究極の到達【悟り】at PSY
究極の到達【悟り】 - 暇つぶし2ch1:神も仏も名無しさん
11/12/25 08:44:25.85 1HVJyMer
善人が環境によって悪人になる。
悪人が環境によって善人になる。

究極の段階に達した心の状態を悟りと言う。
俺は悟りの境地を観た!!


2:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:02:13.88 1HVJyMer
「自分で自分を自分にする」

道元の言葉である。
道元は悟りを自分になりきると言った。

3:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:05:21.35 1HVJyMer
どの時代も似たようなものだ。
僧侶だって人間。
ラクしたいのである。

4:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:06:43.71 1HVJyMer
どうも道元の言ってることを理解して無い者もいる。
道元は「悟りたい気持ちも捨てて修行せよ」と言った。

5:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:07:58.97 1HVJyMer
言葉を解釈するのは人。
「悟りたい気持ちも捨てて修行せよ」
これを悟ってはいけない、と考える僧侶もいるのである。

6:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:09:18.98 1HVJyMer
どう解釈しようが、人の勝手。
しかし、「悟ってはいけない」を修行をサボる僧侶だっている。

7:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:10:37.36 1HVJyMer
そう、これは口実。
並みの僧侶ならいいかもしれない。
しかし、これは住職クラスの人間もなのだ。

8:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:11:23.63 1HVJyMer
一休さんを知ってるだろう?
彼は肉や女も喰った。

9:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
11/12/25 09:11:46.71 ShPrlZQ0
「悟り」という特別な境地がホントにあると思ってる奴は仏教素人。

10:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:12:30.13 1HVJyMer
一休さんを知らない者は変態扱い。
そりゃあそうだろう。
お坊さんの癖に肉や女を喰う?
ほとんどキチガイだ。

11:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:13:19.91 1HVJyMer
>>9

は?

12:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:14:22.43 1HVJyMer
肩書きを持った人間は大変だ。
総理大臣の売春がバレてみろ。
大変なことになる。

13:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:16:00.17 1HVJyMer
総理大臣はそんなハレンチなことはしない。
看護婦は清楚で、弁護士は悪いことをしない。

そんなことあるか!!

14:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:17:31.20 1HVJyMer
ハレンチな看護婦もいれば、極悪人の弁護士だっている。
そう、肉や女を喰うお偉い高僧だっている。

15:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:18:29.97 1HVJyMer
これが現実だ。
一休さんはそれを知っている。

16:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:21:27.51 1HVJyMer
現在、道元が建てた永平寺では、こんな修行僧が増えている。
「悟りたい気持ちも捨てて修行せよ」
とは、修行をサボることではない。

17:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:22:38.03 1HVJyMer
仏教とは悟りのための修行。
「自分で自分を自分にする」
そう、自分になりきるのである。

18:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:23:59.83 1HVJyMer
自分になりきる?
バカなことを言うな?

そのとおりだ。
自分は自分なのに自分になりきるとはどういうことだ?



19:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:25:02.10 1HVJyMer
そう、わけがわからない。
答えは君の心の中にある。
人が教えるものではない。

20:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:25:55.82 1HVJyMer
それが悟りだ。
究極の段階に心が達したとき、自分になりきることができる。

21:神も仏も名無しさん
11/12/25 09:28:17.29 1HVJyMer
今日の悟りの講義はこれくらいにしておこう。
鬼和尚様のお来しも楽しみに待っている。

22:神も仏も名無しさん
12/01/05 12:02:06.24 ioXTdLoD
内容の無い、ただの言葉遊びか。

23: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/02/03 14:06:13.89 BS5wqOMi
「自分は悟っている」と悟るのが悟りの境地w

24:神も仏も名無しさん
12/03/16 01:43:42.28 reQJ9x8D
すべては神様の体で出来ている。
仏も神様の体で出来ている
悪魔も神様の体で出来ている。
悪魔は神様の中で悪魔の行いをしたものが悪魔なのである。
すべては元々は神様だけ。
すべてのものが神様なのである。


25:神も仏も名無しさん
12/03/16 01:56:24.51 5QJtP306
まあ悪を知るものとはつまり善を知るものだな
お前は優秀だよ

26:神も仏も名無しさん
12/03/16 17:13:25.40 jP3+yeJl
釈迦は究極の悟りに到達したかどうか。したんだろうね。

27:神も仏も名無しさん
12/03/16 17:50:13.18 jP3+yeJl
ただ、2500年前の話だから、釈迦の話がほとんど残ってない。
大乗経典は偽経だから役立たない。無視していいだろう。
そうなると、原始経典から推測する以外に方法がない状況にある。

28:神も仏も名無しさん
12/03/16 18:38:35.41 jP3+yeJl
   原始経典を読んで思うこと・・・
① 後世の弟子たちによって、骨董品に磨きをかけるように磨きをかけられ、
   釈迦の生の声が聞こえて来ないような印象を受ける。
② 表面的に読むことは可能だが、理解ではなく行為が求められており、
   釈迦の言葉を深刻に受け止めるのはかなり難しいと思う。

29:神も仏も名無しさん
12/03/16 19:00:39.34 jP3+yeJl
日本の仏教は大乗だが、大乗がダメなのは戒定慧を捨てた空仏教だから。
大乗には実体がない。中身がない。行為がない。
行為がないから中身がない。それを空とし、空をさらに称揚する。
いい加減気がつけよ、ニセ坊主ども。


30:神も仏も名無しさん
12/03/16 20:47:22.49 jP3+yeJl
空仏教のために、日本は無明におおわれてしまった。
共産中国や南北朝鮮も同じか、それ以下だが、そろそろ空仏教を清算し、
無明の暗雲を吹き払い、台風一過の青空のような、
世界に誇れる精神文化を作ろうじゃないか。

31:神も仏も名無しさん
12/03/16 22:39:13.85 Mnjv3DL9
上座部よりも大乗のが、ずっと洗練されてるんだよん。
法は洗練されると、逆に分かり難くなるんだよん。

現代の悟った人からすると、
上座部の教えは釈尊の個性が強く出過ぎていて、
却って使い難いと思うんだよん。

32:神も仏も名無しさん
12/03/17 01:57:27.04 yb2iWz4T
原始経典のひとつひとつの詩は平易である。
そういうことなんだろうなと理解することもできる。
ところが、そうやって読み進めて行くとほとんど記憶に残らない。
なぜか。信仰・誠実・真理・自制・忍耐などの抽象語が続き、
物語性や具体性に乏しいからである。

33:神も仏も名無しさん
12/03/17 02:07:08.24 yb2iWz4T
ではどうしたらいい? 自分の気に入った詩をいくつか選び、
それを毎日唱え、暗記したらいいのかもしれない。
そうすべき経典なのだろうと思う。毎日唱えていると、
日々の経験を通し、その深い意味に気がつく日がやってくる。
その時に初めて、釈迦の言葉が生きたものになる。

34:神も仏も名無しさん
12/03/17 02:14:51.65 yb2iWz4T
たとえば、スッタニパータ 八 慈しみ 147
目に見えるものでも・・・一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
 
これを「生きとし生けるものは幸せであれ」と省略し、唱え続ければ、
その深い意味に気づく日がやって来る。

35:神も仏も名無しさん
12/03/17 02:36:48.72 yb2iWz4T
ナムアミダブツ、ナンミョウホーレンゲッキョウ と毎日唱えるより、
生きとし生けるものは幸せであれ、と唱える方がどれだけ有意義であることか。
このことがわかれば、原始経典の同じような個所がすべてわかる。
原始経典はこうやって読み進めるべきなのではないだろうか。
重要な詩を選び、それを毎日唱え、暗記し、それが真理であることを悟る。

36:神も仏も名無しさん
12/03/17 02:46:35.53 yb2iWz4T
>>31
大乗信者には悪いが、大乗は日本人の霊性を破壊し、
もはや有害無益の存在でしかない。大乗経典など読むに値しない。
どれもこれも作り話であり、妄想教団と化している。
多少評価できるのは、空、唯識の論書程度か。

37:神も仏も名無しさん
12/03/17 02:56:05.37 yb2iWz4T
だいたい大乗は、坊さんが墓場に住んでいること自体変だろう。
骨に囲まれ、いったい何を考えているんか。それが空の実践なのか。
ゲゲゲの鬼太郎かよと。因果な商売だと思う。

38:神も仏も名無しさん
12/03/17 03:10:48.97 yb2iWz4T
坊さんにとっては墓場が田畑なんだろうね。
骨が人質になっている。
こんなことで生計を立てていることが恥ずかしくないのかね。
乞食が坊主の王道じゃないか。檀家をだますな。

39:神も仏も名無しさん
12/03/17 03:30:10.32 yb2iWz4T
春分、お盆、秋分が近づくと、毎年坊主への疑問が湧いてくる。
いっそのこと、行政が全面的に葬祭事業をやるべきではないかと。
そうすれば檀家に対する独占企業、腐れ坊主を、
いくらかでも矯正できるだろう。かれらは結局、何も悟ってない。
呆れたね。恥ずかしね。日本の大乗は腐ってる。

40:神も仏も名無しさん
12/03/17 03:43:42.31 yb2iWz4T
究極の悟りに到達するにはどうしたらいいか。
 
じつは仏教の経典など大乗・小乗ともに読まなくてもいいのだよ。
聖書も読まなくていい。しかし読んで学ぶべきものがある。
それはね、フロイト心理学と弁証法である。

41:神も仏も名無しさん
12/03/17 03:52:39.80 yb2iWz4T
なぜフロイトと弁証法かと言えば、このふたつが唯物論だから。
まず唯物論からスタートするのが王道だろうと思う。
フロイトは欠かせない。悟るために「苦しみを経験する」からである。
そしてフロイトは唯識に、弁証法は空思想につながっている。
弁証法は陰陽の太極図程度でいい。この二つでいい。


42:神も仏も名無しさん
12/03/17 04:10:47.52 yb2iWz4T
もう一度繰り返そう。究極の悟りを得るには、
聖書も仏教経典もいらない。フロイトと弁証法を学べば間に合う。
ただし、頭で理解するのでは不足、体で理解する必要がある。
過去のことであれ、現在のことであれ、経験に裏打ちされた思いが、
究極の悟りへと導いてくれる。これが悟りの秘密である。

43:神も仏も名無しさん
12/03/17 04:23:55.88 yb2iWz4T
生きて、心が砕かれること。これが悟りへの第一歩である。
その砕かれた心を癒すためにフロイトを読む。
そして弁証法は、人生が「空」であることを教えてくれる。
これが神への、悟りへの狭い道である。

44:Andrew
12/03/17 04:30:23.86 w9iVlPGb
フロイトも唯物論も、何もかも勉強すべきだよ・・・。
かたっばしから勉強する。
そう言う気持ちが大切。
何が正しいじゃなくて、
型破りに勉強してみればいいのだね・・・。
研究者的気概を持てばいいのだろうね。
究明してみる。
究明するのが楽しい。
そういう素質はあたほうがいい。

45:神も仏も名無しさん
12/03/17 11:28:54.30 squaM5ZU
それはそうなのだが、日々の仕事、生活上の雑事などがあり、
わたしたちの時間は限られている。読書する時間はほんのわずかにすぎない。
その時間で何を読むのか。できる限り絞り込む必要があると思う。
興味が持てること、読んで役に立つこと、これが基準である。

46:神も仏も名無しさん
12/03/17 11:42:18.78 squaM5ZU
最初から宗教書を読み始める? これはかなり疑問だと思う。
読んでも興味が湧かないし、かりに読めたとしても盲信する以外にない。
それが誤っていたらどうするのだろう。取り返しがつかない。
そのため「師」を選ぶわけだが、その「師」が本物だとどうやって見分ける?
いきなり宗教を始めるジレンマがここにある。

47:神も仏も名無しさん
12/03/17 11:52:13.50 squaM5ZU
何をするにしても「好きこそ物の上手」である。
もうひとつは「急がば回れ」である。
 
神も霊魂も真理も知らないのだから、まずは唯物論をベースにした方がいい。
その中で、体験的に勧めたいのは、フロイトと簡単な弁証法である。

48:神も仏も名無しさん
12/03/17 12:05:58.87 Qp0XNgHZ
フロイトと弁証法だけは学ばないほうがよさそうだな
こんな2ちゃんで連投する奴になりたくない
絶対に病んでるよ

49:神も仏も名無しさん
12/03/17 12:21:30.98 squaM5ZU
弁証法は「空」がわかるまで学ぼう。弁証法はこの現実で役立つし、
空が手段であることもわかる。空の内容は太極図にある。
フロイトは著作集を読む。実例が多く、小説のようでおもしろい。
運がよければ、この二つで神(真理)に出会うことができる。
そうすれば、聖書を含め、霊的な書物がスラスラ読めるようになる。

50:神も仏も名無しさん
12/03/17 12:31:52.00 squaM5ZU
空を知り、神を知る。これが順序である。霊魂は最後になる。
なぜなら、雑念→鋭敏な感覚→禅定→魔境→霊魂の瞑想プロセスで、
魔境越えがきわめて容易になるからである。
そうではなく、いきなり瞑想からスタートすると、釈迦や空海のように
塗炭の苦しみを経過しないと霊魂にたどりつけない。

51:神も仏も名無しさん
12/03/17 12:41:25.10 squaM5ZU
宗教関連の本などまったく読まなくていい。心配はいらない。
神、真理、霊魂を知れば、あっという間に、スラスラとみんな読めてしまう。
宗教本の真偽もわかる。これがものごとの順番ではないか。
何もわからないで、神や真理や霊魂にアタックするのは無謀すぎる。
素人が軽装で、エベレストの頂上を目指すようなもの。

52:神も仏も名無しさん
12/03/17 13:17:52.32 squaM5ZU
釈迦や空海は修行で塗炭の苦しみをした。
それではフロイト、弁証法の道は苦労がないのか。とんでもない。
社会そのものの、現実の生活で塗炭の苦しみをする。
働かないと生きていけないからね。生きることが修行になっている。
たぶん、スマートに悟ることはできないのだろう。

53:神も仏も名無しさん
12/03/17 14:50:50.13 squaM5ZU
フロイトと弁証法など、余暇に、いろいろ考えながら読んでも、
1~2年もあれば済んでしまう。もちろん、これだけでは悟れない。
現実に苦労し、心が砕かれなくてはならない。
神を知り、悟るためには、世の中に出て苦労することが欠かせない。

54:神も仏も名無しさん
12/03/17 15:08:20.51 squaM5ZU
一切皆苦は、世の中を苦であると見なせ、という意味ではない。
世の中で苦労するから、一切皆苦としか思えない心境を語っている。
一切皆苦、それが神を知り、悟るための必要条件なのである。
だれでも楽をしたいし、楽を目指して努力している。
しかしその逆、苦労の果てに神がいる。こんなことだれが考える?

