット密教者2ちゃんの方が、意味不明で … 」と勘違いする人も居るのかもしれませんね?
92:82
14/06/15 11:06:19.64 DbtHmtuQ
サッカー試合始まったな・・・・
昨日ザックのチーム運用のやり方、考え方て・・・・
あの方向性は禅の方向性に近いんだよね・・・
宗教色無しで他者に影響を与えるみたいな・・・
こういう志向性が、
スダンマチャーラ(山下良道)比丘の狙っている処との違いだな。
本田が臨済宗的気合い的マゾサド・キャラで、今一点入れたw
遠藤が、曹洞宗マイペースキャラだな。
93:おじゃる
14/06/15 11:14:32.39 BZfVWGgU
>>91 の続き
どこの宗教団体にも所属してないけど
私は、密教にも興味があるので
伊勢山皇大神宮とか
成田山横浜別院などに
お参りさせて頂いてます
普礼真言 - オン・サラバ・タタギャタ・ハンナマンナ・ノゥ・キャロミ
礼拝帰依 - ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば
一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し
この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん
もし我、誓願大悲のうち、二世の願を成ぜずんば
我、虚妄罪過のうちに堕して、本覚に帰らず大悲を捨てん
准胝観音
ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダ・クチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
94:神も仏も名無しさん
14/06/15 12:03:31.73 DbtHmtuQ
サッカー負けた・・・・
熱帯地方故に、熱帯地方のアフリカ南米が肉体持久力で優位で、
ブラジル悲願の優勝かもな・・・・。
95:おじゃる
14/06/15 12:10:28.23 BZfVWGgU
>>91 >>93 の続き
今現状では実践したことないけど
最終的には ↓ どれにするのか?、決めてません
テーラワーダ
URLリンク(www.j-theravada.net)
チベット・ニンマ
URLリンク(www.tibethouse.jp)
直貢噶舉教派(ディクン・カーギュ)
URLリンク(www.gloje.org)
チベット・サキャ
URLリンク(www.tibethouse.jp)
チベット・ゲルク
URLリンク(rdor-sems.jp)
広済寺 チベット
URLリンク(www.kosaiji.org)
四天王寺大学 クンダリニ 瀧藤尊照
URLリンク(www.shitennoji.ac.jp)
96:神も仏も名無しさん
14/06/15 12:29:02.98 Fwaku9lW
スマさんは、お勧めできません。
なぜなら、死者を侮辱する発言を本か何かで見たから。
97:神も仏も名無しさん
14/06/15 12:30:31.74 DbtHmtuQ
スマは知能学問にシフトし過ぎている・・・
南方仏教故に、他者への精神的作用は重んじないだろうし・・・・。
98:おじゃる
14/06/15 12:32:34.18 BZfVWGgU
>>95 の続き
> クンダリニ
URLリンク(svrec01.kosei-shuppan.co.jp)
新アジア仏教史 09 チベット 須弥山の仏教世界 165ページ
チャンダーリーの火とは
臍(へそ)のチャクラに宿る熱である
この熱の力で「風(ルン)」を中央脈管の中に導き入れ
それが脈管に入り、留まり、溶け込むことに習熟した時
菩提心である精液が溶け出し
それが中央脈管の中を上下に移動しながら
四つのチャクラを通過する時に
四段階の歓喜が生じ、最終的には
源初から存在する(倶生)大楽を元に
楽空無別の智慧を獲得する
99:神も仏も名無しさん
14/06/15 12:51:03.61 Fwaku9lW
>>97
僕もそう思いました。
>>98
こういう記述見ると、面白そうと思う。
100:おじゃる
14/06/15 13:04:56.35 BZfVWGgU
> スマさんは、死者を侮辱する発言を本か何かで見た
私(おじゃる)は
「仮設としての」という意味で
中有肯定派だけど
URLリンク(www.samgha.co.jp)
第五巻 「 業と(カルマ)と輪廻の分析 」 145ページ参照
(スマナサーラの論説としては)
中有(中陰)はない
中有とは
魂とか自我があると考えている
バラモンなどの人々が
「死んでから生まれ変わるときにも変わらない何かがあるはずだ」とか
「死んでから『魂』が生まれ変わるまでに、時間的な間(中有・中陰)があるはずだ」など
と考えて、できた概念だと思います
_ _ _
こんな感じで ↑ あるらしい
101:神も仏も名無しさん
14/06/15 13:06:57.93 DbtHmtuQ
正統派志向の天台、華厳、真言、チベット密教、禅の禅定以外の
日本仏教の非正統的空気感のある仏教(念仏、山伏、観音信仰等)の聖者の世界観も、
大乗仏教故に、菩薩的志向、
他者への影響感覚作用感覚がありそうです・・・
むろん、正統派志向の仏教は、一切の空間へ作用意識的なモノがあるんですが・・・
そういうのが無い、日本仏教の非正統的空気感のある仏教(念仏、山伏、観音信仰等)の聖者
も、最近、他者への作用がある感じがしてきました・・・。
102:神も仏も名無しさん
14/06/15 13:25:40.20 DbtHmtuQ
スダンマチャーラ(山下良道)比丘氏の感覚は、下記を点検しないと、どの程度の範疇かわかりませんが・・・
まだ精読しておりません・・・。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
103:おじゃる
14/06/15 13:34:38.39 BZfVWGgU
> 非正統的
例えば
私の場合は
バラモン(ヒンドゥー)とか
クンダリニ(チャンダーリ)とか
神秘的なものとか
(現実には起こり得ない、超自然的な事象など、架空の出来事を題材にした)
幻想文学的なものなどにも興味があるので
私は非正統派の立場で
青空のところから客観的に『(現れ滅して変化している)雲を観察する』というような感覚で
青空のところから客観的に『(仮設として、現れ滅している変化を)知覚して住むことである』
と観察してみたいと思います
104:82
14/06/15 13:40:23.51 DbtHmtuQ
スダンマチャーラ(山下良道)比丘氏の感覚は102をサクッと読む限り、
雰囲気的に、シヴァナンダヨガを菩薩道的解釈したスタンスなのかもな・・・と。
法華経天台、華厳経華厳の禅定解釈の域(当然、チベット密教、禅も含む)にあるかは疑問が残る・・・
すなわち、禅定における、外部存在、空間の扱い、一切のものとして・・の。
南方仏教の論理性を重んじた故に、こちら方面の禅定意識は薄いかもしれない・・・。
105:おじゃる
14/06/15 13:50:09.97 BZfVWGgU
> シヴァナンダ
↓ これですかね?
