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★「核のごみ受け入れ」報道の玄海町長が毎日新聞に言いたいこと
岸本英雄(玄海町長)
玄海原発(佐賀県玄海町)がある場所は、地下の岩盤がしっかりしていて、
まるで自然の要塞のようです。津波もこないし、これまで大きな地震もない。
自然災害が本当に少ない場所なんです。先人がこの場所を選んだ理由がよく分かります。
もともと、玄海町は産業を興しにくい町で、出稼ぎが多かった。今では農業地帯になっていますが、
本来は水が少ない地域で農業にも適していませんでした。それが昭和40年代に国による
土地改良事業によって改善され、玄海原発の誘致と相まって、出稼ぎはほとんどなくなりました。
やっと普通の町になったという感がありますね。
「原発マネー」という言葉はよく聞きます。われわれもそういう意味で言えば、歳入の6割は
原発関連の収入ですし、そう言われたらそうかもしれません。ですが「お金漬けにされている」
とまで言われるのは、不本意ですね。
玄海原発があることで九州の経済が成り立っているわけですし、その見返りとして、
いただけるものはいただくのは自然な経済の原則ではないかなと思います。
もちろんリスクがないわけでもありませんが、それがだめだと言われれば、どこも受け手がありませんよね。
反対派からみれば原発を4基もつくってけしからんと思うかもしれません。
でもこれは重ねて強調しておきたいのですが、玄海原発があることによって九州の経済や
社会生活を安定させている。その一翼をわれわれも担っているという自負がある。
そういう意味で、私は誇りを持っているし、町民の皆さんもそういう気持ちを持っているのではないかと思います。
ただ、2011年3月に起きた東日本大震災には驚きました。安全神話を信じきっていた
というわけではないですが、私や当時の議長は、福島原発から異常を知らせる「10条」
通報はあるだろうが、緊急事態を宣言する「15条」までにはならないだろうと思っていました。
しかし、その日に15条発令がなされたので、これは大事(おおごと)だと思いました。
とはいえ、震災から数カ月たった7月4日、私が原発の立地自治体の中で先駆けて
再稼働に同意したんです。なぜなら、発電所も見に行った上で、ここが一番安全だと思ったし、
働いている人の誠実さ、関係性などをトータルして考えて、うちは稼働しても大丈夫だという
自信のようなものがあったからです。
その数日前にはこの町長室に当時経済産業相だった海江田万里さんがやってきて
「安全が確認できたので、もう玄海原発は稼働していいよ」と言われましたから。
でも、私が再稼働に同意して間もなく、菅直人首相(当時)に覆されてしまいました。
だまされたような気分になりました。震災が起きた時点で、民主党が政権を担っていたのが
不運の一つですね。あのとき自民党だったら、いろいろな面で、もう少し様子がちがったのかなと思います。
現在は、九州電力との連携はうまく取れていると思いますよ。熊本地震(2016年4月)のときも、
毎日のように、九州電力から報告や説明がありましたし、われわれも現場を見に行きました。
玄海町は震度2か3くらいで大きな地震はなかったので原発の建物も損傷がなく、
特別問題はないと思いました。余震が1カ月くらい続きましたが、地震があるたびに
「異常はありません」と九電側から担当者に連絡があり、対応はとても丁寧でしたね。
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こうした安全対策とあわせて考えなければならい重要な課題として、核のごみ問題があります。
昨年4月、毎日新聞が「玄海町長が核のごみの最終処分場受け入れに前向き」だと報じました。
決して前向きと言うことではなくて、ごく普通の話をしたつもりだったんです。
核のごみの最終処分地は日本国内に必要であり、自分のところで出したごみを
自分の国で処分できないというのは、日本人として恥ずかしいという意味です。
日本という国は責任感のある国であることを示さないといけないじゃないですか。そういう思いがありました。
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