55:神も仏も名無しさん
12/03/17 15:26:40.80 squaM5ZU
普通、自分から苦労しようという人はいない。
楽を目指しているのに、社会との関係で苦労へと追い込まれて行く。
世間的には「運が悪い」で片づけられるが、それは偶然ではなく、
もしかしたら神によって選ばれたのかもしれない。
そして神に出会えれば、苦労は癒され、至福そのものになる。

56:神も仏も名無しさん
12/03/17 15:38:22.52 squaM5ZU
神や霊魂は、人生に苦しんでいる人・悲しんでいる人への祝福である。
 
逆に、人生を楽しんでいる人・喜んでいる人への災いである。

57:神も仏も名無しさん
12/03/17 15:49:14.64 T2Fes5xt
弁証法といってもヘーゲル弁証法は唯物論ではなく観念論だぞ


58:神も仏も名無しさん
12/03/17 16:24:12.79 squaM5ZU
ヘーゲルはやめよう。唯物弁証法の入門書でいいと思うが、
興味があれば、フォイエルバッハ、エンゲルス、マルクスの経哲草稿、
レーニンあたりの弁証法に関するもの。弁証法の使い方を学ぶ。

59:神も仏も名無しさん
12/03/17 20:31:00.98 VhgZW23p
レーニン ・・・ 岩波文庫、唯物論と観念論についての小冊 ~ 難易度低
エンゲルス ・・・『自然の弁証法』 ~ 難易度低
フォイエルバッハ ・・・ 岩波文庫『将来の哲学の根本命題』難易度中
マルクス ・・・ 岩波文庫『経哲草稿』~ 難易度高 
☆☆☆ マルクスが理解できたら、弁証法は卒業ですね。 

60:神も仏も名無しさん
12/03/17 20:47:03.92 VhgZW23p
フロイトを読むことで、自然に自分自身の精神分析をしている。
読むだけで精神の健康に役立ってくれる。それと同時に、
人間性に関するフロイトの追求から、人間とは何かを学ぶことができる。
後になって思えば、これが重要なカギになったと思う。

61:神も仏も名無しさん
12/03/17 20:53:55.15 VhgZW23p
読む順番は、フロイト → 弁証法がいい。
フロイトはおもしろくて読みやすい。まずは精神の健康が優先される。
元気になったら、弁証法にアタックするといいだろう。

62:神も仏も名無しさん
12/03/17 22:03:32.27 VhgZW23p
旧約と小乗を比較するとき、大きく異なるのは「神との関係」だろうか。
小乗には神との関係を表現した戒がない。原始経典は仏法僧への帰依を説く。
しかし旧約の視点からすれば、これは十戒の第一「あなたには、わたしを
おいてほかに神があってはならない。」に違反している。
釈迦はほんとうに仏法僧への帰依を説いたのだろうか。

63:神も仏も名無しさん
12/03/17 22:11:16.60 VhgZW23p
仏法僧への帰依は後に続く者のウソだと思う。
そういう執着をやめなさい、というのが釈迦の教えではないか。
それなのに、なんで仏法僧が出てくるの?

64:神も仏も名無しさん
12/03/17 22:24:41.77 VhgZW23p
自灯明法灯明ならまだしも、仏法僧への帰依はまったく違うだろ。
原始経典の中にも、坊主どものウソが早くも登場する。
油断も隙もあったものではない(^^)
釈迦の真実の声は、ほんのわずかだと思った方がいい。

65:神も仏も名無しさん
12/03/17 22:39:26.20 bHa+hsE4
釈迦と超能力についての意見を希望。
十大弟子に超能力第一なんて現代の感覚で言ったらぶっ飛び過ぎやん。
それも坊主どもの嘘と言われればそれまでだが・・

66:神も仏も名無しさん
12/03/17 22:58:32.54 VhgZW23p
神と出会えば必ず運がよくなる。宝クジが当たるわけではないが、
そこそこに生きていく道が外から与えられる。
食べるのに苦労しなくなる。周囲が助けてくれるようになる。
今もそんな感じ。いつも不思議な思いをしている。

67:神も仏も名無しさん
12/03/17 23:09:46.77 VhgZW23p
以前より、人の気持ちがわかるようになったと思う。
知らない人でも、チラッと見ただけで、その人となりがわかる気がする。
そのせいか、他人をあまり見ないようにしている。
他人なんだから、わかっても仕方ない。

68:神も仏も名無しさん
12/03/17 23:17:02.53 VhgZW23p
輪廻に関しては、アラヤ識の身体を見たので、前世を否定できない。
でも、前世があるとも断言できないでいる。
 
自分の体験から想像するしかない。
いまのところ、このぐらいのことしか言えない。

69:神も仏も名無しさん
12/03/17 23:27:41.47 VhgZW23p
もうひとつ大事なことがあった。
 
祈りが通じるようになったよ。自分勝手な祈りではなく、
どうしてもこれだけはと思うような祈り、これが神に通じる。
自分の利益を祈らないことがコツかな。

70:神も仏も名無しさん
12/03/18 11:28:57.37 ZkYRU/z/
神はこの物質世界にはいない。次元の異なる神界にいる。
神は命だが、命がむきだしのままこの物質世界に現れることはない。
この世の生き物は命によって生きているではないかと思うが、
命は何層にも守られ、ようやく物質という衣をまとうようになった。

71:神も仏も名無しさん
12/03/18 11:52:29.53 ZkYRU/z/
宇宙は150億年前、地球は50億年前、生物は40億年前、
おぼろげに祖先らしきものは6500万年前、類人猿は2500万年前、
猿人は500万年前、原人は160万年前、旧人は30万年前、
新人(いまの人類)は2万年前に誕生した。 ~ 年代は約

72:神も仏も名無しさん
12/03/18 12:16:15.52 ZkYRU/z/
命は10億年をかけて地上に現れ、それから40億年をかけて人類がいる。
命は何層にも守られないと、物質をまとうことはできない。
その層を区別したのが唯識、霊魂 → アラヤ識 → マナ識 → 意識
ということではないだろうか。各識のそれぞれに五感がある。
霊魂は球体だが、それ以外の識はそれぞれが人間の形を持っている。

73:神も仏も名無しさん
12/03/18 13:06:18.16 ZkYRU/z/
霊魂は透明である。そこに透明な、静まり返った自分がいる。
何も思わないし、何も思い出そうとしない。
この自分は、現実における「わたし」そのものとまったく同質である。
周囲は白い霧で、それを見ている。それを感じている。視覚と触覚がある。
音が聞こえたら、それを聞くこともできる。聴覚もある。

74:神も仏も名無しさん
12/03/18 13:14:58.52 ZkYRU/z/
アラヤ識は、魔境に現れるもう一人の自分である。
人間の形をし、目も鼻も口もあるから、感覚があることがわかる。
それは生きており、外見は別人なのに、それが自分だと即座にわかる。
 
マナ識は夢の中に現れる自分である。そして意識は肉体を持つ。

75:神も仏も名無しさん
12/03/18 13:29:11.06 ZkYRU/z/
推測だが、十二因縁はもともと、意識以下の識の話だったのではないか。
なぜならアラヤ識が、無明そのものとして登場するからである。
だとすれば、逆観が悟りの道であり、順観はこの世への帰り道になる。
  逆観 ・・・ 意識 → マナ識 → アラヤ識 → 根本識(霊魂)
  順観 ・・・ 根本識(霊魂) → (通過) → マナ識 → 意識

76:神も仏も名無しさん
12/03/18 14:08:07.23 ZkYRU/z/
独覚に十二因縁が割り当てられ、声聞に四諦が割り当てられる。
 
独覚は目を閉じて独り、「瞑想して悟る」から十二因縁になる。
声聞は釈迦の話を聞いて悟る。四諦を利用し、釈迦の話と自分の経験を
照らし合わせ、自分の誤りに気づく。ゆえに四諦になる。

77:神も仏も名無しさん
12/03/18 17:38:29.12 3au/rPmi
声聞はピンからキリまでありそうだにゃ。
ピンは、すでに心砕かれ、熟していて、釈迦の言葉をきっかけに、
聖書で言う「聖霊の訪れ」を受けた者だろうか。
このレベルなら独覚と声聞は甲乙つけがたい。

78:神も仏も名無しさん
12/03/18 17:56:57.50 3au/rPmi
そうなると十界(仏・菩薩・独覚・声聞・六道)の序列が崩れる。
だいたい仏とは独覚のことだし、悟りを開かぬ菩薩の利他行などウソだし、
この世には独覚と声聞しかいない。仏=独覚とするにしても、
大乗の致命的な欠陥は「菩薩」ではないだろうか。悟っていないのに、
悟ったかのように振る舞える存在は虚構である。

79:神も仏も名無しさん
12/03/18 18:43:37.60 3au/rPmi
この話はこれぐらいにし、祈りの意味とか、
悪政が天災を招く、ということにも触れておきたい。
 
神=命が、この大地を目指していることを理解できたろうか。>>70-72
それがわかれば、神が地上に影響力を持つこともわかるだろう。

80:神も仏も名無しさん
12/03/18 19:41:33.08 3au/rPmi
神が生き物に影響できることはわかるだろう。
問題は、山、川、大地に影響できるかどうかである。
影響できる! なぜなら、影響できるからこそ、生き物が誕生したのだ。
神はこの大地にに影響を及ぼすことができる。えがったなあ(^^)



81:神も仏も名無しさん
12/03/18 20:11:27.11 3au/rPmi
 
悪政が天災を招く、これを理解したかな。

82:神も仏も名無しさん
12/03/19 16:49:13.17 KP3GBkre
誤解されないように霊魂について補足しておく。>>73
 
声を聞くが、その声は自分の声である。呼び戻さないとこの世に戻れない。
神界は清浄なので匂いがない。そのため嗅覚は必要ない。
口がないので味覚も必要ない。~ 霊魂は呼吸をしていない。

83:神も仏も名無しさん
12/03/19 17:13:59.75 KP3GBkre
聖書には神の声を聞いた預言者の話が出てくる。
クルアーンは神がかりしたムハンマドによって作られる。
日本でも天理や大本は教祖が神がかりしている。
しかし、体験すれば納得できるのだが、幸い体験したことがない(^^)
神の声については半信半疑である。

84:神も仏も名無しさん
12/03/19 17:45:18.41 KP3GBkre
神は人格神であるのか否か。これについては100%人格神だと言える。
神界にいる神は清浄さの中に静まり返っている。
しかしかりに、神(命)の中に、あらゆる知恵・感情・意志がなければ、
霊魂(命)の中にも、そういったものがありえるはずがない。
霊魂から形成される人間の中にもありえない。

85:神も仏も名無しさん
12/03/19 18:17:20.23 KP3GBkre
神と自然災害についてもう少し考えてみよう。この世、この物質世界には、
神といえども覆すことのできない自然の法則が働いている。
神は、この法則の範囲内で、この物質世界に影響を与える以外にないだろう。
崖の上や、崖の下に住む人は、本人に責任がある。

86:神も仏も名無しさん
12/03/19 18:33:08.12 KP3GBkre
日本は運悪く、四つのプレートがぶつかり合う位置にある。
そのため、地震や津波や噴火など、しばしば大きな災害に襲われている。
これは住んだ場所に大きな原因がある。日本人が悪いからではない。
津波で10万人を超える死者を出したスマトラ沖地震も同じ。

87:神も仏も名無しさん
12/03/19 18:54:28.55 KP3GBkre
そういった場所的な、あるいは時期的な運の悪さもあるだろう。
歴史の中に滅び去ったユダヤ民族も同じかもしれない。
エジプト・アッシリア・バビロニアなど、大国に囲まれた小国の悲劇である。
しかしもうひとつ、人々の思いの悪さ→人々を代表する政治家の悪政が
自然災害の原因になっていないか、という見方も存在する。

88:神も仏も名無しさん
12/03/19 19:20:11.45 KP3GBkre
神は何をしようとしているのか。これを知らなくてはならない。
神(命)は、自分の片割れである物質世界(死)をひたすら追い求めている。
神は大地との「結婚」を追求している。命と死との「結婚」・・・
これが神の思いではないのか。これが善、これに反するのが悪。
悪に出会えば神は怒り、その影響力を大地に行使する。

89:神も仏も名無しさん
12/03/19 19:31:05.95 KP3GBkre
神(命)と大地(死)の関係とは何だろう?
神が神だけで、大地と関係しなければ、神は単独になって消滅する。
この理屈は大地の側も同じである。
相互に関係し合うことで両者が存在する。実は相性がいい。

90:神も仏も名無しさん
12/03/19 19:48:29.89 KP3GBkre
この地上で、命が粗末にされ、命が苦しみ、この世を呪って死んでいく。
神(命)はこれが許せないのだと思う。
自分(神)が否定されるなら、そんな大地は滅びた方がいいだろう。
地球全体がそうなら、小惑星の衝突も現実になる。

91:神も仏も名無しさん
12/03/20 05:30:15.71 DndE+N9x
神は大地を生き物の世界に変えようとしている。これが神の思いである。
神の思いがわかったら、人もそのように思い、実行する。
金ではなく、生き物(命)を大切にする。
生き物は、人間だけでなく、植物も動物も、小さな虫も大切にする。
必要以上の殺生をやめ、生き物に感謝して生きる。

92:神も仏も名無しさん
12/03/20 06:03:31.82 DndE+N9x
たとえば次のようなものを毎日唱え、自分自身に言い聞かせよう。
 
① 一切の生きとし生けるものは幸せであれ。スッタニパータ147
② 聖書より十戒 ・・・ 覚えるまで紙に書いて唱える。
③ 仏教より、不殺生戒で始まる十善戒 ・・・ これも唱えよう。

93:神も仏も名無しさん
12/03/20 06:25:51.22 DndE+N9x
365日一日も休まず、何年も唱え続けるべきだ。
そうするとある日、その言葉の重要性がわかる日がやって来る。
特に、スッタニパータ147は、釈迦思想の核心ではないかと思う。
これがわかれば悟ったも同然である。

94:神も仏も名無しさん
12/03/20 06:34:18.04 DndE+N9x
ナムアミダブツ、ナンミョウホーレンゲッキョウ などと唱えるより、
スッタニパータ147を唱える方が千倍も万倍も効果が上がる。
 
真言などもそうだが、無意味な言葉を繰り返し唱えるのはやめた方がいい。
それなら、呼吸を数え、呼吸を調えた方が役に立つ。

95:神も仏も名無しさん
12/03/20 17:47:53.53 gEFl0oKE
唱えることあるいは祈ることの意味は二つある。
 
① 自分に言い聞かせる。心がけのようなものだろうか。
② 神にお願いする → 神にお伺いする ・・・ 気づきはここに入る。 

96:神も仏も名無しさん
12/03/20 17:55:17.11 gEFl0oKE
スッタニパータ147は、お願いの方に含めようか。
謙虚に「生きとし生きるものが幸いでありますように」の方がいいね。
わたしはこれを唱えているよ。この方がイーヨナー
 
元の「幸せであれ」はちょっと偉そうだもんね(^^)

97:神も仏も名無しさん
12/03/20 18:05:46.48 gEFl0oKE
さて、祈りはこんなものだとして、それが神に通じるのはなぜか。
祈りがどうしたら通じるのではなく、なぜ通じるのかという疑問だな。
そんなシステムが、神と人間との間にあるのか否か。
祈りの可能性を根源的に問いたい。

98:神も仏も名無しさん
12/03/20 18:33:23.44 gEFl0oKE
じつは、これについてはすでに話している。
神(命)は地上を目指している。そのパワーは凄まじいものがあり、
10億年かけて生き物を造り、それから40億年かけて人類を造り出す。
神のパワーは、汲めども尽きぬ無尽蔵の井戸なのである。
この世へ、この世へと神のパワーが働いている。

99:神も仏も名無しさん
12/03/20 18:52:48.00 gEFl0oKE
であれば、祈りの波長が神に合えば、神のパワーが働くわけである。
 
もう少し具体的に言えば、無明や原罪が清算されていれば、
その人の祈りが神に届くことになる。
無明や原罪が清算されているとは、アラヤ識が清算されていることである。

100:神も仏も名無しさん
12/03/20 19:35:47.91 gEFl0oKE
要するに、神のパワーは地上に向かっているのであり、
この波長に合えば祈りが現実になる。
そのためには、無明や原罪の発生源であるアラヤ識を清算する必要がある。
アラヤ識が清算できれば、人間は神の波長に近づくことができる。
これが祈りのシステムではないだろうか。

101:神も仏も名無しさん
12/03/21 00:25:27.22 uJ2CIyiL
神は善そのもの、正義そのものであるから、
正しい人によって正しく祈られたら断ることができない。
 
正しい人とは、仏教なら釈迦、聖書ならモーセやエリヤだろうか。
アラヤ識(無明や原罪)を清算した人のことである。

102:神も仏も名無しさん
12/03/21 00:38:59.68 uJ2CIyiL
アラヤ識がなければ、意識から→マナ識→霊魂→神へと、
人間の思いが直通する。アラヤ識がないだけ通じやすくなっている。
というか、アラヤ識が神との関係を切断している張本人であり、
神などいないという主張が生まれる原因である。
人間はアラヤ識によってフタをされている。


103:神も仏も名無しさん
12/03/21 00:48:13.93 uJ2CIyiL
祈りが神に通じるために、もうひとつの問題が横たわっている。
アラヤ識を清算したとしても、正しく祈る方法にはピンからキリがあり、
教科書がないから、自分で試行錯誤する以外にないのである。
うまく行く時もあれば、行かないこともある。まだよくわからない。

104:神も仏も名無しさん
12/03/21 01:09:24.13 uJ2CIyiL
ひとり言だが、ひとり言だと話の内容にまとまりが保て、
祈りの話のように、自分でも気がつかなかったようなことにも気づく。
これがひとり言のいいところか。だれかとのやり取りになると、
テーマが飛び、話が深まることなく、いつまでもループしてしまう。
そういう展開は得るところがないように思え、苦手だな。

105:神も仏も名無しさん
12/03/21 01:24:47.94 uJ2CIyiL
運よく聖霊の訪れを受け、瞑想してアラヤ識を清算しても、
それだけで完全になるのではない。その先が長い。
理解できるようになった聖書など、宗教的な書物を乱読し、
さらに自分自身を調えなければならない。これが簡単ではない。
だから、若いうちに、できるだけ早く、頂上に到達すべきなのである。

106:神も仏も名無しさん
12/03/21 01:43:35.08 uJ2CIyiL
わたしの場合は幸い、フロイトと唯物弁証法だけだったから、
どこの教団とも無関係であり、苦労したが最短距離だったかもしれない。
なぜそんな選択ができたのか、神の導きとしか言いようがない。
宗教関連など、読まなくてよかったとつくづく思う。
その類は固定観念を作り、逆に邪魔になる。

107:神も仏も名無しさん
12/03/21 21:02:50.53 w9HUqE1Y
アラヤ識に話を戻すが、なぜアラヤ識が神に通じる道を塞いでいるのか、
これには神の側にちゃんとした理由がある。
生き物は、アラヤ識があることで物質に執着し、大地に根付くからである。
動物にしろ植物にしろ、欲が少ないと育たない。
生き物にはアラヤ識が欠かせない。

108:神も仏も名無しさん
12/03/21 21:14:50.83 w9HUqE1Y
アラヤ識は無明や原罪の正体である。
それは大地で生きるために、神が用意した装置でもある。
人間以外の生き物はそれでたいした問題はない。しかし人間は違う。
言葉を使い、知識を蓄え、自分の欲望を限りなく追及する。
これが必要以上の殺生という悪を生む。

109:神も仏も名無しさん
12/03/21 21:29:50.85 w9HUqE1Y
人間同士の争いから、これでいいのかと悩み、疑問を持つ人も現れる。
こういった人が苦労の末に見出したものが神であり、霊魂ではないだろうか。
もちろん簡単にはいかない。アラヤ識は生き物が地上で生きるために、
神が用意した装置である。それを捨てないと霊魂が登場しない。
霊魂は人間の形をしたアラヤ識に隠されている。

110:神も仏も名無しさん
12/03/21 21:51:43.02 w9HUqE1Y
本覚思想は、人間には仏性があり、もともと悟っているのだから、
修行も戒も必要ないという主張である。しかしこれは100%誤っている。
無明であるアラヤ識の中に霊魂が隠されているのであり、
瞑想によってアラヤ識を清算しないと、人間は無明のままで終わる。
輪廻があれば輪廻するし、悪趣に行くかもしれない。

111:神も仏も名無しさん
12/03/21 22:01:25.94 w9HUqE1Y
アラヤ識が持っている二重性は、聖書にあるエデンの園にも描かれている。
 
① アラヤ識は人間が地上で生きて行くために必要なものである。
② しかしアラヤ識が、霊魂、神との関係を切断している。

112:神も仏も名無しさん
12/03/21 22:18:08.05 w9HUqE1Y
チャクラの話には興味がないが、アラヤ識のフタを開くなら
サハスラーラに至る、という風に読めないこともない。
ただし、チャクラを意識して瞑想することには同意できない。
知識や薬物など、そういった小手先では無理、人生でも苦行でもいいから、
とにかく苦労し、心が砕かれていることが欠かせない。

113:神も仏も名無しさん
12/03/21 22:56:23.12 w9HUqE1Y
ヴィパッサナーも疑問。瞑想のやり方とかに矮小化するのではなく、
基本的には、その人が熟しているかどうかだと思う。
シンプルな数息観でいい。それも天台小止観の流布本が簡単でいい。
魔境を避けるような瞑想法では究極の悟りに到達できない。

114:神も仏も名無しさん
12/03/21 23:03:06.64 yfW7gZal
富山県高岡市荒屋敷

115:神も仏も名無しさん
12/03/21 23:15:05.67 w9HUqE1Y
>>114
アラヤ識という地名があったのか(^^) 


116:神も仏も名無しさん
12/03/22 00:32:31.01 Mw18VZP8
神はどっちを望んでいるのか。
アラヤ識に支配されることか、それとも神に支配されることか。
もちろん、神に支配されることを望んでいる。
神は、人間が神を知り、霊魂を知り、神に支配されることを望んでいる。
であれば、人間が苦労し、心が砕かれることは正しい。

117:神も仏も名無しさん
12/03/22 12:13:22.99 uJ9pLdgC
神のような人間が地上に生まれたと仮定しよう。
自分のことはまったく考えず、周囲の幸せばかりを願って行動する。
善そのもの、正義そのものとして生きる。
はたしてこの人は育つだろうか。ひとりで生きていけるだろうか。
たぶん育たないし、生きられないだろう。

118:神も仏も名無しさん
12/03/22 12:30:05.24 uJ9pLdgC
そのために神はアラヤ識を用意する。
アラヤ識によって、生き物はこの地上で生きられるようになる。
それは生きている死体である。恐ろしく蠱惑的な死体であると言っていい。
死体とは物質であり、物質に執着する傾向はここから生じる。
もちろん、本物の物質ではなく、神が造った想念体のようなものである。

119:神も仏も名無しさん
12/03/22 12:46:24.92 uJ9pLdgC
むきだしの命では育たないから、いったんアラヤ識を生き物に用意する。
そうやって地上に根付いた生き物の中から、人間のような、
神を知る生き物が地上に誕生する可能性を選んだのではないだろうか。
人間をおいて他に、アラヤ識を清算できる生き物はいない。
これが底知れぬ神の智慧である。

120:神も仏も名無しさん
12/03/22 13:10:36.84 uJ9pLdgC
瞑想によって霊魂体験をしたいと思う人がいるかもしれない。
しかし、いきなり霊魂体験を目指すのは相当危険であり、不可能に近い。
釈迦や空海の場合は奇跡である。それより聖霊体験の方が安全だ。
しかし体験するのは至難の業。死にたくなるような精神的な苦労を重ね、
精神的に死なないと体験できない。たとえば聖書のヨブ記。

121:神も仏も名無しさん
12/03/22 13:25:40.14 uJ9pLdgC
聖霊体験の場合も問題がないわけではない。
ヨブ記でわかるように、あまりの苦労に、精神病になる可能性もある。
その用心にフロイトが役に立つ。心を砕くことは簡単ではない。
それにしても順序は、聖霊体験 → 霊魂体験だと思う。

122:神も仏も名無しさん
12/03/22 13:36:11.18 uJ9pLdgC
聖霊体験があれば、霊魂体験がきわめて簡単にできる。
それから聖霊体験には「入口」がある。「入口」があるからこそ、
それを探し求めることも可能なのである。
ところが霊魂体験には「入口」がない。偶然しかない。

123:神も仏も名無しさん
12/03/22 23:25:26.85 07DkJo3z
◆ 霊魂体験には「入口」がない ◆ 
瞑想のプロセスは、雑念→鋭敏な感覚→禅定→魔境→霊魂体験である。
これを見ればわかるように、瞑想は<禅定→魔境>の流れになる。
ところが、どんな魔境(夢)になるのかについての決定権は自分にない。
魔境は神の主導によって展開する。これが問題なのだ。

124:神も仏も名無しさん
12/03/22 23:34:15.80 07DkJo3z
魔境(夢)の最初のシーン設定は神によってなされる。
そこに自分(マナ識)がいるのだが、その自分の判断次第で魔境が左右する。
ということは、①どんなシーンに設定されるのか、②自分はそこで
正しく判断できるのか、ということが問題になる。
①は神が主導する。自分がかかわれるのは、②の部分である。

125:神も仏も名無しさん
12/03/22 23:49:32.93 07DkJo3z
魔境(夢)のなかで、正しく判断できるかどうか、今でも自信がない。
誤った判断をすれば悪夢になり、その場合は霊魂体験どころではないだろう。
だから、霊魂体験には「入口」がなく、それは偶然としか言えないのだ。
魔境に挑戦するには、その中にあっても正しく判断する能力が求められている。
つまり、その準備が必要になるわけだが、それが聖霊体験である。

126:神も仏も名無しさん
12/03/23 00:11:44.51 jGm9fovT
魔境で正しく判断する? 
マナ識は人間の形をしているが、それが魔境に翻弄されるのではなく、
目を開いて主体的に行動することを意味している。
そんなことが可能なのか。可能なんだね。

127:神も仏も名無しさん
12/03/23 00:35:47.65 jGm9fovT
個人的な話をすれば、瞑想して魔境に入ったのは二回しかない。
今思えば、この二回がこれしかないという体験であった。
その後も瞑想を続けたが、禅定までは行けるのに魔境には届かない。
いつしか、こんな体験は何度もするものではないと考え、
さらに瞑想もやめてしまった。今は祈りだけ。

128:神も仏も名無しさん
12/03/23 00:47:19.50 jGm9fovT
そのかわり夢で不思議な体験を何度もしている。
夢の中で主体的に動く。→ 夢の内容が変わり、よい展開になる。
あまりよくて、目が覚めることもある。ウソのようだけどホントだよ~ん。
頭が冴えわたって眠れないのだ。もちろん変な夢も時々あるよ。
そういう時は、まだまだダメだなと深く反省している。

129:神も仏も名無しさん
12/03/23 01:06:52.01 jGm9fovT
自分の夢をチェックする方法もある。
悪夢や支離滅裂な夢を見ている間は反省しなければならない。
夢をもっと活用すべきだろう。聖霊体験をしてから瞑想をスタートする。
これが安全で利口だと思うのだがどうだろう?