URLリンク(www.gaiajapan.co.jp)
スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる
シヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ
106:おじゃる
14/06/15 15:05:36.65 BZfVWGgU
URLリンク(docs.google.com)
2013/01/26 自分のこころが、自分を苦しめる - 2ページ参照
ヨーガも仏教の瞑想も、元々は非常に近い場所にあった
URLリンク(www.samgha.co.jp)
第五巻 「 業と(カルマ)と輪廻の分析 」 55ページ参照
(スマナサーラの論説としては)
初期仏教の時代には
サマーディ瞑想という ヨーガ的な瞑想を先にやって
心の働きの訓練をしっかり身に付けて
煩悩の働きを制御するための訓練をしてから
智慧の働き・感覚を鋭くさせて
それから ヴィパッサナーに入る
という プロセスで、ずっとやっていました
107:おじゃる
14/06/15 15:40:31.22 BZfVWGgU
URLリンク(myanmarbuddhism.info)
自由への旅 ~ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図~ 241ページ参照
涅槃は
縁起したものを離れたものなので
だから
涅槃とは、生じたり起こったりするものではありません
URLリンク(archives.bukkyo-u.ac.jp)
迷妄を性質として壊滅するもの
その〔ようなもの〕を離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり
縁起したものを離れ
ブッダは
〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである
108:神も仏も名無しさん
14/06/15 16:21:45.14 DbtHmtuQ
今の処・・・
スダンマチャーラ(山下良道)比丘氏の感覚は、
やはり、テーラワーダの生滅智の感覚を、禅で言う仏性の意味で捉え、
スワミ・シヴァナンダのヨガの感覚(チベット密教の禅定風)で他者に慈悲を与える…風的に感じるなあ・・・
109:神も仏も名無しさん
14/06/15 16:40:59.37 Fwaku9lW
>>107
上の方のサイト、素晴しいです。
お気に入りに追加しました。
110:おじゃる
14/06/15 16:50:23.79 BZfVWGgU
例えば
私(おじゃる)の場合は
「前世からの異蘊相続がある」とか
「この現世においての過去からの、心の流れ(心相続)がある」など
と掴み捉えようとしている「想い」が現れ(滅し)ている
だからこそ
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)
永遠ばかりを探して
凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
縁起を、空を、無我(五蘊の仮和合)を観察することがうまくない
- これを対処するために -
色受想行識の、受と想を滅させるためには
縁起・空・五蘊の仮和合の観察をするための練習が必要だ
何かについて「ある・ない・肯定・否定」
と掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶させて
世俗を掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
「輪廻している」と掴み捉えようとしている「想い」を滅させて
「解脱すれば仏だ」と、気づくまでは、気づくことは難しい
111:おじゃる
14/06/15 17:13:48.09 BZfVWGgU
> >>107 の上の方のサイト、素晴しい
八正道の正見と ↓ 関係あるかも
URLリンク(myanmarbuddhism.info)
自由への旅 ~ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図~ 241ページ参照
汚れ(煩悩の働き)がなくなればなくなるほど、あなたはますます明らかに見ることができる
URLリンク(ja.wikipedia.org)
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り
自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
正見は「四諦の智」といわれる
この正見は
正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の七種の正道によって実現される
112:おじゃる
14/06/16 01:44:30.65 3xrXakmM
仏教議論スレッド104
スレリンク(psy板:250番)
250 2014/06/16(月) 01:08:30 ID:1bbo049K
全ての想いは実際に対しての嘘なのである
この意味が普通人には解らない故に、人が人である限り度し難いのである
URLリンク(myanmarbuddhism.info)
自由への旅 ~ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図~ 252ページ参照
実際のところ、思考とは私たちの入っている牢獄なのです
(青空のところから客観的に『五蘊の仮和合の、雲の観察』に)
100%の注意を払っている時には、心に貪欲は存在しません
貪欲とは、実のところ思考なのです
URLリンク(home.att.ne.jp)
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の暗闇に覆われて
渇愛の働きに依存して
誤ったあり方を掴んで離すことが難しい固執も生じる
- これを対処するために -
渇愛の働きの滅は
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである