14/05/20 22:56:35.17 9PbAXI76
>>102
精神病は、患者に接する者に感染するのです。「感応精神病」と呼ばれ、
現代の精神医学の定説。
精神科医は、患者からの感染(逆転移)を極度に警戒します。
107:山頂王国国王
14/05/20 23:03:41.88 8rHWKYtf
精神科医と心療科医は似ています。
心療医者Aさんの奥さんは絶対難産と診断され、
仕方なく、Aさんは夫立ち会い出産を選びました。
分娩室内、Aさんはひたすら妻を励まし「頑張って、頑張って・・・」
あまりの痛さに奥さんは声を荒げて
「頑張って、頑張って、あたしはどう頑張ったらいいの?」
「私は出産経験がありませんから分かりません!」
「じゃ、普段はどういうふうに患者さんと接するの?」
「患者さんは最も痛いところを隠しているから、患者になっている。もし、患者さんが最も痛いところを吐き出したら、私たちの位置は忽ち逆転します。つまり私が患者になり、患者さんは先生になる。」
URLリンク(ameblo.jp)
108:神も仏も名無しさん
14/05/20 23:05:06.51 9PbAXI76
>>105への追加
釈迦は、「一切皆苦」などとふさぎこんでいながら、突然、「楽しい、
楽しい」と叫びだす。仏典にちゃんと書かれている。双極性障害(躁う
つ病)の典型的症状。彼が、途方も無い長距離を歩き回って布教したのは、
躁状態における行動。躁状態では、疲れを知らず行動するので、体重が
減少する。
109:神も仏も名無しさん
14/05/20 23:17:32.25 0RtU6bsA
>>108
w
少し真面目な質問をしてみましょうかw
>などとふさぎこんでいながら、突然、「楽しい、楽しい」と叫びだす
どのくらいの時間・期間でのことですか?
数分後?数時間後?数日後?数週間後?数ヵ月後?数年後?
どの段階で叫び出したら双極性障害なのかな。
で、 >仏典にちゃんと書かれている のは、
数分後?数時間後?数日後?数週間後?数ヵ月後?数年後?
どれ?
そこまで詳細分析してるんだから、当然、症例としてデータ把握はできてますよね?w
110:神も仏も名無しさん
14/05/20 23:19:31.13 U7pmiPvl
108さん
すべての宗教を否定てことですか
結局 信じるものは自分だけ
自分がしんだら無でなにも残らない
111:コレ悟りかよ!?w
14/05/20 23:20:27.63 hYUHBzoF
>>108
つまり、双極性障害と統合失調症を併発している俺は釈迦やキリストに等しい。
もしくは彼らを超えている、ということです。
112:コレ悟りかよ!?w
14/05/20 23:30:45.95 hYUHBzoF
>>109
人それぞれ波があるんですよ。
俺の場合は年に一回ぐらい「楽しい!悟った!」状態になります。
釈迦は抗精神病薬は飲んでなかったので、毎日が苦しい、楽しいのラピットサイクラーだったかもしれません。
>>110
いや、逆に宗教の肯定ですよ。
精神病患者は神や悟りに等しいということです。
みなさん、家族友人職場の同僚がキチガイになったら喜びましょう。
113:神も仏も名無しさん
14/05/21 00:07:07.75 CuUNrEau
ID:9PbAXI76氏
こんな事を様々に書き込んで、どうするんだ。
いいかがりは、自分も他者も大事にできず、だよ。
ストーカー殺人だとか、誰彼なしに刃物で襲いかかったりだとか、
そういった犯罪は、いいがかり行為の行き着いた姿だね。
何かとっても不満があるのかもしれないが、
こういった書き込みばかりすると、症状固定化の
拍車訓練をしているようなものだ。
私は子供の記憶教育は、子供の精神を傷めると考えている。
しかし、学問に対してではなく、教育方法に対してもっと工夫ができないものかと
いった意味だ。
そんなふうに、世の中でもっと改善されるべきだと思われる課題はあるよね。
これは、社会全体の幸福を願ってだ、分かるよね。
自分が気に入る気に入らないだとかの我がままからではないよね。
いいがかりというのは、その点どうだろう。
114:神も仏も名無しさん
14/05/21 00:25:46.50 leNTykie
>>113
病人を放置するのは、人道にも公益にも反する。
私は、信者ではなく、専ら開祖を批判している。信者は、開祖の精神病の感染
による痛ましい犠牲者に過ぎないからである。
親でもない、大昔の赤の他人の開祖を批判されて、そのように興奮するのが、
まさに宗教の病理。開祖が自分の心の中に住み着いているから、開祖を批判さ
れると、自分が批判された、否定されたと感じるのである。
115:神も仏も名無しさん
14/05/21 00:44:23.25 CuUNrEau
>>113
>病人を放置するのは、人道にも公益にも反する。
君はね、自分をそうやって追い込んでいるのではないか。
開祖と君は別なんだが、開祖にいいがかりをつけ病人扱いするのは
君の病気を無関係である開祖に被せて、
他者が、そのトリックひっかかってくれれば、君は一時的にでも
救われた感を感じる事ができるのか。
>親でもない、大昔の赤の他人の開祖を批判されて、そのように興奮するのが、
>まさに宗教の病理。開祖が自分の心の中に住み着いているから、開祖を批判さ
>れると、自分が批判された、否定されたと感じるのである。
君は批判など出来ていないだろ。
親でもない、大昔の赤の他人に
君はいいがかりをどうしてつけているのだ。
話しにまったく筋がない、いいがかりだからだ。