130:神も仏も名無しさん
12/03/23 01:15:12.34 jGm9fovT
もし若い人が読んでいてくれたら嬉しいな。
わたしは25歳のころ「空」を知り、
30歳前後で聖霊も霊魂も両方体験している。急ごう。時間がない。

131:神も仏も名無しさん
12/03/23 21:57:22.93 o+GSJXwl
◆ 世の中の電波はピンからキリまで ◆
 
鵜呑みにするのはよくない。なんにせよ、納得がいくまで保留しておく。
フロイトも唯物弁証法も同じ。ただ素直に読むのではなく、
誤りはないのかと著者と対決するつもりで読む。

132:神も仏も名無しさん
12/03/23 22:14:52.95 o+GSJXwl
フロイトは独創的で勉強になるが、疑問に思うことも多々あった。
性欲で夢の解釈をするのもそのひとつ。疑問を感じたら、ではどう解釈すべき
だろうかと考える。その時わからなくても、いずれわかる時がやってくる。
唯物弁証法は共産主義と結合している。このふたつを分けて読む必要がある。
それから、エンゲルスの『自然の弁証法』は読む必要がないと思う。

133:神も仏も名無しさん
12/03/23 22:29:15.50 o+GSJXwl
十牛図は悟りの段階を簡単に描いている。ただ問題は、ネットで見ると、
牛を「本来の自己」or「真の自己」とする解釈が主流になっている。
しかしこの解釈は間違っている。牛を欲望(食欲と性欲)の象徴にするなら
わかるが、牛が「本来の自分」では十牛図の意味が逆転してしまう。
高名な僧侶がこういったデンパを垂れ流すから困るのだ。

134:神も仏も名無しさん
12/03/23 23:04:00.96 o+GSJXwl
仏教は欲望を諸悪の根源とし、欲望を根こそぎにすることを説く。
しかし、欲望を根こそぎにしたら、いまの欲望社会は成立しないではないか。
これを心配したのか、高名な僧侶が時々「大欲」を主張している。
仏教本来の立場からすれば、この「大欲」という主張は完全に間違っている。

135:神も仏も名無しさん
12/03/23 23:16:32.45 o+GSJXwl
精神的な意味での「大欲」なんだと弁解するかもしれない。
しかし、無欲を説くべきなのに、「大欲」を主張したらアウトだろう。
乞食をし、必要最小限のもので満足するのが仏教精神である。
僧侶自ら「大欲」などと言い出すのは、ぜい沢をしている弁解、言い訳、
あるいは、ぜい沢をしたい野心、下心ではないだろうか。

136:神も仏も名無しさん
12/03/23 23:36:44.11 o+GSJXwl
乞食は無理だね。乞食も浮浪者も軽犯罪法違反になる。
ということは、日本は仏教本来の在り方が成立しない社会なのである。
大乗は戒もなく、肉食妻帯の普通の人が僧侶を名乗っているだけ。
葬式で生き延びているわけだから、葬祭業者と変わりない。
葬祭業者と連携しているフリーの僧侶もいるという。

137:神も仏も名無しさん
12/03/24 00:01:41.91 o+GSJXwl
釈迦はなぜ釈迦になれたのか。空海との違いは何か。
① カピラ城(現在のネパール)の王子として帝王学(人心掌握術)を学ぶ。
② ヴェーダ聖典を学び、ブラフマンやアートマンなどを熟知していた。
③ カピラの王子ゆえに強国マガダの庇護を受ける。僧団がカピラ城を継承。
④ 当時のインド社会では「乞食」が可能であった。日本より暖かい。

138:神も仏も名無しさん
12/03/24 00:16:56.18 KLQjIx58
空海はなぜ釈迦になれなかったのか。
① 日本には乞食を受け入れる習慣がない。冬は寒いしね。
② インドのようなヴェーダの伝統がなかった。アートマン初体験。
③ 天皇などの権力者に依存するしかない。鎮護国家宗教へ。 

139:神も仏も名無しさん
12/03/24 08:11:30.19 GW4bdXEG
遊行 ・・・ 乞食をしながら各地を旅する。機会があれば説法する。
風を背に受け、寒くなれば南下し暑くなれば北上する。川で水浴びをし
林の中で休息する。身体が丈夫なら合理的な布教活動である。
そういえばイエスも似たような布教をする。それが可能な社会だった。
しかし空海は高野山にこもる。そこが釈迦やイエスと異なる。

140:神も仏も名無しさん
12/03/24 09:35:08.73 GW4bdXEG
釈迦はアートマン(霊魂)体験をして、それをヴェーダ聖典で理解する。
イエスは聖霊体験をして、それを聖書(旧約)で理解する。
神秘体験をした後、それが何なのかを、言葉を通して学ばなければならない。
神秘体験だけでは足りない。その時に役立つのが、
先人の残してくれた聖典であり、その国や民族の文化的伝統なのである。

141:神も仏も名無しさん
12/03/24 09:55:10.82 GW4bdXEG
空海の場合は、大日経と金剛頂経という密教を選んだ。
これらの経典が自分の体験にもっとも近いと感じたからに違いない。
しかし、ヴェーダ聖典もなく、インド的な伝統もない日本では、
それら以上の認識に到達できなかった。これが空海の限界なのであり、
空海が釈迦になれなかった根本理由だろう。

142:神も仏も名無しさん
12/03/24 11:42:31.64 GW4bdXEG
空海は求聞持法で霊魂体験をする。23歳の若さだ!
これが空海の誕生であり、空海のすべてであると思っている。
その神秘体験は「谷響きを惜しまず、明星来影す」として伝えられている。
いろいろな説があるようだが、明星は(空海の)霊魂であり、
それを地上に呼び戻す(空海の)声が神界に響いたのだと解釈している。

143:神も仏も名無しさん
12/03/24 12:12:04.50 GW4bdXEG
空海の霊魂が聞いたのは、求聞持法で唱える陀羅尼(真言)である。
求聞持法は100万回の陀羅尼を100日あるいは50日間で唱える。
それは、①禅定→魔境→神界へ入り ②神界の霊魂を呼び戻すためにある。
霊魂が抜けても、身体が陀羅尼を覚えていて「再び」唱え始め、
これが神界の霊魂に届き、霊魂を無事に呼び戻すことができるのである。

144:神も仏も名無しさん
12/03/24 12:29:51.60 GW4bdXEG
吽字義を書いたのもそうだし、真言宗という名前もそうだが、
空海が陀羅尼(真言)にこだわる背景には、この神秘体験があるように思う。
陀羅尼(真言)だからこそ、神界に届いたという理解である。
しかし、それが真実かと言えば実はそうではない。日本語も届くのである。
わたしが聞いたのは日本語である。

145:神も仏も名無しさん
12/03/24 13:21:37.89 GW4bdXEG
ナムアミダブツ、ナンミョーホウレンゲッギョー でもよさそうだが、
これだと精神集中で終わりそう。禅定かどうかも怪しい。
求聞持法は落命する者もいるほど過酷であり、とても比較にならない。
問題は過酷過ぎて挑戦する者がほとんどいないということか。

146:神も仏も名無しさん
12/03/24 13:57:54.75 GW4bdXEG
こういったことが空海の原点だと思うが、
真言宗を開いてからの空海は少しズレたのではないだろうか。
信者には現世利益の修法を前面に出し、弟子には簡略化した求聞持法を説く。
印契を結び、口で真言を唱え、心に大日如来をイメージする。
三密加持すればすぐにでも成仏すると。

147:神も仏も名無しさん
12/03/24 14:11:50.78 GW4bdXEG
求聞持法を勧めたのでは、みんな逃げちゃうものね。
信者を獲得し、弟子を集めるためには仕方なかったのかもしれない。
そのかわり真言宗には、空海のような神秘体験をする人が現れなくなる。
不動明王の掛け軸を前に、ひたすら護摩を焚いて真言を唱えても、
願いはかなわないだろう。修法者が空海なら別だが(^^)

148:神も仏も名無しさん
12/03/24 14:58:47.36 GW4bdXEG
というか、空海はどこかで方針転換をしている。
かれは吽字義で「草木また成ず、いわんや有情をや」と書いているという。
天台宗安然の「草木国土悉皆成仏」や大乗涅槃経の「一切衆生悉皆仏性」と
同じであり、苦しい修行をしなくても成仏する、という本覚思想である。
悟りを求めて苦労した若き日々を忘れている。

149:神も仏も名無しさん
12/03/24 15:03:27.48 GW4bdXEG
これで真言宗から名僧が現れない理由がわかってきた。
かれらは悟りを求めていないのだ。
空だとか本覚思想だとか、やっぱし大乗はだめだねえ。

150:神も仏も名無しさん
12/03/24 22:39:36.58 GW4bdXEG
空海の意義は、求聞持法で霊魂体験をしたことにつきるだろう。
言葉へのこだわりについては理解できないわけではない。
神秘体験をしても、それが何であるかを読み解かなければ落ち着かないし、
次に何をなすべきかもわからない。それが究極の体験だと知れば、
悟りを求める旅も終了する。人間は言葉によって着地する。

151:神も仏も名無しさん
12/03/24 23:20:36.33 GW4bdXEG
空海は、大乗の空に関係ないかと言えばそうでもない。
もともと大日経は龍猛(龍樹?)を経由して空海に伝来したと言われている。
霊魂体験をした空海でさえ、空の思想を信じ、さらには「草木また成ず、
いわんや有情をや」と言っている。>>148

152:神も仏も名無しさん
12/03/24 23:44:07.62 GW4bdXEG
同じようなことは最澄も法華秀句で、「草木また空に従ひて成す。
まさに是れ衆生なるべし」と言っている。
大乗の二大祖師が、空、本覚思想の持ち主であったことになる。
空、本覚思想は、その後の天台・真言・浄土系・日蓮系に影響している。
禅宗は悟りを目標に修行するが、悟りの中味は空に設定されている。

153:神も仏も名無しさん
12/03/25 00:12:49.27 NZu9Joii
空海の話は飽きちゃったので、戒や肉食妻帯の話題に変えるね。
見出しをつけないから、話題の転換に苦労するお。

154:神も仏も名無しさん
12/03/25 00:27:23.01 NZu9Joii
究極の悟りを求めているなら、結婚して子供をつくらない方がいい。
なぜなら、精神的に死ぬことが悟りだからである。
悟ろうと思えば、苦労の連続になり、妻子を必ず不幸にしてしまう。
これが僧侶や神父が独身を求められる理由である。
妻子を優先したら悟れない。


155:神も仏も名無しさん
12/03/25 11:02:24.16 R2AFBjre
悟ってから結婚であれば、できるだけ早く悟らなければならない。
遅くても30前後には悟っている必要がある。
逆算すると、それこそ子供のころから悟りを目標にして暮らすべきである。
ユダヤ教やイスラム教やヒンズー教の子供たちは、幼いころから
聖書やクルアーンやヴェーダに親しんでいるのではないか。

156:神も仏も名無しさん
12/03/25 11:16:02.50 R2AFBjre
だれであれ、修行中の者は結婚しない方がいい。
しかし悟った者は、機会があれば結婚して子孫を残すべきである。
そういった区別がなく、一律に結婚を禁じるカトリックや、
上座部仏教のあり方は逆に不自然だと思う。
不自然なことをやっているから、聖職者の性犯罪が後を絶たない。

157:神も仏も名無しさん
12/03/25 11:35:58.67 R2AFBjre
キリスト教は死後の天国を願い、この世に対して否定的である。
仏教もこの世からの解脱(悟り)を願う。
仏教からもキリスト教からも学ぶべきことは多々あるが、
この世を否定的にとらえる宗教は基本的に間違っていると思う。
本当に悟った者はこの世を肯定するだろう。

158:神も仏も名無しさん
12/03/25 11:46:43.39 R2AFBjre
聖霊の訪れ、霊魂を体験した者は次のように感じるだろう。

神はお造りになったすべてのものをご覧になった。
見よ、それは極めてよかった。夕べがあり、朝があった。(創世記1.31)

159:神も仏も名無しさん
12/03/25 12:13:28.32 R2AFBjre
聖職者(教師)は社会で普通に暮らし、修行を望む者は道場(学校)に通う。
これがまともなシステムだと思う。相応の授業料も必要だろう。
基本は独身男性の道場とし、そのほかに結婚した社会人用の道場や、
女性専用の道場もあっていいだろう。
子供から大人になるための、通過儀礼のような役割を宗教が担う。

160:神も仏も名無しさん
12/03/25 12:43:17.20 R2AFBjre
出家制度は疑問だね。人間関係が下手な人ほど、悩み苦しみ、
生きる意味を考え始める。それが実は悟りに欠かせない。
それなのに出家制度へ逃げ込むと、そこは社会と異なる特殊な世界だから、
もはやそこから出られなくなる。羊は狼の社会では生きられない。
社会で悩み苦しむことこそ最善の修行なのである。

161:神も仏も名無しさん
12/03/25 18:43:21.05 R2AFBjre
修行 ・・・ オウムもそうだが、みんなカン違いしている。
聖霊の訪れ、霊魂体験には「精神的に死ぬ」ことが求められている。
滝行や断食など、身体を痛めつけることはスジ違いだよ。
そうではなく、親離れし、社会の中で精神的に苦労することが肝心。
最初から坐禅などやるな。悟りの方法が誤っている。

162:神も仏も名無しさん
12/03/25 19:01:55.49 R2AFBjre
人間関係に疲れたら休めばいい。音楽も絵画も彫刻も文学もあるよ。
気分転換に引っ越しも、転職するのもいいだろう。旅行もいい。
映画もスポーツも趣味もあるよ。友人と酒を飲むのもいいだろう。
生きるつらさを、やり過ごすのも生きていく知恵なんだね。
その挙句、運よく「精神的に死ぬ」なら、これこそ真の修行ではないか。

163:神も仏も名無しさん
12/03/26 06:38:16.69 QoWspH8e
フーン。でも世間で人並みにやろうとしてことごとく挫折して
路頭に迷ったとき、それでもやれとは言えないですよね。
まあ、そこで自己の因縁を自覚して殊勝な精神を起こしたかと言われれば
そうなってないのだから、まだ甘いのかもしれません。
「あんたらに言われたくない。」という気持ちが働いて、自分を向上させる
気になるという点で2ちゃんほど精神的打撃になるものは無い・・・w

164:神も仏も名無しさん
12/03/26 13:27:07.88 qwroELk6
実際の苦労と精神的な苦労を区別してください。
この二つは無関係ではないが、人間はちょっとした苦労でも精一杯苦しむ
傾向があります。そういった精神的な苦労が修行になるという話です。
金がなく食うに事欠くとか、病気や怪我で苦しんでいるなら、
実家に帰るなり、生活保護を申請すべきです。

165:神も仏も名無しさん
12/03/26 13:41:16.22 qwroELk6
繰り返すけど、ただ単に苦労すればいいのではなく、
フロイトと弁証法を学ばないと、骨折り損のくたびれ儲けになる。
何の装備もなくエベレストの頂上を目指すようなものだろう。
山の麓から上の方まで、途中で倒れた無数の骨が散らばっている。
少なくても、フロイトと弁証法(空)を装備してほしい。

166:神も仏も名無しさん
12/03/26 13:59:43.96 qwroELk6
十牛図を見れば、どうしたら悟れるのかを簡単にイメージできる。
ただし、牛を本来の自己にしたり、八図の人牛倶忘を空にしたら落第だね。
十牛図は、序や頌をいっさい無視し、図だけをジーッと眺める。
そして自分なりに理解すればいいのではないだろうか。 

167:神も仏も名無しさん
12/03/26 17:45:39.05 asQqqSVw
ついでだから十牛図をやっておこうか。
①尋牛(じんぎゅう) ②見跡(けんせき) ③見牛(けんぎゅう)
④得牛(とくぎゅう) ⑤牧牛(ぼくぎゅう) ⑥騎牛帰家(きぎゅうきか)
⑦忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん) ⑧人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
⑨返本還源(へんぽんげんげん) ⑩入廓垂手(にってんすいしゅ)

168:神も仏も名無しさん
12/03/26 17:54:29.15 asQqqSVw
十牛図の解釈は二通りあると思う。
 
A いきなり霊魂体験のパターン ・・・ 求聞持法とは異なる。
B 聖霊体験 → 霊魂体験のパターン ・・・ これが理想的である。

169:神も仏も名無しさん
12/03/26 18:08:35.07 asQqqSVw
A いきなり霊魂体験のパターン
 
①尋牛 ・・・ なぜ生きているのかと、生きる意味を探し始める。
②見跡 ③見牛 ・・・ 自分の中に野生の牛(欲望)がいることを知る。
④得牛 ⑤牧牛 ・・・ 欲望をコントロールしようとする。

