【最新国防ファイル】失われた慰霊碑、かつての場所は廃材置き場に… コタキナバルのサクラ、弔いの植樹「日本を思い出して」 [08/13]at NEWSPLUS
【最新国防ファイル】失われた慰霊碑、かつての場所は廃材置き場に… コタキナバルのサクラ、弔いの植樹「日本を思い出して」 [08/13] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
17/08/13 12:56:59.43
★【最新国防ファイル】失われた慰霊碑、かつての場所は廃材置き場に… コタキナバルのサクラ、弔いの植樹「日本を思い出して」

先の大戦で戦った多くの日本人が、二度と故郷の地を踏むことなく、戦地にて命を落とした。
戦後、彼らを弔うために、世界中に多くの日本人墓地や慰霊碑が建てられた。
しかし、戦後70年以上を経て、破壊されたり、その上に建物が建てられたり、
ゴミ捨て場のごとく扱われている場所も少なくない。

マレーシア・サバ州の州都コタキナバルにも、そのような場所がある。

近郊のミリ市にはルトン製油所があった。2万トンもの貯蔵量を誇り、
燃料重油などに精製された燃料は、主として戦闘用に使われた。
1944年10月2日にブルネイ湾に集結した連合艦隊の最後の燃料として使われた。
その報復として、米英軍は翌年、ルトン製油所を攻撃した。
戦闘能力をほとんど持たず、丸腰に近かった燃料部隊は玉砕する。

生き残ったミリ地区警備隊長の笠井次男大尉や、
燃料工廠捕虜係の下沢隆治少尉ら8人の日本人は戦争犯罪者として捕らえられた。
そして、47年、全員銃殺される。

時は流れ、91年8月19日、8人の慰霊碑が建てられた。
ただし、日本政府や現地日本人会は関係しておらず、有志により資金が集められた
小さな慰霊碑だ。このため維持管理は困難を極め、最後に慰霊碑を守った方が
「自分の代で管理者がいなくなる。荒れ野と化すぐらいならば」と破壊した。

2017年4月4日、護衛艦「ふゆづき」と潜水艦「みちしお」がコタキナバルに寄港した。
指揮官である第1練習潜水隊司令、羽渕博行1佐は、このルトン製油所跡の
慰霊碑の話を聞き、訪れることを決めていた。

入港してすぐ、部下を率いて現地に向かうと、その場所は現地の方々の
廃材置き場となっていた。そこで、草を刈り、ゴミを撤去した。
その下から5メートル四方のコンクリートで固められた土台が現れ、
かつて慰霊碑があったことを示していた。

URLリンク(www.zakzak.co.jp)

※2ページ目はリンク先へ

慰霊碑のあった場所にマレーサクラを植樹して敬礼する海上自衛官=マレーシア・コタキナバル
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
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