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2017.4.26 07:39
★【解答乱麻】教育勅語を全否定し、歴史を直視しない野党の歴史観は戦後の欺瞞だ 武蔵野大教授・貝塚茂樹
いつまで不毛な議論を繰り返すのか。教育勅語のことである。
政府は「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることは
否定されることではない」という答弁書を閣議決定した。従来の見解を踏まえた
ものであり特に問題があるとは思えない。
これに対し野党やマスコミは昭和23年6月の衆参両院での教育勅語排除・失効
確認決議を根拠に教育勅語への批判を強めている。しかし、これが占領下、
GHQ(連合国軍総司令部)主導で行われたことには触れられず、また国会決議には
何ら法的拘束力がないことにも言及されていない。国会決議を殊更に過大視すること
には疑問である。
戦後の教育勅語に対する立場は、昭和21年10月の文部次官通牒「勅語及詔書等の
取扱いについて」で明確にされている。その内容は、(1)教育勅語をもってわが国唯一の
淵源となる従来の考え方を排除すること(2)式日などの奉読を禁止すること(3)教育勅語を
神格化する取り扱いをやめること-の3点を基本とするものであった。これは教育勅語の廃止
ではなく、教育勅語を絶対の理念とすることを否定した上で、特に学校教育での神格化した
取り扱いを禁止することを求めたものであった。
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このことは、昭和22年3月の貴族院において高橋誠一郎文部大臣が、
「日本国憲法の施行と同時に之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひ、
又教育基本法の施行と同時に、之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひまするが、
その他の部分は両立する(中略)詰り政治的な若くは法律的な効力を教育勅語は失ふ
のでありまして、孔孟の教へとかモーゼの戒律とか云ふようなものと同様なものとなって存在する」
と述べたことにも明らかである。
ここでいう抵触する部分とは、勅語という形式で教育理念を国民に示すことであり、
「抵触しない部分」とは、「父母ニ孝ニ」以下の12の徳目であることはいうまでもない。
それは、教育基本法制定にあたって、田中耕太郎文部大臣が、教育勅語の徳目が
古今東西を通じて変わらない人類普遍の道徳原理であり、それらが民主憲法の精神とは
決して矛盾しない、と述べたことにも象徴されている。
また田中は昭和21年9月の教育刷新委員会の総会において、「詰り教育勅語を
今までの神懸り的のもの、詰り神様の言葉として取扱うような態度であってはならない、
それは倫理教育の一つの貴重なる資料であるというような態度で臨まなければならぬ」
とも明確に述べていた。
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しかし、戦後社会には、教育勅語を「倫理教育の一つの貴重なる資料」として扱うことさえも
否定する空気が支配的であった。後に田中は、戦後社会が、「従来から存在するものは
すべて悪として否定」し、教育勅語の中に示された「古今を通じて繆(あやま)らず中外に
施してももとらない、人類普遍の道徳律まで保守反動視してはばからない憂うべき傾向」が
顕著となったことを批判し、強い警鐘を鳴らした(『教育基本法の理論』)。
歴史とは過去から現在までを貫いた時間の流れである。にもかかわらず、戦前と戦後を分断し、
戦前を全否定するような歴史観に歪(ゆが)みが出るのは当然である。教育勅語の歴史を
直視せず、徒(いたずら)にこれを全否定することがさも民主的であるかのように振る舞うのは
歴史に対する欺瞞(ぎまん)である。こうした態度が逆に、教育勅語を「神懸り的なもの」として
扱うことになることに気づくべきだ。真に問われるべきは歴史を無視し、今なお教育勅語を
感情的にしか議論できない戦後社会の怠慢と貧困である。
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【プロフィル】貝塚茂樹
かいづか・しげき 国立教育政策研究所主任研究官などを経て現職。専門は日本教育史、道徳教育論など。
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