170:神も仏も名無しさん
12/03/26 18:26:22.86 asQqqSVw
⑥騎牛帰家 ・・・ 孔子の「七十にして心の欲する所に従いて、
矩(のり)を踰(こ)えず」という心境ではないだろうか。
七十はともかく、自分の中に牛(欲望)を見つけてから、相当の年数が経過し、
性欲もうすれ、食欲も細くなった年齢(50歳以上)だろうと思う。
昔は早死にだったからそんなものだろう。

171:神も仏も名無しさん
12/03/26 18:52:40.14 asQqqSVw
⑦忘牛存人 ・・・ 男が満月を見ている。→ 満月が男の霊魂である!
男は瞑想中に、牛(欲望)を捨てることで霊魂体験を可能にした。
⑧人牛倶忘 ・・・ 男を満月が飲み込む。男が満月を飲み込むのではない。
白い円は満月である。霊魂が男の元に戻ってきたのだ。
満月を見てから、その満月が男を飲み込むのは一瞬の出来事である。

172:神も仏も名無しさん
12/03/26 19:13:43.85 asQqqSVw
⑨返本還源 ・・・「わたし」がいて周囲を見ているのだが、
自分という色メガネを外したので、周囲をストレートに見ることができる。
これができるのは前段階で欲望(アラヤ識)を捨てたから。
⑩入廓垂手 ・・・ 太鼓腹の布袋様のようなのが描かれている。
十牛図は、この世への疑問で始まり、この世の肯定で終わる。

173:神も仏も名無しさん
12/03/26 19:36:03.32 asQqqSVw
このパターンで悟れる可能性もあると思うが
この道の欠点はやたら年を取りそうなことだね。悟れる保証もないし。
求聞持法は危険すぎるし。ではどうしたらいいか。
Bの、聖霊体験 → 霊魂体験のパターンが悟りの王道だと思う。


174:神も仏も名無しさん
12/03/26 19:42:12.22 asQqqSVw
B 聖霊体験 → 霊魂体験のパターン
 
①尋牛 ・・・ Aに同じ
②見跡 ③見牛 ・・・ フロイトで欲望や本能を学習ずみ
③得牛 ・・・ 野生の暴れ牛に手綱? これは聖霊の訪れがないと無理。

175:神も仏も名無しさん
12/03/26 19:54:43.08 asQqqSVw
⑤牧牛 ⑥騎牛帰家 ・・・ 神=聖霊の訪れで通過してしまう。
⑦忘牛存人 ・・・ これはね、瞑想(坐禅)が必要なのだよ。
⑧人牛倶忘 ⑨返本還源 ・・・ Aに同じ。
⑩入廓垂手 ・・・ これはねえ、若いなら菩薩というわけにはいかない。
この世で生きていくには、まず自分のことを考えないと・・・(TT) 

176:神も仏も名無しさん
12/03/27 04:33:47.42 hTw8sGuV
この場合、弁証法(空)がどう働いたのかと言えば、
正(欲望を土台に存在している自分 or かのような自分の発見) → 
反(その自分に深いショックを受け、それを根こそぎにする悔い) →
・・・ 目を開いたまま幻覚を見る ・・・ 聖霊の訪れ
合(癒しと至福、聖霊が神であることを直感) であったろうか。

177:神も仏も名無しさん
12/03/27 04:46:14.32 hTw8sGuV
結果的にフロイトと弁証法だけで聖霊も霊魂も体験した。
聖書などの宗教関連本を読むのはそれからである。
なんでフロイトと弁証法なのかは、その二つに自然に興味を持ったとしか
言いようがない。周囲と議論するわけでもなく、ひとりで黙々と読んでいた。
いま思えば、神に導かれていたとしか思えない。

178:神も仏も名無しさん
12/03/27 05:09:32.22 hTw8sGuV
最初に聖書に向かったのは、悔い→聖霊の訪れという順序にある。
イエスの「悔い改めよ」ぐらいは知っていたからね。
神を信じるようになったから、旧約新約と全部読むのに苦労しなかった。
瞑想(半跏趺坐)も始めたが、神への絶対的な信頼が瞑想を容易にしてくれた。
最初から1時間程度やり、半年ぐらいで霊魂体験もできた。

179:神も仏も名無しさん
12/03/27 09:54:50.30 CsH1fqtW
聖霊を脳内麻薬(エンドルフィン)だと言っている人がいる。
霊魂体験を変性意識だと言っている人もいる。これらは何も知らない人が、
言葉の言い換えをしてわかったような主張をしているに過ぎない。
これらには神秘体験を否定しようという悪意や嫉妬が込められている。
もっともらしいから余計、たちの悪いデンパである。

180:神も仏も名無しさん
12/03/27 12:16:33.08 CsH1fqtW
聖霊の訪れは、神を食べることであり、味覚に関係している。
エデンの園には命の木があるが、神は人がこの木から取って食べ、
永遠に生きる者になることを恐れ、楽園から人を追放する。
創世記でも聖霊(命)は食べ物に喩えられている。

181:神も仏も名無しさん
12/03/27 12:25:42.44 CsH1fqtW
聖霊体験は味覚、霊魂体験は触角・視覚・聴覚。
どちらにも匂いがまったくないせいか、嗅覚は働かなかった。
 
十牛図の補足
⑦忘牛存人~⑧人牛倶忘が、空海の「明星来影す」に対応している。

182:神も仏も名無しさん
12/03/28 10:07:32.50 xYx7076N
悟りを開くというのは、そんなに難しい話ではないような気がしている。
悟りを開き終わった後、それを維持し続けるのが難しいだけ。

183:神も仏も名無しさん
12/03/28 10:31:21.35 hV/cnsiP
そんなことはないよ。かなり難しい。まず第一になかなか死なない。
精神的な話だから余計困難だ。心は安きに流れ、限りなく逃げて行く。
そのため、悟り以前にノイローゼや精神病を患う。
その用心にフロイトが欠かせない。ほどほどに緩める必要がある。
悟後の問題については、この後で少し触れてみたい。

184:神も仏も名無しさん
12/03/28 10:48:30.09 hV/cnsiP
十牛図の整理 ・・・ 聖霊体験 → 霊魂体験のパターン
 
①尋牛 ・・・ 苦労や挫折から生きることに疑問を感じる。 
②見跡 ③見牛 ・・・ フロイトから夢・精神分析・本能などを学ぶ。 
④得牛 ・・・ 弁証法(空)によって、聖霊の訪れを体験する。 

185:神も仏も名無しさん
12/03/28 11:03:27.95 hV/cnsiP
⑤忘牛存人 ⑥人牛倶忘 ⑦返本還源 ・・・ 瞑想で霊魂を体験する。
⑧牧牛 ⑨騎牛帰家 ・・・ これが「悟後の修行」だろうか。
俗世で働きながら暮らすなら、羊が狼にまじっているようなものである。
それに、いままで気がつかなかった自分の欠点も見えてくる。
⑩入廓垂手 ・・・ この心境にはなかなか至れない。

186:神も仏も名無しさん
12/03/28 11:28:35.53 hV/cnsiP
悟後の修行は、山下りであり、悟る以前の苦労とはまったく違う。
まず苦労をそれほどの苦労とは感じなくなる。それから運がよくなる。
他人の好意が増え、他人の悪意を無意識に微妙にかわしている。
他人の心の動きが何となくわかるような気がする。

187:神も仏も名無しさん
12/03/28 11:39:10.57 hV/cnsiP
新聞もテレビもない生活をしているが、
2chで何かを書いた後、PCニュースなどに、書いたようなことが
載っていることをたまに経験するようになった。
自分の意識を集中しても何もわかるわけではないが、それがわかったように
行動しているような気もする。少しだけシンクロしている。

188:神も仏も名無しさん
12/03/28 12:00:43.95 hV/cnsiP
骨折り仕事のような、肉体的な苦痛は以前と変わりないが、
精神的な苦労がほとんどなくなっている。ただね、神秘体験をするだけで、
実際に自分を捨てて他人のために行動できるかと言えばそうでもない。
そういう試練にもあっている。自分の夢をあきらめないと無理。
100%潰れないと他人のために行動できない。

189:神も仏も名無しさん
12/03/28 14:13:11.43 hV/cnsiP
心は限りなく逃げて行く。だから精神的に死ぬのは逆に困難になる。>>183
これを逃さないのが、弁証法(空)であり、心を「空」にくぎ付けにする。
これが欠かせない。これが「空」の役割である。

190:神も仏も名無しさん
12/03/28 14:19:17.82 hV/cnsiP
④得牛で示したように、聖霊体験に必要なのは弁証法(空)であり、
アラヤ識を説く唯識派とは位相が異なっている。
仏教はこれらを空にまとめるが、空とアラヤ識は別の話なのである。
空とアラヤ識をまとめようとするところに無理がある。
この二つを位相の違いとして理解すればすっきりするだろう。

191:神も仏も名無しさん
12/03/28 18:25:31.67 4Ma44Dzt
八宗の祖、龍樹の『中論』は「空」を説いている。
この書は難解であり、修行中はまったく読む必要がないだろう。
しかし、神やあの世がないとしたら、この世は「空」になるという話であり、
その意味では龍樹の言っていることは正しい。これは唯物弁証法だね。
唯物弁証法の解説書を読んだ方が何倍もためになる。

192:神も仏も名無しさん
12/03/28 18:41:07.77 4Ma44Dzt
唯物弁証法と言うとマルクスの共産主義を連想するかもしれないが、
これは唯物弁証法にとって不幸だったと思う。
共産主義自体は少し学べば、経済の話であり、胃袋の話でしかないことが
すぐにわかる。そういう話とは関係なく唯物弁証法を学んでほしい。
唯物でも観念でもない、弁証法そのものを学んでほしい。

193:神も仏も名無しさん
12/03/28 18:59:36.53 4Ma44Dzt
わたしがどれぐらいの思いでフロイトを読み、弁証法を学んだか。
あまり話したくないのだが、そのころ心がパンク寸前だった。
だから必死であり、他人と議論することもなく、身体全体で読みふけった。
そしてある日、パンクを恐れるのではなく、自分の意志でパンクした。
悔いるとはそういうことであり、自分の意志でパンクする。


194:神も仏も名無しさん
12/03/29 18:33:12.91 URZCvP7v
すべての人間が幸せになりたいと思っている。
楽をしたいと思っている。豊かに暮らしたいと思っている。
だれも不幸を望まない。苦労を望まない。貧しい暮らしを望まない。
しかし、不幸や苦労や貧しさの果てに神がいるとしたら・・・
いったいだれがそんな神を探し求めようか? 

195:神も仏も名無しさん
12/03/29 18:48:23.71 URZCvP7v
だれもそんな神を探さない。求めない。
これがね、神の恐るべき智慧なのだと思う。神は見事に隠れている。
それでも探そうとする者に対しは、目が眩むような渦巻きが用意されている。
この渦巻きに飲み込まれたら何が何だかわからなくなる。
どうする? 弁証法がこれを突き破る。


196:神も仏も名無しさん
12/03/29 18:58:53.68 URZCvP7v
後は自分自身を心底「悔いる」ことかな。
自分を「悔いる」ことが悟りの「入口」であり、悟りの「正門」だろう。
求聞持法などは「裏門」だろうと思う。

197:神も仏も名無しさん
12/03/29 21:39:29.86 cIov8hkn
未来に夢希望あるうちはむりぽ

198:神も仏も名無しさん
12/03/30 18:27:57.03 2wiHDESx
夢希望でも「生きている意味を知りたい」のようなのはかなう。
しかし「せめて人並みに生きたい」というのはかなわない。
197さんは後者の話をしていると思うが、ほんとにその通りであり、
夢希望どころか、生きることさえ粉砕されないと悟れない。
精神的には死の向こう側に行く。

199:神も仏も名無しさん
12/03/30 18:50:40.40 2wiHDESx
聖霊体験や霊魂体験があったとしても、この世で生活している限り、
似たような状況に繰り返し直面する。このような試練にどう対処するのか。
その都度、自分を捨て、自分が潰れる選択をするのか。無理だよね。
たったひとつの命だから、他人のためには捨てられない。
でも家族のためなら捨てられるかもしれない。

200:神も仏も名無しさん
12/03/30 19:08:24.51 2wiHDESx
家族のためでも、自分の将来を捨て、毎日全力を尽くすことは難しい。
これは実際に体験しないとわからない。
明日のことは明日自らが思い悩む(マタイ6.34)などという心境には
なかなかなれない。でもそれが要求されている。
家族への愛がないと無理だろうね。

201:神も仏も名無しさん
12/03/30 19:37:01.49 2wiHDESx
やってみればわかる。底抜けの忍耐力が要求される。
聖霊体験や霊魂体験があっても、頭の血管が破裂しそうに何度も思った。
でも学ぶことも半端ではなかった。神秘体験だけでは足りない。
神秘体験は現実の中で鍛えられる必要がある。相手に潰されるのではなく、
自分から潰れることが愛ではないだろうか。

202:神も仏も名無しさん
12/03/30 19:59:04.59 2wiHDESx
自分の全存在を悔いる、というのは神への愛だろうと思う。
だから悔いた瞬間に神が現れる。神は雫であり、永遠の雫である。
それは形がなく、透明であり、癒しであり、至福であり、知恵であり、
神の愛に直接触れることでもある。それは一瞬の出来事である。
これが、聖書で言う聖霊であり、神(命)の正体である。

203:神も仏も名無しさん
12/03/30 20:16:14.01 2wiHDESx
これに対して霊魂体験は少し違う。神界は清浄であり、
ひたすら清らか、痛いほど清浄であり、神と「わたし」の出会いでもある。
神は白い霧の世界にいる。「わたし」の感覚は研ぎ澄まされている。
愛というより、般若の知恵かもしれない。
霊魂(アートマン)がいるが、これは仏教世界に近いと思う。

204:神も仏も名無しさん
12/03/30 20:24:08.71 poa/5BuM
> 197さんは後者の話をしていると思うが
ちがいます。
こちらがより近いです。「 夢希望どころか、生きることさえ粉砕されないと悟れない。 精神的には死の向こう側に行く。」

> 自分の全存在を悔いる
これはちがうとおもう。悔いるんのではなく全存在を手放すこと。これは生きることの粉砕と同じかと。



205:神も仏も名無しさん
12/03/30 20:25:19.91 poa/5BuM
IDがわらえる

206:神も仏も名無しさん
12/03/30 20:54:03.71 2wiHDESx
微妙なので誤解があったら申し訳ないが、自己への執着は自己愛に
よって生じる。であれば、自己を捨てるため自己嫌悪があった方がいい。
もちろん理屈ではなく、本当にそう思っていることが大切なのだが、
自己嫌悪があれば簡単に自分を手放せる。
自己を嫌悪するから「悔いる」し、自分を捨てたいと思うのでは。

207:神も仏も名無しさん
12/03/30 21:01:37.69 ferhWTjd
自己嫌悪ではなく、人生への嫌悪では?

