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2017.7.28 06:00
★【弁護士会 矛盾の痕跡(5完)】「自衛隊反対、日米安保条約反対」東西冷戦・イデオロギー闘争下で日弁連の左傾化加速…最高裁の〝タカ派〟長官に対抗
「自衛隊は軍隊であり、憲法9条2項によって保持を禁じられている『戦力』に該当する」。
昭和48年9月、自衛隊の合違憲が争点になった「長沼事件」の1審札幌地裁判決。
裁判長だった福島重雄(86)=富山県弁護士会=は、史上初の「自衛隊違憲」を言い渡した。
戦前は海軍兵学校にいて軍隊にアレルギーはない。同期と集まれば軍歌も歌う。
法廷で騒いだ左翼学生の刑事裁判では、ためらうことなく機動隊を呼んだ。
「右も左もない。裁判官の仕事をしただけ」と福島は語る。
判決の4年前、官舎で封書を受け取った。差出人は地裁所長の平賀健太。
「一先輩のアドバイス」と断り、自衛隊基地建設に反対する北海道長沼町の住民が
起こした長沼訴訟について「国側の裁量を尊重すべきだ」と書いていた。この平賀書簡は
憲法で保障された「裁判官の独立」を侵す-。社会は騒然となった。
日本弁護士連合会(日弁連)は「司法権の独立に対する国民の信頼をおびやかす」
との会長談話を出し、東京、大阪などの弁護士会が裁判官訴追委員会に平賀の罷免を請求した。
翌年、自民党の元法相が委員長を務める訴追委は、平賀を「職務熱心のあまり」に出た
行動として不訴追、書簡を公表した福島を非難した上で訴追猶予とし、資質にこう疑問を呈した。
「政治的色彩の強い裁判官ではないかと、中立性を疑われる恐れがある」
違憲判決後、福島は手形部や家裁回りとなり、平成元年に退官するまで給料は2度しか上がらなかった。
■最高裁VS左翼系裁判官
戦後の東西冷戦を背景に保守(与党)と革新(野党)が対立した「55年体制」の下、
裁判所もイデオロギー闘争の渦中に置かれた。特に昭和45年前後の数年、
革新左翼勢力が「司法の危機」と呼ぶ事態が次々と起こり、「最高裁VS左翼系裁判官」が顕在化した。
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これが、日弁連の左傾的闘争体質を決定づける一因になったといわれる。
関係者によると、政権与党の自民党がとりわけ問題視したのが、憲法擁護や平和・人権を
掲げる青年法律家協会(青法協)。福島もメンバーで、当時の裁判官の約1割が入会していた。
青法協が「自衛隊反対、日米安保条約反対」を掲げる法律家団体に加入したこともあり、
自民党は「青法協=容共団体」と見なした。公務員の政治活動などに寛容な司法判断が
出るたび、原因は共産主義思想を持つ青法協の裁判官にあるとして「偏向判決」の批判を強めた。
当時の最高裁長官は、タカ派として知られた石田和外(かずと)。青法協問題を口実にした
政権与党の人事介入を恐れ、自ら組織防衛のため、自衛隊や日米安保を違憲と
判断しかねない青法協への〝弾圧〟=ブルーパージへと動く。
脱会勧告、さらに昇格・昇級・転任という人事面で露骨な差をつけた。
象徴的な〝事件〟は46年、青法協会員で熊本地裁判事補だった宮本康昭(81)の再任拒否だ。
裁判官は10年の任期ごとに再任される仕組みだが、宮本は認められなかった。
(以下リンク先で読んでください)
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長沼訴訟の「自衛隊違憲」判決前の平賀書簡、左翼系裁判官を冷遇したブルーパージ…。革新左翼勢力が「司法の危機」と呼ぶ時期には、そんな事態が次々と起こった。最高裁や政府・与党と対抗した日本弁護士連合会が左傾化を強める一因になったといわれる
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