14/04/06 16:24:28.38 x9NEK5uj
>>209
この世あらゆることを、仏法というものを学んだ上で説明しようとすると、
そこには迷いがあり、悟りがあり、生と滅があり、諸仏があり、衆生がある。
自分のものの見方、考え方を差しはさまずに、すべてのものがただあるだけのときは、
迷いや悟りは無く、諸仏、衆生の区別もなく、生と滅もない。
仏教というのは、もともと迷いから解脱したいという人の思惑から出て来たものだから、
生滅や迷悟を問題にし、なんとか生きているうちに仏になりたいと願うのである。
しかも悟りたいと念じながら、花を見れば愛惜に散ると見えるし、草は雑草としか思えない。
生禅の捻じ曲げ勝手解釈は如何がなものかと思います