208:神も仏も名無しさん
12/03/30 21:08:43.97 2wiHDESx
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」創世記1.28
 
これには基本的に賛成だな。ノアもアブラハムも同じ流れであり、
イサク(笑う)は祭壇で死の恐怖を味わう。
しかし、ポアとか、エッチでセックスはないよね(^^)

209:神も仏も名無しさん
12/03/30 21:14:08.57 ferhWTjd
創世記しらないし、意味わからんレス。
説明よろしくです。

210:神も仏も名無しさん
12/03/30 21:18:02.81 ferhWTjd
人生への嫌悪が生きることの粉砕につながるとおもうんだよね。
そうかんがえると、「この人生を生きなければいけない自分」という存在を悔いる気持ちもあるわけか。
同じですね。

211:神も仏も名無しさん
12/03/30 21:22:28.83 2wiHDESx
>>207
この世への嫌悪は、仏教にもキリスト教にもある。
ただ、自分を正しいと思い、蚊帳の外に置くのは間違っていると思う。
悟りの核心は、欲望や本能にあるから、自分自身の問題になる。
人生というなら、わたしの人生と言ったらいいかもしれない。

212:神も仏も名無しさん
12/03/30 21:29:00.45 ferhWTjd
> 悟りの核心は、欲望や本能にあるから

これもよくわからないですし、そうではないと思いいますが。


213:神も仏も名無しさん
12/03/31 07:24:10.82 s+1A5z0J
>>209
神はもともと人間の性欲を否定していない。創世記1.28
しかし人間は、エデンの園で堕落し、原罪におおわれる。3.22~24
創世記はそれほど長くないので一読を勧める。
ネットで「創世記 対訳」で検索する。

214:神も仏も名無しさん
12/03/31 07:29:48.96 s+1A5z0J
>>212
そういった思いが普通だろう。欲望や本能がないと生きられないからね。
これがコインの表なら、コインの裏はこれが原罪になる。
それに気がつくかどうかだが、その前にフロイトの学習をすすめたい。

215:神も仏も名無しさん
12/03/31 07:45:01.69 s+1A5z0J
聖霊体験は「悔いる」ことが契機になる。
霊魂体験は、魔境に登場する自分(アラヤ識)を「捨てる」ことで生じる。
自分を「捨てる」という言い方もできるのだけど、
それを可能にするには強烈な自己嫌悪がなくてはならない。
あっ、自分にだまされていた、というショック、絶望的な思いだろうか。

216:神も仏も名無しさん
12/03/31 08:41:49.14 s+1A5z0J
どのくらいの悔い方か。目を開いたまま幻覚を見る。
その瞬間は周囲が見えなくなる。その直後に聖霊が訪れる。
使徒言行録9章にパウロの神秘体験があるが、たぶん著者の脚色であり、
実際はパウロも聖霊体験をしたのではないかと思う。
聖霊体験はほんの一瞬の出来事である。

217:神も仏も名無しさん
12/03/31 09:00:31.75 s+1A5z0J
聖霊体験でも霊魂体験でも、幻覚や魔境を見るだけでなく、
それを正しく判断し、それを悔いたり、見捨てたりする意志が問われる。
だから、酒や薬物で意識をもうろうとさせたら絶対に悟れない。
話は逆、冷静に考え、冷静に瞑想しなければならない。
サイケな夢を見てもまったく無意味である。

218:神も仏も名無しさん
12/03/31 09:54:51.77 s+1A5z0J
空の体験は独特なものがある。弁証法の本を読んでいる最中に、
ああそうか、そういうことなのかとわかった瞬間に、興奮で体が熱くなる。
もちろん、仏教の空を知らないから、これが空だなどとわからないが、
世界の秘密を知ってしまった、などと舞い上がってしまったよ。
これも他人には内緒にした。世界の秘密だからね(^^)

219:神も仏も名無しさん
12/03/31 10:16:33.81 s+1A5z0J
それから聖霊体験、霊魂体験まで5~6年が経過する。
空に舞い上がる。これがむしろ幸いし、自分を空にくぎ付けにした。
後は罪が熟するのを待つだけ。空は運を良くしない。
フロイトや弁証法(空)は心を楽にするが、運の悪さはそのまま続く。
運の悪さが重なり、追い込まれ、ついにパンク寸前になる。

220:神も仏も名無しさん
12/03/31 13:03:58.63 s+1A5z0J
ちょっと書き方が悪かったので補足すると、25歳で空を知るが、
これはパンクしそうな自分を救うため、フロイトと弁証法を必死に読み、
自分を癒し、空を自分なりに理解したという話である。
30歳ごろのパンクしそうな状態では、5~6年の発酵期間を経たあと、
フロイトと弁証法が自然に役立ったという話である。

221:神も仏も名無しさん
12/03/31 13:34:57.15 s+1A5z0J
ついでだから運の悪さにも触れておこうか。わたしの場合は、
30歳以前がそうなのだが、非常に不思議な運の悪さに苦しんでいた。
身体ではなく、精神的に痛められ、追い詰められていく。
ヨブ記にあるように、悪魔が陣を張っていたような気がしないでもない。

222:神も仏も名無しさん
12/03/31 13:54:47.62 s+1A5z0J
たぶん悪魔はいると思う。しかしヨブ記がそうであるように、
悪魔は神のために働いている。神のために働くのだから悪魔は天使である。
そしてこの悪魔は、エデンの園に登場する蛇のことだろうと思う。
人間は自分の利益だけを望むから、悪魔が陣を張らないと神を振り向くような
人間が現れない。そのために陣を張り、試練を用意する。

223:神も仏も名無しさん
12/03/31 14:12:31.23 zxNYBXbs
悪魔はいないよ。

224:神も仏も名無しさん
12/03/31 14:15:57.16 zxNYBXbs
>>213-222
同意できるところと、よくわからないことと、同意できないことが混在してるわ。
弁証法、原罪、フロイトみたいな難しい言葉はよくわからない。


225:神も仏も名無しさん
12/03/31 14:21:32.56 zxNYBXbs
>>220
頭で考えて達成するものではないでしょ。
合ったやり方というのが人それぞれあるみたいですけどね。

226:神も仏も名無しさん
12/03/31 18:27:41.99 hiJCakpH
>>223 
悪魔については別の機会にしよう。もしかすると一番奥深いかもよ。



227:神も仏も名無しさん
12/03/31 18:30:23.19 hiJCakpH
>>224 少しでも理解してもらえたら嬉しいな。
>>225 自分の人生だから、自分が納得した道を歩むべきだと思う。


228:神も仏も名無しさん
12/03/31 18:37:41.34 hiJCakpH
死ぬ間際に気がつくだろう。結局は自分自身が責任を取らされる。
他人の考えや主張は単なる参考にすぎない。


229:神も仏も名無しさん
12/03/31 19:48:07.89 hiJCakpH
山登りをする時、いくつかの登山コースがあったとする。
大乗、小乗、儒教、道教、神道、カトリック、プロテスタント・・・
しかしどれもこれも頂上に行き着けるのかどうかはっきりしない。
そんな時、これで行き着いたと言う人がいたらどうしよう?

230:神も仏も名無しさん
12/03/31 19:59:30.25 RNtlrjmW
>>226
いや、もうけっこう、きょうみない。

231:神も仏も名無しさん
12/03/31 20:13:57.31 hiJCakpH
タダなんだから、話を聞いてから判断しても遅くはないよね。
でも宗教なのに、フロイトとか弁証法とか、思いっきり怪しい所もある。
やっぱし、お金を払ってでも老舗の案内人を頼る?
まあ、信用されなくても損するわけじゃないから、別にかまわないよ。

232:神も仏も名無しさん
12/04/01 11:26:03.55 qP42neXn
釈迦の悟りはどの程度だったのか。
これが多くの宗教者や研究者を悩ませてきたのではないか。
何しろ2500年前の人であり、資料があまりにも少なすぎる。
しかしそれでも知りたいと思うのが人情だ。


233:神も仏も名無しさん
12/04/01 11:39:20.42 qP42neXn
資料の中でもっとも信頼性が高いのは原始仏典だろう。
研究するつもりもないし、ほんの少ししか読んでないので粗筋ぐらいだが、
わたしなりに推測してみよう。釈迦が説いたと言われるものは、
四諦八正道、縁起・空、十二因縁などである。
視点 → これらは聖霊体験、霊魂体験のいずれに関係しているのか。

234:神も仏も名無しさん
12/04/01 11:45:13.52 qP42neXn
結論は次のようになる。たぶん釈迦は、聖霊も霊魂も体験している。
 
聖霊体験 ・・・ 四諦八正道、縁起・空
霊魂体験 ・・・ 十二因縁

235:神も仏も名無しさん
12/04/01 12:33:13.30 qP42neXn
釈迦の聖霊体験は伝えられていない。インドは多神教であり、
かりに聖霊体験があっても、それが何であるかはわからなかっただろう。
しかし、聖霊体験のすばらしさは、ちつの時代も変わりない。
それは赦しであり、癒しであり、愛であり、至福であり、神の英知である。


236:神も仏も名無しさん
12/04/01 12:48:12.07 qP42neXn
釈迦が聖霊体験をした痕跡は、原始仏典で善悪を説くことにも見られる。
もちろん、世俗の善悪を180度転回した宗教上の善悪である。
善悪の転回は霊魂体験だけでは起きない。自分の人生を心の底から悔い、
聖霊が訪れ、癒しや至福の体験しないと起きない。
聖霊体験がないと、宗教上の善悪や、命への真の愛が生じない。

237:神も仏も名無しさん
12/04/01 13:04:54.50 qP42neXn
それではいつ聖霊体験をしたのか。たぶん苦行をやめた後であり、
スジャータの乳粥で命をつないだ後ではないだろうか。
ほどなくして聖霊を受け、さらには瞑想で霊魂体験をして成道する。
聖霊体験には縁起・空、四諦八正道などが欠かせない。これらの方法論は、
成道後、時間をかけて整理されたものではないだろうか。

238:神も仏も名無しさん
12/04/01 13:44:49.12 qP42neXn
これに関してしばしば、苦行でもなく、王子時代の安楽でもなく、
そのどちらでもない修行 → 中道に気づき悟りを開いた、という説明を
見かけることがある。しかしこれは間違いなくデンパですね。
それぐらいの気づきで悟れるはずがない。
やはり釈迦は、聖霊体験→霊魂体験パターンの悟りではないだろうか。

239:神も仏も名無しさん
12/04/01 14:03:34.84 qP42neXn
もうひとつ、釈迦はパンクしそうな精神状態にあったのか。
これについては、29歳で妻子、王子の身分を捨てて出家したことを
想像してみなければならない。釈迦は生まれてすぐに母を失い、
母の妹に育てられる。父と母の妹の間に子供ができる。異母弟ナンダ!
釈迦はヤショーダラーと結婚し子供ラーフラを作る。

240:神も仏も名無しさん
12/04/01 14:17:18.93 qP42neXn
29歳で妻子、王子の身分を捨ててホームレスになってしまう!
釈迦を想像する場合、ここを軽く見過ぎているかもしれない。
子供の名前をラーフラ(悪魔)とするぐらいである。
母代りに母の妹がいたが、その母の妹はじきに実の子供を作ってしまう。
たぶん、母の妹とは言え、継母であったことが深く影響している。

241:神も仏も名無しさん
12/04/01 14:40:10.93 Ke/PwG4K
わかったよ(^^) 
釈迦が出家した時、パンク寸前だったことはまちがいない。
であれば、霊魂体験だけでは不足、聖霊体験がないと救われない。
釈迦には聖霊体験がなければならない。

242:神も仏も名無しさん
12/04/01 14:51:02.21 Ke/PwG4K
釈迦が聖霊体験をしていれば謎が解けてくる。
なぜ、瞑想とは無関係な、縁起・空、四諦八正道などを説いたのか。
縁起空は弁証法であり、四諦八正道はフロイトである。
これらは聖霊を体験するための方法なのである。
仏教はそれを、霊魂体験と混同するから訳が分からなくなる。

243:神も仏も名無しさん
12/04/01 15:07:04.56 Ke/PwG4K
仏教でも空を説く大乗はさらに訳が分からない。
空は手段なのに、実体がない空を悟ろうという本末転倒ぶりある。
まあ2500年前のインドの話だから仕方ないけどね。
大乗など学んだら、悟りから逆に遠くなるよ。

244:神も仏も名無しさん
12/04/01 15:34:22.50 Ke/PwG4K
釈迦が聖霊→霊魂なら、空海との違いも明確である。
求聞持法の空海には霊魂体験しかないのだ。またすべてを瞑想に求める
禅宗系の誤りも指摘できる。空はともかく、かりに霊魂体験をしたとしても、
それは霊魂の存在を知り、清浄な般若の知恵に触れることである。
聖霊の赦しや癒しや至福とは内容が違う。

245:神も仏も名無しさん
12/04/01 16:05:21.87 Ke/PwG4K
釈迦の悟りはどの程度なのか。これがここ最近のテーマではあったが、
おそらく究極の悟りに到達したのではないかと思う。
肝心の聖霊や霊魂の話がないので苦労したが、ようやく納得のいく推論が
できたかもしれない。しかしまだまだ修正するかもしないぞ(^^)
(ウダーナヴァルガ26章が釈迦の神秘体験に近いかもしれない)

246:神も仏も名無しさん
12/04/01 18:48:18.20 6rGwD2ar
今日は何とも幸せな一日であった。
不遜だが、釈迦と少し心が通じたような気がする。
釈迦は幼いころから、猛烈に悲しく、猛烈につらい思いをしていたと思う。
母の妹は実の子供ができれば、当たり前のように釈迦から心が離れる。
父親も同じ。死んだ実母より、母の妹に心が移っている。

247:神も仏も名無しさん
12/04/01 19:04:34.52 6rGwD2ar
王の位はだれが継ぐのか。王も母の妹も愛しているナンダなのか。
それとも釈迦なのか。釈迦の妻は自分の子供ラーフラを望む。
そのため母の妹と、釈迦の妻ヤショーダラーの深刻な対立が展開する。
たぶんドロドロの泥仕合があったのではないだろうか。
なぜラーフラ(悪魔)なのか。その辺の事情が絡んでいたかもしれない。

