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★《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(11)「日本人死ね! 国に帰れ」
ニッケイ新聞 4/19(水) 5:54配信
田辺さんが、光日本語教室を始めたきっかけは、パラナやサンパウロから来た若い日系人が、
子供に日本語を教えたいと言い出し、「お前は一世だから日本語教えてくれ」と頼んできたことだ。
「ボクは6歳で日本から来て、一生懸命に働いてきた。日本でもブラジルでもまともに学校にいっていない。
だから日本語を教えるのはムリだ、と最初は断った。でも父兄から『日本語話せるのはアンタだけ。
うちの子が日本語話せるように、会話でいいから教えてくれ』と頼み込まれた。
『じゃあ、一緒に勉強をするという感じにしよう。5人以上生徒を集めたら教える』と条件を付けたら、
父兄が生徒を10人も連れてきたので、しぶしぶ始めた」と笑う。
最初は自宅の応接間から。無料で教え、狭くなって専用の教室に移った。生徒たちが自主的に
電気代などの経費ていどの授業料を集めるようになった。「いざ始めて、子供から『センセイ』と
言われると、ちゃんとしなくちゃ、となる。フォノマギ書店から日本語教材を取り寄せて、
自分で勉強しながら教え始めた」。
JICAから青年ボランティアの日本語教師を送ってくれるようになり、3代目の中山美早紀さんが
任期を終えて帰国したのち、再び戻ってきて、田辺さんの光日本語教室を続けてくれている。
田辺さんが大腸ガンの治療を始めるなどの事情をあったためだ。
文協の方にも日本語教室ができ、こちらの生徒は140人にもなった。漫画アニメ人気ととも
にブラジル人の生徒が増えている。
田辺さんはいう。「僕が日本語を教える本当の目的は、親日ブラジル人を育てることなんだ。
僕らがここに入植したのは終戦間もない頃で、住民には『日本人は敵性国民』という意識が
根強く残っていて、僕らはよくイジメられた。子供の頃、友達になろうと近づくと『日本人なんか死ね!
自分の国に帰れ』って言われてね。酷かったんだよ、あの頃。だから、二度とそんな風にならないように、
親日ブラジル人を養成しているんだ」。聞くだけで、胸がいたくなるような実話だ。
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