それと親でもない赤の他人というが、私は、友達でも君のような者から
いいがかりを付けられれば、おかしいと言う。
それと興奮などしていない。
君は話しが無茶苦茶+印象操作は巧みだな。
どこのカルトか知らないが、悪癖だけは身についているようだね。
116:神も仏も名無しさん
14/05/21 00:52:00.86 cUfjf/HE
>>114
明日でも明後日明々後日でもいいけど、>>109にレス付けといてねw
117:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:00:02.22 leNTykie
>>115
病気がある程度進行すると、君のように病識がなくなります。
コレサトさんには病識があるのは、薬の効果だと思われる。
開祖の症状を正確に分析することにより、信者は自分の病気を客観的に理解し、
認知の歪みを是正することが可能になります。これは認知療法と呼ばれ、広く
使用されている精神療法です。
118:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:00:17.20 cUfjf/HE
>>116補
ああ、ちなみに、私は
お釈迦さんは鬱の傾向があった、或いは鬱病だったと言っても良いだろうとは思っている。
その解決・緩和法を(或る意味自分のために)探った人だと思っている。
ただ、その方法が、
(たとえばサラリーマンが仕事を通常通りこなしながら、というものでなく)
環境をガラリと変えて、身心共に一旦弛緩させ、生活の殆どを構築し直す手法だった
という点で、厳しく、歩み得る者を選んでしまった面はあるかもな、と。
だから、
間口を広げる大乗運動が生じねばならなかった、と。
119:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:02:27.25 cUfjf/HE
>>117
>開祖の症状を正確に分析することにより
正確に分析できていらっしゃるなら、>>109に答えるのも容易いですよね?w
ノシ
120:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:09:46.44 cUfjf/HE
Ctrlキーで目に入ったので一言だけ。
>> 112
>俺の場合は年に一回ぐらい
>毎日が苦しい、楽しいのラピッドサイクラー
どっちだよw
一年前塞ぎこんでいた少年が、一年後に積極的に活動するようになったら、
(逆でもいいけど)、彼は双極性障害なのかw
サスガ センモンカノ イウコトハ チガウナー (-_-)
121:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:17:29.45 leNTykie
>>119
うつ症状や躁症状が一定期間継続すれば、それは病気です。双極性における
その間隔は、コレサトさんがいうように、サイクルの問題です、一般に、
ラピッドサイクラーのほうが、治療が難しい。
122:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:23:02.22 CuUNrEau
>>117
コレサト氏を便利使いしなさんな。
君は開祖でも誰でも、そうやって自己弁護の道具に使うな。
自分が相手の動きを収めず、どんどん挑発して(事件になるように仕掛けて)それを解決するには、
集団的自衛権が必要だとかに話しを作り上げていく、
一人芝居、サル芝居とそっくりだな。
>開祖の症状を正確に分析することにより、信者は自分の病気を客観的に理解し、
>認知の歪みを是正することが可能になります。これは認知療法と呼ばれ、広く
>使用されている精神療法です。
君の入信歴と君の入院歴と君の病歴と
とにかく、人に被せんな。
123:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:30:09.99 leNTykie
ちなみに、統合失調症では人格の崩壊を生じるが、躁うつ病は気分障害(感情障害)であり、
一般に人格の崩壊は生じない。イエスが統合失調症、釈迦が躁うつ病だとすれば、両宗教の
相違は、この病態の相違による。
124:神も仏も名無しさん
14/05/21 01:47:38.79 CuUNrEau
>>123
君の自己紹介に、イエスや釈迦を使うな。
コレサト氏も便利に使うでない。
125:にしてつ ◆oZtcZx4E.M
14/05/21 03:21:16.95 6uGKBs++
>>76
> 「涅槃は形而上でなく形而下」という言葉は面白い。つまり「形而下
> (生存の現場)」における分別は、もはや分別ではなく、生存そのもの
> であるということ。即ち「悟り」である。
形而下のみが現実であり、形而上妄想から離れてあるがままの唯物的な現実世界と一体であることを知ると、
形而上に由来する分別から自然に離れて無分別に至るってことですね。
126:にしてつ ◆oZtcZx4E.M
14/05/21 03:25:47.68 6uGKBs++
>>77
> 釈尊の教説は神秘主義だと思ってるのか?
違うね。釈迦の教えは非常に明快な形而下のものだが、教説を誤読して神秘主義に陥っているこのスレの駄坊主を指して言っています。
> 果報は「智慧による解脱」に尽きる
> 要するに、座禅して智慧使って悟れ、と言う事
使うのは知恵であって神秘的形而上霊能力ではないってことですよね。