248:神も仏も名無しさん
12/04/01 19:18:25.00 6rGwD2ar
釈迦が29歳の時、異母弟のナンダは20歳を超えていただろう。
いったいどっちが王位を継承するのか。母代りをしてくれた母の妹と、
釈迦の妻ヤショーダラーの対立は深刻さを増していく。
父と継母と異母弟と、妻と子供ラーフラの間に立たされた釈迦は、
その煩わしさから出家の道を選ぶ。何となくわかるなあ。

249:神も仏も名無しさん
12/04/03 01:49:51.12 8Zdu+X2r
釈迦の家族関係は不明な点が多い。だから断定した話はできない。
しかし、四門出遊、城門から出たら、老人・病人・葬式・出家者に会い、
それから出家を願うようになった、という話は信じられない。
従者がそれぞれを説明するから、たぶん子供時代の逸話なのだろう。
でも幼い子供が出家を願う? あまりにも不自然、リアリティーがない。

250:神も仏も名無しさん
12/04/03 02:09:25.02 8Zdu+X2r
もっと深刻な悩みが身近にあったのだと思う。
経済的には問題がないから、何かあるとすれば人間関係になるだろう。
すぐ思いつくのは、実母を失い、母の妹が母代りをしたこと。その母の妹が、
父である浄飯王と結婚し、異母弟ナンダを作ったことである。
ここから釈迦は、精神的に家庭内孤児であったのではないかと。

251:神も仏も名無しさん
12/04/03 02:26:23.94 8Zdu+X2r
モーセもイエスもムハンマドも、宗教者は不幸な育ち方をしている。
というか、それが宗教者の条件のようになっている。
なぜなら、親の愛が不足し、かれらの心には穴が開いているからである。
かれらは生まれつき愛に飢え、無意識に愛を探すことになる。
愛を探す? それは神を探すこととイコールである。

252:神も仏も名無しさん
12/04/03 03:01:25.80 8Zdu+X2r
釈迦が家庭内孤児であったなら、出家して生きる意味を探そうという思いも
わかるし、ついには成道してしまう強い求道心もわかる。生きる意味がわから
ないから、死んだようにしか生きられない。だから命がけで探求する。
そしてその必死さが究極の悟りを導く。王位継承をめぐる家族同士の神経戦、
これが釈迦出家の直接のきっかけになったのではないだろうか。

253:神も仏も名無しさん
12/04/03 10:57:25.11 t1XeLaMp
釈迦が元気ないのを心配した浄飯王が、
16歳の釈迦をヤショーダラと結婚させたと言われている。このことから
いくつかのことが推測できる。ヤショーダラは12歳前後の子供であり、
釈迦の妹のような感じだったろうと思う。息子のラーフラの誕生は、
二人が結婚してから遅くとも4~5年後ぐらいだろうか。

254:神も仏も名無しさん
12/04/03 11:10:06.30 t1XeLaMp
さらに、父の浄飯王が釈迦をうっとうしく思い、16歳の釈迦を結婚させた
のではないかという疑問もある。しかし釈迦が求めていたのは
親の愛だったのではないだろうか。そのうえ、まだ親の愛を求めているのに、
自分の子供ができてしまう。それがラーフラ(悪魔)という命名になる。
この結婚にはあまり幸せなものを感じない。

255:神も仏も名無しさん
12/04/03 11:31:07.81 t1XeLaMp
四門出遊は結婚した翌年、17歳の時の逸話らしい。>>249
その年なら、生・老・病・死の理ぐらいは知っていなければならない。
従者に問うほどのことではない。それに結婚した翌年に早くも出家を願う?
望まぬ結婚だったにせよ、出家が何かを知っていたにせよ、
四門出遊は作り話であるとしか思えない。  

256:神も仏も名無しさん
12/04/03 11:55:59.69 t1XeLaMp
もう一度、釈迦の誕生のころに戻ってみよう。
マーヤ夫人の脇から生まれたとか、天上天下唯我独尊と言ったとかは
ウソっぽい。しかし母の妹が、釈迦の母代りに招かれたのは事実なのだろう。
そして母の妹と浄飯王との結婚はわりと早かったのではないだろうか。
この二人の子供ナンダは、たぶん2~3年後には産まれている。

257:神も仏も名無しさん
12/04/03 12:05:34.68 t1XeLaMp
ここで疑問が湧いてくるのだが、母の妹は乳が出ないはずである。
では釈迦は何で育ったのだろうか。たぶん牛の乳である。
そして乳離れするときに釈迦が口にしたのは乳粥ではないだろうか。
これは村娘スジャータだね。釈迦がスジャータの乳粥を口にしたとき、
生まれたころの記憶がかすかに蘇えったのではないだろうか。

258:神も仏も名無しさん
12/04/03 12:18:35.43 t1XeLaMp
釈迦に責任があって苦労していたわけではない。
しかしそれでも、村娘スジャータの親切に、自分が自分中心にしか
生きてこなかったことに気がつく。それを悔いる。
聖霊の訪れを受けると、それからわずか49日で成道してしまう。
このスピードは、聖霊体験 → 霊魂体験のパターンである。

259:神も仏も名無しさん
12/04/03 12:57:30.81 t1XeLaMp
釈迦は、母の妹を本当の母親だと思って育ったのかもしれない。
異母弟ナンダのことも、本当の弟だと思っていたのではないだろうか。
しかし、王権の継承が問題になるにつれ、どこからともなく、
自分の本当の母親がすでに死んでいることを耳にする。
この事実は出家の原因になってもおかしくない。

260:神も仏も名無しさん
12/04/03 13:13:30.79 t1XeLaMp
釈迦は異母弟のナンダに、王位継承権を譲るために出家したのではないか。
それを母の妹も浄飯王も望んでいる。そう考えたのではないか。
釈迦にすれば、王子を捨てるより、生きる意味がわからない方がつらかった。
修行すれば必ず悟れる、そう思いつめた末の行動だったように思う。

261:神も仏も名無しさん
12/04/03 13:27:49.66 t1XeLaMp
出家した釈迦はいいが、残された妻子は不幸だね。
釈迦には申し訳ないが、これが求道者は結婚するな、妻子がいると必ず不幸に
してしまうという実例になっている。なぜしつこく想像したのかと言えば、
悪魔がどんな陣を張るのかということを理解するためである。
釈迦は外見的には幸せだが、内面的にはパンク寸前の状態になっている。

262:神も仏も名無しさん
12/04/03 14:19:28.13 t1XeLaMp
実際の孤児なら、それはそれで大変な思いをするだろうが、
自分は孤児だからと言い訳できるし、世間からもそれなりに同情される。
しかし家庭内孤児は微妙だ。実際の孤児よりは恵まれているし、家庭の恥を
世間にさらしたくない思いもある。結局、弁解せずにひとりで悩む。
言い訳できないような苦労、これが悪魔の陣である。

263:神も仏も名無しさん
12/04/03 14:52:54.44 t1XeLaMp
スジャータの乳粥以来、釈迦は苦行でも安楽でもない修行、中道によって
悟りを得たという主張もあるが、これはすでに指摘した(>>238)ように
誤ったデンパである。(これは『中論』の中道ではない)

264:神も仏も名無しさん
12/04/03 14:58:23.85 t1XeLaMp
苦行や安楽が悟りを導かないのは確かだが、では中道の修行をすれば
悟れるかと言えばそうでもない。釈迦は聖霊体験し、
その後に、肉体的な苦行の無意味さに気づいただけだろうと思う。


265:神も仏も名無しさん
12/04/03 19:53:29.30 uOXbLi5G
*** 仏教の学び方
 
基本 ・・・ フロイト、唯物弁証法 ~ 他の宗教も同じ
大乗 ・・・ 十牛図、小空経、戒香経、唯識三十頌(マナ識・アラヤ識)
小乗 ・・・ 原始経典から気に入った言葉を選び出し毎日唱える  

266:神も仏も名無しさん
12/04/03 20:58:34.70 uOXbLi5G
小空経、戒香経は原始仏典ですね。
大乗から出し、小乗へ移動してください. orz

267:神も仏も名無しさん
12/04/03 22:48:05.19 uOXbLi5G
釈迦は聖霊(神)を体験している。仏教徒も神について学んだ方がいい。
神と言えば聖書だが、ユダヤ教やキリスト教ではなく、
聖書そのものを学んでほしい。聖書には神に関する知識が豊富である。
新約から始め、旧約へと読み進むのが順番なのだろうが、
旧約の方が内容が濃いし、素朴で野太い響きがあるように感じる。

268:神も仏も名無しさん
12/04/03 22:57:47.08 uOXbLi5G
仏教徒は宗教の選択を誤ったかと慌てなくてもいい。
キリスト教徒であっても聖霊体験をした人は数えるほどしかいない。
仏教と同じであり、方法論が間違っているからダメなのだね。
キリスト教には逆に「空」の思想がない。

269:さんちゅ ◆PyuQX798ps
12/04/04 13:37:59.77 3UZKU7Wy
「わかった」と言うことはあるかもしれないよ。

だが、その時が来たら、

もっと「わかる」べきことがあるのに気づくだろう。

わかればわかるほど、

もっとわかるべきことがあるとわかるからだ。

だから、成長し、わかっていくプロセスは決して終わらない。

わかるかな?

あなたの魂がびっくりするようなことは何もない。

新しいことは何もない。

270:神も仏も名無しさん
12/04/04 17:30:16.15 TOCLdUC+
保守

271:神も仏も名無しさん
12/04/04 17:38:47.31 TOCLdUC+
福音書を読むなら、マルコ福音書、マタイ福音書
手紙を読むなら、ヤコブの手紙
後回しにしたいのは、パウロの手紙、ヨハネの黙示録

272:神も仏も名無しさん
12/04/04 17:59:41.34 TOCLdUC+
旧約はまず創世記からスタートしよう。
それ以後は、かなり分量があるので、おもしろそうな個所から読んでいく。
ルツ記、エステル記、コレヘト、トビト記、ユディト記など、
単独で完結している作品が読みやすい。
ヨブ記は相当難しいが、いずれは挑戦してほしい。

273:神も仏も名無しさん
12/04/04 21:54:09.21 TOCLdUC+
マタイ福音書3~4章には、聖霊→霊魂パターンによく似た、
イエスの神秘体験が順番に書かれている。【洗礼を受ける(3.16) → 
神の霊が降る(3.16) → 悪魔から誘惑を受ける(4.1~11)
→ 悪魔が離れ、天使たちが来てイエスに仕える(4.11)】とある。

274:神も仏も名無しさん
12/04/04 22:00:06.29 TOCLdUC+
「洗礼」は悔いのシンボルである。
「神の霊」は聖霊のことである。
「悪魔からの誘惑」は、記載はないが、瞑想中の出来事だったと推測する。
 
問題は「悪魔からの誘惑」である。これはいったい何か。

275:神も仏も名無しさん
12/04/04 22:12:15.88 TOCLdUC+
これについては、わたしの体験が参考になるかもしれない。
瞑想して魔境体験をしたのは二回だが、その最初の魔境で霊魂体験をした。
その次は、試みられた後、龍の背中に乗る体験をした。
そして、龍の背中に乗ったまま瞑想を終えた。
二回目の魔境が、イエスの「悪魔からの誘惑」によく似ている。

276:神も仏も名無しさん
12/04/04 22:43:00.67 TOCLdUC+
イエスの神秘体験を整理すると、
悔い → 聖霊体験 → 悪魔の誘惑 → 守護天使が登場 になる。
ここには霊魂体験がないが、そんなはずはなく、霊魂体験をしたはずである。
なぜなら霊魂体験をしたからこそ、悪魔からの誘惑を受ける。
守護天使が仕えるためである。つまり悪魔イコール守護天使なのである。

277:神も仏も名無しさん
12/04/04 22:56:19.56 TOCLdUC+
そう解釈するのは、わたしの魔境体験からであり、
わたしを試みたものが龍になり、わたしがそれに乗り、しかも乗ったまま
瞑想を終えたことからの推測である。
わたしの場合は、試みたもの(悪魔)イコール龍神イコール守護天使である。

278:神も仏も名無しさん
12/04/04 23:11:42.04 TOCLdUC+
話を整理すると、マタイ福音書にあるイエスの神秘体験は、
イエスと悪魔との問答部分を除き、大筋で神秘体験の一般的な経過を
書いているのではないかと思われる。それは次のようになる。
悔い → 聖霊体験 → 霊魂体験 → 龍神体験 → 守護天使
・・・ これが悟りの全体である。

279:神も仏も名無しさん
12/04/04 23:15:20.73 o4D4unWw
魔境体験というのは、
あなたのマインドの投影だとおもいますよ。



280:神も仏も名無しさん
12/04/05 00:14:22.87 XQww1gEB
イエスはたぶん実在した人間なのだろう。しかしけっして神ではない。
人間だからこそ、洗礼や神の霊や悪魔から誘惑を受けるのであって、
真の神ならそんな必要はまったくない。洗礼を受ける神、神の霊を受ける神、
悪魔から誘惑を受ける神などありえない。イエスを神とするキリスト教は
神を冒涜しているように感じる。

281:神も仏も名無しさん
12/04/05 00:23:02.70 XQww1gEB
新約聖書には学ぶべきことも多い。読むべきだろうと思う。
しかし、イエスを神だと信じれば救われる。信じなければ救われない。
というキリスト教の教義は、カルト宗教そのものだ。
カルトであることは、刑具である十字架を拝むことにも現れている。
それに偶像を拝むのは十戒違反ではないか。

282:神も仏も名無しさん
12/04/05 00:51:39.16 XQww1gEB
新約聖書は、キリスト教と距離を置いて読むべきである。
人類の罪の身代わりになって、イエスが十字架で死んでくれた、という
キリスト教の教義は真っ赤なウソだろう。信じれば偽薬効果ぐらいはある
だろうが、無明や原罪がそんなに簡単に消えるわけがない。
結局は、救われてもないのに、救われたとだまされた人生を送ることになる。

283:神も仏も名無しさん
12/04/05 18:35:49.40 ToQ8bx33
キリスト教を知りたい人間にとって、新約聖書の読み方は意外に難しい。
何が真実であり、何が作り話なのかを見分け難いからである。
これを切り抜けるには、イエスを徹頭徹尾、単なる人間として読むといい。
イエスが人間でなくなる個所は、たぶん作り話だろうと思う。

284:神も仏も名無しさん
12/04/05 18:56:15.16 ToQ8bx33
イエスはもともとユダヤ教徒である。旧約を学んだ人間である。
そのイエスが、33歳ほどで十字架にかけられ、無残に殺されてしまう。
だれがそんな人間を神だなどと思うものか。だからキリスト教は、
信者獲得のため、ウソや作り話を語り始める。
イエスを神に祭り上げるは、信者を洗脳するためでしかない。

285:神も仏も名無しさん
12/04/05 19:21:53.87 ToQ8bx33
もともとアリウス派というイエスを人間と見る勢力があったのに、
政治が介入してイエスを神に祭り上げたのだね。
ローマは、政教分離ではなく、政治のためにキリスト教を利用したわけだ。
それの残り滓が、いまのカトリックでありプロテスタントである。
あまりのぼせないで頭を冷やして眺めた方がいい。

286:神も仏も名無しさん
12/04/05 19:45:08.58 ToQ8bx33
キリスト教世界には三つのグループがある。
 
① 洗脳され、イエスを神だと素直に信じている人々
② かれらを導く神父や牧師 ・・・ かれらは半信半疑かもしれない。
③ 悪人 ・・・ 民衆を支配し、収奪するために宗教を利用する。 

287:神も仏も名無しさん
12/04/05 23:18:50.58 VfIy9CR+
仏陀・・自身のなかの神を悟り幸福の原則を語り広めた人。
イエス・・創造主に遣わされた生身の人間。
創造主・・この世界の物理的なエネルギーそのもの。

創造主(神、仏)とは自身の中にある良心で対話できるよ!




288:神も仏も名無しさん
12/04/06 18:24:56.67 JlH+zJ/A
話題を替え「万教帰一」にしようか。
これはもうわかると思うが、大乗とキリスト教は「万教帰一」しないね。
大乗は「空」を目指し、キリスト教は「イエス」を目指す。
どう考えても「万教帰一」するわけがない。。

289:神も仏も名無しさん
12/04/06 19:00:53.20 JlH+zJ/A
ある宗教を信じても、それだけではエベレストの頂点に到達できない。
どの宗教も一長一短、複数の宗教を照らし合わせてようやく
真理がぼんやりと見えてくる。ひとつの宗教にいくら熱心でも真理に
到達することはできない。宗教はお互いに補完的な関係にある。
群盲、象をなでる、のような感じだろうか。

290:神も仏も名無しさん
12/04/06 19:31:00.18 JlH+zJ/A
なんにしてもキーワードみたいなものがある。
万教帰一を主張していたら、眉唾の宗教だと思っていいだろう。


291:神も仏も名無しさん
12/04/07 12:49:24.15 Q57C26WX
万教帰一をユダヤ教とキリスト教で検証してみよう。
 
ユダヤ教は、唯一神と、ユダヤ民族との契約(旧約)によって成立する。
それが十戒を中心とする613の戒律である。これを守れば神に祝福され、
これを破れば神に呪われる。どちらもこの地上の話である。

292:神も仏も名無しさん
12/04/07 13:14:11.40 Q57C26WX
これに対してキリスト教は、あの世(天国)を強調し、
① 人はアダムの原罪で生まれつきの罪びとだと考える。
② その罪でさまざまな不幸が地上に発生する。それを救うために、
③ 神の独り子イエスは、人類の「罪の身代わり」となり、十字架で死ぬ。
④ これが新約であり、これを信じれば人は救われると主張している。

293:神も仏も名無しさん
12/04/07 13:36:45.75 Q57C26WX
◆ ふたつを比較すれば、とても万教帰一などとは言えない。 
A ユダヤ教(地上の幸福をめざす) キリスト教(天国の幸福をめざす)
B ユダヤ教(戒律を守り行うこと) キリスト教(神の子イエスを信じる)
C ユダヤ教(自力宗教) キリスト教(イエスによる他力宗教である)
D ユダヤ教(神は唯一) キリスト教(神とイエスと聖霊は三位一体)

294:神も仏も名無しさん
12/04/07 14:27:50.78 Q57C26WX
ユダヤ教から見れば、
キリスト教の「三位一体」は、十戒の第一(あなたは、わたしのほかに、
ほかの神がみがあってはならない)に違反している。
十字架や磔刑像やマリア像やイコンなどは、十戒の第二(あなたは、
自分のために、偶像を造ってはならない)に違反している。

295:神も仏も名無しさん
12/04/07 15:08:29.17 Q57C26WX
それからもうひとつ、イエスはマタイ福音書4.17で「悔い改めよ。
天の国は近づいた」と言って宣教を始める。
イエスは福音書の冒頭で「悔い改め」を要求しているわけだ。
しかし「悔い改め」は自力であり、信じれば救われるという他力宗教、
キリスト教の教義と衝突しないのだろうか。

296:神も仏も名無しさん
12/04/07 15:33:52.09 Q57C26WX
イエスが刑死したことで消滅の危機に瀕した教団が、
信者を引き留め、あるいは信者を増やすために、ウソと作り話に熱中した
ことはまちがいない。その最大の功労者がパウロなのだろう。
『パウロの手紙』読めばわかるが、生前のイエスに対する興味のなさは異様
でさえある。パウロは死後のイエスにしか興味を示さない。

297:神も仏も名無しさん
12/04/07 16:41:35.97 Q57C26WX
パウロが生前のイエスに興味を示さないのは、イエスが奇跡を連発する
ような超人ではなかったことの証拠ではないだろうか。
イエスは優秀な宗教指導者だったかもしれない。しかし神ではなかった。
福音書の奇跡が作り話であることはパウロが証明している。
奇跡連発なら、パウロだって放置しなかったろう。

298:神も仏も名無しさん
12/04/07 17:57:51.68 Q57C26WX
キリスト教とはいったい何か。もう多くの人がわかっているように、
イエスを神のごとくに祭り上げて作った「パウロ教」である。
パウロ自身には神秘体験があり、その後、アラビアに退いて三年の間、
新興宗教の作戦を練りあげている。ガラテヤ1.11~20

299:神も仏も名無しさん
12/04/07 18:22:24.76 Q57C26WX
キリスト教は、浄土系との類似性がしばしば指摘されている。
どちらも他力だし、イエス信仰と酷似したアミダ信仰が浄土系にはある。
しかし浄土系は、僧侶の「空」思想と、善男善女のアミダ信仰との
ダブルスタンダードである。この二重性は大乗に共通する。
浄土とかアミダを説いても、それを説く僧侶は「空」でシラケている。

300:神も仏も名無しさん
12/04/07 18:53:02.05 Q57C26WX
これに対してキリスト教は、「空」というワンクッションがないから、
いったん信じると強く洗脳され、聖職者も信者も本気モードへと直結する。
しかし、ウソに気づけば、だまされた反動から人間のだまされやすさや、
キリスト教を利用しようという悪魔的な人間が誕生するかもしれない。
その意味で、キリスト教世界は仏教より振れ幅が大きいと思う。

301:神も仏も名無しさん
12/04/07 19:22:58.59 Q57C26WX
パウロの善意はわかる。法然や親鸞の善意もわかる。
いま目の前にいる、難しいことを言ってもわからないような、弱くて
貧しくて不幸な人々を救うにはどうしたらいいのか。
これがパウロや法然や親鸞たちのテーマだったのだろうと思う。
まだよくわからない。他力については宿題にしたい。

302:神も仏も名無しさん
12/04/07 19:39:35.81 Q57C26WX
キリスト教が生まれる土壌、ユダヤ教にも触れておこう。
ユダヤ教には神との契約がある。十戒を中心にする613の戒律であり、
これを守れば祝福され、これを破れば呪われる。これが旧約である。
だから、戒律を守り行うことがユダヤ教のすべてである、ということになる。
守れたら救われるし、守れないなら罪びとになる。

303:神も仏も名無しさん
12/04/07 20:03:03.93 Q57C26WX
キリスト教で信仰か行為かという時は、愛の実践というより、
613の戒律=律法が念頭にある。パウロは、とてもじゃないけどできない、
律法は罪を自覚するばかりだと。つまり、みんな罪びとだと言っている。
ユダヤ人でありパリサイ派の聖書学者・パウロがそう言っているのだ。
パウロでさえそうなのだから、日本人は素直にそう思ったらいい。

304:神も仏も名無しさん
12/04/08 02:51:32.89 68X1QMMn
そういえばキリスト教にも二重性三重性がある。
 
福音書・使徒言行録 ・・・ 信じやすい子供や善男善女向け
パウロなどの手紙 ・・・ 理屈好きで、疑い深い人向け
ヨハネの黙示録 ・・・ 信者を煙に巻く奥の院

305:神も仏も名無しさん
12/04/08 03:08:30.02 68X1QMMn
神との契約がユダヤ教の戒律=律法である。しかし613という
その数の多さは、実行できなくするためにあるとしか思えない。
むしろ実行できては困るのだ。実行したのに幸福にならないじゃないかと、
信者に突っ込まれるからである。戒律の多さがその時の言い訳になる。
例の「信心が足りないからだ」という類と同じである。

306:神も仏も名無しさん
12/04/08 03:19:12.68 68X1QMMn
そういうことであれば、ユダヤ教そのもののような律法だが、
大幅に値引きしてもいいのではないかと思う。
個人的には、あるいは日本人的には「十戒」に絞りたい。
十ぐらいであれば学びやすいし、実行しやすい。
しかしそうであれば、どうしたら救われるのかが再び問われる。

307:神も仏も名無しさん
12/04/08 03:56:10.98 68X1QMMn
だからイエスの十字架だよ、というのがパウロのアイデア。他力。
 
もうひとつは、創世記の「エデンの園」に帰り、
原罪をよく検証したらどうか、という自力の道ではないだろうか。

308:神も仏も名無しさん
12/04/08 12:38:57.52 zlyG4Biz
聖書の真髄は「エデンの園」にある。
それは要点を少しも外さず、シンプルにまとまっている。
しかし人は、この話を簡単には理解できない。
なにごとか理解した人も沈黙する。話すことをためらう。
なぜだかわからないが、ためらわせるものがある。

309:神も仏も名無しさん
12/04/08 12:56:41.86 zlyG4Biz
秘密を口外したら、人々は聖書に頼ることをやめ、
自分で悟る道を歩み始める。そうなったら宗教教団が滅びてしまう。
これがその理由なのかもしれない。
でもわたしは、教団の人間ではないから何も気にしないぞ(^^)

310:神も仏も名無しさん
12/04/08 13:13:51.22 zlyG4Biz
まず、エデンの園にアダムとエバしかいない、としたらどうだろう?
二人はどこからやって来たかが問題になる。そこで神が登場する。
神は土の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に「命の息」を吹き入れる。
 
人という泥人形の中には、神の「命の息」~霊魂が入っている。

311:神も仏も名無しさん
12/04/08 13:42:22.07 zlyG4Biz
神はアダムに、「善悪の知識の木からは、けっして食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」と命じる。2.17
 
これが神と人との「最初の契約」である。条文はたったひとつ。
ユダヤ教の律法とは雲泥の差だ。また、ここには命の木がないことに注目!

312:神も仏も名無しさん
12/04/08 14:01:19.27 zlyG4Biz
神は、人から抜き取ったあばら骨で女を造る。2.21~24
 
霊魂の知識がなければここの解釈はできない。霊魂は球体であり、
男でも女でもない。しかし男あるいは女として生まれる。男だけでは半分、
女だけでは半分。それゆえに失われた半分を探そうとする。

313:神も仏も名無しさん
12/04/08 14:18:05.08 zlyG4Biz
3章に入ると、エデンの園に突然「蛇」が登場する。
蛇は女をだまし、女はアダムを誘い、善悪を知る木から取って食べてしまう。
二人は裸を恥じ、イチジクの葉をつづり合わせ、腰を覆う。3.1~7
 
善悪を知る木は、価値基準、食欲、性欲の三つを象徴している。

314:神も仏も名無しさん
12/04/08 15:04:50.88 zlyG4Biz
人は、自分にとってこれは善い、これは悪いと判断しながら生きている。
ここでは、その判断基準の内容が、食欲と性欲という二大本能であることを
示唆している。食欲をそそるものが善、性欲をそそる異性が善である。
善悪の判断基準、その正体は食欲と性欲という二大本能である。
それは自分の本能だから、根源的に自分中心である。

315:神も仏も名無しさん
12/04/08 15:17:57.93 zlyG4Biz
神は、アダムとエバが「善悪の知識の木」から取って食べたことを知り、
人が「手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれ
がある。」と思い。二人をエデンの園から追放する。3.20
 
二人の追放は、「命の木」から取って食べられないようにするため。

316:神も仏も名無しさん
12/04/08 15:28:33.89 zlyG4Biz
神は、「こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、
エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」3.24
 
この文章を素直に読めば、命の木に至る道があり、
その守りを破れば、命の木から取って食べることができるわけである。

317:神も仏も名無しさん
12/04/08 18:04:00.27 8gBITsOR
ざっと一巡したので、後はランダムに書いていきたい。
 
まずは「蛇」にしよう。この「蛇」はどこへ消えたのか。
神がアダムとエバを追放したのは、命の木から取って食べられないように
するためだから、「蛇」は「エデンの園」にいるはずである。

318:神も仏も名無しさん
12/04/08 18:21:59.28 8gBITsOR
まだエデンの園にいるとしたら、エデンの園を守るケルビムと、
きらめく剣の炎しかない。これが「蛇」である。
ふたりの番人がいるように書かれているが、いるのは「蛇」だけである。
ということは、神と「蛇」とは最初から通じ合っていたことになる。
神と「蛇」との関係は、ヨブ記の神と悪魔の関係とまったく同じである。

319:神も仏も名無しさん
12/04/08 19:16:13.21 8gBITsOR
生き物には食欲や性欲が欠かせない。「蛇」は食欲や性欲を肯定する。
これは神でさえ否定しない。これを否定したら生きられないからである。
であれば、神と「蛇」とは連携していたとと言わざるをえない。
また、これと同じ文脈で、イエスを試みる悪魔を理解しなければならない。
龍や悪魔は天使であり、神の支配下に置かれている。

320:神も仏も名無しさん
12/04/08 19:38:48.27 8gBITsOR
黙示録12・9には、「この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか
呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた」とある。
これはどうだろう? 著者が悪魔を天使だと理解してない。
エデンの園とは「蛇」の位置づけが異なる。神と敵対する「蛇」である。
イエスを人類の救済者とする点でも、黙示録は間違っていると思う。

321:神も仏も名無しさん
12/04/08 20:33:33.17 8gBITsOR
黙示録がインチキなら、キリスト系の新興宗教が使う常套手段、
ハルマゲドンだとか最後の審判だとかの、不安の煽りができなくなる。
さらには、イエスが予言した「終わりの日」もウソめいてくる。
こういった悲観的な予言は人の心を暗くする。場合によっては、
オウムのような狂信者が、予言を実現しようと画策するかもしれない。


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